男の意地と女の見栄(2)
ステイシス夫妻がそれぞれ旅立つ事が決まった、その後。
サフィールを後にして十日もしない内に、ポンドは予定していたサングリエではなく、何故か最終目的地であるティル・ナ・ノーグの地を踏んでいた。
もちろん理由はある。最愛の妻に贈る『お返し』を用意する為だ。
旅をお返しにと言ったのも、サングリエで商談がある事も嘘ではないが、リ・ライラ・ディに合わせてある物も渡す予定でいた。その為にも、ヴィオラよりも先行してティル・ナ・ノーグに入る必要があったのだ。
ある物を作って貰いたい――突然の申し出を受け、薬缶の本体と蓋を手にした少し間抜けな状態のまま、不思議そうに彼の言葉を反芻する少年が一人。
「ある物……? ……受けてくれるかという事は、依頼、ですか?」
早朝、まだ周辺の店もろくに開いていない時分に訪れた事に気を悪くした様子もなく、ポンドを店内に招き入れた彼の名はユータス・アルテニカ。この少し古ぼけた工房の、若き職人にして店主である。
「ああ、そうだよ」
頷いてみせれば、ユータスはそれをどう受け止めたのか、僅かに困惑気味の表情で沈黙した。
気持ちはわからなくもない。今まで幾度か顔を合わせた事はあっても、この店の上客である妻を伴わずに彼の元を訪れた事自体初めてなのだから。
ポンドは彼の困惑を理解しながら、そのまま話を進めてしまう事にした──この手のタイプは、さっさと外堀を埋めてしまうに限る。
「いつもうちの妻が世話になっているね。あれは変わった物が好きだから、何かと面倒な依頼も多いだろう? あらためて私からも礼を言いたい。ありがとう」
「いえ……」
未だ話の展開について行けていないのか、ユータスは生返事を返す。
「先月の『依頼』──これは君がデザインから起こしたんだって?」
懐からライラ・ディにヴィオラから贈られた金時計を引っ張り出すと、ユータスはその唐突さを気に止めた様子もなくあっさりと頷いた。
「ああ、はい」
「傷も綺麗に修復してくれていたし、お陰でこうしてまた持ち歩けるようになったよ。……まあ、あの傷は私にとっては一種の『名誉の負傷』のようなものだったんだが……」
「──名誉の負傷?」
いつもの駆け引きに慣れた相手との商談とは勝手が違う事もあるのだろう。間接的にとは言え、長い付き合いである事も理由かもしれない。
彼にしては珍しくぽろりと余計な一言を漏らしてしまい、それを耳にしたユータスが不思議そうに言葉を繰り返す。
「ああ……、いや、何でもない。折角修復して貰ったし、なかなか面白い出来だからこうして持ち歩いているんだ。少々嵩張るし、重いが特にご婦人達に好評でね。いい話のタネになっているよ」
「そうですか。ありがとうございます」
対するユータスはポンドのペースで進む話に、先程から相槌を打つ事しか出来ないでいた。
自身の作品を評価してくれているらしい事はわかるのだが、その金時計がポンド自身の依頼にどう関係してくるのかさっぱりわからない。
(持ってきたって事は、それなりに関係はあるんだよな……?)
ポンドが時計を手元に置くようになる事は想定していたが、旅先にまで持ち歩くとは思わなかった。何しろユータス自身、実用的でないと一度は判断したデザインである。
もしやこれが妹辺りが言う『愛の力』とでもいう物か──などと少々的外れな感想を頭の片隅で抱いていると、不意打ちのようにポンドが話題を転じてきた。
「──で、だ」
きっとそれだけではないだろうと思っていたが、案の定、ポンドは人の良さそうな笑顔のまま仕掛けてくる。
「これを見た何人かのご婦人方から、同じような意匠で装飾出来ないかと頼まれたんだが──」
(……そう来たか)
ユータスはポンドの意図を察すると、心の内でため息をついた。
「素材が『時計』でしたらお断りします」
詳細を聞く前にこちらから断りを入れると、ポンドは少し意外そうな顔をした。次いで、なるほどと何かに納得したように頷く。
「ヴィオラが君を気に入っている理由は、単に細工の腕だけじゃない訳だ」
「……? そうなんですか?」
何かと気にかけてくれている事は自覚しているが、その理由までは考えた事はなかった。単に昔からの──それこそユータスがまだ子供だった頃からの──顔馴染みだからだろうと思っていたのだが。
「ああ。……そういやヴィオラを交えずに一対一でまともに話すのも、これが初めてだったかな」
「そうですね」
姿こそ見えないが、ヴィオラの行く先々にポンドが付き従っている事は知っているので、ユータスの中では比較的身近な人間の範疇に入っていたりするのだが、直接顔を合わせて会話をした事は本当に数える程である。
「見かけで判断していたつもりはないが、君は意外と鋭いんだな。正直、そう切り返してくるとは思ってなかったよ」
「……」
何故か感心したようにそんな事を言われる。
実はそんな風に言われる事はこれが初めてではなかった。この商店街に店を構えた事で、同じように軒を連ねる商人達と話す事も増えたのだが、その時々で似たような事を言われているのだ。
元々こちらから話しかける方ではない事もあるのだろう。ユータス自身は単に思った事をそのまま口にしているに過ぎないので、『意外と鋭い』とか『何も考えてないかと思ったらそうでもなかった』などと言われても首を傾げる所なのだが。
どうやらポンドの予想を良い方向で裏切ったようではあるものの、他の人間から言われる時と同様、あまり誉められているような気がしない。
つまりそれは、逆を言えば第一印象では『鈍そう』とか『何も考えていない』と思われているという事である。その辺りは多少自覚もしているが、素直に受け取れるはずもない。
「話を戻そう。何故、『時計』だとダメなのかな?」
ユータスに対する印象が変わったせいなのか、随分と楽しげに尋ねられる。
ポンドに限った事ではないが、職業柄か、商人は会話を楽しむ性格の人間が多いようだ。客商売なのだから当然と言えば当然かもしれないが。
身近な所でも商家に勤める父のコンラッドも、こちらが一返すのに対して三倍くらいは口が動いている気がする(とは言っても、実家に帰った時の彼等の会話は『元気か』『変わりはないか』『無理はしてないか』といった、近況確認に終始するのだが)。
得手不得手と言われたらそれまでだろうが、言葉遊びを仕掛けられたら高確率でこちらが負ける。
ユータスは微かに眉を顰めた。ヴィオラが夫を『タヌキ』と評するのは、職業の事を抜きにしても、元々こうした人を掌の上で転がすような所があるからに違いない。
(どうせ、知ってるんだろうに)
わかっていてそんな素振りを見せずに鎌を掛けて来るなんて人が悪いにもほどがある。
これも妻への愛故かもしれないが──自分はこういうやり取り自体、慣れていないのだ。人を量るにしても言葉で試さないで欲しい。
「マダムからの依頼はその時計を『世界に一つしかないもの』にする事です。たとえデザインが違おうと、時計を装飾すればオレが手掛けたという時点でその依頼を反故した事になります。ですから、お断りします」
「立派な姿勢だが、損な性分だね。そんな事じゃ商売にならないだろうに」
ユータスの返答に満足げに微笑みつつ、百戦錬磨の商人であるポンドはばっさりと切り捨てる。
実際、多少顧客がつきつつあっても職人としてはまだまだ未熟、仕事を選べるような身分ではない。そう思っているからこそ、普段はイオリに怒られるほど手当たり次第に仕事を引き受けているが、それでも譲れない部分はあるのだ。
「そうかもしれません。でも、これがオレなので」
工房の主として、そして報酬を受けて仕事をしている以上、稼ぐ事を無視する事は難しい。元々、宝飾関係の原材料は高価な物が多いし、収入がなければそれも仕入れられず仕事が出来なくなる。
なんだかんだとこの世界に長くいるし、時として自分の主義を曲げねばならない時も出て来る事位は理解している。けれど──。
「仮に相手がヴィオラが支払った報酬よりも倍出すと言っていても、それは変わらないのかい?」
「はい。これは報酬の問題ではないですから」
きっぱりと頷く。そう、報酬の上下で片付く問題ではないのだ。
一度交わした約束や契約は守る──それがユータスの行動基準となっている。言葉だけを受け取ると何処となくかっこ良くも聞こえるが、結局の所、根っこは面倒臭がりに繋がっているのだった。
一つ嘘を吐けば、その嘘を隠す為にまた嘘が増える。あるいは、契約を守れなければ信頼関係が危うくなる。
ただでさえ語彙力のないユータスに、言葉や態度で誤魔化したり生じた誤解を解くといった芸当が出来るはずもなく、そんな事に労力を使う位なら最初から出来ない約束はしない方がマシだという考えなのだ。
たとえばそれが誰かの生死に関わるようなどうしようもない事情でならともかく、少々稼ぎが増えたり減ったりする程度なら譲る気はなかった。何よりユータスは現状に満足しており、特に手広く顧客を求める気はない。
この先、ユータスがどれほど職人として熟練したとしても、口のうまさと言葉の足りなさに関しては改善される見込みはないに等しい。この辺りがおそらくウィルドに『変な所で不器用』と言われる所以であろう。
するとポンドはしばし考え込むように沈黙すると、にこりと笑った。
「ふむ……。そういう事なら仕方がない。この話は私から断っておこう。今日の目的は他にあるしね」
「……?」
理由はわからないが、どうやら自分の答えはポンドを満足させたらしい。
「一つ一つの仕事と顧客の意向を大事にするのは難しいが大切な事だ。やはり、今回の件は君に頼みたい。君なら──おそらく他の細工師に依頼するよりもうまく条件を満たしたものを作ってくれそうだ」
そう言うと、ポンドは懐から小さな布袋を取り出した。草木の汁で染められたと思われるそれは、随分と色褪せ、少し草臥れている。それなりの年月を経たものらしい。
それは早朝から乱れ一つないぴしっとした上下を身に着けたポンドの手には何処か不釣り合いで、ユータスはじっとその袋を見つめた。それが、ポンドの依頼とどう関係するのだろう。
「依頼というのは他でもない。この時計のお返しを、この袋の中身を使って作ってもらいたいんだ」
「お返し?」
金時計のお礼と言われてもすぐにピンと来ず、そのまま鸚鵡返しするが、その仕事を何の為にやったのかを思い出してユータスは頷いた。
「ああ……、リ・ライラ・ディのですか」
「そうだ。そして重要な事なんだが、それに関して頼みというか、注文がいくつかある」
口調も変わらず特に表情にも変化はないのに、ユータスは手にしていた薬缶を置くと姿勢を正した。──何となく厄介と言うか、無理難題が来る予感がしたのだ。
何しろ一筋縄で行く相手でない事は今までのやり取りで明白だし、こういう予感は大抵当たってしまうものである。
やがてポンドが告げた複数の条件は、予想通りなかなかに難易度が高く、ユータスは暫し悩む事となるのだった。




