始まりは空飛ぶ魚(19)
「そろそろまた造るんだろ? お前、毎年今頃になると造ってるもんな」
思いがけないブルードの言葉に少しだけ驚いた。
確かに毎年、今時期──春先になると、ユータスはペルシェの像を造る。木や粘土に石など、様々な材質で作られたそれは、弟子入りをした翌年から一体ずつ増えて今では八体。
最初は初心者でも造りやすい粘土で造り、それから少しずつ扱いが難しい素材へと変わっていった。同時に作品としての完成度も上がっている。
時々目に留めた客から譲ってくれないかと言われる事もあるが、今後も売り物にする気はない。これはユータスの職人としての成長記録であると同時に挑戦の記録でもあるからだ。
とは言っても、その事を特に誰かに言及した事はない。造っている時も作業の片手間だったりしたので、まさか毎年同じ時期に作っている事に気付かれているとは思わなかった。
その驚きが表情に出ていたのか、ブルードがにやりと笑う。
「気付いてないと思ってたか? 言っておくが、気付いてるのは俺だけじゃねえぞ」
「そうなんですか?」
「おう。オニイサマ達の観察眼をばかにすんじゃねえの。この間も『そろそろ硝子じゃないかって思うんですよね!』ってマッチョの奴が楽しみにしてたぞ。愛されてんなー、お前」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべる顔に、ユータスは微かに顔を顰め、小さくため息をついた。
『マッチョ』とは兄弟子に当たるライアン・ペイジという人物の事であり、今の所、唯一ユータスが苦手にする人物である。悪い人ではないのはわかっているのだが、関わると実害があり過ぎるので出来ればあまり関わりたくない。
「ライアンさんのあれは、何と言うか……お気に入りの玩具に対するそれと変わらないと思います」
「まあ、そうだな」
ユータスの感想にブルードもあっさりと同意する。ゴルディの下に弟子入りし、以来、一人だけ年が離れていた事もあってか兄弟子達はいずれも弟分として可愛がってくれた。
元々弟子同士仲が良いが、世の中にはひどいいじめが行われる所もあると聞くし、ありがたい事なのはわかっている。だが、ライアンの場合は『いらん事しい』と言うか、可愛がる方向がいろいろと間違っているのである。
ライアンなりに良かれと思ってやっているのだろうが、引き換えのように命の危険と隣り合わせな目に幾度も遭えば、いくらユータスでも学習するし、警戒もする。
さらにある程度育ってからは、彼の奇行の片棒を担がされる事も多く、下手に仕事を参考にさせて貰おうとしたら見返りに何を求められるかわかったものではない。
(……作品は本当にすごい物を造るんだけどな……)
師のゴルディが一種の天才であるのなら、ライアンは鬼才と言うべきだろう。
硝子を自在に操り、複雑な形へ仕上げてしまうその腕前はティル・ナ・ノーグの中でも屈指ではないかと思う。特に色彩センスに関しては、他の兄弟子達すら一目を置いている程だ。
にも関わらずライアンが未だ無名なのは、普段の奇行が災いしてか、肝心の本業の仕事が入って来ないからである。その為、ユータスもライアンの仕事は完成品を見るばかりで、実際の作業はほとんど目の辺りにした事がない。
他の分野は見様見真似で仕事を手伝う内に自分の物にしてきた経緯があるが、ライアンの場合は趣味の彫像造りばかりを手伝う事になったお陰で、肝心の硝子関係に関しては師のゴルディに基礎を教わった以外はほとんど独学に近かったりする。
「それにしても本当に好きなんだな」
「……? 何がですか?」
「ペルシェだよ。前々から思ってたけどよ、何でお前そんなにペルシェが好きなんだ?」
ブルードの質問にユータスの表情が目に見えて変わった。
「何でって、最高じゃないですか……! 色も形も、何もかもあそこまで完璧な生き物はいません!!」
「そ、そうか?」
「なんで疑問形なんですか!? ペルシェはニーヴの創造したものの最高傑作です!」
「お……、おう」
普段の様子とはまるで別人のようにきっぱりと断言する様子に気押されつつ、ブルードはでもさ、と切り返した。
「お前、そこまで惚れこんでいる割に数は作らないのな」
「え? ああ……。それは──、それだけ、特別、だからです」
ブルードの追求に一瞬ユータスが動揺した。うまい表現を思いつかなかったのか、先程の勢いが嘘のように言い淀む。
「特別……ねえ」
何か隠しているな、と長年の付き合いでブルードは思ったが、そのまま会話を続ける。
普通ならそこまで好きなら毎日でも何かしら作っていそうなものだ。なのにユータスは一年に一度しか作らない。一体どんな『特別』なのかと勘繰りたくもなるが、この様子だと聞いた所で話してはくれないだろう。
「……オレが職人の道に入ったのも、ペルシェが切っ掛けみたいなものですし」
まるで代わりのようにユータスはそう付け加える。
「へえ、そうだったのか。あの時はおやっさんが理由も言わずにお前をいきなり連れてきて、カールの奴がマジギレするわ、俺もとばっちり食うわでいろいろ大変だったからなー。そういや結局、その辺の事ってうやむやのままだったな」
そのまま当時の事の話になり、話題が逸れた事にユータスは少しだけほっとした。
何故一年に一体しかペルシェを造らないのか──もちろん、ユータスなりの理由は存在する。だが、それを今後も誰にも話すつもりはなかった。
説明するのが面倒だというのもある。だが一番の理由は、ユータス自身、うまく説明出来ない部分が存在するからだ。
正直、『それ』の事は自分でもよくわからない。
わからないから気になる、わからないから追求する。追いかけて、追いかけ続けて──それでいつか答えが出るのかすら定かではないけれど。
そろそろ店を開ける頃合いで自分も仕事があるからとブルードが腰を上げる。その背にユータスは何となく尋ねていた。
「……ブルードさんは、『何処で見たのかわからないのに記憶だけはある』って言っても、わからないですよね」
「あん? 何か言ったか?」
「いえ……、何でもないです」
変な奴だなと言い残して、再び羽を頭上で揺らしながらブルードは帰って行った。
『何処で見たのかわからないのに記憶だけはある』──我ながら意味不明だと思うが、その通りなのだから仕方がない。だから誰にも話す気がないのだ。
普通の人間は数日前の事でも簡単に忘れるのだと理解してからはなおさらだ。
それを『見た』という記憶はある。けれど肝心のそれが本当に実在したのか、その確証がない。
それが具体的にどんな形状をしていてどんな色をしていたかは説明出来るが、他に同じような物を目撃したという噂話は聞いた事もないし、どういう状況で見たのかが曖昧なので、どう説明してもおそらく理解してもらえないだろう。
ユータスは自分が説明下手だという事は自覚している。
おそらく、普通なら『見間違い』あるいは『思い違い』で片付く話だろう。見た物は忘れないと言った所で、それを証明するのは難しいし、一つや二つくらい例外があるのではないかと言われればユータスも否定は出来ない。
それでもここまで引きずっているのは、何となく気のせいで片付けてはいけない気がするからだ。
──あの、記憶に焼き付く『虹色』の事は。
+ + +
そして、その日の午後。
「……ま、こんなもんか」
微調整を重ねる事、数度。ロイドのそんな手軽な料理の一品でも出来たような気負いのない言葉で、ついにお玉は完成した。
見た目こそ金属製なだけでごく普通のお玉にしか見えないが、実際は打撃に対しての剛性、調理に対しての適度な柔性を兼ね備えた、まさに珠玉の一品である。
「流石ロイドさん……、完璧です!!」
天性の武器職人の仕事の確かさにユータスが惜しみない賛辞を送ると、幾分照れくさそうな顔でロイドは頷いた。
「おう、お前もよく手伝ってくれたな。実際使ってみないとわからないが、これなら依頼人も納得するんじゃないか」
「そうですね」
少なくともレイの手には合うのではないかと思う。逆を言えばレイ以外には少々使いづらいに違いないが、実際に武器として使用されるかはさておき調理する分には申し分ないだろう。
完成したお玉を改めて惚れ惚れと見ていると、ロイドが遠い目をしてぼそりと呟く。
「いやしかし、……何十年と生きてきて、まさかお玉を武器として改造する日が来るとはな」
「まあ……、そうですよね」
ユータスもまさかこういう仕事が来るとは思っていなかったので、ロイドはなおさらだろう。
「可能なら実際に使ってみた感想が聞けたら聞いておいてくれ。必要なら微調整かける。作った以上は完璧にしたいからな」
「はい、わかりました。……そうだ、ロイドさん」
「なんだ?」
「ブルードさん、戻って来てますよ」
「お?」
「今朝うちに来ました。元気そうでしたよ」
「そうか。……まあ、生きてるならいいんだ」
少し突き放したような口調ながらも、その表情は少し安心した様子が見て取れた。
「それじゃ早速持って行ってみます。本当にありがとうございました」
「気にしなくていい。……まあ、なんだ。こちらこそありがとな」
「……? 何がですか」
「あー、だから、ほら。お前に貰っただろう」
何処となく目を泳がせた気恥ずかしそうな様子で、ロイドが言葉を濁して答える。
「……。ああ……」
しばし熟考した結果、それがロイドへの謝礼代わりに作った編みぐるみのガートの事なのだと察すると、ユータスは頷いた。
「あれはお礼にも入りません。……何でしたら今度、付き合いますよ?」
「付き合う?」
「もふカフェ、でしたっけ。まだ入れてないんでしょう?」
カフェ”エリン”──それはガートと直接戯れる事の出来る憩いの場所。ガートが好きなのに自身の外見や人の目を気にして入る事が出来ずにいる事は、ブルード経由でユータスも伝え聞いていた。
「……! い、いや、いい!」
一瞬目を輝かせたものの、すぐにはっと我に返って首を振るロイドへ、あくまでも善意からユータスはさらに言葉を続ける。
「オレもまだ入った事はないんです。一人は難しくても、連れとしてなら入りやすいんじゃないですか? ジンさんだってよく通ってるらしいですし、そんなに気にしなくても大丈夫と思います」
「ジン……? って、仮面野郎の弟分の一人か。あの、やたら無口な」
「はい。昔から動物が好きで、もふカフェが出来た時は相当喜んでました。どの位の頻度で通っているかは知りませんが、今じゃ常連に近いかも……」
「なに、それは羨ま……っ、いやいや。もういい、気持ちだけ受け取っておくから。さっさと行け。日が暮れるぞ!」
明らかに心が揺れている様子なのに、やはり踏ん切りがつかないらしい。ユータスも決して無理強いしたい訳でもなくあっさりと引き下がった。
「わかりました。それじゃ失礼します」
ぺこりと一礼し、ユータスが早速とばかりに完成したお玉片手に上がって行くのを見送ると、ロイドは『はあああ』と深いため息をつき、肩を落としてぼそりと呟いた。
「気持ちはありがたいんだがなあ。……大の男が二人連れで行ったら、それこそ余計に目立つし浮くだろう」
──この調子ではロイドが憧れのもふカフェへ足を踏み入れるのは、もうしばらく先の話になりそうである。




