男の意地と女の見栄(3)
ポンドに提示された条件は大まかに分けると三つ。その中でも最初に示された条件は他でもない。
──ヴィオラが喜ぶ物であること。
用途がライラ・ディのお返しである以上、当然と言えば当然の条件だ。そしてもう一つがポンドが持参した物を使って作る事。そして最後に──。
「どうだい。出来そうかな」
ポンドの問いかけに、珍しく難しい顔をして熟考していたユータスはゆるく首を横に振る。いくつかある内の一つだけならともかく、その全てを満たす物となるとかなり厳しい。何故なら──。
「リ・ライラ・ディまであと十日もないので、正直厳しいです」
そう、時間が圧倒的に足りない。
つい先日も次々に依頼が後から舞い込んできて、街中で行き倒れる羽目になった事は記憶に新しく
『少しは仕事を選ばんね!!』
……ついでに、それを知った相方──イオリに星にされた事も記憶に新しい。
その時の事を思い出し、ユータスの表情は少々冴えないものになった。ハリセンで星にされるほど怒らせた後である。また同じような事態は避けたい所だ。
先日のヴィオラからの依頼は、結局の所、修復に近い作業のみだったので何とかなったが、今回は一から全て考えて制作までしなければならないのだ。
そして──最大の問題は、最後の条件。
内容的にも受けたいのは山々だが、数日寝ずに作業すればどうにかなるという物ではなく、これはどう考えてもかなり厳しい。
するとポンドはふとと思い出したように付け加えた。
「ああ、言い忘れていたが、リ・ライラ・ディに間に合わせる必要はないよ」
「え?」
思いがけない申し出に、一瞬聞き間違いかと思った。
「……いいんですか?」
制作期間が伸びるのなら、その分考える時間も増える事になるので助かりはするが、そうした事に疎いユータスですら果たしてそれでいいのかと思う。リ・ライラ・ディの為の物ならば、普通、それに間にあわせるようにせねばならないのではないだろうか。
しかしポンドはユータスの確認にあっさりと頷いてみせた。
「いいよ。そうでなくても厳しいんじゃないかと思っている位だしね。君もあと十日足らずでは作れないと思ったんだろう?」
「……」
その言葉にユータスは沈黙した。
確かに厳しいと判断したが、うまく良い案が浮かべばぎりぎり間に合わせる事は出来るかもしれない。もちろん、何かしらのモノ──睡眠時間やら食事の時間──が犠牲になるのは確定的だが。
真剣な顔で考え込む様子に、自分の言葉を本気で受け止めて検討しているらしいと察したポンドは慌てて言葉を重ねた。
「本当に間に合わせる必要はないから気にしなくていいんだよ?」
「ですが……」
「確かにリ・ライラ・ディの為の物だから間に合えばそれに越した事はないがね。実はこれからわたしはサングリエで商談があるんだよ。それが終わってからこちらに戻ってヴィオラと合流する予定なんだ。少々急いでも、到着するのはリ・ライラ・ディの後になるだろう。だから……そうだな、私達が王都に帰るまでに完成してくれたらいい。君もこれから忙しくなる可能性が高いし──私の依頼が元で君が倒れたりしようものなら、ヴィオラに恨まれてしまう」
軽く肩を竦めてみせながら、そんな事を言う。
ステイシス夫妻はいつもティル・ナ・ノーグに来ると短くても十日前後は滞在して行く。つまり実質、月末辺りまでにという事だ。それなら──と考えた所で、ユータスははたと思考を中断した。
(……。今、さりげなくこれから忙しくなるかもしれないって言われたような……)
さらりと言われたので、今度こそ聞き間違いかもしれない。
思わず視線をポンドに向けると、まさに商人の鑑とも言えるような、一分の隙のない完璧な笑顔が意味深に向けられている。何故か先程の作成条件を聞いた時以上に嫌な予感がした。
聞かずにいた方が良い気がしてならなかったものの、目が合ってしまった以上、そのまま黙っている訳にも行かないだろう。仕方なくユータスはポンドに言葉の真意を聞く事にした。
「あの……、今」
「はは。やっぱり君、結構鋭いね。そのまま聞き流すかと思ったんだが」
楽しげに言いながら、ポンドは手にしていた金時計の鎖を持ち上げると注意を惹くように軽くそれを突いた。
「先程もこれが好評だったって言っただろう? 折角だから先月、王都に帰る前に馴染みのある人々に挨拶がてら軽く宣伝しておいたんだよ。うちの妻が懇意にしている細工師というだけでも、興味を持つ人は結構多くてね。……一応、君達の経営体制は知っていたから、『時間をかけずに自分の好みに作らせたいのならデザインは別途用意すること』とは伝えてあったはずだが」
「……!?」
この告白には流石にユータスも動揺を隠せなかった。
(──まさか)
そう思うが、これ程に符牒が合っており、当の本人がここまで答えを言っているのならそういう事なのだろう。
つまり、ついこの間まで続いた謎の依頼の、最後までわからなかった部分──デザイン付きの依頼──はこの人が裏で動いていたという事か。
「なかなか面白い作品だったしね。ちなみに今日持ちかけた話はまたそれとは別件──サフィールでの話だから、実際それからどれほどの人間が実行に移したのかまではわからないのだけどね。……どうだい。それなりに売り上げに貢献は出来たかな?」
にこにこと悪意の欠片も無さそうな笑顔を浮かべる百戦錬磨の商人を前に、ユータスは素直に畏怖を覚えた。あのマダム・ステイシスをして、『信用ならない腹黒タヌキ』と言わしめるだけはある。
お年寄りを中心とした飛び込みの物やリーク経由の修復の仕事以外は確かにほぼデザイン付きだったので、それらはポンドが宣伝した相手に違いない。富裕層が多かったのも、ポンドの客層を考えれば納得が行く。
この人はいわゆる、『敵に回すと非常に厄介』なタイプなのだろう。敵対するつもりも予定もないが、下手に逆鱗に触れたら一体どんな手段で報復して来られるかわかったものではない。
それなりに貢献どころか、売り上げという点に関してはこれ以上とない結果と言えるだろう──寝る間も惜しんで仕事をする羽目になった挙句に住んでいる街で行き倒れ、それを知った相方に怒られて星にされる位には繁盛した訳なのだから。
「……、済みません」
何となく謝らないといけない気がしたので謝罪すると、ポンドはおや、と軽く驚いたように目を丸くし、やがてまた笑顔を──今度は意図的なものではなく、自然なものだったようだが──浮かべ、ひらひらと手を振った。
「いや、謝らなくていい。これはちょっとやり過ぎたようだね。なんだか君にはヴィオラを介して付き合いが長いせいか、ついつい遠慮を忘れてしまうみたいだな」
気安くしてくれるのは結構な事だし、宣伝などはユータスにとってはかなり難しい芸当である。その効果を考えれば感謝すべきなのかもしれないが、もう少し手加減をして欲しかった。
ユータスは諦めたように小さく吐息をつくと、一番引っかかった部分について確認する事にした。
「何故これから忙しくなると思うんですか?」
ポンドの言葉を信じるのならその『宣伝』は先月のライラ・ディ周辺の話のはずだし、実際仕事が急増したのはその辺りから以降で、最近は以前より少し忙しい程度に落ち着いている。もしや今日も持ち歩いているという事は、今回も同様に宣伝してきたという事なのだろうか。
するとポンドは軽く眉を持ち上げ、ユータスの疑問を見透かしたように首を振った。
「言っておくが、今回はこの依頼の為に立ち寄っただけだからね。何もしていないよ」
「え……。それならどうして」
「どうして? 単純に時期の問題だよ。宝飾品の需要は女性絡みの記念日や行事の時に高まるものだ。特にリ・ライラ・ディなんて基本的に男性から女性に贈る訳だろう? 実際、私が君に依頼しに来たのもその為じゃないか」
「ああ……、そうですね。なるほど」
そこまで解説されればユータスにも分かる。確かにライラ・ディよりもリ・ライラ・ディの方がアクセサリー関連の需要は高まるだろう。
流石は商人と素直に感心していると、ポンドは微苦笑を浮かべた。
(職人らしいと言うか、無欲と言うか……。いや、単に世間ずれしてないという事かな)
ポンドがティル・ナ・ノーグに到着したのは昨日の夕刻だったが、その際にいくつか目にした宝飾品を取り扱う店ではリ・ライラ・ディを当て込んだ商品を目につく場所に展示していたし、王都でも同様だった。
売れる時に売れる物を──商人的な視点ではそれが当たり前なのだが、その辺りにはまったく頓着していないようだ。若いという事もあるだろうが、いっそ清々しいまでの商売気のなさである。
こんな調子で先々やって行けるのだろうかと思いはしたものの、まだ工房を構えて数月程であるし、何よりあのヴィオラが目をかけているのだ。経営破綻になる前に何かしら手を打つだろうし、ユータス自身も助言は素直に受け入れる性質のようだから最悪の事態にはならないだろう。
それに、もう少し世の中の流れについても目を向けてみては──などと助言する事は簡単だが、こういう事は誰かに言われてではなく、自分で気付いた方がいいに決まっている。
第一、今日は助言者としてではなく、ただの客として来たのだ。まずはそちらから片付けるべきだろう。
「取りあえずこちらからの条件はこれで全部だよ。……やはり難しいかい?」
ポンドも難しい事を言っている自覚はある。
いくら猶予があると言っても、逆に考えれば月末までしかないとも言える。主な条件の内の二つに関しては、特に問題はないだろう。普段の彼の仕事をすればいいだけの話だ。
けれど最後に提示した条件は、単に細工を作ればいいという物ではない。場合によっては専門家の力を借りる必要すらあるだろう。
しかしこれは譲れない。ライラ・ディがヴィオラにとって特別な意味を持つように、リ・ライラ・ディはポンドにとって特別なものなのだ。
「少しだけ、考える時間を貰ってもいいですか」
やがてユータスはそんな煮え切れない返事を返す。その返答は多少予測していたものだった。
「私は明日の朝発つ予定だから、それまでなら構わないよ。私の家の場所はわかっているかな?」
「はい、何度か行った事があるので。……ありがとうございます」
頭を下げるユータスに頷くと、ポンドは用件は終わったとばかりに椅子から腰を上げる。
良い返事を期待しているよと言い残して帰って行く背を見送りながら、ユータスが降って湧いた難問をどうしたものかと思い悩んでいた。
装飾品を作るまでは特に問題ではない。そう、引っかかっているのはポンドの想像通り、最後の条件である。
「『それを簡単には取り出せないようにすること』か……」
奇妙と言えば奇妙な条件だ。
そう言えばポンドが使うようにと言っていた素材も結局何なのか確認していない。ひょっとするとその素材が関係しているのかもしれないが、簡単に取り出せない装飾品を贈られてヴィオラは果たして喜ぶのだろうか?
これは迂闊に返事が出来ないと判断したのは間違いではなさそうだ。だが──時間の猶予を貰った所で、引き受けるか否かを判断出来るかは怪しい所だ。
与えられた時間はせいぜい夕刻までだろう。さて、どうしたものか。ユータスは朝っぱらから深々と溜息をつくと、店内へと戻って行った。