男の意地と女の見栄(11)
ステイシス邸を辞して工房に戻ると、かけていたはずの鍵が開いていた。どうやら家族かイオリが来ているらしい。
誰だろうと思いつつ扉を開けると、店番よろしくカウンターの椅子に座って足をぷらぷらさせながら、弟のウィルドが声をかけてきた。
「あっ、兄ちゃんおかえりー」
「ウィル。一人なのか?」
他の姿がない所を見ると、ニナはいないようだ。いつも一緒に来るとも限らないので、特に深く考えずに確認するとウィルドは首を横に振った。
「ううん。姉ちゃんも一緒だけど、母さんから届け物のお使いを頼まれたから済ませて来るって」
母のエリーは裁縫が得意で、時折頼まれて服を仕立てている。おそらく届け物はその類だろう。
「兄ちゃんこそ何処に行ってたの? やっぱり届け物?」
「いや……、依頼を受けに行って来た」
「依頼? わざわざ出掛けて?」
基本的に工房に引きこもりがちな兄の言葉に、ウィルドは驚きを隠さなかった。
確かに普段は依頼人がここに来てその場で受けるばかりなので、こちらから出掛けて依頼を受けて来るのは初めてのパターンかもしれない。
「ん。ちょっと難しい依頼だったから、考える時間を貰ったんだ」
「へー……って、考える時間を貰った!?」
特に隠す事ではないので正直に答えれば、ますますウィルドが目を丸くした。何しろ、身近でユータスが怒られたり星にされる様子を散々見ているのだ。
「あんなに仕事を選ばなかった兄ちゃんが……! どうしたの兄ちゃん。何か変な物でも食べたとか!?」
「……食べてない」
過剰とも言える弟の驚きの声に答えつつ、『変な物』という単語から何となく先程ステイシス邸で出された謎の豆を思い浮かべた。食べ物で変わったものと言えばあれくらいしか思いつかないが、依頼の件とはほぼ無関係なので数に入らないに違いない。
「ライラ・ディのお返しという話だったんだ。結構込み入った依頼内容で、当日までに仕上げるのは難しいと思ったんだよ」
何処からヴィオラの耳に届くかわからないからと、ポンドから関係者以外への口止めを頼まれたので、誰からの依頼という事は話せないがこの辺りは話しても構わないだろう。
そんな事を考えながら説明すれば、ウィルドは何故かひどく感動したような表情を浮かべた。
「なんだ」
「いや、人って成長する生き物だったんだなあって……。今までの兄ちゃんだったら間に合うかどうかなんて考えずに受けてたじゃん」
一応、これでもプロである。引き受ける際に納品期日が他と重なっていないかくらいは確認しているし、間に合うと判断しているからこそ受けているのだが(ただし、そこに己の肉体的限界は加味されていない)、そんな事はないと答えるには今までの前科があり過ぎた。
ユータスは反論を諦め小さく吐息をつくと、先程ポンドから預かって来た素材をひとまず店の片隅にある鍵付きの棚に入れる事にした。
この棚は本来完成した物を保管するのに使っているものだが、希少価値の高い預かり物をそのまま持っているのは落ち着かない。一時的とは言え、それなり管理出来る場所に置いておきたかったのだ。
ちなみに中は受け取った時に確認済みである。予想通り、非常に希少でユータスが直接扱った事のない物ではあったものの、同じようなものを普段も扱っているので取扱いに困る事はなさそうだ。
ユータスが草臥れた布袋を棚に入れるのを興味津々に見ながら、ウィルドがふと何かを思い出したように手を叩いた。
「そういや兄ちゃん。ライラ・ディのお返しと言えば聞きたい事があるんだ」
「オレに?」
「うん、兄ちゃんに」
一体何を、と視線で問えば、ウィルドは当たり前のように言葉を続けた。
「人のお返しを作るのもいいけどさ、肝心の自分の分はどうすんの?」
「……うん?」
ユータスは一瞬、弟が何を言っているのか理解出来なかった。つまり、自分も誰かにお返しをしなければならないという事だろう──が。
(リ・ライラ・ディって、ライラ・ディに貰った人間が何かしら返すんだよな?)
ライラ・ディに関しては妹のニナにいかに重要なイベントであるかと延々と語られたので何となく理解はしているが、対するリ・ライラ・ディに関しては詳しくはない。
先程編み物を習いに来たアールとの会話が思い浮かんだ。確か世間一般ではそうだったはずだし、アールも貰ったら返すものだと言っていたからその辺りは間違いないはずである。
だがしかし、ユータスにそんな心辺りはない。何しろ今まで無縁のイベントだったのだ。自分がそういう対象になるなど夢にも思ってもいなかった。
その困惑が表情に出ていたのか、ウィルドが心底呆れた様な目を向けてくる。
「『うん?』って……。ここに姉ちゃんがいなくて良かったね。いたら即説教コースだよ?」
怖い怖い、と身震いするウィルドの様子に、ニナからライラ・ディの翌日に『クッキーになるはずだったもの』を一袋ほど押しつけられた事を思い出す。
なるほど、あれも一応はライラ・ディの贈り物に含まれるのかもしれない。だが、あれはどちらかというと失敗作の後処理的なものであって、ライラ・ディ本来の意味は当然の事ながら、日頃の感謝とか親愛とかそういう類のものも含まれていたとは思えない。
「ウィルは何か返すのか?」
「え? 姉ちゃんの分? 一応返すよ、何もしなかったら根に持たれそうじゃん」
「……それもそうか」
何しろ出来はさておき、相当な不器用に入るニナが精魂込めて作った物(の練習台)だったのだ。その努力には報いてやらねばならないだろう──非常に理不尽な気がしなくもないが。
同じように思ったのか、ユータスとウィルドは仲良く肩を落とした。
「でも、何返したらいいのかよくわかんなくてさ。それで兄ちゃんに聞こうと思ったんだけど、それ以前の問題だったか……。まさか貰った事にすら気付いてないとは思わなかった」
呆れ果てた言葉にユータスは益々困惑する。それではまるで、自分がライラ・ディに何かしら貰ったようではないか。
「どういう意味だ?」
「だーかーらー、兄ちゃん貰ってただろ。ライラ・ディにさ」
「そんな物貰った覚えはないんだが……」
素直に否定すれば、ウィルドははーっと深くため息をつくとユータスの腹辺りを指差した。
「……ん?」
「ほら、あれだよ。ベルベルのさ、グールの形をしたすごいやつ。兄ちゃん、何日もかけて全部食べてたじゃん」
「──ああ」
ようやくウィルドの言わんとする事を理解して、ユータスはぽんと手を打った。
「後に残らないってやけに残念そうだったし、レプリカまで作る位だからてっきりわかってるんだと思ってた」
「いや……。そうか、あれはそういう意図があったのか……」
確かにユータスがグール好きという話の元になったチョコレート製のグールはライラ・ディに貰ったものだ。だが、メリーベルベルに単純に懐かれているとしか思っていないユータスに、その意図は全く伝わっていなかった。
なんでくれたのだろうと疑問には思っていたものの、まさかライラ・ディを意識してあの力作をくれたとは。遅まきながらその事を理解すれば、いろいろと見えてくる。
(そうか、それであの時ニナが怒ったんだな……)
クッキー(仮)を受け取った際、メリーベルベルからチョコレートを貰ったと聞いたニナに、何故さっさと食べないのかと怒られたのだ。
あの後、問題のチョコレートの変わり果てた姿を見てニナの怒りの矛先が若干変わってしまった為、ユータスはてっきり保存状態の事について怒ったのだとばかり思っていたのだが。
ニナも今年のライラ・ディは手作りに挑戦していたし、おそらくそういう物に憧れる年頃なのだろう。女子はいろいろ大変だな、とやはり本気で受け止めていないユータスはぼんやり思った。
「今まで気付いてなかったって事は、お返しとか何にも考えてないんだよね」
「……ん」
「おれが言う事じゃないけど、ベルベル楽しみにしてるんじゃないの? 今からでも何か考えた方がいいと思うよ」
ウィルドの何処か憐れむような視線が痛い。
確かに相手にそういう意図があったのなら、何かしらの物を返した方がいいだろう。好意を向けてくれている事は普通に嬉しい事だし、相手が子供であればなおさらである。
だがしかし、市販の物を贈られたのであれば菓子などで返せば良いのだろうが、貰った物が物である。手作りの上にあれだけの力作へのお返しとなるとすぐに思い浮かばなかった。
かと言って、何か別の物をと思っても何が好きだとかそうした話はほとんどした覚えがない。何しろ、いつもメリーベルベルが話しかける事がほとんどで、ユータスは受け身に終始する有様なのだ。
(ベルベルへのお返し……──ん?)
どうしたものかと考える一方で、ユータスはふと今まで完全に忘れていたある事に気付いた。
メリーベルベルからチョコレートを受け取った日と言えば、相方のイオリからも何か差し入れを貰った記憶がうっすら残っている。
あの時は極限状態でそれが『食べ物』であるという認識が働くと同時に消費してしまい、何を貰ったのかが定かではない。さらにイオリ自身も何も言及して来なかったので、今まで気に留めていなかったのだが。
何を貰ったかは覚えていない癖に、それが『甘い』物──おそらく菓子の類──だったという認識だけはしっかり残っていた。
(──……)
背中を嫌な汗が流れた。メリーベルベルの件も今に至るまで気付いていなかっただけに、あらゆる事が疑わしい。
ユータスの食生活の不規則さを良く知るイオリが、ここに来る際に差し入れを持って来る事は別段珍しくはない。第一、『あの』イオリである。そうした意図はない──はずだ。
そこはかとなく不安は残るが、気になるからと本人に聞こうものなら、何かしらの意図があろうとなかろうと怒らせそうな気がしてならない。ユータスも別段、相方を怒らせたい訳ではないので『触らぬ神になんとやら』と、深く考えない事にした。
仕事もあるし、取りあえず悩まずに済みそうな事──ニナの方から片付けた方が早いと判断して口を開く。
「ウィル、ニナには──」
「ウィルー、お兄ちゃん……あ、帰ってきてる」
しかし話を進めようとした矢先、当の人物が戻って来てしまい、ユータスは言葉を飲み込んだ。特に秘密にする必要はないが、ニナの背後に別の人影が見えたからである。
「まあ、ユータス様! 数日振りですわっ!」
頭の両横で綺麗に巻かれたチョコレート色の髪を跳ねさせて、先程まで話題になっていたメリーベルベルが室内に飛び込んできた。