始まりは空飛ぶ魚(21)
がさりと油紙で巻かれた包みを開き、中身を目にしたレイは驚いたように目を見開いた。
「こ、これは……!」
「レイ?」
まだ中身が何かわからないアールが不審そうに問いかけるが、レイはその声が聞こえなかったかのようにじっと包みの中を見つめて固まっている。
痺れを切らしてか横から包みの中を覗き込むと、レイとは対照的にその目を点にして首を傾げた。
「何だよ、レイ。お前、またお玉買ったの?」
好きだなーと、驚愕もなければむしろ何処か呆れたような響きの言葉でレイが正気に戻った。
「……アール」
「なんだよ」
「お前、これを見てそんな感想しか出て来ないのか……!?」
ぐっとそれ──特注の武器仕様お玉を掴むと、そのままアールの鼻先に突きつける。
「えっ。そんなって、お玉じゃねえの? それ」
「確かにお玉だが! 他にもっと言う事があるだろ!?」
「は? ──ああ! わかった、いつもと違って金属製でちょっとかっこいい?」
「違うだろ!?」
予想していたのとまったく違う反応を返して来るアールに、レイは途方に暮れたような悲鳴をあげる。
だがしかし、アールの空気を読めない反応も決して否定は出来ない。
ロイドとユータスが共同で作ったそれは、一見した所、金属で造ってあるという事を除けば、普通のお玉のようにしか見えない外見なのだから。
第一、依頼されたのはあくまでも『改造』だ。一目でお玉とわからなければ問題である。もちろん、それは見た目だけで細部はいろいろと一般的なものとは異なっている。
握り部分は鞣した皮が巻かれ、滑り止め兼調理の際の熱から手を守る仕上げになっているし、レイの手指の大きさに合わせたそれは誂えたようにしっくりと馴染むはずだ。材質が金属なので少々重量があるが、『鈍器』としての役割を思えば許容範囲だろう。
「違うって、え? それじゃ、あれか? レイのお玉コレクションに新しい仲間が──」
「それはさっきも言っただろ! ……もういい」
レイの只ならぬ様子にアールが心なしか焦ったように思いついた事を口にするが、見事に的外れな答えだ。これは完全に自分が言った事を忘れ去っている。
アールからすれば、お玉を武器にするなど冗談でなかったとしても、その場限りのネタのような物という認識だったのだろう。
確かにいくら日常的に使っているからと言っても、本来武器でない物をわざわざ改造せずとも、普通に携帯用の武器なりを所持する方が手軽だし理に適っている。
「もういいって、なんだよ。前に誰かから教わった長空料理に挑戦してみたいけど、火力が強すぎて木製じゃ不向きだとか言ってたじゃん。その為のものじゃないのかよ?」
レイのがっかりした様子にアールも不満げに言い返す。単に食い意地が張っているだけかもしれないが、そういう事はしっかり覚えているらしい。
ちなみに長空とはシラハナ同様、海を越えた向こうにある国の一つである。
妖精信仰の流れから『魔法』というものが比較的身近な場所に息づくフィアナ大陸と異なり、高度な機械文明が発達していると伝えられている。
シラハナ同様独自の文化があり、他国からの移民が多いティル・ナ・ノーグでは長空の雑貨や飲食料品も取引されている。その為か、行った事はなくともその一風変わった文化に傾倒する人間も少なくない。
「確かにそれも言ってたけどな……。そうじゃなくて」
はあああ、と深くため息をつきながら突き付けたお玉を下ろすと、レイは仕方がないとばかりに説明し始めた。
「お前、『お玉を武器にするなんて新しい、是非作ってくれ。それを俺が記事にする』って言ってただろうが」
「へっ。……あ、えっ、まさか本気で? わざわざ造ったのか!?」
「おう、造って貰ったんだよ……」
そこまで言われてそのやり取りを思い出したらしい。
ようやく普通のお玉ではないと気付き、驚愕を隠さずまじまじとレイの手に握られたお玉を見つめるアールの青い目は、それでもまだ何処か半信半疑のようだった。
「──でもなんでそれ、ユータスが持って来るんだよ。こいつ、細工師だろ? 武器にするとかそういう以前に、改造なんて出来るのか?」
「最初はユータスに頼んだんだが、自分では難しいからって仲介になって知り合いの武器職人に依頼してくれたんだ」
「え、って事はじゃあそれ、本当に武器職人が武器として造ったのか!?」
どう見ても普通のお玉なのに、と視線で訴えるアールにユータスは頷いた。
「オレの知る限り最高の職人が手掛けた。オレも手伝いはしたけど、注文通りの物になってると思う」
「へえ……」
ロイドの名を出して良いのか判断がつかずにそう答えると、アールは感心したように声を漏らす。ようやく望んだ反応になった事に気を良くしてか、レイも表情を明るくした。
「確かに普段使っているお玉より重いのに、手に馴染むからあまり気にならないな。結局これ、鈍器として使うって事か?」
軽く振ってみながらの感想を心に留めつつ、ユータスは完成したお玉の仕様を付け加える。
「ああ。こればかりは実際に使ってみないとわからないけど、打撃を加えたり相手からの攻撃を受ける分にはそれなりに耐えられるようにはなってるはずだ。それと、持ち手の端の所は外れるようになってて」
「ん? ああ、ここか」
ネジ式の蓋のようになっている部分に気付き、ユータスが続きを口にする前にレイがそこを外すと中に入っていた何かがじゃらりと飛び出してきた。
「うお!?」
「なんだ?」
そのまま床に硬質の音を立てて転がったのは、細い金属製の棒のようなものだった。よく見ると一方だけ細く削られ、針のようになっている。
「……まさかこれ、鉄串……か?」
拾い上げてまじまじと見つめたレイがそんな結論を出すと、よくわかったなという顔でユータスが頷く。
「『野外で獣を仕留めたらやる事はこれしないないよな』って言ってた」
これならお前も作れるだろうと作成を指示しながらロイドがそう言った時も、ユータスにはピンと来なかったのだが、レイとアールには通じたらしい。
レイは微妙に複雑そうな顔をし、アールは遠慮なく爆笑した。
「ぶははっ、なるほどなー! 殴って倒したら後は美味しく頂けってか? 確かに冒険に野外料理は鉄板だよな!」
「アール……。笑ってるけどな、俺が作るなら食うのはお前なんだぞ。……モンスター肉が平気なら構わないが」
「うげっ。それは勘弁してくれ!」
想像したのかげっそりとした顔でぶんぶんと首を振る。そんな二人のやり取りに、ユータスは内心首を傾げていた。
(別に料理に使わなくても……)
針ほど鋭くないとは言え、一種の投擲武器の代用としても使えるだろうし、ロイドの指示で全体に軽く刻みを入れたので(刺した肉がずれないようにとの事らしい)ヤスリ代わりにもなる。
てっきりそういう意図があって作らせたのだと思っていたユータスには、冒険先でまで調理器具として使うという発想はなかった。
そうでなくても通常の鉄串よりは頑丈に仕上げているので使い勝手はいいと思うのだが、どうやら料理以外の方向には二人とも思考が行っていないらしい。
何にせよ、無事に依頼は完了したと考えていいだろう。なんだか盛り上がる二人を眺めてそう結論付ける。
「それじゃオレは帰る。実際に使ってみて何が不具合があったら教えてくれ。必要なら手直しするって言っていた」
「お? あ、改造費……」
「今日は届けに来ただけだから、後日でいい」
「そうか、わかった。これ、ありがとな。それからあの置物、見つけたらすぐに持って行くから」
レイの言葉に頷いていると、アールもにやにやと笑いながら声をかけてくる。
「ユータス、帰るのか? 今日は行き倒れるなよー?」
「……」
──もうそろそろ、そのネタから離れて欲しいものだ。
果たして改造されたお玉が活躍する機会があるのか、そしてアールの旅行記は完成するのか──なかなか興味は尽きないが、それは今後の彼等の冒険次第だろう。
外に出ると周囲は薄暗くなりつつあった。
どんな小さな仕事でも終わった後は解放感がある。今回のように手間暇がかかれば、言わずもがなだ。
覚えている限りでは特に大きな案件もなかったはずで、これでしばらくは落ち着いた日々になるだろう。そろそろ例のブルードからの土産とやらも届くだろうし、今年の『魚』を手掛けるのもいいかもしれない。
──そんな風に呑気に考えつつ帰路を辿るユータスだったが、母なるニーヴの試練か、それとも金属関係の加工業に信仰される火の妖精の悪戯か、彼の店の入り口に新たなペルシェが増えるのは、予定よりもさらに先の事となる。
+ + +
翌々日の朝、ユータスはいつものように夜明けと共に起きだし、朝の一仕事を終えて店に戻る。そこには昨日の昼過ぎに届けられた一抱えはありそうな包みが直接床に置かれてあった。
『期待しとけ』──そう言っていたブルードからの王都土産である。
工房の方へ運ぼうとしたのだが、ブルードが持ちかえる事を断念しただけあってそのままだと相応の重さがあり、保護材関係を取り除いて少しでも軽くしてから運ぶ事にしたのだ。
中身は昨日の内に一応確認している。石の買い付けに行っていただけあって、土産も石だった。
春先に咲き初める『サクラ』の花を彷彿とさせる、淡い桃色を帯びた白っぽい石材である。さて、これをどう加工するかと考えを巡らせていると、店の扉を控えめに叩く音がした。
(……客?)
ブルードならまた騒々しく叩くだろうし、庭先を通り道にしているメッセンジャーなら先に声をかけて来る。家族なら鍵を持っているので勝手に開けて入って来るはずだ。
消去法で残るのはそれしかないが、開店前から訪れるとは珍しい。店が開くのを待てないほどの用件なのだろうか。
疑問に思いつつ扉を開くと、その向こうには見覚えのある顔があった。
「やあ、おはよう。朝早くから済まないね」
穏やかに微笑むその人は、早朝というのに一部の隙もない整った身だしなみで、被っていた帽子を軽く持ち上げた。
「──ステイシスさん?」
そこにいたのはヴィオラ・ステイシスの夫、ポンド・ステイシス氏だった。
何となく周囲を見回しても彼以外の人の姿はない。今まで何度か顔は合わせているが、一対一で会話をするのはおそらく初めてだ。しかも、こんな時間にわざわざやって来る程深い関わりもない。
「一体どうしたんですか?」
珍しさから尋ねると、ポンドは少し申し訳なさそうに頷いた。
「出来れば誰の邪魔もされずに話したくてね。まだ店が開いていないのはわかっていたんだが……」
「起きていたから、大丈夫です。……どうぞ」
一体何の話だろう、と思いつつ中に入るように勧める。
ユータスが茶を淹れる為の準備をしている間にいつもは彼の妻が腰かける椅子に落ち着くと、ポンドはごく自然に話を切り出した。
「話というのは他でもない。ユータス君、君にある物を造って貰いたいんだ」
「え……?」
一瞬、聞き間違えかと思った。
昔馴染みのヴィオラならばさておき、独立して半年も満たない未熟な自分に、世界を股にかけて働く一流の商人が仕事を持ちかけて来るとは思いもしなかったのだ。
だが、何処となく楽しげな様子でこちらを見る視線で彼が本気なのだと悟る。
「……受けてくれるかな?」
──どうやらまた、何やら厄介な依頼が来たようである。