始まりは空飛ぶ魚(5)
いくら料理を滅多にしないユータスでもそれを見間違う事はない。何しろ何処の一般家庭でもあるありふれた器具だし、ユータスの自宅にすらある物だ。
(……。なんで三本もあるんだろう)
一本で困った事のないユータスに、料理や鍋の大きさで使い分けるといった発想があるはずもなかった。
そんなどうでも良い事を思いつつ、視線の先にある物を何度も見直したのだが、どう見ても完璧にお玉の形状をしておりそれ以外の何かには見えない。
世の中には摩訶不思議な形状の武器を作成してしまう武器職人もいなくはない。だが、あれが実は鈍器だったとしても、そうだと説明がなければ百人中百人が『お玉』と信じて疑わないだろう。
「……。あれって、あれだよな。料理に使う……」
自分の目で確認してもまさかという思いが強く、念のために確認するとレイは笑顔のまま頷く。
「そう、それ。いろいろ考えたんだけど、やっぱり日頃一番手にしている物がいいと思ってな。使いやすそうだろ?」
「……。手の馴染みはいいかも、しれない、な」
大概の事には動じないユータスだが、流石にこれはどう答えるべきか心底悩んだ。どうだとばかりの同意を求める言葉に、かろうじてそう答える。
主婦や料理人ならもっと違う事を答えるのかもしれないが、普段握る事自体が稀なのでお玉の使い心地など聞かれても困る。
大体いつも使うから良いと言うのなら、他にもっと武器になりそうなもの──たとえば包丁とか食事用のナイフやフォークだとか──がいくらでもあるような気がするのだが。
「うんうん。普段は料理に、いざとなったら武器に……! 一つで二役、しかも日常的に役立つ。最高の武器だろ!?」
ユータスの同意が得られたと思ったのか、レイがぐっと拳を握る。
「名案と思って当のアールに言ったら、あいつ冗談と思ったのか腹を抱えて笑いやがってさ。『お玉を武器にモンスターと戦うだって!? それは新しいな、是非作ってくれよ! 俺、それを記事にするからさ!!』なんて言うんだ」
(確かに言いそうだ)
普段の二人のやり取りを知らないが、その光景が目に浮かぶようである。
おそらくそれが一般的な反応に違いない。ユータスでさえ、お玉を武器にという発想は初めて聞いた。
レイのあまりの熱意に、ひょっとして自分が知らないだけで、お玉は世間では非常用携帯武器の類なのかもしれないと密かに思いつつあったユータスは、アールの反応を聞いて少しだけ安堵した。
「あいつ、絶対にそんな物作れっこないって思ってるんだよな。少し悔しいから、こうなったら実際に作って驚かせてやろうと思ったんだよ」
その気持ちはわからなくもないし、楽しそうなのも結構なのだが、最も大事な事を忘れている気がしてならない。ユータスは念のために確認する事にした。
「レイ」
「うん?」
「……。オレの職業、ちゃんとわかってるか?」
「細工師だろ? え、まさか違ったのか?」
「いや、それで正しいけど……」
わかっていて何故自分に頼もうと思ったのだろう。
非常に解せないが、ユータスは何となく無駄だろうと思いつつ、重い口を開いた。
「武器を造るのは『武器職人』の仕事だろ。装飾的な事ならともかく、武器としての加工は素材がお玉だろうと専門外だ」
刀剣の装飾をする事もあるので基本的な知識はあるが、造るとなると話は別だし、そもそも武器の類を自分で造るのは主義に反する。
第一、わざわざ専門外のユータスに頼むより、ベースが『お玉』というのは少々あれだが、それこそ職人ギルドにでも持ち込めば報酬次第では引き受けてくれる武器職人が一人や二人はいるに違いないのだ。
そう匂わせれば、レイは小さく肩を竦めた。
「それはわかってるって。でも、こんな依頼をまともな職人に頼める訳がないだろ?」
言外に『まともじゃない』と言われているようなものである。
レイに貶す意図がない事はわかるが、実際に駆け出しの身なので未熟と言われるのはともかく、これは流石に聞き流せない。
「……。オレはいいのか」
「だってよく変なの作ってるんだろ? アールから聞いたぞ」
「……」
──一体、あの赤毛の記者見習いは自分の事をどう伝えたのだろう。
(変なのって……どれの事だ?)
イオリが間に入らずに造った物は確かに『変だ』とか『どうしてこうなった』などと言われる事もあるが、『よく』と言われるほど狙って変なものを作った覚えはない。
アールがどの辺りをそう評しているのかわからず困惑しているのを余所に、レイは頼むよと繰り返した。
「ユータスなら知らない仲じゃないし、腕は確かだってわかってる。別に一から作れって訳じゃないし、ちょっと考えてみてくれないか? それでもどうしても無理と言うなら諦めるからさ」
そう言いながら、まだ受けるとも言ってないのに参考にと何処からか取りだしたお玉を手渡された。
(四本目……だと……?)
「ああ、それは予備だから気にしなくていい。いろいろ試行錯誤してくれて構わないから」
まさかの四本目に驚愕していると、店の外から聞き覚えのある声がした。
「ただいまー、レイー」
その声にはっとレイが目を見開き、すかさず手身近にあった布をユータスに手渡すとお玉を隠すよう視線で訴える。
何となくそうしなければならない気になって渡された布でお玉を隠したものの、このまま受け取るとなし崩しに引き受ける事になりそうである。
うっかり返しそびれたそれをどうしたものかと悩んでいる内に、声の主が店内に入って来た。
「腹減ったから何か作ってくれよ……って、あれ」
視線を向けると、噂のアールが目を丸くしてこちらを見ていた。なるほど、それで隠したのかと思っていると何も知らないアールが不思議そうに尋ねてきた。
「ユータスじゃん。珍しいな。何でここにいるんだ?」
「仕事だよ。俺が修復を頼んだ商品を持ってきてくれたんだ」
ユータスが口を開く前にレイが心なしか口早に答える。うっかりユータスが先程の依頼を口にしない為だろう。
ユータスが手にした布包みをそれと勘違いしたのか、特にアールは追求せずにへーと感心したような声を上げた。
「やっぱり細工師だったんだな、お前」
「……やっぱりって何だ」
「いやだってさ、結局俺、ユータスが作ったまともな細工品って見てないからな。この間のは、その、ある意味傑作だったけど」
そんな事を言いつつ、その時の事を思い出したのか、アールの顔が心なしか引きつった。
「この間?」
当然ながらレイが不思議そうに問いかける。その質問によくぞ聞いたとばかりにアールが得意げに唇を持ち上げた。
「ああ。ライラ・ディからしばらくした頃に街で『食人鬼』の噂を聞いてさ、噂の出所を辿ったらこいつだったんだよ」
「グール?」
「レイは聞いてないのか。『ティル・ナ・ノーグの何処かにグールがいて、夜な夜な墓場を漁って腕一本とか手の指を食べている』って噂があったんだよ。そんなの出たら当然、騎士団辺りが動いていてもおかしくないだろ? なのに、そんな様子はない。これは変だ、絶対に何か裏があるとは思ったんだけどさ」
言いながらアールの顔は徐々に笑いを堪えた苦しげなものになってゆく。
「ま、まさかああいうオチとは、俺も思わなかっ……ぶふっ」
ついに吹き出し、そのまま笑いの発作に陥るアールを横に、レイは怪訝そうに首を傾げた。
「結局なんだよ、アール。……ユータス、何があったんだ?」
「……誤解だ」
ありとあらゆる説明を端折って、ユータスは一言で答えた。
実際、アールが押しかけて来た時も自分の事だとは思わなかったくらいなので、流れを説明しろと言われても難しい。
丁度いきなり仕事が増えた辺りで、周囲の事がいつも以上に二の次になっていた頃である。前触れもなくユータスの工房にやって来たアールは、開口一番にこう尋ねてきたのだ。
『ここにグールがいるって本当か!?』
アールの話を聞くと、弟のウィルドに『(噂の)グールなら兄ちゃんの所にいる』と聞いたと言う。
最初は何の事かさっぱりわからなかったのだが、腕一本とか指だけとかいう表現でようやく話を理解した。
そこで最初から最後まできちんと説明すれば良かったのだが、ユータスが半死人状態になりかけていたのがいけなかった。
説明するのが面倒で、結果だけ──『そのグールならもうここにはいない』と答えたばかりに、実際にいたのか、どうやって退治したのかという追求の嵐に襲われる事になったのだ。
実際、問題のグールがユータスの工房にいたので余計に話がややこしくなった。
そう、ライラ・ディにメリーベルベルから贈られたチョコレートで作られたグールの事である。
メリーベルベルと『食べる』と約束してしまったのと放っておくと溶けてしまうので、非常に残念ながらその日から十日近くかけて完食した。
結果的に食生活は非常に偏っていつつも、糖分補給だけは完璧だったので、その後の仕事に関しては助かったとも言える。いくら味覚が鈍くても流石に十日近くずっと食べ続けるのは辛かったので、出来ればしばらくチョコレートの類は食べたくないが。
そこまでは良かったのだが、問題のチョコレートがグールという人の形に近い形をしていたので、今日は頭を半分とか、次は右の指といった部位ごとに食べる事になり、その過程もさる事ながらチョコレートという部分がなかったら十分怪談で通じてしまう。
それを傍で見ていたニナやウィルドが友達に面白半分で笑い話のつもりで話し、それが尾ひれがついて『グール』の噂話になったらしい。
「誤解って、一体何があったんだよ?」
「そこで笑ってる奴の方が詳しい。……じゃあ、オレ、帰るから」
「え、おい、ユータス?」
アールに説明を任せると何処まで正しい話が伝わるか怪しいが、このままここにいると今度はレイからも質問攻めになりそうな気がして、ユータスは急いで店を後にした。
何度も同じ話を繰り返すのは面倒臭いし、そもそも説明するのは苦手だ。やれやれと思いつつ、自分の店先に辿り着いた時点でようやくユータスは手にレイのお玉を持ったままである事に気付いた。
「……返し忘れた」
これでは引き受けたと思われても不思議ではない。しかし、またこれから引き返して付き返すのも億劫だ。
(仕方ない、か)
ユータスはしばし熟考すると、やがて溜息を一つつき、お玉を持ったまま工房の中へ入って行った。
※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※
・レイ(キャラ設定:道長僥倖さん)詳細はティル・ナ・ノーグの唄公式(http://tirnanog.okoshi-yasu.net/)をどうぞ!
・アール(キャラ設定:タチバナナツメさん) ⇒ 光を綴る少年、命を唄う少女(http://ncode.syosetu.com/n2494bb/)作:タチバナナツメさん




