男の意地と女の見栄(5)
「まあ、それでいろいろ考えている時にふと魔除けとか御守りはどうかと思ったんだ」
確かに薬草の詰め合わせよりは日常的に使って貰えそうだし、割と一般的な贈り物だ。騎士団にいるという話だから一般民より危険な場面に遭遇する事もあるだろうし、なかなか良い所に目をつけたのではないだろうか。
デザインも豊富だし、中にはちょっとした装飾品のように加工されている物も少なくない。何よりピンキリではあるが、小さい物なら子供でも買える金額だ。
「いいんじゃないか?」
「ああ、そう思ったんだけどな」
しかしアールの表情は冴えない。結果的に手作りに落ち着いたという事は、それを購入するには至らなかったという事だ。一体どんな問題があったというのか。
「それで、買いに行った訳だよ。……狐野郎の店に」
「狐? ……ああ、ゾロさんか」
狐野郎と魔除けという組み合わせから連想する人物は、ユータスが知る界隈では一人しかいない。
他大陸からの移民のみならず、亜人種も広く受け入れるティル・ナ・ノーグは、そうした人物が経営する店も多い。同じ商店街に軒を連ねるゾロ・プラテアードという人物もその一人で、ユータスも顔見知りである。
顔見知りというより、今では時折ちょっとした仕事を頼まれる事もあるから、顧客の一人と言った方が近いかもしれない。
と言うのも、ゾロはヴィオラ・ステイシスと親しい間柄なのだそうで、こちらが挨拶に行った時にはすでに向こうは自分を知っている状態だったのだ。
毛先に行くに従って黒みを強める銀髪と特徴的な尖った耳、それに金色の瞳を持つ、見た目二十代中頃、自称『永遠の二十五歳』な年齢不詳の謎めいた人物である。
彼の店である《ヌエヴェ・コラス》はティル・ナ・ノーグでも老舗の装身具店で、ただの装飾品だけでなく魔除けや御守りに護符、果てはマジックアイテムの類まで幅広く取り扱っており、アールがそこに足を向けた事は間違いではない。
間違いではないが──不機嫌そうな表情から、どうやらそこで何かあったようだ。
「そしたらあいつ、『可愛いお嬢さんにぴったりの物がある』っていくつか石のついた魔除けを出してきたんだ。そんなに大きくなかったし、俺でも買えそうだったからそれに決めたら……会計の時になって『おやっ、済みませんね。どうやら値札をつけ間違ったみたいで』って言いやがってさ」
「あー……」
商人の性なのか、単なる性格なのか──ゾロも人をからかうというか、掌で転がすタイプのような気はする。
今朝のポンドとのやり取りをうっすら思いだしながら相槌を打てば、アールは余程吐き出したかったのか興奮気味にカウンターを叩いた。
「何をどう間違ったら”1”と”8”をつけ間違うんだよ!? おかしいだろ!? あいつの言葉を素直に受け止めた俺も悪いんだけどさ。くそっ、毎回足元見やがって……!!」
アールの一方的な八当たりを受けて、年代物のカウンターが少々悲鳴を上げたが、どうやら聞こえていないようだ。
(石がついた魔除け……。水晶程度ならそんなに高くなるはずないんだけどな)
アールの手とカウンターのどちらの心配をしたらいいのだろうと思う一方で、やはり仕事柄その辺りが気になった。実際に見てみないと石の種類や数はわからないが、一般的な魔除け程度なら銅貨一、二枚もあれば買えるはずだ。
それほど高価なら石自体が余程希少価値の物であるか、ただの魔除けではなくモンスター等に忌避作用でもあるマジックアイテムだったかだろう。
毎回と言う辺り、こういう目に遭ったのは一度や二度ではなさそうなのに、それでもその店に行くのは懲りない性質なのか、商品に関しては効果があると見なしているからか。
「それで、買わなかったのか?」
「あ? ……ああ、こっちはどうだって別のを出してきたけど、信用ならねえからな。それでムシャクシャしたから別の店に行く前に気分転換しようと思ってさ。何か面白い本でもないかと思って、《シュトローム》を覗いたんだよ。そしたら……!」
ここが話の肝とばかりにアールはぐっと身を乗り出した。ちなみに《シュトローム》とは本屋の名前で、小さいながらもなかなか品揃えが良いらしく、この界隈ではそこそこ名の知られた店である。
「あったんだよ!!」
「……何が」
「だから、俺が旅行記者になろうって決めた切っ掛けの作者の、別の本がだよ! しかも二冊もだ……!」
ぐっと拳を握って力説されるが、そんな彼の裏事情など知らないので理解しろと言われても難しい。反応に困っているとその困惑が伝わったのか、アールはまるで幼い少年のようにキラキラと目を輝かせてさらに言い募る。
「お前も読めばわかるって! 語り口といい、エピソードの扱い、話の組み方といい、本当に上手いんだぜ……! 一度そこに行ってみたいって気になるからさ!! あっ、でもまだ読み終ってないから俺が読み終ってからな!!」
何だかよくわからないが、アールお勧めの旅行記らしい。
この街を出た事がないのは事実だし、この先も余程の切っ掛けがなければ出掛ける事もない気がする。他の地方の文化や芸術関係に興味がないかと言われると否定出来ない。
だから本を貸してくれるのは構わないのだが、それはそれとして、だ。
(──切っ掛け、か)
なんとなくちらりと入口付近に並べているペルシェの像の群れに視線を向けて、自分の事に置き換えてみる。
たとえば通りかかった本屋の店先にあった本に、偶然今でも夢に見る『あの』ペルシェについて書かれていたとしたら──。
「つまり、その本をどうしても手に入れなければならない気になって、買ってしまったって事か?」
途中から語る事に夢中になってしまったアールは忘れていたようだが、質問を投げかけた側のユータスはその事について忘れてはいなかった。
物にもよるが本はまだ高価な部類に入る。印刷に関しては技術がそれなりに進んでいるが、装丁などはまだ一つ一つ手仕事だからだ。それを二冊も買ったと言うなら、レイの店の手伝いで手に入れた賃金を使い切ってしまった理由として納得が行く。
それが事実である事を肯定するかのように、さらにその本がいかに素晴らしい物であるかを語ろうしたアールの表情は、笑顔のまま見事に固まった。
「──当たりか」
「うう……っ」
肯定するのも辛いのか、アールはうめき声を上げると、先程までの興奮が嘘のようにがっくりと項垂れた。
「そういうこった。もう、完全に頭から抜けてた……。帰ってレイに言われるまで、きれいさっぱりと! なんであの時、『金足りてるラッキー!』って思ったんだよ俺……! いや、それよりも前にあの狐野郎の店で何か選んでいたら……!」
「それで手作りの物にする事にしたのか?」
「ああ。今から金を工面するにしたって、冒険者ギルドに手頃な依頼があるとは限らねえし、日数もそれなりにかかるだろ? それで間に合わなかったら苦労する意味ないじゃねえか。かと言って、またレイの店を手伝うと──本の事がばれるだろ」
何か重大な秘密のようにアールは声を潜めるが、ばれた所でどんな問題があるのかユータスにはさっぱりわからなかった。
「で、途方に暮れていた所でエフテの店の前を通りかかってさ。そういやあの店の売り物って、サディークがほとんど作ってるじゃないか。それで自分で作れば安上がりじゃないかって思ったんだよ」
後は何となく話を聞かなくてもわかる気がした。
おそらく、先程のようにサディークに何か教えて貰おうとしたのだろうが、男に対してはあまり友好的ではない彼が嫌がったか、店主のエフテラームがそれならとユータスの名前を出したのだろう。
「事情はわかったけど……、それなら本を一度返品すればいいんじゃないのか?」
「!?」
ユータス自身は《シュトローム》を利用した事はまだないが、余程阿漕な商売をしている店でなければ返金くらいはしてくれるだろう。そうすれば慣れない手作りもしなくても済む。
しかしその提案に対し、アールは悲壮感漂う表情になるや、がしっとユータスの両肩を掴んだ。
「──ユータス」
「何だ」
「お前にだって一つや二つ、『いつか縁があるなら手に入れたい』って思ってるもの、あるよな?」
「……あると言えば、あるけど」
「だろ?」
正確に言うと『手に入れたい』ではなくて『飼いたい』だし、現実問題、それが実現する可能性はユータスが自分の生活を見直さない限り皆無である。
「それが二つも手に入ったんだぞ……? 隅から隅まで読みもせずにまた手放すなんて事が出来るはずがない。そうだろ……!?」
(本を返して、そのまま取り置きして貰えばいいだけな気がするんだが……)
どうやらアールの中では、リ・ライラ・ディのお返しよりも偶然手に入れた本の方が比重が大きいらしい。いつかと思った物が手に入ったのだろうから、気持ちはわからなくもないのだが。
「お前が頷けば全部丸く収まるんだ。いいだろ、この通り! 友達を助けると思ってさ!!」
「『友達』……?」
一方的なアールの言葉に、ユータスは数度瞬きした。
常に顔を合わせる訳でもないし、行動範囲もほとんど重ならない(ユータスが単に狭いだけだが)顔見知り程度の付き合いだと思っていたのだが、どうやらアールにとってはユータスは友人の範疇に入るらしい。その単語で思い出すのは、半年ほど前にヴィオラから言われた言葉だった。
『あなたの舞台が素晴らしい物になるよう祈っているわ』
(……。そうか、それなら……)
思いがけない所から、思わぬ答えが出て来るものである。
(説得するのも面倒臭くなってきたし……、エフテさんからの頼まれ物も作らないとならないから丁度いいと言えば丁度いいか……。仕方ない)
ユータスもユータスでやる事も考えなければならない事もある。編み物など誰かに教えた事などないが、出来なかったらその時はその時だ。
小さくため息をつく。実際、この少々不毛なやり取りに疲れていた。
「……。わかった」
「……!! 教えてくれるのか!?」
ユータスの妥協にアールの表情がぱっと明るくなる。何故、急にユータスがやる気になったのかまでは疑問に感じなかったようだ。
「ああ。……でもオレも今、急ぎの仕事を受けているから片手間になる。それでもいいなら」
「おう、構わない。恩に着るぜ!」
ありがとな、と礼を言いつつ乱暴にユータスの肩を叩きながら、アールは素直に喜びを表した。痛みに少し顔を顰めつつ、これほど喜ぶのなら悪くもないかと思い、ふと引っかかりを覚える。
──菓子一つも買えない状態なら、材料の毛糸すら買えないのではないだろうか?
「……? なんだ、ユータス。何か言いたい事でもあるのか?」
ユータスの怪訝そうな視線に気づいてアールから話を振って来る。それなら、とユータスは引っかかった疑問をぶつける事にした。
「ちなみに、道具とか材料は?」
するとアールは当たり前のように笑顔で言い放った。
「貸してくれ」
「やっぱりか……」
「ははっ、悪いと思ってるって! ちゃんと後で返すからさ。いやあ、持つべきものは友達だよなー」
「……」
なんとなくそんな気もしたが、おそらくその当たりも充て込んでここに来たのだろう。
編み棒くらいなら足りなければ実家から借りて来る事も出来るし、毛糸も先日仕入れたものがそこそこ残っている。それに──。
(……お陰で、糸口が見えた気がするしな)
思わぬ仕事が増えたが、得た物は思いがけなく大きいかもしれない──もちろん、『気がする』だけで具体的なものに結びつけられるかはまだ煮詰めてみないとわからないのだが。
取りあえず準備等もあるからと、教えるのは明日からという事にしてアールには帰って貰い、雑多な仕事を終わらせると、ユータスはそのまま戸締りをして家を後にした。
向かうはステイシス邸──今朝の依頼への答えを伝える為に。