人にはそれぞれ、想いの形(16)
むぎゅ。
音にするならそんな感じで、何か柔らかいが確かに重量のあるものが体を上に乗った感触ではっと目を覚ます。
「……ん?」
視界を覆うのは大地に柔らかな光を落とす、重なりあった木々の枝。その遥か向こうに白い尖塔が見える。背には少し湿り気のある柔らかな草の感触。
(──外?)
ユータスは地面の上に転がっている己に気づき、首を傾げた。
おかしい、何故自分は外で寝ているのだろう。ブルードに頼まれた仕事を終えた後、流石に限界が来て意識を飛ばした覚えはあるのだが。
微かに残る記憶を辿ってみても、精魂尽き果てて寝台に倒れ込んだ後の記憶がない。少なくとも、イオリの怒りを買って殴り飛ばされた訳ではないはずだ。
身を起こそうとして、うまく力が入らない事に気付く。そう言えば結局あのまま仕事に入ってしまったので、数日食べていない事になる。ヴィオラが来た日に寝る前に軽く食べたきりである。
通り越してしまったのか、空腹感はさほど感じないが、身体は限界を訴えているらしい。
苦労して身を起こすと、足元にいたピンク色の塊と目が合った。
「……、ガート?」
どうやら先程のむぎゅっとした感触は、ガートが彼の身体を踏んだ時のものらしい。
改めて周囲を見回して自分のいる場所を確かめる。城が見えるという事は、どうやら城の周囲に広がる妖精の森と呼ばれる場所のようだ。
人気を感じないがそこまで森の深い場所でもない──森の入口付近といった所だろうか。
そう言えば詳細はよく覚えていないが、夢を見た気がする。
ずっと長い事追い求めていたペルシェをついに捕獲したという、実際には有り得ない夢だったような。確かに今回仕事の連続で疲労困憊だったのは事実だが、寝ぼけて外まで飛び出したのは初めてである。
──子供の頃に目にして以来、ずっと追いかけている形。
事ある毎に捕まえたい、側に置きたいとは思ってはいるものの、母に
『ペルシェを飼いたいなら、先に平気で数日食事を抜くような事を止めなさい。自分すらいい加減な人に生き物を飼う資格はありません!』
と有無を言わさない口調で止められてしまっているので実行には至っていない。
まさにごもっともな言い分なので、反論すら出来なかった。
それに──ユータスが実際に追いかけているのは、その辺りで見られるペルシェとは少し違う。だから言われるままに捕獲を諦め、代わりに時々妖精の森などにペルシェを観察しに行くのだが。
細工師を志して十年。普通のペルシェの形自体はかなり本物に近いレベルで象れるようになった。でもまだ、『あれ』は造れない。いや、多分一生──。
かぷっ
物思いに沈んでいると、腕に軽い痛みが走った。
何かと見れば、いつの間に集まったのかガートが増えている。数匹のガートはユータスを取り囲み何やら興味深そうにこちらを見ていた。その内の一匹はユータスの手首辺りをかじかじと噛みついている。
とある理由からつけている皮製の手袋越しなので、痛みとしては甘噛み程度だが、見た目も愛らしいもふもふの外見に反して肉食のガートである。いくら頑丈なユータスでも、遠慮なく噛みつかれれば痛いものは痛い。
だがしかし小動物を痛いからと言って乱暴に振り払う事など出来ず、ユータスはガートが飽きるのをひたすら耐えて待つ事にした。
ガートに限らず、ユータスは生き物全般を好ましく思っている。生き物全般に何故か『モンスター』の類も含まれる辺りが常人と少々異なる所だが。
ともかくそうしたものに危害を加えるなどもっての外だ。だからユータスは武器そのものは自分では作らないと決めている。
もちろん、武器を造る職人を否定するつもりはない。何かを守る為に必要なものだという事も理解しているし、それを生み出す武器職人も尊敬している。
用途はさておき、あれもまた一種の芸術だ。鍛えられ、研ぎ澄まされたた鋼の刃は時として宝飾品にも匹敵するほど美しい。
ただ──どんな天才的な芸術家でも『生き物』そのものを生み出す事は出来ない。生き物は全て誰の手も借りる事なく、生まれた場所にふさわしい形をもって生まれてくる。
まさに創造主たるニーヴの芸術作品と言っても過言ではない。生き物を殺すという行為は、それを壊す行為に他ならない。
料理を極力したくないのと一緒で、自分でも可能な限りそうした事は避けたいと思っているのだ。
──それにしても、痛い。
気のせいか、先程より噛みつき具合がひどくなってきているような。ふんふん、と時折匂いを嗅ぐ仕草に何かを気にしているようにも見える。
(……ん?)
ようやくユータスは自分の手が何かべたべたする事に気付いた。まとわりつくガートもどうやらそれが気になっているようで、手で触れた顔の辺りにフンフンと鼻を近づけて来る。
「何だ?」
目を右手に向けると、手袋や指先にべったりと茶色くドロリとしたものが付着していた。
一見絵具のようにも見える。少なくとも泥の類ではなさそうだ。さらに匂いを確認し、微かに漂う甘い特有の香りに、ユータスはそれが何か理解した。
「──チョコレート?」
おそらくそれに間違いない。それはいいのだが──一体何処でそんなものが手に付着したのか。
何か手掛かりがないだろうかと、ぼんやりと記憶に残る色彩情報を探っている内に、やがてそれに関係しそうなものが引っかかった。
まさに手に付着したチョコレートを連想させる茶色と、白とアップルグリーンの組み合わせ。
(何だっけ……、ああ、クレイア)
ニナ達が時折行くだけでなく、イオリの親しい友人という事もあり、ユータス自身も顔馴染みの菓子職人の名前と顔を思い出し、何となく前後を理解する。夢現でここに来るまでの間に、おそらく会ったのだろう。
記憶が確かなら今日はライラ・ディのはずだ。菓子職人にとっては掻き入れ時に違いない。
クレイアの店で、その為に出している菓子の一部でも貰ったのだろうか。試しに指先をなめてみると、予想通り甘かった。
(ライラ・ディ、か)
ふと、先日時計を手にしたヴィオラの笑顔が思い浮かんだ。
『食べられないけれど、その代わりこれならずっと残るわね』
元々女性との接点が家族以外にほとんどなかったので、ユータスにとってはまったく普通の日である。
ニナやヴィオラが楽しげなのは良い事だと思うが、自分がその当事者になる事はさっぱり想像出来なかった。
フンフン、とガートが指先に鼻先をつきつけ、ついているチョコレートを舐めようとする。
「……、こら。腹壊すぞ」
手を遠ざけると、追い掛けてよじ登ってこようとする。甘い匂いが気になるのかもしれない。仕方なくユータスはよろよろと立ち上がった。
その途端、くらりと立ちくらみに襲われる。これは流石にまずい。先日のブルードの言葉をふと思い出しつつ、ユータスは足元に群がるガートを踏まないように気をつけながら歩き始めた。
+ + +
なんとか店に辿り着いたものの、ユータスの家に買い置きなどあるはずもない(先日買いこんできた食材は、痛むといけないからかニナが実家に持ち帰ったようだ)。
かと言って買い出しに出る気力もなく、いつものようにカウンターでぐったりとしつつ、ヴィオラの依頼などで後回しにしていた仕事をどれから片付けようかとぼんやり台帳を眺めていると、ふと手元に影が落ちた。
「……?」
何かと顔を上げると、いつ来たのか見慣れた相方の姿があった。
「イオリ?」
「もう次の仕事? 仕事熱心なのはいいけど、ちゃんと食べてるの?」
呆れた表情で言いながらも、はい、と何か包みを渡される。
もはや考えるのも億劫で特に何も考えずに受け取り、それがどうやら食べ物らしい事は何となくわかった。
(そういや『食べる』って約束したな)
『仕事が終わったら寝て食べる』と言った自分の言葉を思い出しつつ、そんな事を思う。明確な約束ではないが、ユータスの中では優先的に守る事の一つになっていた。
基本、交わした契約や約束は守る主義である。
ユータスはもらった物が何かもよく考えずに、渡されたものを口にした。
(……。甘い)
味覚もいつも以上に鈍い。おそらく今ならあの『食べる青汁』ですら普通に食べられるに違いない。
数日食べていなかった上に疲労していた身には、糖分は非常にありがたい。結局、箱の中身はそれが何であるか認識される前にあっと言う間に姿を消していた。
イオリの呆気に取られた様子に気付く事もなく人心地ついたユータスは、ようやく回転し出した頭でこれからの仕事を考え始める。
「イオリ、この依頼のデザインってどうなったんだ?」
「え? ああ、それは……」
「ユータスさまー!!」
「ん?」
仕事の話を始めた矢先、店の外から聞き覚えのある声が飛んでくる。
「メリーベちゃん? なんで外から……いつもみたいに入って来ればいいのに」
いつものように店に入って来ない事を訝しがりつつ、二人揃って店の外に行くと、なんだか妙に大きな箱と満面の笑みを浮かべたメリーベルベルの姿があった。
「ごきげんようですの、ユータス様! あら、イオリも来てましたの?」
「どうしたの、メリーベちゃん。この箱は一体……」
イオリの問いに、メリーベルベルはふふんと誇らしげに笑った。
「よくぞ聞きましたの! ユータス様が今グールに興味があるって聞きましたから、わたくし頑張りましたのよ!」
「……ん? ああ、あの時の事か」
そう言えばそんな事を聞かれたな、とぼんやり思い返していると、メリーベルベルはその通りとばかりに頷いた。
「流石に本物は無理でしたけど、実際に見た事がある者に聞きましたから大体合ってるはずですわ!」
「……ま、まさか、それ」
嫌な予感を感じたのか、イオリがメリーベルベルの隣に鎮座する箱を指さす。大きさ的にはメリーベルベルよりニ回りほど大きく、イオリより少し小さい程度だ。
何となく予想はついたものの、ユータスはどれとばかりに箱の蓋を持ち上げてみた。
「……」
キラキラと期待の籠った視線を感じつつ、ユータスはじっと箱の中の物を凝視した。
全体的な色は茶色で、ところどころに中から溢れたのか赤黒い液体が垂れ流されており、てらてらと光っている。頭部と思われる部分には目玉らしき物が微妙な位置でついていた。
匂いからするとどうやら茶色の物はチョコレートらしい。という事は、赤黒いのはジャムか何かで、目玉はゼリーのようなものだろうか。
おそらく何も知らずに見た者は、人間を作ろうとして失敗したと思うに違いない。
実際のグールに何処まで忠実なのかはさておき、少なくとも横から覗きこんだイオリの顔が引きつる程には妙にリアルな出来栄えである。
ユータスは再び蓋を戻すと、こちらを見上げるメリーベルベルに視線を向けた。
「ベルベル……!」
「はい、ユータス様!」
「お前、よく作ったな……見事だ!!」
「本当ですの、ユータス様!?」
「ああ、お前造形の才能あるんじゃないか? 血液の表現にジャムとはよく考えたな。粘性的にもぴったりだと思うぞ」
「まあっ、それならユータス様とお揃いですわね! 嬉しいですわっ!!」
そんな興奮気味のやり取りを横で見つつ、イオリは一人冷静に突っ込んだ。
「……、ユータ。喜んでいる所悪いけど、これ、食べられるの?」
「……!?」
ここに来てようやくユータスが動揺を見せた。
「これ、食べるの、か……?」
食べたくない訳でなく、明らかに勿体ないと表情で訴えるユータスに、イオリは淡々と頷く。
「だってこれ、見た目はすごいけどお菓子でしょ? メリーベちゃんも食べて貰おうと思って作って来たんじゃないの?」
「もちろんですわ! ……食べてくれませんの?」
じっと大きな瞳に見上げられ、妹弟に限らず子供に弱いユータスは渋々と頷いた。
「……。わかった……。食べる」
これだけの力作なのに、と心の底から残念に思うユータスの脳内からは、とっくに今日が何の日であるのかという事は消え失せており、当然ながら先程イオリに渡された物がなんであったのかも気付く事はなかった。
そのせいでおよそ一ヶ月後のリ・ライラ・ディの際、ユータスは再び頭を抱えて悩む羽目になるのだが、それはまた別の話である。
+ + +
──なお余談だが、リ・ライラ・ディまでのおよそ一月の間、ステイシス氏の懐には菓子を模した随分と可愛らしい時計があったとか。
※今回の話はこちらの作品とリンクしております※
・「黄金林檎の花は咲く」http://ncode.syosetu.com/n6119bb/ 作:桐谷瑞香さん
・「白花への手紙」http://ncode.syosetu.com/n1149bf/ 作:香澄かざなさん