男の意地と女の見栄(6)
その言葉を貰ったのは、ユータスが紆余曲折の末に独立する事になり店を開く事になった時の事だった。
ステイシス夫妻は当初こそ宿を取っていたそうだが、滞在期間も延びた事もあり、現在はティル・ナ・ノーグに別邸を構えている。
過去に届け物などで幾度か訪れた事のあるそこへ向かいながら、ユータスは独立間もない頃をあれこれ思い返していた。
現在ユータスが使っている工房──先代の細工師が隠居してから五年近くも放置されていたというそこは、何処もかしこもひどく老朽化していてすぐに使えるような状態ではなかった。
その場所を元の持ち主から借り受ける際に間に入ってくれた師のゴルディからも、『安心しろ、炉はまだまだ現役だ』と言われていた程だ。
商売道具の最たるものであるそれが無事でなければ仕事も出来るはずもない。つまり、逆を言えばわざわざそこを保証してきたという事は他はろくに言及できない状態だという事である。
その言葉で何となく状況は予想はしていたので覚悟はしていたのだが、実際に行ってみると本当に加工炉以外はひどい有様だった。
なお、後に手伝いに来たニナとウィルドが言うには、そこは子供達の間では『化け物屋敷』として有名な場所であったらしい。老朽化に加え、見慣れない道具類が放置されており、余計に奇妙な場所に見えたのだろう。
それでも独立したばかりの若造に、いくら放置していたとは言えども長年使ってきた道具のみならず、建物ごと貸してくれた事自体が破格の待遇である。
当の持ち主は今はティル・ナ・ノーグを少し離れた農村で子供や孫に囲まれ、時折頼まれて細工や農具の修理などを引き受けつつのんびり暮らしており、そのまま骨を埋めるつもりでいるとの事だ。
長年使ってきたその場所に愛着はあるので、同じ職人が引き継いでくれるのなら嬉しいと、師の兄弟子に当たるというその人からその場所を譲る上で出された条件はたった一つだけだった。
──老朽化したり、傷んだ部分の修理は自分でやること。
あとは改築しようが、改造しようが構わないという話だった。実に大雑把だが、ありがたい事である。
そのような有様と条件だったので、その場所を工房として再び使えるようにするには相応に時間がかかる事が明らかだった。いくら修復も得意と言っても、あくまでも古美術品の話であって、建築物は流石に専門外だ。
関係者以外に独立の事を知らせるのはある程度落ち着いてからと思っていたのだが、一体何処からその話が伝わったのか、まだ完全に修理出来たとは言えない状態の時に、前触れもなく彼女──ヴィオラ・ステイシスはやって来たのだ。
(今思うと、店の事を知らせたのってゾロさん辺りじゃないのか?)
店として正式に機能するようになってすでに数月経つというのに、今になってユータスはその事に思い当たった。
知らせていなかったのに一体何処から話を聞いたのだろうと疑問に思ったのだが、その後なんだかんだと忙しい日々が続き、さして重要な事でもなかったので疑問に思った事自体忘れていたのだ。
年齢的なものもあるかもしれないが、ヴィオラと特に親しい人間はいわゆる『大人』で、良くも悪くも一筋縄で行かない人間が多い印象がある。
ユータスも流石にその交友範囲の全ては知らないが、商店街関係で言えば件のゾロを筆頭にやはり老舗の薬屋を営むカターニャ・ヴォロフ、化粧品店を営むブルーノ・ブルノルト(何故か本名で呼んではいけないらしく、ユータスは『BBさん』と呼んでいる)、後はグラッツィア施療院のイレーネ・グラッツィアの名前はヴィオラとの会話でよく耳にする。
商店街は広いようで狭い界隈だし、施療院は相方のイオリが世話になっている。何処から話が行ってもまったく不思議ではない。
事実関係はわからないが、アールとのやり取りがあの時の会話を思い出させ、その会話の内容が今回の依頼に対する手掛かりを引き出してくれたのだから、何がどう繋がるかわからないものである。
『今のあなたに一番必要な物だと思うわ』
たくさんの人と触れ合いなさい──あの時、ヴィオラが言っていた事は本当だった。
独立してから公私に限らず様々な人と触れ合う事で、今まで気付いていなかった事を知る事が出来たし、職人としての幅は広がったと思う。
(……まさかお玉の改造をする事になるとは思わなかったけどな)
つい先日、武器職人のロイドと共に制作したお玉も素材としては異色の最たるものだが、いろいろな意味で貴重な体験だった。その体験も少なからずポンドへの返答へ影響している。
まだ具体的な形にもなっていないが、おそらく『ヴィオラが喜ぶ物』という条件は達成出来るだろう。そして、自分が彼女に対してとても感謝している事も伝えられるかもしれない。
もっとも、ユータスが考えている事を依頼人であるポンドが許容するかによるのだが。駄目ならまた一から考えるか、場合によっては依頼そのものを辞退する事も考えなければならないだろう。
何しろ、肝心の素材が何かもわからないのだ。それがもし、非常に希少なもので今まで扱った事のない物──たとえば、限られた地域に生息するモンスター由来の素材など──なら、自分の手には余る。
相手は世界を股に掛ける貿易商であり、妻であるヴィオラが珍しい物好きである事も当然承知の上に違いないのだ。何が来ても不思議ではない。
やがて視界に見覚えのある建物が見えてくる。
白を基調にした、落ち着いた佇まいの邸宅だ。辿り着いてみると邸内は人気がなく、ひっそりとしている。ポンド一人の上に一時的な滞在なので使用人なども必要最小限しかいないのだろう。
果たしてポンドは頷いてくれるだろうか。
ふと不安が過るが、一枚も二枚も上手な相手の出方などわかるはずもない。ユータスはそう割り切ると、通用口の方へと足を進めた。
+ + +
「やあ、ユータス君か。思ったより早かったね」
迎えたポンドの笑顔に、ユータスは入る場所を間違ったのだろうかと思った。
(……何でこの人が出てきたんだ?)
と言うのも、届け物に来る時はいつも通用口から入り、そこにいる使用人に声をかけてヴィオラに取り次いで貰うのだが、今回も同様にしてみると、開いた通用口から顔を出したのは使用人ではなく、この館の主人であるポンドだったのだ。
先程店に来た時と異なり、幾分気楽な服装になっているが、この距離で見間違える事もない。思わず少し下にあるその顔をしげしげと見つめてしまい、ポンドが不思議そうに尋ねて来る。
「どうかしたかい? 何か私の顔に何かついているのかな」
「いえ……、なんでステイシスさんが出てきたのかと」
正直に答えると、ポンドはああ、と合点がいったように頷いた。
「そろそろ昼食時だからね、何か簡単に準備しようかと思ったんだ。丁度良かった」
言われてみれば確かにそうだ。非常に不規則な食生活を送るユータスには馴染みの薄い単語なので、昼食時を避けるという選択肢はなかった。これは出直した方がいいだろうか、と考えた所でおや、と思う。
今のポンドの言葉だと、まるで自分で昼食を準備するかのようではないか。
使用人がいるのなら頼めばいいはずだし、第一、正面から尋ねた訳でもないのに主人自ら対応に出ている時点でおかしい。
「もしかして、一人なんですか?」
まさかと思いつつ尋ねると、ポンドはそんな事を聞かれるとは思っていなかったのか、軽く目を見開いた。
「一人だと何か問題があるかな?」
質問に質問で返されてしまったが、ユータスの疑問を肯定しているようなものだ。
問題があるのかと聞かれたらあるような気がするものの、何が問題か具体的に思いつけず、ユータスは答えられなかった。
「問題は……ない気もします」
「なんだか曖昧だな。まあ、いい。取りあえず入りなさい。依頼の答えを聞かせに来てくれたんだろう?」
「そうですが、それに関して少しご相談したい事があるんです」
「相談? わたしにかい?」
「はい。でもこれから食事なんですよね。それならまた出直して……」
「わざわざそんな事をしなくてもいいよ。別に私は王侯貴族でも何でもないんだからね。……ああ、そうだ。君もまだなら丁度いい。付き合って貰おうかな」
「え?」
心なしか楽しそうなポンドの言葉に一体何がまだで、何に付き合わせようとしているのかと疑問に思うユータスの前で、何か良い考えでも浮かんだようにポンドは一人頷いている。
「君、手先は当然器用だろう?」
「……一応、細工師ですから器用な方だと思いますが」
他と比べた事がないので何とも言えないが、少なくとも器用でなければ出来ない仕事のはずだ。
質問の意図がわからず怪訝に思いながらそう答えると、ポンドが何処かで見た事のあるような笑みを浮かべた。それを認識すると同時に、何となく面倒な事になりそうな予感が過る。
しかしてポンドはその笑顔のまま、予想もしない事を口にしたのだった。
「じゃあ、さっと終わらせてしまおう。材料もあり合わせだから大した物は作れないが、手伝いがあるならすぐに出来る」
「あの……、何の話ですか」
「うん? だから昼食の話だよ。一人分作るのも二人分作るのも大して手間は違わないしね。君もまだだろう?」
「まだ、ですけど……」
確かに食べてはいないし、ポンドの来店以降仕事と考え事に没頭していた事もあり、昼食というもの自体、ポンドとやり取りするまで忘れていた位だ。
「折角だから食べながら話をしよう。一人で食事するのは味気ないと思ったんだが、外食だと折角忍んできたのにヴィオラに話が伝わってしまう可能性があるからね。本当に良い時に来てくれたものだよ」
ヴィオラの交友範囲は広く、先程ユータスも思ったように何処から話が行くかわからない。知られずにいるには、彼女の主な行動範囲に入らないのが得策だろう。
──それはわかるのだが。
状況について行けずにいるユータスを他所に、今朝のやり取りでユータスの扱いを心得たらしいポンドはどんどん話を進めてしまう。
「ちなみに好き嫌いはあるかい?」
「え? いえ、特にありませんが……」
「ほう、それはいい。だが、その割に君は痩せ過ぎじゃないか? もっと食べて体力をつけた方がいい」
そんな事を言いながら、ポンドは奥の部屋に向かって歩き出している。
(おかしい……。いつの間にステイシスさんと一緒に食事をする事になったんだ……?)
ここには仕事の依頼に対する返答をしに来たはずだ。昼食を共にする為ではなかったし、ついでにそれを手伝う予定もなかったのだが。
ここまで話が進むに至って、ユータスはポンドの笑顔が母が来た際に自分に向ける笑顔に似ている事に気付いた。
そう──有無を言わさず手伝わせようと思っている顔である。しかし、気付いた所で後の祭りだった。
「おや、どうしたのかな。厨房はこちらだよ」
「あの……。オレ、料理はそこまで得意じゃないんですが」
悪足掻きかもしれないが事実なのでそう言えば、ポンドは心得たように頷いた。
「ああ、安心していい。これで料理はヴィオラより得意なんだ。君には下拵えの手伝いをして貰うよ。野菜を切ったりする位だから大丈夫だろう?」
確かにそれ位は出来るし、母が来た際にはいつもさせられているので毎度の作業だ──が。
(なんでこんな所で料理する事になってるんだ……?)
料理は普段だったら面倒臭いのと本来の形を壊すという事もあって、可能な限り避けて通る作業だと言うのに。
単に訪れた時期が悪かったとしか言い様がないが、時間を巻き戻す事など出来るはずもないし、流れ的に『出来ません、帰ります』と言える状況ではない事は確かである。
何処でこうなったのだろうと首を傾げつつ、ユータスは諦めて厨房の入り口で待つポンドの後に続いた。




