男の意地と女の見栄(13)
「もうっ、信じられない!! 有り得なあああいっ!! なんでこんなものベッドに載せてるの!?」
「こんなものって……抱き枕だぞ?」
涙目で吠えるニナにばか正直に答えると、ぎろりと殺気立った視線を向けられた。これはひょっとしなくても、『地雷』のようだ。
そう言えば、とユータスはつい先日の事を思い返す。確か、チョコレートグールを見た時も、さらにその後に作ったそのレプリカを見た時にも、似たような流れで怒られたのではなかったか。
(なるほど……、ニナも苦手だったか)
母・エリーが目撃した際の過敏反応を思い出す。血の繋がった親子なのだし、苦手な物が一緒でも不思議ではないだろう。今更そんな事に思い至って一人納得しつつ、どうしたものかと考える。
その可能性に気付かなかったのは確かにこちらに非があるかもしれない。だが、置いていたのはもちろんわざとではないのだ。知っていたらどうにかして何処かへ隠していた。
せめて悪意がない事を説明しようと口を開きかけた所に、横からつんつんと服を引っ張られる。見ればウィルドが何かを言いたそうな顔で一度ふるりと首を横に振った。
──おそらく余計な事は言わない方がいい、というサインだ。
(……。さてはウィルも何かやらかしたな……?)
最初から正面からぶつかる気のないユータスに対して、ウィルドは好奇心の強さなのか、それとも年が二つしか離れていないせいなのか、ニナに対して時々ひどく命知らずな事をやる。
いつもやられるばかりなので悔しいのかもしれないが、うかつに怒らせると倍で返ってくるというのに懲りないものだ。
普段の流れならこのままウィルドも巻き込んでお説教タイムに突入する所だが、幸いにも今日は第三者の存在──救いの手があった。
「ユータス様ユータス様っ! この人形もユータス様が作りましたの!?」
外野の空気の悪さを気にした様子もなく、見た目のエグさを気にも留めずに抱き枕を抱き上げ、メリーベルベルが興奮気味に尋ねてくる。
「いや、貰ったんだ」
「そうですの……。わ、わたくしが作ったものには負けますけど、良く出来ると思いますわ。良く見たらちょっと愛らしい気がしなくもないですのっ」
「……そうか?」
よく出来ているとはユータスも思うが、『愛らしい』というのは何か違う気がする。
メリーベルベルの中には『グール=ユータスが気になっている物=好き』という図式があるのだが、そんな少しでもユータスの好きな物を理解しようという実にいじらしい心情も、ユータス自身は当然ながら理解していなかった。
もっとも、普通の少女ならいくら想い人の好きなものであろうと、モチーフがグールな時点でニナのような反応をするのが自然に違いないので、平然と触るどころか抱き上げるメリーベルベルも只者ではない。
そのまま抱き枕を抱えたままユータスの方へ近寄って来るメリーベルベルに、ニナが悲鳴を上げる。
「ちょっ、ベルベルちゃん! そんなの持って来ないで!?」
「あら、どうしましたの。見た目はアレですけど、ただの人形ですわ? こんなものの何処が怖いって言うんですの」
「いやーっ! 近付けないでってばっ!!」
よく見てみろとばかりにメリーベルベルが抱き枕を突き付け、ニナが後退って入口の方へ退避する。薄暗い中でもわかるほど完全に怯えきった様子だが、今回ばかりなニナの反応も否定は出来ない。
ふんだんにフリルのついたドレスを身にまとった愛らしい少女が、腐乱死体そのものの人形を抱えている様は正にシュールの一言に尽きた。大人用を想定していたのか、彼女の身長とさして変わらない大きさなだけになおさらだ。
これは本当に嫌がっているらしいとわかったのか、メリーベルベルはそれ以上追い詰める事はせずにすっかり第三者の目で見ていたユータスに目を向けた。
「ユータス様、わたくし達に見せたいものってこれでしたの?」
「ん? いや──」
ふと思い付いたように言われ、そもそもの目的を思い出す。
もちろんグール抱き枕を見せる為にここに来るように言った訳ではない。こんな騒ぎになると思わず、単純に薄暗いという理由で寝室を選んだだけだったのだが──。
何にせよメリーベルベルのお陰でニナの説教は免れそうだ。心の内で安堵の溜息をつきつつ、ユータスは手に持ったままだった箱を再び三人の前に出した。
「あ、さっきの真珠」
一番近くにいたウィルドがぽつりと漏らした声に頷いて、ユータスは蓋に手をかけた。
「なんで『リーラの恋情』って呼ばれているのか、その理由がこれだ」
蓋を開けた瞬間、薄暗い部屋の中に淡い小さな光が二つ浮かび上がる。
「光ってる……?」
「綺麗ですわ!」
「え、なんで? マジックアイテムとかそういうの?」
「違う。原理ははっきりわかってないらしいけど、リュシオルヴィルの湖で採れる真珠はこんな風に暗い場所で光るんだ」
「……ああ、暗い所で光るから『月の妖精の涙』なのね」
陽光の下では普通の淡水真珠なのは、先程全員が確認した通りだ。
納得したようにニナが呟く──まだグール型抱き枕が怖いのか、抱えたままのメリーベルベルから少し距離を取って腰が引けているが、好奇心には勝てなかったらしい。
「美しいよな」
ユータスがしみじみと感想を漏らせば、今回ばかりはメリーベルベル以外も頷いた。
他の事に関しては『鈍い』か『ずれている』としか言い様のない感性のユータスだが、そこは本職と言うべきか、芸術品を見る目に関してはぶれる事はない。
リュシオルヴィル・バロックのお陰か、その仄かな光を堪能して再び下に戻る頃にはニナの機嫌も元に戻っていた──のだが。
「やだ、ベルベルちゃん! それ、持って来ちゃったの!?」
「えっ、だって、ユータス様の愛用の物だと思うと離しがたくって……。ちゃ、ちゃんと、帰る時には返しますわよ?」
などと理由をつけるメリーベルベルの腕の中には、未だグール型の抱き枕がしっかりと抱えられていた。
「兄ちゃん……、あれ本当に抱えて寝てんの……?」
明るい部屋に戻った事で、抱き枕の詳細がよりはっきりとわかる。
かつて制作者の下で販売中止となった経歴を持つだけあり、無駄にリアルな外観に苦手なニナだけでなくウィルドまで薄気味悪そうに抱き枕を見つめた。
──そもそもこの抱き枕がユータスの元に来る事になったのも、ニナやウィルドが意図せずとは言え、チョコレートグールの話を広めたせいなのだが。
「折角貰ったし、他に置き場所も思いつかなったからな。エフテさんが言っていた効果はよくわからないけど、使い心地は悪くないぞ」
ユータスの返事に、ニナが心底げっそりとした顔をした。ニナからすれば、抱いて寝るのはもちろんのこと、同じ部屋に置いておくのも嫌に違いない。
「何でこんなの普通に使えるの……って、何なの効果って。まさか、何か仕掛けでもあるの?」
「いや、効果と言うか──『夜中に目が覚めたら背中がぞっとして涼しく眠れる』っていう話で」
「ああ……、兄ちゃんには効かないよね……」
ユータスが一度寝ると、余程でなければ途中で目を覚まさない事は当然家族は知っている。しみじみとウィルドは言い、ついといった様子でぽろりと余計なひと言を口にした。
「姉ちゃんにはばっちり効く……イタタタタッ!?」
「ウィ~ル~。人の忠告を聞かない悪い耳はこれかしら~?」
「ゴメンッ、ゴメンって、痛いから離してクダサイ!」
ぎりぎりぎりと容赦なく両耳を左右に引っ張り上げられ、ウィルドは涙目で悲鳴を上げた──本当に懲りない弟である。ある意味、仲が良いと言えるかもしれないが。
そんなやり取りをやはり気にした様子もなく、何をそんなに気に入ったのか、グール抱き枕を大事そうに抱えたメリーベルベルが尋ねてくる。
「ユータス様っ、この子の名前は何ですの?」
「名前?」
「そうですわっ! お人形にはきちんと名前をつけて可愛がる物なのでしょう? わたくしもお兄様から頂いたお人形達に全部名前をつけてますわっ!」
なるほど、メリーベルベルにとっては抱き枕も人形やぬいぐるみも同列扱いらしい。確かに見た目を抜きにすれば、生き物(?)を模しているという部分では共通しているかもしれない。
だがしかし、抱き枕に名前をつける趣味はユータスにはないし、そもそも道具に名前をつけるほどの愛着はない。中には愛用の仕事道具に名前をつけて愛でる職人もいなくはないが(と言うか、結構いる)、一般的ではないだろう。
「……ないんですの?」
ユータスの沈黙にそれなりに察したのか、心なしか寂しそうにメリーベルベルが口にする。
泣きだすまでは行かずともがっかりさせたであろう事は確実である。ユータスはどうしたものかと思案し、ふと名案を思いついた。
「なら、ベルベルがつけるか?」
「え? ……わたくしが? いいんですの!?」
ユータスにしてみれば、抱き枕に名前があろうとなかろうと、その性能になんら影響しないので特に気にする事項ではない。頷いてみせれば、ぱあっとメリーベルベルの顔に笑顔が戻った。
「任せて下さいませ!! わたくしの名にかけて、立派な名前を考えてみせますわっっ!」
ぐっとこぶしを握っての宣言に、随分と大げさだな、などと思いつつもそのまま任せる事にする。メリーベルベルが楽しそうなのは良い事だ。
──が、ユータスは自分の一言で等身大のチョコレートグールを作成してみせたメリーベルベルの本気を、今回も軽く見積もっていた。
「決めましたわ……!」
しばらく考え込んでいたと思うと、やがて晴々とした表情で顔を持ち上げた。
その言葉に何事かとどうでも良い事を言い争い続けていた(正確にはニナが一方的に言い負かしていた)ニナとウィルドも目を向ける。
「そうか。どんな名前をつけてくれたんだ?」
ユータスが促せば、メリーベルベルはきらきらと瞳を輝かせて自信作を口にする。
「ユータス様とわたくしの名前をとって、メリータス・シュバルツヴァルヴァル一世はいかかですのっ!」
「……。メリータス……何だって?」
「メリータス・シュバルツヴァルヴァル一世ですわ! 素敵でしょう!?」
思わず聞き返した。よもや抱き枕にそんなゴツい名前をつけてくるとは思わなかったのだが、どうやら聞き間違いではないらしい。
(長い……)
正直、店に来る客だって顔なら一度見れば覚えるが、名前を覚えるのはあまり得意でない。長くややこしければなおさらである。当のメリーベルベルですら、さんざん言い間違えた果てに『ベルベル』の愛称に落ち着いたというのに。
それに『一世』という事は、後に二世やら三世が増えるのだろうか。流石に抱き枕は一つあれば十分なのだが。
しかし、折角一生懸命考えてくれた名前を無碍に否定など出来るはずもない。先々『メリータス』か『ヴァルヴァル』辺りに呼び名が落ち着く予感を感じつつ、ユータスはメリーベルベルへ礼を言った。
「……立派な名前をありがとな、ベルベル」
「これくらいお安い御用ですのっ。ユータス様にも気に入ってもらえたようで嬉しいですわー!」
──こうしてエフテラームから押し付けられたグール型抱き枕は、思わぬ流れで持ち主よりも立派な名前を貰ったのだった。
※協力感謝※
グール抱き枕の命名にはメリーベルベルちゃんの生みの親である加藤ほろさんのご協力を頂きました♪




