男の意地と女の見栄(15)
「なんだ、イオリか」
ポンドからの依頼にはイオリの協力も不可欠だ。早目に打ち合わせをしたいと思っていたので、向こうから来てくれて呼び出す手間が省けた──と、ユータスは単純に喜んだのだが、声をかけた途端にイオリが何故か身構えた。
「ユータ……」
「丁度いい所に来たな」
何故そんなに身構えているのだろうと不思議に思いつつ言葉を続ければ、益々イオリの表情が渋いものになる。
(何だ?)
怒ってるという訳ではないようだし、怒らせるような心辺りも(今の所はまだ)ない。周囲に目を向ければ、ニナ達も不思議そうな顔でイオリとユータスのやり取りを見守っている。
「いい所に……って、どういう意味」
「ああ、丁度イオリに話があったんだ」
「話って、まさかこれの事じゃないでしょうね……」
「ん?」
これ、と言われてイオリの視線が示した方を見れば、そこにはカウンターの上に置きっぱなしだった朱赤の丸い物体──ダルマが一つ。
実際的な使い方というか、飾り方もよくわからなかったので、後でレイに聞こうと思っていたのだが、そう言えばイオリはシラハナ生まれなのだしダルマの事もレイくらいには詳しいに違いない。
「ああ。イオリに聞くという手があったか」
今まさに気付いたと言わんばかりの言葉に、拍子抜けしたようにイオリはがくりと肩を落とした。
「どうした」
「どうしたじゃないでしょ……。はあ……、一体何処からこんなの持ってきたの」
「持ってきたんじゃない。レイの店で買った」
正直に答えると、イオリは沈黙した。……が、目は口ほどにというだけあり、その若干遠い目だけで彼女が何を思っているのか何となく察せられる。また変なものを、とでも思っているようだ。
確か、以前藤の湯で聞いた話では『エンギモノ』はこちらでいう所の幸運のお守り的なものだったと記憶しているのだが、そういう物を前にしている態度ではないように思える。
さらに言えば、これを見て喜ぶとは思いはしなかったものの、彼女がシラハナから単身こちらに来て数年経つし、それなりに懐かしく思うのではと思ったのだが──この反応だとそういう感情もないようだ。
(む……。もしかしてこれ、なんか良くない物だったりするのか?)
この街から出た事のないユータスだが、所が変われば品も変わる事くらいは理解している。
世界は広く、妖精女王であるニーヴを信仰していない場所もたくさんあるし、宗教的な思想が異なれば物事の価値観も千差万別だろう。
イオリの故郷はダルマと同じシラハナだが、シラハナもそれなりに広いはずので、彼女がかつて家族で暮らしていた地方にはダルマが存在していない可能性もあるし──この様子だと知ってはいるようだが──そこでは逆に縁起の悪いものとして扱われている可能性だって在り得るだろう。
単に見た目の面白さだけで買ってしまったのだが、もしかして相方を不快にさせる物だったのだろうか──などと考えていると、深くため息をついたイオリが重い口を開いた。
「こんな物買って……。一応客商売なんだからもうちょっとこう、店に合うかどうかとか考えなさいよ」
「ん?」
どうやらユータスの考えは杞憂に終わったようだが、イオリの指摘は見事に盲点を突いていた。
「レイさんの店は確かシラハナの物を扱ってた覚えがあるから置いてあっても違和感ないけど、この店じゃおかしいでしょ」
「……おかしいのか?」
「そう言うって事はやっぱりこれ、この店に置いておくつもりだった訳ね」
どうやらイオリが微妙な顔をしていたのは、ダルマが工房の景観に合わない物だったかららしい。
確かにマネキネコが置いてある藤の湯も、レイの店もどちらもダルマ以外にもシラハナの物がある。対してユータスの店は装飾品を作る工房ではあるものの、年代物だけあって全体的に古ぼけており、さらに家主が内装に関して無関心なせいで華やかさの欠片もない。
イオリの言葉に間違いはなく、よく言えば素朴、悪く言えばこの上もなく地味な場所で、ダルマの目を惹く朱赤はやたらと悪目立ちしていた。
「エンギモノって、店に飾る物じゃないのか?」
「いや、飾る事もあるけど、あんたの所には合わないって言ってるの。それにこれ……、確かに縁起物ではあるけどどちらかと言うと願掛け用だし」
「願掛け?」
思いがけない言葉に首を傾げる。そんなユータスの様子に、イオリが親切に用途を説明してくれる。
「ほら、目が描かれてないでしょ。願掛け──例えば、試験に合格しますようにとか? 願い事をしながら片方に目を入れて、願いが叶ったらもう片方の目を入れるの」
「……おお」
「流石、イオリちゃん」
「イオリ姉ちゃんかっこいい……!」
「まあ、そんな決まりがあるんですのね」
そういう使い方だったのかと揃って感心するユータスと外野に、イオリはやれやれと肩を竦めた。ダルマを本当に興味本位で買ってきた事がその反応でわかったからだ。
嗜好品の類には興味がなく、仕事に使う原石とかそうした物以外には自発的に欲しがる事は滅多にないのだが(せいぜい藤の湯のシラハナスイーツを買い占めて来る位か)、稀に何か買ってきたと思えばこれだ。
それが芸術品だったり、図版や書籍のようなものであれば理解出来るのに、何に使うものかもわからずに仕事どころか日常生活にすら役に立たない物を買って来るのは頂けない。無駄遣いとはまさにこの事だ。
「……ついでに教えておくけど、このダルマのお腹の所に書かれてるのって、シラハナの文字なんだけど」
「ああ、そうみたいだな」
「意味は『必勝』……つまり勝負事に勝てるように、って事なんだけど。あんた何か近々勝負する事ある?」
「……ない」
言われてみれば、レイの店にあった物とは大きさもだが、腹に書かれている字が違っている。
読みはわからなくても、字体ははっきり見たので覚えている。記憶に残るその文字を手近にある紙に書きつけるとユータスはイオリに差し出した。
「イオリ。これはどういう意味だ?」
「え? ……ああ、これは『福』だから幸運とかそういう意味だけど。これがどうしたの」
「レイの所にあったダルマに書いてあった」
「ああ、じゃあそっちは商売繁盛みたいな意味で合ってるんじゃない」
「なるほど……」
つまり買ったダルマは外見だけでなく、意味合いまでもユータスの店には合ってないという事だ。
持ってきたレイは問題があれば言うように言っていたが、こういう理由で取り換えするのも何だか申し訳ない。
困っていると、兄の心情を察したらしいニナがぽんと手を叩いた。
「つまり、願掛けを何かに勝てるようにって内容にすればいいんだよね?」
「ん?」
「『自分に勝てますように』って願掛けすれば?」
「……なんでだ」
ユータスの場合、規則正しい生活とはとても言えないものの自堕落と言うのも少し違う為、ユータス以外もその提案に疑問を浮かべる。どうやら言葉が足りなかったと理解したのか、ニナはさらに口を開く。
「だってお兄ちゃんの場合、行き倒れるほど働くのって没頭しちゃって自分の意志で止められないって事でしょ? 『今日はここまで』って意志が足りないせいだと思うのよね」
「む……」
意志が足りないどころか、最初から考えもしていないとは何となく言えない雰囲気である。
薄々それを察しているらしいイオリなどは、乾いた笑いを口元に浮かべているが、子供達はそうではなかったらしい。
「じゃあさ、兄ちゃんが仕事し過ぎで行き倒れたりしなくなったらもう片方塗るってこと?」
「んん……、それはなんだか勝負とは違う気がするんですの」
「確かにそうなんだけど、うちのお兄ちゃんが普通の勝負事なんてするとは思えないんだもの」
「うん……。勝負するくらいなら最初から負ける方を選ぶよね、面倒とか言って」
(よくわかるな)
流石に血の繋がった妹弟という事だろうか。実際、勝ち負けや上下をつける事にはまったく興味がないのでそうするだろうと心の中で同意していると、一人メリーベルベルは両サイドの髪を震わせて否定の声をあげる。
「そんな事ありませんわっ、何か大事なものを賭けてなら、きっとユータス様も本気を出すに決まってますのっ! 失礼千万ですわあああ!」
「わわ、わかったから落ち着いてベルベルちゃん!?」
「そ、そうだよな! 兄ちゃんはまだ本気を出してないだけだよ、うん!」
他人事なのに自分の事のようにぷんぷんと怒りだしたメリーベルベルに、慌ててニナとウィルドが取りなすものの、当のユータスは空気を読まずにその声をあっさりと否定した。
「オレはいつも本気だが……」
「お「兄ちゃんは黙ってて!」」
仕事に対してはもちろんのこと、面倒臭い事に対しても全力で回避する努力をしているのだが、努力する方向が間違っているせいか、イオリどころか下二人にまで睨まれる羽目になった。
余計な口はきかない方がいいと判断してユータスが口を噤むと、ニナはともかく、と話を戻した。
「やーっと仕事を選ぶようになった程度だし、この目標だったらそう簡単に達成出来ないと思うのよね。丁度いいんじゃない?」
「え……、仕事を選ぶようになった? この、ユータが?」
ニナの言葉にイオリが心底信じがたい表情で確認を取る。
「うん。そうらしいよ? ウィルから聞いた話だけど」
「そうそう。仕事を受けるかどうか考える時間を貰ったんだってさ。すごい進歩じゃん」
「……何か変な物でも食べたの」
「食べてない」
どうして自分の身の回りの人間はいつもとちょっとでも違う行動をしただけで、変な物を食べたとか雪が降るとか言いだすのだろうとユータスは疑問に思った。非常に解せない。
「実際の所はどうなのよ。本当に仕事を選んだの?」
流石にイオリはニナとウィルドの言葉だけで信じる事は出来ないらしく、ユータス自身にも確認してくる。
「選んだつもりはない。出来ない事を受ける訳には行かないから少し考えさせて貰っただけだ」
「ああ……、そういう事」
なんだ、とイオリは軽く肩を竦めた。結局、ユータスは何も変わっていない事がその答えでわかったからだ。
いつも仕事明けはグールのようにぐったりしているし、先日など街の中で行き倒れていたが、後の事を考えずにほいほい仕事を受けているように見えて、ユータスは必ず受けた仕事はやり遂げている。
つまり今までは単にユータスが『無理』と思うような仕事がなかっただけで、今回ようやくその許容範囲を超える仕事が来たという事だ。
このユータスにそう思わせるとは、一体どんな難しい仕事なのだろう──ユータスが完全にイオリを巻き込む気でいる事も知らずに、純粋に興味を抱いたイオリだった。




