始まりは空飛ぶ魚(13)
「それにしても、お前がこんなに早く独立するとはな」
挨拶の後、手慣れた様子で店の隅で二人分の茶を淹れて来ると、ロイドは茶器の片方をユータスに手渡しつつそう切り出した。
「アタランテからもいろいろ聞いてるぞ。結構にぎわってるらしいじゃないか。良かったな」
「……そうですね」
アタランテからいろいろ聞いて、の下りで街中で行き倒れた事を思い出し、そう言えばアタランテにもハーキュリーズにも口止めをしなかった事に気付き、さらなる説教が来るのではと内心身構えていたユータスはロイドの笑みにほっと安堵した。
どうやらまだロイドの耳には入っていないらしい。とは言っても、あの天真爛漫そのもののアタランテの事である。知られるのも時間の問題に違いない。
「こう言っちゃなんだが、そんなに思い切りがいいとは思わなかった」
「そうですか?」
確かに何か物事を決める際、深刻に思い悩む事はほとんどないが、即断即決とは言えないだろう。だが、そんなに意外そうに言われるほどではないと思うのだが。
不思議そうに首を傾げるユータスに、ロイドは頷く。
「ああ。お前、どちらかと言うと言われるままに作業するタイプだっただろう」
その言葉になるほどと思う。少なくとも二年前の夏までは、師匠のゴルディから出された課題をやったり、兄弟子達の仕事を手伝うばかりで、自分から何かを作るという事も滅多になかった。
何しろ、ユータスは自他共に認める面倒臭がりである。自分でいろいろ考えるより、与えられた仕事をこなす方が楽だったのだ。
さらに言えば、ユータス自身、細工職人になるという未来をぼんやりとしか思い描いていなかった。この世界には長い事いるものの、元々職人を志してゴルディの元へ弟子入りした訳ではないのだ。
それが今では共同経営ではあるものの独立した上に店まで構えているのだから、ロイドが意外に思うのも当然だろう。
『「そっくりな物」の造り方なら教えてやるよ』
あの日──ゴルディがやって来て、そう言わなかったなら。
今でもたまにそんな事を考える事がある。ひょっとしたら職人にならない未来もあったのだ。今では仮定で想像してみても、まったく『職人以外の未来』が思い浮かばない位だけれども。
色々と成り行きや状況などが関係していたとは言え、自分なりに考えて決めた今の状況には納得もしているし、思い切った事に対する後悔もまったくない。
それはこの道に進んで正解だったという事かもしれないが、独立して数月程度でそう判断するのは時期尚早というものだろう。
そんな事をぼんやり考えていると、さて、とロイドが話題を変えてきた。
「今日は何の用で来たんだ? お前の事だ、武器を買いに来た訳じゃないだろう。まさか挨拶だけって事もないよな?」
それなりに長い付き合いだからか、行動を読まれている。用件が用件だけに、ロイドから話を振ってくれたのはありがたい。だが、しかし。
「その……」
頼もうと思ったはいいが、いざとなるとすごく言いづらい。大体、どう切り出せばいいと言うのだ──お玉を武器化したいので手伝ってくれませんか、などと。
「……? どうした」
珍しく言い淀むユータスの様子にロイドが怪訝そうな顔をする。
どう言葉を選んだ所で、結局頼む事は変わらない。そもそも、選べるほどの語彙がない。ユータスはそう割り切ると思い切って口を開いた。
「ロイドさんに、頼みたい事があるんです」
「頼み? お前が俺にか? 珍しいな」
「元々オレの所に来た依頼なんですが──、オレの手に余る物なので。今は一線を退いている事はわかってますが、ロイドさんに協力してもらえないかと思って今日は来たんです」
「まあ、知らない仲じゃないし、受けるかどうかはともかく取りあえず話してみろ」
親身な態度で先を促す言葉に、ユータスは果たしてロイドはどう受け止めるのだろうかと想像してみた。何しろ、レイから話を聞いた時は大抵の事には動じないユータスですら困惑した程である。
(……ロイドさんの事だから怒りはしないよな)
外見とは裏腹に、ロイドは非常に寛容な人物である。呆れたりする事はあっても、声を荒げて怒るような姿は──アタランテに関わりがなければ──見た事はない。
思い出したようにロイドが淹れてくれた茶を口にしつつ、腹を括るとユータスは本題に入った。
「……ある物を武器に改造するという仕事です」
「ふむ、なるほど武器か。一体何を改造するか知らないが、そいつはなんでユータスの所に行ったんだ。それは細工職人の仕事じゃないだろう」
何も知らないロイドは興味を持ったのか、表情を改めて腕組みをする。
「それが──」
「それが?」
「お玉、なんです」
「──は?」
何となく予想はしていたが、ロイドは気が抜けたような声を漏らして目を丸くした。
「……って、まさか、アレじゃないよな。料理に使う……?」
いつか何処かで聞いたような言い回しでロイドが確認してくる。その気持ちを痛いほど理解しつつ、ユータスは肯定した。
「そのアレ、です」
しばしの沈黙。
「──お玉ぁ!?」
流石に予想外だったのか(当然と言えば当然だが)、ロイドは驚きを隠さず、普段は寡黙なその口から悲鳴のような声が飛び出す。
いかに熟練の武器職人も、お玉を武器に改造するなど初耳に違いない。畑は違えど尊敬する職人に対してとんでもない事を口にしている事を自覚しつつ、ユータスは話を進めた。
「はい。オレ、元々お玉なんて造った事も弄った事もないし、武器関係は経験も知識も足りないので、これは専門家に任せた方がいいと思ったんですが」
「そりゃそうだろうが……」
途方に暮れた表情でロイドが唸る。
「お玉を武器に、なあ。世の中の料理人は、ハンターに任せずに自分で素材を仕留めに行く時代なのか……」
「いや、そういう訳ではないみたいです」
ぼそりと呟き遠い目をするロイドに、ユータスはレイから聞いた話を簡単に説明した。
料理人の世界など未知もいい所だが、いくら素材から厳選し鮮度に拘る料理人でも、自らの得物としてお玉を選ぶ事はないだろう──おそらく。
「なるほど……。気持ちはわからんでもないが、そこでお玉が出て来るとは只者じゃないな」
「そうですね。なかなか美しい形状をしているとは思いますが」
「うつく、しい? 美しいって──お玉がか?」
「はい。お陰で今まで気付いていなかった美しさを知る事が出来ました」
「そ、そうか……。それは、良かったな」
至極真面目に語るユータスに、ロイドは引き攣った笑みを口元に浮かべ、何とかそれだけを答えた。
お玉を武器にするという発想も初めてだが、お玉を美しいと言う人間も初めてだ。
ユータスの事はまだ子供だった頃から知っているが、まるで冗談としか思えないような事を本気で言うので時々将来が心配になる。
「どうですか? やはり難しいですか」
「難しいかどうかはやってみないと何とも言えないが……」
迷うようなロイドの様子に、ユータスはふと持参していた手土産の事を思い出した。
「──ああ、報酬というほどの物じゃないんですが」
「ん? なんだ、手伝うにしても金ならいらんぞ」
手伝いを頼む事を考えた時点で、ロイドがそう言う事は予想済みだ。ユータスも逆にロイドから話を持ちかけられたとしたら、きっと報酬は受け取らないだろう。
「わかってます。代わりに、これはどうですか」
そこで初めてユータスは持参した布袋を持ち上げた。
不定形に膨らみがあり、中に何か入っている事はわかるが、それだけでは当然ながら何かわからない。怪訝そうにロイドの眉が持ち上がる。
「なんだ?」
「どうぞ」
手渡された袋の中を覗き込むと、はっとロイドの目が見開かれた。
「……!」
「良い糸を使ったので、手触りは良いと思いますよ」
袋の中に入っていたのは、例のガート人形だった。母の指導を元に改良に改良を重ね、ユータスもそこそこ満足の出来である。
「まさかこれ……、お前が……?」
袋の中身をユータスを交互に見つめ、驚きを隠さない声でロイドが問いかける。
「はい。……無理な相談をするつもりでしたし、ロイドさん確かガート好きでしたよね。手土産にいいかと思ったんです」
そう、歴戦の戦士もかくやというロイドだが、彼には子供とガートが好きという意外な一面があるのだ。
もっとも似合わないという自覚がある為か、そうした事を表に滅多に出さないので、その事実を知る人間は少ない。店内でガートと触れ合う事が出来る通称『もふカフェ』こと、喫茶店『エリン』にも、近くまでは行くものの遠慮して入れずにいるらしい。
自身のペルシェ好きを恥ずかしいとも隠そうとも思っていないユータスからすれば、必要のない遠慮だと思うのだが。入った事がないので店の雰囲気はわからないが、ガート自体はきっと歓迎してくれるだろうに。
「本物には、敵いませんけどね」
かつてのゴルディの言葉を借りれば『そっくりなもの』を作る事を生業の一部にしているが、ユータスもいくら似せた所で『作りもの』は『本物』にはなれないという事をすでに理解している。
それはどんなに近くても、違う物でしかない。けれど自分なりの誠意を示すなら、これが一番だと思ったのだ。
「……」
ロイドはじっと袋の中を見つめ、しばらく考え込むように沈黙した。
「──仕方ないな」
やがて渋々といった様子で口を開いたロイドだったが、何故か視線を不自然に反らしたまま、ぐっと親指を立てる。一体何だろうと思っていると、ぼそりと一言付け加えられた。
「場所……、変えるぞ」
つまり、上──彼の工房で話を詰めようという事だ。
「ありがとうございます!」
思わず身を乗り出すユータスに、慌てたようにロイドが一歩後退しつつ、言い訳のように言葉を重ねる。──その腕にはしっかりと、ガート人形が入った袋が抱えられていた。
「礼はいらんぞ。やってみないとわからん部分もあるし……元々、お前に来た依頼だろう。──知恵くらい出せ」
「はい!」
引き受けて貰えた事を素直に喜ぶユータスは、ロイドの平静そうに続いた言葉が少しだけ震えていた事や、反らし気味の目がちょっと潤んでいた事、そしてその耳がほんのり赤く染まっていた事には気付かなかった。
※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※
・ロイド・クリプキ(キャラ設定:佐藤つかささん)詳細はティル・ナ・ノーグの唄公式(http://tirnanog.okoshi-yasu.net/)をどうぞ!




