始まりは空飛ぶ魚(7)
手元にはレイから預かった──正確には返しそびれた──お玉が一つ。それを前にユータスはひどく真面目な顔で思案していた。
(──そういや今までじっくり見た事なかったけど、この造形はなかなかに興味深い……)
レイのお玉は一般家庭でよく見られる木製のもので、掬う部分と持ち手の部分が一体化したものだった。
一本の枝から削り出す必要がある為、相応の大きさの木材とバランスよく削り出す腕が必要となる。お玉の中では比較的上質の部類だ。
今までそうした対象として見た事がなかったので気付いていなかったが、じっくりと見れば僅かに湾曲した持ち手部分といい、出来るだけ薄く削られた掬う部分といい、実用品ならではのシンプルな曲線美がある。
(そういや、うちのはジンさんが作ってくれたんだったか)
眺めている内にふとそんな事を思い出す。
六人いる兄弟子の一人、ジン=ウォーリックは木材加工が専門で、普段は女性が使う櫛や手鏡、化粧箱などといったものを造っている。
とは言っても、師であるゴルディ=アルテニカが『道具』に分類出来る物は何でも作ってしまう人なので、その弟子であるジンも木製の物なら基本何でも作る。需要があるからだろうが、ユータスがいた間もお玉などの家庭用品を片手間によく作っていた。
普段はユータス以上に無口で愛想がないが、実際は小動物を心から愛する大変優しい人で、ユータスが独り立ちする際も頼んでいないのにいろいろと必要になる物を造ってくれたものである。
現在の住処となっている工房に引っ越す際、新たに揃える必要があったのだが、ジンはユータスの面倒臭がりと食べる事への執着のなさから、自分では揃えないと思ったらしい。
──そう言えば、芋づる式にその時の事を思い返せば、他の兄弟子達から独立祝いにと貰ったものは、約一名を除くと食器やら鍋やらかごやら見事に家庭用品ばかりだったような。
(あの時はよくわからなかったけど、『皆考える事は一緒だな』って持ってきたリークさんが言ってたのは、もしかしてそういう意味だったのか……?)
実際そうした物を手渡されるまで、家財道具に関してまったく考えが及んでいなかったので流石としか言いようがない。伊達に長い付き合いではないという事か。
その事を思い出して厨房に行き、作って貰ったお玉を手に取ってみれば、握り部分といい、重さといい、形といい、市販品と思われるレイのお玉より遥かに手の馴染みがいい。
木目の活かし方一つとっても美しい、普段適当な扱いをしている事が申し訳ないほどの出来である。
──今まで気付いていなかったが、よく考えれば一流の職人が作ったものだ。ひょっとしなくても最高級品なのではないだろうか。
(美しい……流石はジンさん。お玉すらも手を抜かない、完璧な仕事です……!)
実に素晴らしい、とお玉片手に兄弟子の仕事に感動を覚えていると、入口から『こんにちはー』と賑やかな声が聞こえてきた。どうやらニナとウィルドが様子を見に来たらしい。
「お「兄ちゃん、生きて……──!?」」
いつものように生存確認の挨拶を言いかけた状態で、二人はものの見事に固まった。
大きく目を見開き、ニナはまるであり得ない現象を前にしたような表情で、ウィルドはぽかんと口を開けたままじっとユータスに目を向けている。
「……? ニナ、ウィル?」
一体何事かと首を傾げつつユータスが声をかけると、その声ではっと我に返った二人は同時に今入って扉から外へ引き返し、空を見上げた。そしてきょろきょろと周囲を見回す事、しばし。
「あれっ、雪降ってない……?」
「やっぱり夢? ねえ、ウィル。試しに叩いてみていい?」
「え、やだよ。それって痛いのおれじゃん!?」
「夢なら痛くないから大丈夫でしょ?」
「それなら姉ちゃん、自分の頬を抓ればいいじゃないか」
「嫌よ、痛いかもしれないじゃない」
「──さっきから何やってるんだ?」
姉弟の不毛なやり取りに困惑しつつ口を挟むと、ニナがだって、とユータスの手に握られているお玉を指さした。
「お兄ちゃんが自分からお玉を握ってるなんて……!」
「そうだよ! 一月に数える程度しか料理なんかしない、する時も他にする人がいない時だけの、あの兄ちゃんがだよ……!?」
──確かにその通りではあるのだが、ちょっと普段と違う様子なだけで毎度のように『奇跡』と同列の扱いをされるのはどうなのだろう。
「別に料理しようと思ってた訳じゃない」
事実を答えたのに、今度は二人揃って眉間に皺を寄せ、疑わしそうな目を向けてきた。
「まさか兄ちゃん、お玉にまで『美しい』とか思ったりしたんじゃないよね。ペルシェとかグールとかにそう思うのは勝手だけど、いくら何でもお玉はどうかと思うよ?」
流石に血の繋がった妹弟、よくわかっている反応である。正に今お玉の美しさに感動していた身にその言葉は少し痛かった。
そんな事はない、お玉も立派に芸術品であると訴える事は簡単だが、日頃お玉に対してまったく情熱などなかった身でそんな事を言えるはずもない。お玉に対しても失礼と言うものだ。
ユータスはウィルドの言葉を否定しない代わりに、別の答えを返す事にした。
「……別に、グールを美しいとは思ってないぞ」
何しろ実物を見た事がない。それに、いくらユータスでも歩く腐乱死体に対してそういう感想を抱くのはかなり至難の業に違いなかった。生き物の美しさは生きてこそのものだ。
もちろん純粋に見てみたい気持ちもある。だが、グールに対する興味はやたら『(仕事明けの)自分に似ている』と言われるからであり、先々仕事の題材になった際に参考になると思っているからである。
──もっとも、そんなものを依頼する人間が世界にどれほどいるかは定かではないが。
「料理じゃないなら何なの。料理目的以外でお玉なんて何に使うのよ? ……まさか飾るとか?」
「それは……」
ニナの疑問に答えようとして言葉に詰まる。
正直に答えてもいいが、そもそもまだ受けると決まった話でもないし、何よりお玉を武器に改造するという事が一般的ではない事位はわかっている。
「……そういや、これは造った事がないと思ったんだ」
返答するには少し不自然な間を空けた後、ユータスは苦し紛れに答えた。
「普通の細工師はお玉なんて造らないと思うんだけど……」
「そういや時々忘れるけど、兄ちゃん細工師だったっけ……」
何故か今度は揃って遠い目をされた。
「お兄ちゃんがお玉なんか造ったら、なんかすごいの出来そうよね」
「うん。元がお玉だとは思えない、何か違う方向に進化した感じの物が出来そう。この間の時計もなんかすごい事になってたし」
「そう? あれは普通過ぎて逆に驚いたんだけど」
「でもあれ、多分元々時計って知らなかったら時計ってわからなかったと思う」
「あー、それもそっか」
本人を前に遠慮のない言葉を重ねつつ、二人は頷き合う。
あくまでも二人とも普段のユータスの予想の斜め上を行く作品の数々を想像して言っているだけなのだが、地味に依頼された事と重なる言葉にユータスは否定の言葉も出なかった。
(……鋭い……)
普段ならどういう意味だと問い返す所だが、実際武器に改造されたお玉は実際の用途から考えれば『何か違う方向に進化』した物に違いない。
ジン特製のお玉を定位置に戻しつつ、さりげなくカウンター上に置かれたままのレイのお玉に視線を向ける。
どうやら二人はユータスがお玉を持っている事に目が行って、こちらには気付いていないようだ。
(……。武器としてはさておき、試しに作ってみるのも面白そうだよな)
一度仕事的に興味を持つと、自分でも作ってみたくなるのが職人魂というものか。
お玉に対する目が変わったからか、帰って来た時まではまったく興味のなかったそれも、面白そうな題材に見える。
ゴルディの工房では作った細工品のケース等も基本的に自作だったのと、ジンという専門家の仕事を間近で見ていたので(そして気付くと手伝っていた)、おそらく作ろうと思えば作れるだろう。
何故か薪割りは不得手なのだが、普通に木材を細工品として加工する分には問題ない。
(ふむ、どうせなら詫びの代わりに持って行くのもありか)
何処へと言えば、レイの所へである。
流石に断るだけでは申し訳ないし、予備まで持っているくらいだからお玉はいくつあっても困る事はないだろう。通常使いですら三本もあった位だ。
レイの手の大きさを記憶から引っ張り出す。完全に目測だが、大きさ的にはおそらく自分とあまり違わない。だが、もっと骨太でユータスよりしっかりした、『道具を使いこなす』者の手だ。
──どうせ作るのなら、可能な限り手に合う物を。
ニナとウィルドがいつものように狭い厨房のテーブルの準備をする頃には、すっかり作る気満々の状態となっていた。
「今日は持って来るのちょっと大変だったからしっかり食べてね!」
そう言いながらいつもより大きく、妙に重いバスケットを手渡される。何かと思いつつ、中を見ると今日の差し入れはパンの他に小ぶりの鍋がそのまま入っていた。
「……鍋?」
「たまにはあったかい物も食べなさい、だってさ」
「ああ……」
確かに先日母が直接来た際、比較的日持ちのしそうな料理を作りながら、ユータスがいつも冷めた物ばかり食べている事を嘆いていた。
(なるほど、こう来たか)
ついに禁断の汁物の宅配に足を踏み入れたらしい。母としては出来れば温かいものは温かく食べて欲しいと思ったのだろうが、まさか鍋ごと寄越すとは。
ここまでお膳立てされては無碍に出来るはずもなく、仕方なく母のお手製のスープを温める。その手には木工専門の細工師が作ったお玉。
(これは何の木だ……? 結構固めだよな……)
家庭用品に高価な木を使うとは思えないので、身近な辺りだとオリーブだろうか。
──などとすっかり制作に半分意識を持って行かれたユータスは、目の前で温めていながら母の愛のスープを吹きこぼれさせ、妹と弟に呆れられる事になった。




