始まりは空飛ぶ魚(11)
かろうじてあった食材で簡単な食事を作ると、食べている間に寝室の掃除をするわ、と言い残してエリーが狭い階段を上って行く。これも母が来た際のお馴染みの光景である。
確かに客を迎える店舗部分や日頃使う工房などはともかく、わざわざ寝るだけの場所をこま目に掃除などしないので(たまに換気はするが)、掃除してくれるのは大変ありがたい。
もそもそとユータスが食事を口にしていると、やがてさほど間を置かずに母の悲鳴と思われる声と、バタンガタンと椅子か何かを激しく倒す音が聞こえてきた。
「……ん?」
もしや虫でも出たのだろうかと思いつつ、口にしたものを飲み込む。
この工房は老齢の細工師が長年工房兼住居として使っていたもので、その人物が引退して不在となった後をそのまま引き継いだので相応に古い。
ひどく痛んでいる所や壊れた部分は引っ越してきた時にそれなりに修復しているが、住居兼店舗と工房が分かれて建っている事もあり、管理の手が届いていない部分も多々ある。
特に寝室になっている屋根裏部屋は、取りあえず寝られればいいと必要最小限しか手を入れていないので、古い木材を好物とする虫の類が出ても不思議ではない。幸い、今まで見かけた事はないのだが。
(虫、苦手だったっけ?)
ユータスが知る限りでは、実家でもそうした虫が出た記憶がないので、果たして母に虫の類に対する耐性があるのかわからない。世間一般の女性は虫が苦手なのが普通らしいので、エリーがそうであっても不思議ではないが。
しばし待ってみたものの、母が降りて来る様子も掃除を再開した気配もないので、仕方なく食事を中断して上に登ってみると、部屋の入り口で腰を抜かしたようにへたり込むエリーの姿があった。
「母さん? 一体何が──」
その青ざめた顔に余程怖い思いをしたのだろうと推測しつつユータスが声をかけると、息子の存在に気付いたエリーが恐怖を隠さない上擦った声で問い詰めて来る。
「ゆ、ユユ、ユータス! あっ、あれは一体何なの!?」
「──あれ?」
一体何かと震える母の指が指し示す方角に目を向け、ユータスはようやく事と次第を理解した。
エリーの指が指し示す先には、普段ユータスが倒れ込むベッドがある。そこには普段はないある物が転がっていた。
「ああ……」
そこにまるで部屋の主であるかのように寝ていたのは、昨日エフテラームに貰ったグール型の抱き枕だった。
抱いて寝る事を想定しているので相応の大きさがあるし、見た目が結構リアルなので、薄暗い部屋だとまるでベッドの上に腐乱死体が転がっているように見えなくはない。少なくとも心の準備をせずに見たなら、驚くのも無理はないだろう。
そう言えば、と思い返す。確か昨日持ち帰ってきたものの置き場に困って、抱き枕という事だったので取りあえずそこに転がしたのだったか。
昨夜は制作の目処が着いたのが深夜だった事もあり、そこに転がした事も忘れてそのまま眠ってしまったのだが。
(どうせなら抱いて寝てみれば良かったな)
折角貰ったのだし、使い心地くらいは確かめておけば良かったとぼんやり思っていると、ようやく衝撃から抜け出したらしいエリーがよろよろと立ちあがった。
「ああ、って言う事は心当たりがあるのね……? 何なの、あれ」
「何って……、グール抱き枕、だけど」
ニナとウィルド辺りからいろいろと聞いているのか、『グール』という単語を聞くと、母の目元がぴくりと引き攣った。
「抱き枕? なんでそんな物……。まさか、あれ、ユータスが作った訳じゃないわよね……」
返答次第では小言では済まなさそうな鬼気迫る声に、ユータスは反射的に頷いていた。
「貰い物、……です」
どうして自分はこう、身の回りの女性を怒らせやすいのだろうか。怒らせるつもりも、怒らせたい訳でもないのに──そんな事を思いつつ、無意識に敬語になる。
「貰い物?」
「ん。グール好きならって」
「……そう」
ユータスの返事に何故かにっこりと微笑んだ母の周囲の温度がさらに下がる。
「ユータス」
「……、はい」
声のトーンまで下がった事で、どうやら益々母の逆鱗に触れたらしい事に気付き、ユータスは心の内で身構えた。
「お母さん、あなたがペルシェが好きだろうとガートに夢中になろうと否定はしないわ。仕事熱心なのもいい事よ。年頃なんだから彼女の一人や二人、なんて贅沢も言わない。けれど、せめてこう、人として許せる範囲のものを好きになってくれないかしら……? 貰い物なら仕方がないけれど、自分でこういう心臓に悪い物は作らないで頂戴ね」
何処か有無を言わせない母の言葉に、ユータスも『グールは世間一般にはそこまで微妙な存在なのか』とようやく認識はしたものの、ペルシェと違って決してグールが好きという訳ではない。
噂話がいろいろと尾ひれがついてそういう事になってしまっているだけで、それは誤解だと言いたい所だが、何か反論出来ない雰囲気がある。それに──。
(抱き枕は作ってないけど、『グールらしき物』ならこの間作ったんだよな……)
もちろん、それを作ったのはそれなりに理由が存在するのだが、それを知ったら益々母の怒りが上昇しそうだ。
作った物はある物を模した小振りの銅像で、それを店に置こうとした所、その場に居合わせたニナとウィルドに『それは駄目過ぎる』と全力で却下されたので現在は工房の片隅に置いてある。
工房は普段ユータス以外の立ち入りのない場所なので(危険な物もあるので入らないように言ってあるからだが)、今の所はその存在を知る物はユータスを除くとニナとウィルド、それとメリーベルベルだけだ。
(折角ベルベルが頑張って作ってくれた物だし、何か形として残しておこうと思ったんだけど)
そう、作ったのはユータスがグール好きという噂の元になった、メリーベルベル作のチョコレートグールのレプリカである。
実物は残念な事にユータスが何日もかけて完食した訳だが、あれは実に力作だった。大きさが大きさだけに相応の労力はかかったはずだ(おそらく城の料理人辺りが手伝いはしただろうが)。
菓子に限らず料理は食べてしまうと後に何も残らない。それはユータスが料理を嫌がる理由の最たるものだが、制作者であるメリーベルベルが食べる事を前提に作って来た以上、残すなどという選択肢はない。
それならば、とユータスは仕事の合間に記憶に残っているグールの姿をそのまま縮小して、銅像と言う形で残す事にしたのだ。
何だかんだとユータスの仕事に関して寛容なエリーの事だ。きちんとそうした事を説明すれば理解してくれるとは思うのだが、一から説明するのも面倒臭いし、この状況でそんな事をわざわざ口にする程ユータスも命知らずではなかった。
取りあえず今後作らなかったら嘘にはならないだろうとユータスが大人しく頷くと、その反応で溜飲が下がったのか、エリーの周囲の空気が少し和らぐ。
「……それにしても、あれ、よく出来てるとは思うけど、本来の用途で使える人間は滅多にいないんじゃないの? 夜中に目が覚めてあれが横にいたら、心臓の悪い人には危険なレベルよ?」
未だ衝撃から抜け出せないのか、部屋の外からベッドの上に転がるグール抱き枕を薄気味悪そうに見つめ、エリーがそんな感想を口にする。
渡された時にエフテラームもこれを見た赤ん坊が引き付けを起こしたやら、子供が泣き叫んだやら言っていた事を思い出す。ユータスから見るとただのちょっとリアルな抱き枕、という感じでしかないのだが、製造中止にしたのはどうやら正解だったらしい。
今度エフテラームの所へ行った時に伝えようと思う一方で、ユータスはそう言えばとエリーに頼もうと思っていた事を思い出した。
「母さん、後でちょっと見てもらいたい物があるんだけど」
ユータスの言葉にエリーの肩がびくりと震えた。次いで疑わしそうな目を向けて来られる。
「……まさか、グールとかじゃないわよね」
「いや……、違うけど」
何か随分と地雷化してしまったようだ。
結局、掃除する気もなくなってしまったエリーと共に階下に降りると、ユータスは工房から昨夜遅くまでかかって作り上げた物を手に店へと戻る。
ユータスの抱えた、先程のグールとは対照的なピンクや白やオレンジといったやわらかな色合いのそれを見て、エリーは何かと目を丸くした。
「母さん、これ何に見える?」
「え?」
問われてエリーがまじまじとそれを見つめる。試行錯誤したらしく、どれも微妙に大きさや形が違うのだが、共通した特徴を備えていた。
「もしかしてそれ──ガート?」
母の返事にユータスはほっと安堵した。
今まで編んできた手袋やら帽子やらの延長と考えて作ったものだが、意図して編んだ事など当然ながら一度もない。第三者の目から見てそう見えるのなら、そこそこいい線を行っているという事だろう。
まだ試作品だが、完成品はミザッラで手に入れた羊毛で作った毛糸で作る予定だ。流石に本物そのものとまでは行かなくても、ふわもこの感触は少しは似ているはずだ。
「やだ、可愛いわ!! これ、編み物なのね? どうやって編むのかしら。よく出来……──って、まさかこれ、ユータスが編んだの?」
「ん」
「……」
エリー自身を除くと、ユータスの周辺に他に編み物をする人間はいないので、他にいるはずもない。だが、しかし。
(よく出来てるけど、出来てはいるんだけど……)
そもそも編み物は考え事に集中する為に編んでいるだけで、しかも基本的な物しか編めなかったはずだ。なのに、まさか独自に編み方を応用してこんな物を作るようになるとは。
ユータスの器用さはそれなりに理解はしていたつもりだったが、流石にこれは予想外だった。
いろいろと改良の余地はあるのだが、それでも何となくガートである事はわかる物になっている。単純に作品だけ見ればよく作ったとしか言いようがないが、ユータスは細工師であって、編み物創作家などではないはずなのだが。
──思い出すのは、一心不乱に紙に向かって『魚』を描いていた姿。
あの時以来、何処か自分の世界にいる感が否めない息子が、少しでも『こちら側』に興味を持つようになるならばと、夫と話し合って親戚の細工師の元に託す事を決めたのだけれども。
(この子は一体何処に向かっているのかしら……)
何の為にそんなものを編んでいるのか知りようもないエリーは、密かに息子の将来を心配したのだった。
※今回お借りした関連作品はこちら※
・あみぐるみdeガート(制作者:sho-koさん)http://tirnanog.okoshi-yasu.net/otherworks/005_sho-ko/ とってもふわもこです。モデルにお借りしました♪