男の意地と女の見栄(7)
自分で作ろうとするだけあって、ポンドの手つきは慣れたものだった。
少なくとも教えられた物しか作れ(作ら)ないばかりか、物によってはそのまま、良くて火を通す程度で済ませるユータスより応用が利く時点でそこそこの腕前と言えるだろう。
材料は瓶詰めされた豆やら塩漬けして干した肉といった保存食ばかりだが、ユータスから見ると十分に手がかかっている部類である。
実際、ポンドが調理の作業を含めて『食事』というものを楽しむ人物である事は間違いないようで、見た事もないような色や柄の豆が瓶詰めされているのを珍しく思って見ていると、聞いてもいないのにその豆が何処の地方で育つものだとか、どんな料理に使うのかを楽しそうに語ってくれた。
「私が最終的に貿易商を生業に選んだのも、周囲の勧めがあったのも確かだが、仕事のついでにいろいろと各地の珍しい料理や素材に遭遇出来そうだと思ったからなんだよ」
「そうだったんですか」
「実はそうだったんだ。特に『世界を見てやろう』といった大志はなかったから料理人でも良かったかもしれないね。もっとも、そこまでの腕前になれたか怪しいし、実際今の仕事に向いていたようだからこの道を選んで正解だったんだろう。あ、その芋は一口大くらいに切ってくれるかな」
「一口……。この位ですか?」
「うんうん。なんだ、得意じゃないと言う割に上手いじゃないか」
「はあ、……ありがとうございます」
好きでやっている事でもないので少々複雑だが、ご要望に沿えているのなら良しだろう。どうやら普段母の手伝いを強制的にさせられている事が役立ったようだ。
ユータスが切った芋の類と水煮された少々怪しげな薄黄色に青黒い縞模様の入った豆を鍋に入れて火にかけ、そこに干し肉やら香草と思われるものを放り込むと蓋をした。
「さて、後は煮立ったら塩を入れて少し煮るだけだ。簡単だろう? 実際は肉じゃなくて干した魚を使うんだが、その土地にしかいない珍しい魚らしくてね。こちらでは流通してないんだよ」
そんな事を少し不満げに呟く様子で、先程の言葉が誇張でも冗談でもない事を裏付けている。
ポンドの指示で薔薇色をした岩塩をすり潰しつつ、ユータスは使われているのが肉だろうと魚だろうと、干す前に塩漬けしている段階で自分だと『しょっぱい』という認識にしかしないだろうな、とぼんやり考えた。自分の味覚が、妹曰く『雑』なのはそれなりに自覚しているのだ。
そんな事をしている間に食卓は整い、ユータスの前には謎の豆と芋を使ったポトフのようなものが置かれる事になった。
ようなもの、と曖昧な表現なのは、謎の豆から出たのかスープの色が妙に青い色をしているからである。色自体は綺麗なのだが、食べ物にはあまり有り得ない色だ。
「塩味が足りなかったら適当に塩を足すといいよ」
そう言うポンドはすでに食べ始めている。自分では及第点の出来だったようで、随分と上機嫌な様子である。
取りあえず本能は食べられると判断しているし、匂いも特に異常は感じられない。作業を見ている分には危うい部分も皆無だった。強いて問題を言えば、この見た事もない豆とスープの味が想像出来ないという点だろうか。
(多分……、アレよりはマシだよな)
類似品を考えて、いつぞや相方が作って出してきた米と草の量が逆転した『食べる青汁』を思い返し、ユータスは覚悟を決めてスプーンを手に取った。
「……頂きます」
まずスープと怪しげな豆を口に含む。
(ん?)
予想していたものと異なる味にユータスは怪訝そうに瞬きをし、じっと皿の中を見詰めた。
「どうかな?」
声をかけられたので目をポンドに向ければ、ユータスの反応を予想していたのか、にこにこと楽しそうな笑顔を浮かべている。
「……なんで甘いんですか」
「おや、君には甘過ぎたかな」
「いえ、甘過ぎるというほどではありませんが……」
それでもユータスの残念な味覚は、それが『甘い』ものだと認識している。味付けに使われたのは確かに塩だったのに──。
「この豆は塩で甘みが増すんだ。面白いだろう? 現地じゃ子供達が塩漬けしたものをおやつ代わりに食べたりするんだよ」
「へえ……」
世の中には本当に知らない事が満ちているものだ。素直に感心していると、着実に自分の皿の中を減らしつつ、ついにポンドが尋ねた。
「君の口に合ったかい?」
出来れば聞かないで欲しかったが、嘘はつけない。今度は豆だけでなく芋や干し肉も一緒に口にし、ちゃんと味わってからユータスは正直に感想を述べた。
「……多分、美味しいんだと思います」
「おや、随分と曖昧だな。不味かったら不味いと言ってもいいんだよ?」
「済みません。……折角作ってもらったものにこんな感想で。でも、本当に不味くはないです」
単にユータスの中に『美味しい』という基準がなく、さらに甘過ぎず、しょっぱ過ぎず、辛くもなく、酸っぱくもないとなると、全てにおいてバランスが良い=美味しいと認識するしかなかった、とも言う。
「オレはその……、味覚音痴、らしくて」
しかしその辺りを説明するのも面倒臭く、正直認めたくはないのだが、それが一番角が立たないと判断してそう言えば、ポンドはひどく同情的な目を向けてきた。
「そうなのかい? それは勿体ない。この街にはとても魅力的な料理も珍味も揃っているのに」
実際、ティル・ナ・ノーグの食文化が多彩である事は有名で、腕利きの料理人や菓子職人も数多くいる。そんな街で生まれ育ったとなれば、舌が肥える事はあれどその逆は珍しいだろう。
「……。済みません」
何となく謝らないとならない気がして謝れば、ポンドはすぐにその顔を笑顔に戻した。
「いや、気にしなくていい。そうだったのか……。そうと知らなかったとは言え、こちらも悪い事をしたね。それで好き嫌いがない訳か」
あくまでも栄養補給の一環としての食事しかしないユータスにすると、楽しむ為に食事をするポンドは対極に当たるだろう。
「普段も自分で作ってるんですか?」
ふと疑問に思って尋ねると、ポンドは軽く肩を竦めて首を横に振った。
「いや? 流石に料理人の仕事を取る訳には行かないじゃないか。作るのは専ら単身で出かけて、自分で作らざるを得ない今日のような時だけだよ。ちなみに、ヴィオラもわたしの料理は食べた事がないし、料理が出来る事も知らないから今日の事も内密に頼むよ」
「……わかりました」
その言い草だと随分と貴重な体験をしているとも言える。何故隠すのだろうと疑問に思いつつ、そう言えば、ここには仕事の話をしに来たはずだった事を思い出す。
もそもそと残りの煮物を口にしつつ、ユータスがどう話を切り出そうかと悩んでいると、ポンドの方から話を切り出してきた。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。私の依頼に関して何か相談があるという事だったね」
「あ、はい。……その前に聞いてもいいですか?」
「うん? 何かな?」
「本当にオレでいいんですか?」
条件についてかと思えば、問われたのは随分と初歩的な事だった。
ポンドの中では依頼を持って行った時点でその点に関しては当然の事だったのだが、ユータスにはそうでなかったらしい。
「何を聞きたいのかと思ったらそんな事か。……自分の腕に不安でも?」
「オレより腕利きの職人はこのティル・ナ・ノーグに限ってもたくさんいます」
それは紛れもない事実だ。しかしポンドがユータスに頼もうと思ったのは、腕前だけが理由ではない。
「確かにそうかもしれないが、最初の大前提で君以上の適任はいないと思ったから頼んだんだよ」
大げさとも言える表現にユータスは何処となく複雑そうな顔をするが、ポンドからすると別にそれは誇張でも何でもない事実だった。
ただうまく作れるだけでは意味がない。『ユータス・アルテニカ』という職人が作ったというだけで、ヴィオラにとっては特別な意味を持つのだから。
おそらく毎月のようにヴィオラの依頼で何かしら作ったり修復したりしているので、感覚が麻痺しているのだろう。
一風変わった物を好むヴィオラが、継続的に依頼するのは彼くらいだ。そう、名匠とも言われている彼の師にだって、依頼するのは知人の誕生日といった何か特別な時だけである。
そこまで教えてやる必要は感じないが、やる気になってくれなければ困る。仕方がないとポンドは最後の後押しをした。
「この時計を受け取った時に思ったんだよ。君に作って貰ったら面白いんじゃないかなとね」
「面白い……」
ユータスの表情が益々複雑そうなものになるのを愉快な思いで見つめながら、ポンドは悪戯を企む子供のように笑ってみせた。
「だってそうだろう? 私が君に依頼するなんて、きっとヴィオラは予想もしていない。……喜んで貰いたいのはもちろんだし、その為の依頼だがね。やはり驚かせたいんだよ。つまり、君には制作を通じて共犯者になって貰いたいんだ」
その言葉はまったく予想外ではあったものの、言われてみれば腑に落ちる言葉だった。
(──『共犯者』か)
その考え方なら、ユータスが考えている事も受け入れて貰えるかもしれない。ユータスははっきりと頷いた。
「そういう事でしたら、この依頼、受けようと思います」
「やってくれるのかい?」
「はい。それで先程行っていた相談なんですが──こちらからも一つ条件をつけてもいいですか?」
依頼人に対して条件をつけるなど、駆けだしの身では生意気だと一蹴されても仕方がない。それでもポンドは興味深そうにするりとその顎を撫でた。
「ほう、条件? ……何かな?」
「共同制作にしたいんです。構いませんか?」
ユータスの提示した条件に、ポンドはすぐには頷かなかった。何処か意外そうな目でしげしげとユータスの顔を見つめてからようやく口を開く。
「共同制作と言うと、他の人間の手を借りるという事か。……やはり難しいかな?」
「最後の条件──『簡単に取り出せないようにする』事に関してはそうですね。単純に鍵をつけるにしても専門外の仕事ですから、専門家に助力を頼んだ方が確実です。でも、理由はそれだけじゃありません」
「ふむ?」
ユータスも職人の端くれだ。引き受けるからには『最良』の物を作りたい。
それが自分だけで作れる物ならば今まで通り、寝る時間を惜しんでも自分だけの手で作り上げただろう。しかし今回の依頼は、自分だけで作るよりも共同作成にした方が良いと判断したのだ。
「ステイシスさんの条件を全て満たす物を作るのは、オレ一人より複数の手を借りた方が確実なんです」
ユータスの言葉に、ポンドは無言で口元を拭うと椅子から立ち上がった。──いつの間にか、彼の皿は綺麗に空になっていた。
そのままユータスの椅子に歩み寄ると、ユータスの目を真っ直ぐに見て問いかける。
「そこまで言うという事は、何か良い案を思いついたと受け止めてもいいのかな?」
単に自分の手が足りないからではなく、目指す作品を作る為に必要であるのだと理解してもらえたようだ。その視線から目を離さず、ユータスは頷く。
「はい。……正直、『簡単に取り出せなくする』方法はこれから考えるので、その部分に関してはまだはっきり言えませんが、大前提の『マダムが喜ぶ物』は出来るはずです」
「なるほど。わかった、そこまで言うのなら任せよう。……お手並み拝見だ」
ぽんとユータスの肩を叩き、ポンドは彼の若き『共犯者』の条件を飲む事に同意した。




