始まりは空飛ぶ魚(9)
遠慮なく爆笑すること、しばし。
ようやく笑いの発作から抜け出したエフテラームは、そういう理由ならと笑い過ぎて痛むらしい脇腹を擦りつつ奥へ引っ込み、そこから毛糸の束をいくつも持ってきた。
「これくらいあればいいか? あ、そうだ」
毛糸の束を手渡しつつ、ふと思い出して付け加える。
「そういやさ、この間良い羊毛を仕入れたんだ。この街じゃあまり需要はねーけど、タペストリーとかに使えないかと思ってさ。何なら、それも見てみねえ?」
「羊毛……」
流石にユータスも自分で毛糸までは紡いだ事はない。
見たとしても購入には至らないのではと思っていると、それを見透かしたようにエフテラームが笑う。
「別にそれで作ってもらった毛糸もあるけど、質はそっちの方がわかりやすいからさ」
なるほど、と納得し持ってきて貰うように頼むと、再び奥に消えたエフテラームは一抱えはある包みを抱えて帰って来た。
「ま、見てみなよ」
そう言って手渡された包みは嵩があるだけで重さはさほどでもなかった。そこに入っていた羊毛は、確かにツヤといい手触りと言い、最上級のようだった。
「なんかさー、この手触りって癖になるんだよなー。アンタも触ってみなよ」
横からその表面を撫でながらエフテラームがうっとりと言い、どれとばかりにユータスもそれに倣う。
「……おお」
予想以上の感触にユータスは素直に驚く。
ふかふかでもふもふしたそれは、触れているとそうした小動物を触っているような気分になってくる。癒し度が半端ない。
(確かにこれはステラとかガートに通じるもふもふ感……!)
二人でそのまま無言で羊毛の手触りを楽しむ。
手触りが癖になるというのは本当だ。傍目には羊毛をうっとりと撫でている様は変だろうが、何となく止められない。そうこうしていると奥から、長身の人物がかごを抱えて姿を現した。
「おい、出来たぞ。……何をやっている」
「あ、サディーク」
声をかけてきたのは、今まで姿の見えなかったサディークだった。
やはり奥で何かしら作っていたらしい。抱えているかごから、何やら香ばしい香りがする所を見ると、パンか何かを焼いていたようだ。ミザッラではカイスなどの異国で食べられている軽食も販売している。
その人にしてはやけに整った顔に呆れ果てた表情を浮かべ、次に横にいるユータスにちらりと目を向けるとサディークは小さく首を傾げた。
「お前、前にも来た事あるな。客か?」
言われてみれば、何度か顔こそ合わせているものの、サディークとまともな会話をするのは初めてかもしれない。そんな事を思いつつユータスが返事をする前に、エフテラームが口を開く。
「そ。毛糸を買いに来たんだとさ。それに協力者でもあるよ」
にんまりとローズピンクの瞳を細めての一言に、サディークが怪訝そうに眉を寄せる。
「協力者?」
「ほらっ、例のペルシェグッズ。あの件を相談してんだ」
「ああ、あれか。……相談だと?」
何処となく値踏みするような目を向けられる。
「こいつ、こう見えて細工師なんだ。しかも大のペルシェ好き。うってつけだろ?」
「ほう、細工師なのか。それにしては随分若いようだが……」
エフテラームの説明に少し意外そうな言葉が出る。実際、細工師に限らず職人で十代の内に独立するのは珍しいので、力量に不安を感じても仕方がないだろう。
ユータス自身もこんなに早く独立する事になるとは思っていなかった位なのでその反応は当然だ。
(……そういやいろんな物を作っているようだけど、サディークさんって本業はなんなんだろう)
料理はさておき、手芸品のみならずちょっとした細工品まで作っている辺り、ユータスの師であるゴルディを彷彿とさせる。
何気なく店内を見回せば、雑貨店の名にふさわしく、実に雑多なものが並んでいる。各地で仕入れてきた物を除けば、そのほとんどがサディーク作のはずだ。
何しろ店主のエフテラームは不器用というか、本人にそのつもりはなくても何かしら落としたり壊したりするので、一部で『破壊者』と不名誉な呼び名すらある位だから自分で作れるはずもない。
エフテラームが案を出し、それをサディークが形にするという形は、実際の作業とデザインを分業している自分とイオリに似ている気がしなくもない。
その時、はっとユータスは閃いた。
「……そうか!」
「えっ、何だ?」
突然声をあげたユータスに、エフテラームが面食らったように瞬きを繰り返す。しかし、自身の思いつきに意識を囚われたユータスは気付かない。
「エフテさん、この羊毛で作った毛糸、全部貰います。あと、さっき見せてもらった物も!」
「へ? それはいいけどこんなに買ってどうすんだ? いくら編むったって結構な量だし、それなりに値段も──」
「たいしたものじゃないですが、ちょっと作ってみたい物を思いついたので。試作もしたいので、多めに欲しいんです」
(そうだ、別に自分で作る必要はないじゃないか)
自分が作れないのなら、作れる人間に協力を仰いで代わりに作って貰えばいい。
──そう、共同制作だ。
自分が作り手なのでその事を失念していたが、いつもと逆だと考えれば十分有り得る事だった。
もちろん事前に依頼人であるレイに了承を得てからになるが、うまく事が運べばレイは『武器化したお玉』を手に入れられるし、自分もかの人の仕事を間近に見られて勉強になるしで一石二鳥である。
……問題は代わりに作ってくれる人をどうやって懐柔するか、であるが。
(それはこれでなんとかしてみよう)
エフテラームに任せると不安だったのか(実際、抱えて運ぼうとした際によろめいて落としかけた)、サディークが代わりに包んでくれた毛糸の山を受け取り、ユータスは脳内でこれから作成するものについていろいろと思考を巡らせる。
普通に頼んでも引き受けてくれそうな気もするのだが、ブツがブツだけに良心が痛む。かと言って、金銭的な謝礼も嫌がるだろう。ならば、何か違う形で返すしかない。
最高級の羊毛に触れてふと思いついたものだが、うまく形に出来ればおそらくかの人の心を掴めるに違いない。気に入って貰えればいいのだが。
(……ああ、これならペルシェも頑張ったら作れそうだな)
今までやった事がないので実際に作ってみなければわからないが、うまく行けばエフテラームからの依頼も同時に果たせそうである。
それが商品化可能かはさておき、案を出すという役目は果たせられるだろう。
「エフテラームさん、ペルシェの件、少し預かっていいですか」
「ん? ああ、別に急ぎじゃないしいいよ。何か思いついたら頼むぜ! 期待してるからな!」
ぐっと親指を立てての言葉にユータスが頷くと、エフテラームは満足そうに笑う。その横で我関せずといった様子のサディークに向き直り、ユータスは問いかけた。
「時にサディークさん」
「……? 何だ」
「編み物出来ますか?」
ユータスの至極真面目な問いかけに、サディークが困惑顔で何かを答える前に、先程の事を思い出したのかエフテラームが小さく吹き出す。
「こいつ何でも作れるぜー。確かに今までやった事無いけど、……出来るよな?」
「──何でお前が答える。まあ……、出来ると思うが」
なんでそんな事を聞くとばかりの視線を向けられ、ユータスは手にした包みを軽く叩いた。
「編んでもらうかもしれないからですよ」
「何……?」
「おっ、もしかしてもう何か思いついたのか? 毛糸って事は……ペルシェ柄のセーターとか?」
「セーターも悪くないですが、売れないと困るんじゃないですか?」
ティル・ナ・ノーグは一年中温暖なので、毛織物の需要は低い。
もっとさらりとした質感の糸で編んだものなら売れるかもしれないが、手触りが良くとももふもふしたものを身に纏うのは倦厭されるだろう。
「考えているのはもっと小さい物です。オレも今思いついたんで、実際に作れるかまだわからないんですが。上手く試作品が出来たら持ってきます」
「ふむふむ。それを元にサディーク頑張れって事か。良かったなー、サディーク。アタシと違ってちゃんとお手本が来るってよ」
「……お前は思いつくばっかりだからな」
作る身にもなれと呟きつつ、サディークに異論はないのか、その事に関して追求は来なかった。
「オレも特に編み物が得意って訳でもないから、オレが作れるのならサディークさんも大丈夫だと思います」
編み物に関してはあくまでも副産物に過ぎないので、その出来に関しても無頓着なユータスは謙遜でなく本心からそう言ったのだが、不器用代表のニナ辺りが聞いたら憤慨しそうな一言である。
幸か不幸か、ユータスの編み物スキルについて詳しい者はその場に一人もいなかったので、誰も突っ込まなかった。
それでは後日、と帰りかけたユータスをふと何かを思い出したようにエフテラームが引き留めた。
「ちょっと待った。そういや、風の噂で聞いたけどあんたグール好きなんだって?」
何故か満面の笑みでエフテラームがそんな事を口にする。どうやら噂にさらに尾ひれでもついたのか、グール好きに話が発展しているようである。
「……。何処からそういう話を聞いたのかわかりますが、それは誤解です」
ふと嫌な予感がして予防線を張ったのに、それを気にも止めずにエフテラームは店の一角から何かを抱えて戻って来る。
「流石にタダ働きってのは悪いからさ、良かったらこれ持っていかねー? ペルシェの前に試作したもんなんだけどさ、なーんかウケが悪くってなー」
受け取るとも言っていないのに、毛糸の包みの上に有無を言わさずに乗せられれたそれは、等身大の人形を作ろうして失敗したかのような、何処かで見たような形状をしていた。
「……これは……」
全体は茶色とも赤味を帯びた灰色ともつかない色で斑に染められた布で作られており、所どころに赤黒いナニカをイメージさせるパーツが縫いつけられている。中には綿でも詰められているらしく、見た目の大きさほど重くはない。
薄々正体は知れたものの、一体これは何かと視線で問えばエフテラームはにこにこと何処か有無を言わさない笑顔で答えた。
「グール抱き枕だよ。寝苦しい夜でもこれ抱えて寝たら夜中に起きる度に背中から冷えて涼しく過ごせそうだろ?」
「……」
それは涼しいのとは違うのでは、とユータスは思ったが何となく反論が出来なかった。
「そう思ってサディークに出来るだけ忠実に作って貰ったんだけど、目立つ所に置いてたら通りがかった買い物客の抱えていた赤ん坊が引き付け起こすわ、子供が泣き叫ぶわで大変な事になって量産を諦めたんだ。幻の一点モノだぜ♪」
ちらりと視線をサディークに向けると、諦めろと言わんばかりの同情的な視線を返された。
──返品不能という事か。
これも面白がって噂を広めたウィルド達のせいである。
ユータスは諦め、毛糸の山と人体模型のような人形を抱えて帰路に就いた。道中、行きとは違う意味で人がユータスを避けて通ったのは言うまでもない。
※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※
・エフテラーム&サディーク(キャラ設定:伊那さん)詳細はティル・ナ・ノーグの唄公式(http://tirnanog.okoshi-yasu.net/)をどうぞ!