人にはそれぞれ、想いの形(14)
「ごきげんよう。ふふ、今日は全員勢ぞろいなのね」
いつも通りの昼下がりに現れたヴィオラは、店内に入るとそう言って目を細めて微笑んだ。
「……こんにちは」
「こんにちは、マダム」
「こんにちはー!」
「マダム、こんにちは! ……あっ、ステラ!」
挨拶をするや、目ざとくステラの姿を見つけたウィルドが嬉しそうに声を上げて駆け寄る。
「ニャウッ」
基本的に女子供には友好的だが、だからと言って気軽に触らせるステラではない。
ひらりと身軽にカウンターに飛び乗ってウィルドの手を避けると、さらに当たり前のようにユータスの頭に飛び乗った──が。
今回も心の準備をしていなかった上に半死人状態なので、勢いに負けてそのまま背後に倒れかける。何とか体勢を立て直すものの、その場にいた人間は聞いてはいけない音を聞いた気がした。
「わ、兄ちゃん! 大丈夫!? なんか嫌な音したよ!?」
「だ、大丈夫、ユータス? ステラ、早く降りなさい!」
心なし顔色を青くしてヴィオラも安否を問う。ヴィオラに叱られてやり過ぎたと思ったのか、ステラもすぐ飛び降りた。
「……、なんとか」
今のは少し危なかった。痛む首を擦りつつ答えると、見守っていた全員がほっと安堵の息をつく。
「あー、びっくりした。頑丈で良かったね、お兄ちゃん」
「本当にいつもごめんなさいね」
「いえ……。今のはウィルも悪いので気にしないで下さい」
いくら好意からとは言え、いきなり駆け寄って来られれば、ステラでなくても普通の動物は逃げるだろう。ユータスの言いたい事を理解してか、ウィルドもしゅんと項垂れる。
「う、ごめんなさい……」
「いいのよ。ウィルド君じゃなくてもステラはいつもこうなんですもの」
困ったように微笑みながらヴィオラは、やはり足元で心なしかしょんぼりしている様子のステラの頭を撫でた。
頭を撫でられたステラはすりすりと主人の手に頭をこすりつけると、仕方なさそうにその身を入口の方へ翻す。そしてちらりとこちらを見ると、小さくニャウと鳴き声を上げた。
「あれ、ステラ?」
「どうやらお詫びのつもりみたいね。ウィルド君、ステラと遊んでくれる?」
「……! いいの!?」
「あまり長居はするつもりはないから少しの間だけれど、良かったら」
にこりと微笑むヴィオラに少し萎れていたウィルドに笑顔が戻る。
「行って来る!」
嬉々とした様子で、すでに先に外に出ているステラを追いかけてウィルドが駆けだして行く。
「ウィルド君はいつも元気ね」
楽しそうにくすくすと笑い声を零しながら、ヴィオラはその背を見送った視線を動かし、しばしユータスを見つめると軽く首を傾げた。
「今日は様子見だけと思っていたのだけれど……。もしかしてその状態だと、仕上げてしまったのかしら?」
流石に付き合いは長くない。半死人状態のユータスの姿で察したらしい。
「サフィールに戻るまでまだ二日はあるから、無理しなくても良かったのよ?」
「今回はいつもと勝手が違うので。……当日に手直しは流石に厳しいです」
「ああ……、そういう事ね」
ユータスが制作を急いだ理由に気付き、ヴィオラは微かに苦笑を浮かべた。
デザイン画と実際の完成品が想像より違う事はよくある事だ。平面が立体になり、色なども絵具と実際の石では違って来る。
「ありがとう。気持ちはとても嬉しいけれど、あなたが倒れたり身体を崩すような事になるのは本意じゃないわ。いくら頑丈だからって、過信は禁物よ。ねえ、イオリちゃん」
「え? あ、はい、そうですよね!」
急に話を振られてうろたえつつも、イオリは力強く同意した。
毎回のように怒る羽目になる身としては、『もっと言ってやって下さい』という気持ちだ。ユータスの場合、自分の頑丈さを過信している訳ではないので、より厄介な気もしなくもないのだが。
「それに、わたくしがあなたの造ったものに今まで手直しを頼んだ事があって?」
「……」
確かに今までを思い返すに、やり直しを頼まれた事はない。
それだけ自分を腕を信頼してくれているのだと思うと嬉しいし、今回も確かに期日までに完成させろとは言われてはいない。
ライラ・ディ用という目的を最初に言及して来なかったのも、言えば間接的に期限を設けてしまうと思ったからだろう。
そこまで心を砕いてもらって申し開きのしようもないが、より良い物を造る為なら今後もきっと同じような事態になるに違いないので改めるという約束は出来そうになかった。
……という事で、今回もユータスは言葉を選びに選んだ例の回答を口にするのだった。
「──善処します」
その答えにヴィオラは微笑み、イオリはため息をつき、ニナはやれやれと肩を竦めた。
+ + +
「それじゃあ、完成品を見せて貰いましょうか?」
「はい」
ヴィオラの声に、ユータスは準備していたケースを手渡す。
すでにデザインを見てもらっているのでどんなものになるかはわかっているはずだが、それでもこの瞬間は流石のユータスも緊張する。
「まあ、本当に重いわね」
ケースを受け取ると先日の会話を思い出してか、ヴィオラが笑う。
「……済みません」
「謝る事はないわ。好きにやれと言ったのはわたくしよ? それに使うのはわたくしじゃなくてタヌキさんだもの」
その言葉にニナとイオリが揃って声をあげた。
「えっ!?」
「タヌキさんって……、もしかしてステイシス、さん……?」
「……? ニナちゃんもイオリちゃんも一度くらいは会った事なかったかしら」
二人が何に驚いているのかわからない様子で首を傾げるヴィオラに、ニナとイオリは思わず顔を見合わせていた。何しろ二人とも先程ユータスがどんな時計を造ったのかすでに目にしている。
「あ、あります。けど……」
「マダム、それ……ステイシスさんに渡すの?」
「ええ。ライラ・ディにね」
それがどうしたのかと言わんばかりの返答に、二人は揃って表情を固めた。
二人の脳内に四十代後半の、真面目で人の良さそうな笑顔の中肉中背の男の姿が思い浮かぶ。やがてニ対の目がユータスに向かった。
「……何だ?」
「──何がどうなったら、あのステイシスさんからああいうデザインが出て来るのよ……」
「てっきりマダムが使うんだって思ってたよ、あたし……」
その言葉に、ヴィオラは二人が何をそんなに驚いたのか察した。
「ああ、完成品を見たのね。心配いらないわ。わたくしもデザインを見た時は少し驚いたけれど」
言いながらヴィオラは閉じてあったケースの蓋を開き、完成品を確認した。
「ユータスはちゃんとわたくしの依頼した通りの物を造ってくれているわ」
ヴィオラが望んだのは、傷付いた時計の修復と夫が驚くような『世界に一つしかない』ものへ造り変えること。
「……、思った以上にいい出来ね。ありがとう、ユータス」
満足そうに微笑むヴィオラの手の上で窓からのやわらかな日差しに煌めくのは、一見した所だと時計には見えないものだった。
金を下地に真紅、濃紺、オレンジ──そして僅かに黄緑。
「食べられないけれど、その代わりこれならずっと残るわね」
それは宝石細工のフルーツタルトだった。
切っ掛けはニナの説教。ライラ・ディが女性にとって非常に重要で大事だという事と、その時に手渡すものである事を念頭に考えると、この形が一番適していると思ったのだ。
決してこの為ではなかったが、過去に見て来た菓子の数々が役立った。
「あの傷も綺麗に修復してくれているのね」
「はい。今度はもう少し頑丈にしています。……もう二度とない事を祈りますが」
そもそも傷がついた原因を思い出してそう言うと、ヴィオラは小さく肩を竦めて苦笑した。
「ふふ、そうね。わたくしもそう願うわ」
+ + +
帰りしなにふとヴィオラが振り返る。忘れ物だろうかと視線を向けると、何故かちらりとユータスの背後に視線を流して微笑んだ。
「──あなたにもライラの恵みはありそうね」
「……恵み?」
何の事かよくわからず、ユータスはその言葉を反芻する。ヴィオラが目を向けた方にはイオリとニナがいる事は確かだが。
(──ああ)
しばし考えてユータスはすっかり忘れていた事を思い出した。
(そういやニナがお菓子作りなんて習っているのは、ライラ・ディの為だったな……)
ウィルドも言っていたが、おそらくここにも持って来るだろう。
基本、不器用なニナである。納得するものが出来るまでに山のように失敗作を作るに違いなかった。
完成品は父の元に行くとして、何故か周囲に『味覚音痴』だと思われているので(本人が面倒臭がって否定しないから当然なのだが)、きっと失敗作の処理に比較的マシな部類を食べる羽目になるだろう。
果たしてそれを『恵み』と表現していいのか、疑問の残る所だが。
思案するユータスをどう捉えたのか、ヴィオラはくすりと笑みを零すと『取りあえずまずは寝なさいね』と言い残し、外にいたステラと共に帰って行った。