始まりは空飛ぶ魚(17)
結局、主にマーベルとイオリの間で指輪の事や結婚する娘の事などで話が盛り上がり、いつの間にか外は随分暗くなっていた。
何となくこうなるんじゃないかと思っていたのだ。ユータスは小さくため息をつきつつ、依頼された指輪をケースに納めた。
元はシンプルな紫水晶をあしらっただけだった指輪は、サイズを変更するだけでなく、さらにシオンの花の装飾を付け加えられ、全体的に可愛らしい若い女性向けのものになっていた。
もちろん、これはユータスが考えた訳ではなく、マーベルからの注文である。
紫水晶には様々な意味があるが、その中に家庭円満も含まれている。そこに付け加えたシオンの花は、『破邪』を司る妖精の名を冠した花で、やはり魔除けとして様々な場所で使われている花だ。
これから家庭を築く娘の幸せを心から願っている事が伝わる一品である。
「おや、すっかり長居しちゃったね」
外の暗さにようやく気付き、マーベルが腰をあげた。
もうそろそろ何処の家庭も夕餉を囲む時間だ。完全に太陽が落ち切っている訳でないが、流石に一人で帰らせるのはどうだろうと思い声をかけると、何故か心底呆れた目を向けられた。
「あのねえ、あんた台詞を言う相手を間違えてない?」
「……?」
何の事かと思っていると、マーベルは深々とため息をついた。
「気持ちはありがたいけど、こういう時は若い子の方を心配しなさいよ」
(若い子……?)
消去法にもならないが、この場にいる人間はマーベルとユータスを除けば一人しかいない。
その言葉でようやくマーベルが自分ではなくイオリを送れと言っている事を理解したものの、益々ユータスは首を傾げる結果となった。
確かに普通はそういうものなのかもしれないが、対象がイオリとなると話は別だ。
(どう考えても、必要ないよな)
やはりマーベルはイオリの腕っ節の強さを知らないらしい。知っていればこの言葉は出ないだろう。
イオリにはつい先程もその一撃で星にされた身である。身をもってその攻撃力を知っている以上、余程強力なモンスターでもなければ滅多な事は起こりそうにないと思うのも無理はないだろう。
そんなイオリが知れば再びハリセンを振るいかねない事を考えていると、それをどちらを送るべきか迷っていると受け取ったのかマーベルがその表情を和らげた。
「あたしは大丈夫。この後ね、この近くに住んでいる長男夫婦と一緒に食事するの。折角だからこの指輪を見せてやりたくてここに寄ったんだよ」
遅くなっても焦る様子がなかったのはそういう理由からだったらしい。
ちゃんと送ってあげなさいよー、と念を押しつつ立ち去るマーベルを門の外まで見送り、その姿が見えなくなった時点でユータスはイオリに視線を向けた。
「何よ」
「……必要か?」
主語や目的語が抜けていても、何を言っているかは流れ的にわかる。イオリは軽く肩を竦めると問い返してきた。
「必要そうに見える?」
「見えない」
ほとんど脊髄反射でそう答えると、ハリセンの代わりに裏拳が飛んできた。聞かれたから答えたのに、その返答はどうやらイオリ的に微妙な返事だったらしい。
「少しは言葉を選びなさいっての。……別にいいよ。大体送ってもらうのはいいけど、今度はあんたがその帰りに行き倒れるんじゃないかって心配しないとならないじゃない」
まさかの切り返しに何となく反論出来ずに沈黙すれば、イオリは小さくため息をついた。
「改めて言うけど、ちゃんとやれる範囲で仕事しなさいよ。そりゃあんたの言い分もわかるけど、倒れたらどうしようもないでしょ。それで他の仕事が遅れたりする事も出てきかねないでしょうが」
まさにごもっともな言い分である。だが、やはりそれは簡単に頷ける事ではなかった。
たとえば先日の眼鏡の件もそうだが、それがないと生活に支障が出るといった緊急性の高い物を持ち込まれたら、どんなに仕事が詰まっていても受けるだろう。
『同時に仕事を受けた時は、取りあえず困っていそうな人を先に片付けるといいよ。後回しにすると後で厄介事に発展する可能性が高いからね。そういう人を断る時も慎重に。大抵焦っていたりするから、代わりの職人を紹介するのが最善策かな』
──というのが、現在職人の仲介業をしている(元)兄弟子の一人・カルファーからの教えだったからである。
この工房には職人はユータスしかいない。師の所のように、足りない部分を補える人間がいないのだから自分で何とかするしかないではないか。
そもそもうまく断れと言われても、いまいちどう言えば角が立たないのかわからない。
沈黙したまま、眉間に皺を寄せて考え込むユータスの様子にどうやら頷かせる事は難しいと判断し、イオリは攻める方向を変える事にした。
「大体、なんで行き倒れるような事になったの。しばらく施療院が忙しかったし、あたしもこっちに顔を出せなかったけど……、十日くらい前までは倒れるほど仕事は入ってなかったよね?」
「……。そうだったんだけどな」
ユータスはそもそもの切っ掛けを思い返してみた。
(多分、あれが最初か)
次から次へ持ち込まれた修復の依頼──古美術品関係を除くと、最初は確か年代物の杖の修復だった。
持ちこまれたそれは、随分立派な物だった。勇ましいグリフィスキアをモチーフにした物で、聞くと老人の父親の形見なのだと言う。
持ち手の所を留めてあった鋲が外れており、時折ぐらついて使うには心もとない状態だったが、良く見れば持ち手だけでなくあちらこちらが痛んでいたり、鍍金が剥がれていたりしていたので全体的に直しを入れる事になった。
丁度他の仕事を手掛けていたのと、本人は特には急いでいないという事だったので杖を預かったものの、普段から愛用していると言っていた事を思い出し、ないと困るのではと急いで修復して翌日自宅まで届けに行ったのだ。
どちらかというと親切心というよりは、もはや刷り込みのような感覚でそうしたのだが、老人からは随分と感謝された。
仕事も途中だったのですぐに帰るつもりだったのに、引き留められて茶菓子は勧められるわ、修復にかかった費用だけでなく『これも持ってけ。あ、あれもいいぞ』と何故か自家製の芋やら野菜やらをいろいろと土産に頂くわで、その人物については余計に記憶に残っている。
そう言えば、あの老人の依頼を受けてから、年配の客層が急に増えた気がする──と言う事は、あの老人が噂の発端か。
「どうも、オレの事が噂になってるらしくて」
「……噂?」
その単語に不穏なものを感じるのはユータスに限った事ではないらしく、イオリの眉がぴくりと持ちあがる。
「あんた何やったの」
「何って──仕事、だけど」
「……どういうこと?」
結局、こうなった経緯を説明する羽目になり、ユータスは仕事が詰まってしまった経緯をリークの失踪を含めてわかる範囲で答えた。推測の部分も多いが、立て続けに仕事が入った事がユータスの予想に反していた事は伝わるはずである。
「──だから急に仕事が増えたらしい」
するとイオリは何故か居心地の悪そうな様子で尋ねてきた。
「ねえ。最初の依頼は、杖って言った?」
「いろいろ仕事が混ざってるから、違う可能性もあるけどな」
「……えーと、それ、ちょっと心当たりがある」
「ん?」
思わぬ所で話が繋がり、ユータスは首を傾げた。
「……。なんでイオリが」
「一応、共同経営者だし……宣伝くらいはしてもいいかと思って。この間、リオさんの患者さんが愛用している杖の持ち手が壊れかけていて困ってるって言っていたから、あんたなら直せるかもと思って案内した」
(ああ、そういう事か)
その話で先程マーベルとイオリの会話を聞いて何かが繋がった気がした事を思い出す。
そう言えば最初の依頼人の老人も来た時に、『あんたの話を聞いて来てみた』と言っていた。その時は誰に聞いたのかといった事は特に深く考えなかったが、その話をしたのがイオリならいろいろと繋がる。
施療院は当然老人比率が高いだろうし、長くこの地に住んでいる人達なら顔見知りも多いはずだ。その場で話が盛り上がる事もあるだろう。
「なら、オレが急に忙しくなった原因の一端はイオリにもあるのか」
「……」
特に責めたい訳でもなく単純に事実関係の確認として尋ねたのだが、ユータスの指摘にイオリが沈黙した。
「イオリ?」
なんで急に黙り込んだのだろうと疑問に思っていると、イオリが非常に言いづらそうに口を開いた。
「わ、悪かったわね。……詳しい話も聞かずに殴って」
「──ああ」
なるほど、そういう事かと納得する。
イオリから叱られたり星にされるのはもはやいつもの事なので、ユータスの中ではすでに過去の事になっていた。それに自己管理が足りてなかったのも事実だ。
「なんで急に仕事が増えたのか謎だったから、わかってすっきりした。気にしなくていい」
「いや……、少しは気にしなさいよ」
まったく気にしてないのも怒り甲斐がない。複雑そうなイオリを他所に、ユータスはふと思いついたように疑問を口にした。
「なら、イオリがデザインを用意するように言ったのか?」
「──は? 何の話?」
「あれ?」
心底怪訝そうに返された。てっきりイオリがデザインの事を言及したのだと思い、それならと納得したのだが、どうやらこの様子だと違うらしい。
確かにデザイン持参の依頼はいわゆる富裕層界隈からの依頼だったので、施療院経由にしては少し無理があるとは思ったのだが──。
「違うのか」
「違うのか、って言われても。一体何の話かわからないけど、修復の仕事の時は今までだって特に手伝った事ないじゃない」
「……。そういやそうか」
デザインの事なのでイオリが絡んでいるのだろうと推測したのだが、修復の仕事は元通りが基本なので新規にデザインする事はほとんどない。マーベルの依頼の時のように、手直しついでにデザインまで変えるような事があれば話は別だが。
イオリが違うのならあの一連の依頼はなんだったのだろう。一件ならともかく複数となると偶然で片付けるには、少々無理があると思う。
だが、今更依頼人に尋ねに行くのも変な話だろう。すっきりしないが、わからなくて困る事は何もないし、何より調べ回るのも面倒臭い。
最終的に最後に残ったその謎にはユータスが全く予想もしていなかったある人物が関わっている事が判明するのだが、そのままお玉の試作品の制作に入ってしまったユータスはそれっきりその事を忘れてしまったのだった。




