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アルテニカ工房繁盛記  作者: 宗像竜子
第2話 始まりは空飛ぶ魚
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始まりは空飛ぶ魚(6)

「──知恵熱?」

 その単語を耳にした途端、コンラッドは眉間に困惑の皺を寄せた。

「……あれは赤ん坊がなるもんじゃないのか?」

「のようなもの、よ。もちろんそれは言葉の綾で、風邪でもないし、ただ熱が高いだけで他の病気とも今の状態だとはっきり言えないらしくて」

 雨上がりの森で倒れたユータスはそのまま高熱を出して寝込んでしまった。二日経っても熱が下がらず、不安になったエリーが近所の医師を呼んだのだが、医師も首を傾げる結果となっただけだった。

「なんだそれは。結局わからないって事なのか」

 この藪医者め、とコンラッドは心の内で呟いた。

 昔、一時に家族を全て喪った事のあるコンラッドにとって、『家族』は何より大切な物である。万が一の事でもあったら、平静でいられる自信がない。

「何か精神的に抑圧されてるのかもしれないって仰るから、ユータスが小さな頃から物覚えがいい子だって話はしたけれど……。でもあの日は森に行っただけだし、熱を出すほど悩むような事って思い当たらなくて……」

 小さな子供二人の世話の合間に看病をする疲れか、エリーの方が倒れそうな顔色だ。その事に気付き、コンラッドは励ますようにその肩を叩いた。

「取りあえず一過性の可能性だってあるんだろう? ……もう三日だ。明日には熱も下がってるかもしれない。出来る事が特にないのなら、少しでも前向きに考えよう」

 今にも泣きだしそうだったエリーは、その言葉に頷く。

 実際、少しずつだが熱自体は下がりつつあるのだ。今まで病気らしい病気をしなかったので、余計に動揺してしまったが、ニナやウィルドならちょっとした事で高熱を出す事はよくある。

 以前より口数がさらに減ってしまった気がするのが少し気にかかるが、滅多にない熱でしんどい為だろう。

 実際、その見立ては間違いでもなく、三日間高熱で寝込んだユータスだが四日目には熱も下がり、体調自体は元に戻った──のだが。

「──で、今日もユータスは籠っているのか」

「そうなの……」

 その代わりに今度は部屋に引きこもるようになってしまった。コンラッドの困惑する声に、エリーはため息をつく。

 そっと扉の隙間から覗くと、床に座り込んで黙々と手を動かすユータスの姿があった。

「あれは何をやっているんだ?」

「ずっと絵を描いてるのよ」

「絵? あいつ、絵心なんてあったのか?」

 コンラッドが知る限りではユータスが絵を好んで描いていた事はない。その事を肯定するようにエリーも頷く。

「今まで自分から描いていた事はなかったと思うわ。ニナに付き合って描いている所は見た事はあるけれど、ニナと違ってわざわざ見せに来たりしないからちゃんと絵自体を見た事はなかったのよね」

 言いながら、エリーは戸棚から一枚の紙を取り出してコンラッドに渡した。何枚か描いたものの一枚を抜き取って来たものだ。

「ほら、これよ」

 子供の拙い手で描かれたそれは、線も乱雑な上に気に入らなかったのか何回も上から描き直しているのでお世辞にもきれいとは言えない物だった──が。

「……魚?」

 それでも一目で何を描こうとしているかがわかる程度には特徴を捉えて描かれてはいた。

「俺は絵心なんかないから良くわからないけど、子供が描いた割に結構上手くないかこれ」

「少なくとも魚って事はわかるものね」

 額を突き合わせてそんな感想を述べ合う。

 親の欲目が入っているのは確かだが、少なくとも二歳のニナが描いたものとは雲泥の差なのは間違いない(そもそも比較する物ではないが)。

 だがしかし、何故ユータスが取り憑かれたように『魚』の絵を描いているのかまではわからない。エリーも何故描いているのか尋ねたのだが、これという答えは返ってこなかったのだ。

「あ……。そう言えば今日ね、久し振りに実家に行ってきたの。ユータスの事を心配していたから、報告も兼ねて」

「ん? ああ、ご両親は変わりなかったか?」

「ええ、相変わらず元気よ」

「そうか。俺もご無沙汰しているし、その内挨拶に行きたい所だが……。また塩でも投げつけられるんだろうな……」

 遠い目をしつつ悲しげに呟く言葉に、エリーは苦笑いを浮かべるしか出来ない。実際、コンラッドは過去何度もそういう憂き目に遭っているのだ。

 小規模ながらも宿を営んでいるエリーの両親は、唯一の跡取り娘をかっ攫った形になった男を未だに許していないのである。

 二人が結婚するに辺り、最終的にコンラッドが婿養子に入る代わりに今の仕事をそのまま継続するという条件で落ちついたが、その時の事を思い出すだけでコンラッドは未だに胃が痛い。

 流石に子供が三人も生まれてそれなりに年月が流れている事もあり、結婚当初に比べれば対応は丸くなった。少なくとも投げつけられるのが当たっても痛くない物になった事は大きいだろう。

「それでね、たまたま母の従弟も──わたしからするとどういう関係になるのかしら──来ていたんだけど」

「……うん? そんな人がいたのか?」

 エリーの言葉にコンラッドは首を傾げた。いくら険悪だとは言え(一方的に向こうが毛嫌いしているのだが)、一応親戚になる人々である。

 直接の付き合いは薄くてもそれなりに繋がりや家族構成は把握していたと思っていたのだが、その人物については初耳だ。

「あら、話した事なかったかしら。細工師をしている人なんだけれどね、すごく人嫌いで仕事でもないと顔を見せに来ないから、わたしもほとんど会った事ないの」

「細工師? また随分家業とかけ離れた人だな」

「そうね。でも、うちの家系って大元はオグルブーシュの出らしくて、時々そういうのが得意な人が生まれるんですって」

 そう言うエリーもかなりの針上手で、家族の服は全部自分で縫っている。なるほど、とコンラッドが納得していると、エリーは思いがけない事を口にした。

「その人、ゴルディさんって言うんだけれど。ユータスがずっと絵を描いている事を聞いてなんか興味が湧いたらしいのよ。それで明日、うちに来るって」

「──は?」

 思わず間抜けな声が出た。展開が速すぎて流れが読めない。

「何のために? 人嫌いじゃなかったのか?」

「さあ……」

「ひょっとして、この絵を見たのか?」

「いいえ、持って行ってはいないわ。だから才能があるとかそういう風に思った訳じゃないとは思うんだけど……職人って変わり者が多いって聞くから、ただの気まぐれじゃないかしら」

 のほほんと笑うエリーに、そんな大雑把なまとめ方はどうなんだろうと思いつつ、人嫌いがわざわざ人に会いに来る理由を想像してみる。

 普通に考えると、自分と同じ何かを感じて、という所だろうか。

(──画家? 職人? ユータスにそんな才能があるとは思えないがなあ)

 少なくとも今までそうした事に興味を見せた事もなかったし、ごく普通の子供だと思うのだが。

 だがしかしそうした才能ある人になら、ひょっとするとユータスがひたすら魚の絵を描いている理由を知る事が出来るかもしれない。

(職人、か……)

 ふとティル・ナ・ノーグに存在する職人ギルド《ユグドラシル》は迂闊に足を踏み入れると常人は無事で出られないという噂を思い出し、益々息子の事が不安になったコンラッドだった。


+ + +


「邪魔するぜ」

 そんな声が聞こえたと思うと、突然、部屋に見知らぬ初老の男がずかずかと入って来た。

 一体何者かと思わず身構えた矢先、がっしりとした筋肉質な体型、短く刈った赤毛に琥珀色の瞳の男は不機嫌そうな表情でユータスの手元を一瞥すると、名乗りもせずにいきなり尋ねてくる。

「ふーん。──お前、ペルシェが好きなのか?」

 両親ですら単に魚の絵としか思わなかったそれを、いきなり『ペルシェ』と言った事に驚きつつ、同時になるほどと思う。あれは『ペルシェ』という生き物だったのか、と。

 その名称は耳にした事はあったものの、目にしたのは初めてだったので、それがそうとはわからなかったのだ。

「……多分」

「多分なのかよ」

 ぐちゃぐちゃに描き殴られたたくさんの『空飛ぶ魚』の絵を前に、男は呆れたように片眉を持ち上げる。

「それじゃあ、好きでもないのに毎日籠ってこればっかり描いてるのは何でだ?」

「……何となく」

「また曖昧だな、オイ」

 だがしかし、そうとしか答えようがないのだから仕方ない。

 『好き』とか『嫌い』で描いている訳ではない。少なくとも嫌いなら描こうとは思わないのは確かだが。ただ何か『形』にしないとならない気持ちが治まらないのだ。理由はわからないけれども。

 ──そうしないと頭の中にある『それ』が、『嘘』になってしまう。

 何かに証拠を残さなければ、その思いだけでひたすら描き続けているのだ。

 幼いだけでなく、今まで絵などまともに描いた事のないユータスに、それを忠実に描き写す事は至難の業だった。

 それに、たとえそっくりに描けたとしてもそれは平面だ。頭の中にあるものは当然ながら立体である。どんなに描いても『同じ』ものが出来るはずがない。

 描いても描いても描いても描いても──。

「でも、全然近付かない」

 ぽつりと呟き、そのまま黙り込んだユータスにじっと視線を向けていた男がふと表情を緩めた。

「──いいか、まず全体をイメージしろ」

「……?」

「お前が描いてるのは『絵』じゃねえ。どっちかと言うと『デザイン』──物を形にする為の設計図だ。それじゃいくら描いても満足出来っこねえよ。途中の段階なんだからな。お前が形にしたいものは何だ? どんな形をしていて、どんな色をしていて、どんな質感をしている? それを見極めたら次はそれに合う素材を探せ」

 唐突に始まった講義に面食らったものの、それが自分の求めるものである事に気付き、ユータスはようやくまともに男の顔を見つめた。

 やっと自分の方を見たユータスに気を良くしたのか、男はさらに言葉を紡ぐ。

「一つの素材に限る必要はねえ。場合によっては複数を組み合わせて、望む形を造るんだ。石、粘土、金属、宝石、木、羽根、布、皮、鱗──素材は数限りなくある。……どうだ、少しはお前の役に立ちそうか?」

 それは描き残す方法しか思いつかなかったユータスに、新たな方法を伝える言葉だった。そうだ──気付いていなかっただけで、『形』を残す方法は描く以外にもたくさんある。

 ユータスの表情から言いたい事が伝わったと思ったのか、男がにやりと不敵に笑った。

「よし、決めた。お前、俺の所に来い。ニーヴじゃねえから、本物は流石に造れねえけどな。『そっくりな物』の造り方なら教えてやるよ」


 ──それが、ゴルディ=アルテニカという名前の細工師との出会いだった。

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