男の意地と女の見栄(21)
「ニコ」
「ニコラスさん」
同時に青年の名を口にしてユータスとフェッロは顔を見合わせた。
青年――ニコラス・セルベセリアという――はフェッロと親しい間柄で、ユータスも顔見知りの人物である。そうした意味では不審者ではないのだが、二人の顔に浮かんだのは少々途方に暮れたような表情だった。
「なんかいきなり外に話が漏れてるんだけど」
「ですね……」
二人はこれでも人が来ないような場所を選んだのだが、会話に口を挟まれるまで気付かなかったのは完全に手落ちである。
「ニコ、ちなみにいつからそこにいた?」
「最初からだけど?」
フェッロの質問にけろりとした表情で答え、ニコラスはさらに追い討ちをかけてきた。
「珍しい組み合わせが歩いてたから声をかけようと思ったんだけどね。パン屋の袋を抱えてたからこの辺りで昼でも食べるのかと思ってさ。僕もまだだから御一緒させて貰おうかと後を追ってみたら、なんだか人目につかなそうな場所に入るし、真面目な話し合いを始めちゃうし。何となく声をかけるタイミングを逃しちゃったんだよね」
苦笑しながら軽く肩を竦める腕の中には、確かに食べ物が入っているとおぼしき紙袋がある。
言われてみれば来た時から食欲をそそる仄かな甘い匂いが漂っていた。てっきりフェッロのパンからだと思っていたのだが、匂いの発生源はニコラスの抱えた袋のようだ。
「いい匂いがする。ニコ、それ何」
匂いに気付いたのはユータスだけでないようで、興味津々の様子でフェッロが袋の中身について尋ねた。食べる事にほとんど興味のないユータスと違い、フェッロは見掛けによらずよく食べる。今広げているのも、横で見てるだけで終わりそうなユータスに一人だけ食べるのも居心地が悪いと分けてくれた物で、本来全て彼の胃に消えていたはずの物である。
「よくぞ聞いてくれました」
フェッロの質問にしたりとばかりに笑みを浮かべると、袋を広げて二人の方へ差し出した。
「ほら、前に揚げ物の店の手伝いをしてたでしょ。そこの試作品だよ」
「ああ、そう言えば。……パイ?」
「うん。いつも惣菜系だから趣向を変えてみたんだってさ。感想を聞きたいって言うから、目に着いた人に声をかけてるって訳」
その状況で知り合いであるフェッロを見かけたのなら、確かに声をかけようと考えるだろう。それにしても、とユータスはぼんやり思う。
(また違う店だ……)
ニコラスは今回の揚げ物の店だけでなく、確か以前は商店街にある菓子店の売り子をしていた記憶があるし、また別の時は飲食店の呼び込みをしていた姿を見た事もある。
顔を合わせる度に何処かしらの店の手伝いをしている気がするが、どの店も本業ではないらしい。
接客自体は随分と手慣れていて様にもなっているので、それに類した仕事をしているのだろうと今までぼんやり認識していたのだが──守門を仕事にしているフェッロが(いくら休憩中で気が緩んでいるにしても)その気配に気付かないなど只者とは思えない。
そんな事をぼんやり考えていると、目の前に紙袋が差し出される。
「ユータスも一つどう?」
「……ありがとうございます」
おそらく試食した所で役に立つ感想は言えそうにないが、この流れで断るのも悪いだろうと思いつつパイを受け取る。見ればすでにフェッロはパイを食べ終える所だった。
「うん、美味しいね。クリームがちょっと甘い気がするけど」
「あ、フェロもそう思う? 僕もジャムが甘いからクリームはもっと甘味がない方が食べやすいって思うんだよね。ユータスはどう?」
聞いて欲しくないのにやはりそんな質問が飛んでくる。どうもこの頃やけに食べることを勧められている気がしつつ、仕方なく渡されたパイを齧った。
どうやら通常のパイと違い、焼き上げるのではなく揚げた物らしい。皮はパリっと硬めだがは中はやわらかで、噛むと少し酸味のあるジャムとクリームの味が口の中に広がった。
感想を待つ二人の視線を感じながら、考える事しばし。
「……──甘い、ですね」
ユータスなりに何とか役立つ感想をと思ったものの、結局出てきたのはそんな残念な物だった。彼の味覚が雑な事も大きいが、こういう時に的確に表現出来る語彙がない事も致命的である。
だが、そんな役に立ちそうにない感想を前に、ニコラスはがっかりした様子もなく頷いた。
「そっかー。やっぱり甘いよね、うんうん」
もうちょっとジャムかクリームの甘みを控えるよう言ってみるよ、などと続いた言葉で、どうやらユータスの感想をフェッロやニコラスが感じた『甘過ぎる』と同意見と捉えてくれたようだ。
ユータスにしてみれば、甘みが薄かろうが強かろうが『甘い』という感想になるのでまったくの間違いではないが、何となく申し訳ない気持ちになる。
もう少し役立つような感想を言えないものかとパイを片手に考えていると、もごもごした声でフェッロが声をかけてきた。
「それより、ユータス」
甘過ぎると言いつつも気に入ったのか、二つ目のパイをぱくつきながらフェッロがニコラスを指差していた。
「これ、どうするの」
「……これ?」
まじまじと指差されているニコラスを見ると、『これ』扱いされている当のニコラスも不思議そうな顔でフェッロを見ていた。
事情をわかっていないニコラスと、状況を忘れているユータスに、フェッロは親切にも説明してあげる事にした。
「依頼の件って、口止めされてるんじゃなかったっけ」
「──あ」
なんとなくパイの試食会の流れになってしまい、すっかり本題を忘れていた。そもそも、こんな人目を避けた場所に来たのも、今回の依頼を周囲に漏らさない為だったと言うのに。
(……どうしよう)
ニコラスの口の硬さがどの程度かわからないが、顔が広いのは確実である。話が漏れてしまったのはある意味不可抗力とは言え、そのまま放置には流石に出来ない。
いっその事、口止めついでにニコラスも『関係者』にしてしまったら早いのではと考え、無理は承知でユータスは試しに質問してみる事にした。
「あの……、ニコラスさん」
「ん? 何?」
「……細かい作業とか、得意だったりしませんか?」
ユータスの質問にニコラスは虚を突かれたように目を見開いた。
「えっ。いやー、そういうのすっごい苦手なんだよね。そもそも、椅子に長時間座る事自体苦手だからさ。ユータスやフェロはよくやれるなあ」
「そうですか……」
無駄な足掻きだったようだ。ユータスの意図を察して、フェッロは不思議そうに首を傾げる。
「別に引きこまなくても、普通に口止めでいいんじゃないの」
「それはそうなんですが……」
「あれ。もしかして何か手伝いが必要だったりする? えーと、客引きとか宣伝なら得意だけど……」
「いえ、違うんです」
ユータスが事情を簡単に説明すると、ニコラスはなるほどねと笑顔を見せた。
「心配しないでいいよ。黙っておくから」
「済みません」
「こっちも結果的にだけど盗み聞きしたようなものだし気にしないでよ。それにしてもステイシスさんって結構面白い人だねえ。なんかいつも穏やかで紳士って感じだし、こういう悪ふざけみたいな事ってしなさそうなのに。良い人そうだとは思ってたけど」
「……そうですね」
果たしてあれは『面白い』という言葉で片付けて良いのかと疑問に思いつつ、残りのパイを片付けていると遠くから人の声が聞こえてきた。人探しでもしているらしく、結構な大声である。
やがて声が近付いてくるとその内容が判明した。
「ニコラスさーん! 何処ですかー!!」
「あれ、この声……」
「ニコラスさん、呼ばれてますよ」
「……だねえ」
どうやらニコラスを探しているらしい。だが、当のニコラスはその声に応えようとしない。それどころか、手早くパイの残りが入った袋を片付けると撤収の準備を始めた。
「何やってるの、ニコ」
「見ればわかるでしょ?」
「──何かやった?」
「やってないよ、失礼な」
フェッロの追求に不満そうに否定しながらも、その足はそろそろと動き出している。何もしてないのなら何故逃げる必要があるのか。
声はすぐ側にまで来ている。聞き覚えのある男の声にユータスも首を傾げた。
(……誰だっけ、この声)
あまり交流のない相手だとは思うのだが、ニコラスが逃走を図るような人物に心当たりはない。
「それじゃユータス、ついでにフェロ。感想ありがとう、伝えておくよ」
「いえ……。こっちも済みません」
「気にしなくていいって。そうだ、手伝えそうな事があったら声かけてよ。何か面白そうだし、完成品も見てみたいしね。それじゃ!」
口早に言うや否や、ユータスが返事をする前にニコラスは一気に駆けだした。
その速度は相当なもので、あっと言う間にその姿は見えなくなる。しかもほとんど物音もしなかった。どう見ても只者ではない。
(ニコラスさんって本当に一体何者なんだ……)
普段は気にも留めていないが、よくよく考えれば細身の身体は筋肉質で引き締まっているし、ユータスとは別の意味で無駄な部分が削がれ、鍛え上げられた印象がある。おそらく、肉体美を追求する某兄弟子辺りから見ると(観賞的な意味で)垂涎の的であろう。
そしてあの素早さ。職業が流離の売り子だとすると勿体ない身体能力の高さである。
一度引っかかると気になって仕方がなくなり、フェッロに聞けば何かわかるだろうかとユータスが口を開きかけた時、背後の茂みが物音を立てそこから一人の人間が姿を現した。
※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※
・ニコラス(キャラ設定:麻葉紗綾さん)
詳細は公式(http://tirnanog.okoshi-yasu.net/)をどうぞ!




