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アルテニカ工房繁盛記  作者: 宗像竜子
第2話 始まりは空飛ぶ魚
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始まりは空飛ぶ魚(15)

(なんで外にいるんだ……?)

 自分が不在時(あるいは意識不明になっている時)に困らないようにイオリと家族にはそれぞれ鍵を渡しているので、中で待っている事も出来たはずである。

 それにも関わらず外で待っていた事と、不自然な笑顔にユータスは問いかけた疑問を飲み込んだ。

(──怒っていらっしゃる)

 顔は笑っているものの、今にも何処からか地鳴りが聞こえてきそうなこの緊迫した空気。そんなものを背負っていれば、いくら鈍いユータスでもイオリが只ならぬ怒りを抱いている事はわかる。

 実際、彼女が大変腹を立てている証拠に、その手にはいつの間にか一見厚めの紙を折り畳んだだけにしか見えない謎の武器──ハリセンが握られているではないか。

 まさに、一触即発である。

 そんな状況を前に、ユータスは一体イオリが何故ここまで怒っているのかを必死に考えた。

 特に急ぎの仕事もなく、本来の職場である施療院が忙しかったのかしばらく顔を合わせていなかったので、いつものように怒りを招くような言動を取ったという事はないはずだ。

 だとすると、特にこれという心当たりが──

「……さっき、パティから聞いたんだけど」

(パティ……? ああ、”藤の湯”の──)


『ユータス、こんな所で寝てるの?』


(……)

 ──あった。知られたら激怒ものと思われる、心当たりが。

 藤の湯で売り子をしているパティは、様々な人々が集まる職場環境と売り子という仕事柄、客の話を通じて街のあらゆる出来事に通じている。

 そして藤の湯を経営しているトウドウ夫妻と同郷という事もあり、ユータスを放り込む以外にも頻繁にそこを訪れるイオリとは同世代という事もあって当然ながら親しい。

 問題は彼女達の仲の良さではなく、パティが噂話に詳しいということ──。

 決してパティが噂好きという訳ではない。素直な人柄で話をしやすい雰囲気のある、優秀な聞き手という事だ。いわゆる人徳というものなのだろう。

 おそらく何処からか話を聞き、心から心配してパティはイオリに事実確認をしたに違いない。

 制作の事で頭が一杯ですっかり過去の事になっていた事実を思い出し、元々乏しいユータスの表情が僅かに強張るのと、イオリが事実確認の言葉を突き付けるのはほぼ同時だった。

「あんた……、街の中で行き倒れてたって?」

 不自然な笑みが深くなる。何か弁明があるなら言ってみろとばかりに猶予を与えて来るのが余計に恐ろしい。

(ばれた……)

 特に口止めした訳でもないのだから、パティ経由でなくともイオリに知られるのは時間の問題ではあっただろうが。

「自分が住んでいる街で行き倒れとか……。聞いた時はいくらユータでもそんな事はと思ったのに、その様子だと本当な訳ね」

 沈黙が何よりの答えとばかりに、イオリの表情が一転して険しいものとなった。

「自己管理も仕事の内でしょう!? 自分の体力と相談くらいしなさい!」

 そして一喝。まさにぐうの音も出ない。

 しかし、確かに手当たり次第に仕事を引き受けた事は事実だが、それもユータスなりに考えがあっての事だ。結果的に行き倒れたのは流石に自分でもどうかと思うが。

 かと言って、その辺りを説明してもおそらく言い訳にしかならないだろう。何より面倒臭い。取りあえずイオリの怒りを鎮める方が先とばかりに済みませんと謝れば、疑わしそうな目を向けられる。

「反省、してる?」

「……してますが」

「じゃあ、二度とこういう事がないように約束しなさいよ」

「……」

「返事は?」

 いつもなら例の言葉を選んだ便利な言葉を返すか頷く所だが、安易にそうする事を躊躇ためらわれた。

 今回はたまたま仕事が立て込んでいた所に、後から細々と小さな仕事が舞い込んできたのが原因だ。

 この『後から』の部分に関しては予測も立てられない上に今後もおそらく特に断る理由がなければ引き受けるに違いないし、そもそも武器その物を作れとか家を建てろとか、明らかに細工師の範疇を超える事や無茶振りなら断る事も考えるが、自分で出来る範囲の事なら断る理由がない。

 そうなるとまたこうした事態になる可能性は無ではない。むしろとてもあり得る。

 一度交わした約束は守る主義だ。イオリもそれをわかっていて『約束』という言葉を持ち出したのだろう。

 かと言って正直に『またやるかも』などと言えるはずもなく、困り果てて沈黙すれば、ユータスの思考を何となく読んだのか、イオリの目がじとりとすがめられた。

「……返・事・は?」

 じりじりと距離が縮まる。気付けば完全にハリセンの射程範囲だ。

 イオリの姿を認めた時の嫌な予感は、きっとこの先の展開を薄々感じ取っていたからに違いない──そんな事を思いつつ、ユータスは覚悟を決めて口を開いた。


「無理」


 その非常に簡潔な返事に、イオリは一瞬呆気に取られた表情を浮かべた。

「……何が無理なの」

 普通ならそんな返事が返って来た時点で腹を立てそうなものだが、付き合いの長さか慣れかそれとも忍耐強さからか、イオリが静かに問い質して来る。

 即座にハリセンが飛んでくると思っていたユータスは少し拍子抜けしつつ、問われたので渋々と言葉を続けた。

「確かに今回は寝る時間とかまったく考えてなかったから悪いとは思う。でも、すぐ前に一人を受けておいて、その次の仕事を断る訳にはいかないだろ。それで時間が足りなくなったら何処かで時間を調整しないとならないじゃないか。削るとするなら寝る時間が一番手っ取り早い。だからその約束は出来ない」

 出来ない約束をする訳にはいかないと、説明を面倒臭がるユータスにしては珍しくきちんと答えたというのに、イオリは再び不自然な笑顔を浮かべていた。

「言いたい事はそれだけ?」

「……はい」

「そう……、言いたい事はわかった。でもね」

 すう、とイオリは息を吸い込み。

「少しは仕事を選ばんね(選びなさい)!!」

 そんな怒声と共に、その右腕が一閃する。


 スパアアアアアン


 商店街に空を切り裂く鋭い破裂音が響き渡った。

 道行く人が何事かと驚いたように立ち止り、周囲をきょろきょろと見回す。一方、付近に軒を連ねる商人達は慣れた様子で空に目を向けた。

 ──日暮れには少し早いそこには、きらりと光る星一つ。

「飛んだか」

「おう、飛んだな」

「久し振りに派手に行ったんじゃね?」

「そういや半月くらい見なかった気がするねえ」

 ユータスが引っ越して来て間もない頃こそ、こうしたやり取りは彼等に動揺を与えたものの、その内彼等も慣れてしまい、今では一種の風物詩となりつつあった。

「酔って朝帰りって訳でも女遊びがひどい訳でもねえのに、毎度何を怒らせてるんだかなー」

「あれで痴話喧嘩じゃないのが不思議だわな」

「今日も賭けるか? 負けた奴は海竜亭で勝った奴に一杯奢りでどうだ」

「おっ、いいね」

 ──そう、賭け事のネタになる程度には。

「なら俺は今日も『何事もなかったように無傷』に賭けるぜ」

 一人がそう言うと、周囲の人間が次々に同調し始めた。

「あ、おれも」

「じゃあ、私も」

「わしも」

「……ちょっと待て。それじゃ賭けにならねえだろうが!!」

 星になる勢いで吹き飛ばされた人間相手に不謹慎にも取られかねないが、これも当のユータスがいつもほとんど怪我一つなく戻って来るからこそ出来る事である。もはや誰も心配していない。

「お前が『何処か怪我して帰る』とか『今日中に帰って来ない』とかに賭けりゃいい。大穴だぞー?」

「いくらなんでも不利過ぎるだろ!? あいつ、あんなに細いくせして、どういう訳かやたら頑丈じゃねえか!!」

「だから大穴なんだろ」

 今の所、その『大穴』を引き当てた人間は一人もいなかったりするのだが。結局みんな、口実を作って酒盛りしたいだけなのが明らかだ。

「しかし、あの子も何だかんだと話題に事欠かないね」

「グールの次は街の中で行き倒れだっけ?」

「そうそう。噂だけ聞くとアレなんだけど、話してみると意外と普通の子なんだよねえ。……いろいろ惜しい子だよ」

「せめてもうちょっと、愛想が良ければね。そしたらもっと店も繁盛するだろうに」

 主に旦那衆が賭けの話で盛り上がる横で、女性側からそんな残念そうな声も上がる。

「いや、無愛想なくらいでいいのかもしれないよ? 今で行き倒れなら、これ以上忙しくなったら過労死しかねないじゃないか」

「あー……、それもそうだね」

 ユータスが商店街で工房を開いて数月。

 本人の知らぬ所で、確実に理解者は増えているようである。

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