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アルテニカ工房繁盛記  作者: 宗像竜子
第1話 人にはそれぞれ、想いの形
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人にはそれぞれ、想いの形(1)

挿絵(By みてみん)


 ティル・ナ・ノーグの若き細工師、ユータス=アルテニカの朝は早い。


 制作中の時は数日徹夜という事も多々あるが、そうでない時は夜明け間もない頃には目を覚ます。それは八歳の頃から十年間、ついこの間までいた工房での習慣が抜けていないからだ。

 彼は工房に入ったのが八歳と非常に早かった上に、彼の師(母方の親戚)が滅多に弟子を取らない人で、かなり長い間一番末の弟子だった。

 才能の世界とは言えども若い方が体力があるという理由から、その工房では雑用に関しては年功序列が適応されている。

 結果としてユータスは工房で誰よりも早く起き、他の人間がすぐに仕事に入れるよう、彼等が起き出す前に加工炉に火を入れ、冷却用の水瓶に水を満たすのが長く日課になっていた。

 今は炎に属する精霊の力を用いた永久炉といった道具もある所にはあるらしいが、そうしたマジックアイテムの類はいくらピンキリとは言えども一般人の手に届くものではない。

 お陰でユータスは加工炉の火を起こす速さももはや達人の域だ。

 もっともそうした事は他の目に留まらないし、そもそも貴金属用の加工炉が一般家庭にある訳もないので、日常生活ではほとんど役立たないのだが。

 そんな訳で今日もユータスは、外が白み始める頃に目を覚ました。

 半分寝たまま、適当にその辺りに放置している作業着に着替え、寝起きしている屋根裏部屋から階下に降りると取りあえず冷たい水で顔を洗う。

 そこで一瞬目は覚めるものの、元々あまり寝起きが良い訳ではないのですぐ効果が薄れる。

 結局、寝ぼけ眼のまま工房の裏に積んでいる薪を手慣れた様子で肩に積み上げて運ぶと、あくびをしながら炉に火を入れた。

(……。そろそろ薪割りしないと……)

 ちろちろと燃え広がる赤い炎を眺めつつ、薪置き場の事を思い返しながら働かない頭でそんな事を思う。

 火を起こすのは得意だが、薪を割るのはあまり得意ではない。

 無意識に手を庇うせいか、才能(薪割りに才能があるかは謎だが)がないのか、なかなかうまく割れる位置に刃を当てる事が出来ないのだ。

 何しろ、手指は細工師の生命。

 師の工房にいた時はそうした作業は人を雇ってしてもらったり、付近住人に手伝ってもらったりしていたが、この工房にはユータス一人しかいない。

 しばし熟考した結果、ユータスは小さくため息をついた。

(仕方ない、あまり気が進まないがウィルにやってもらうか……)

 ウィルこと、ウィルド=アルテニカはユータスの八つ離れた弟だ。現在十歳の彼は兄に似ず非常に活発で、天真爛漫を絵に描いたような少年である。

 天気が良ければ妖精の森辺りまで遊びに行ってしまうくらい行動派の弟は、ユータスの様子を見に来るという名目でよく遊びにやって来る。

 確か三日ほど前に妹のニナと共に遊びに来たから、そろそろまた来る頃だろう。

 幼い頃に工房に弟子入りした事もあり、独立するまでは妹と弟とは月に数度しか顔を合わせていなかったのに、何故か彼等はユータスに懐いてくれている。

 特にそうなるような出来事も思い当たらないので実に謎なのだが、慕われて嫌な思いをするはずもない。

 兄とは違う意味で器用な弟は、仕事で忙しい父に代わって去年から冬場だけ薪割りをしている。

 基本温暖なティル・ナ・ノーグなので冬場でも滅多に必要にはならないのだが、それでもユータスより余程手慣れているだろう。

 まだ幼い弟にそんな事を頼むのは流石に気がひけるのだが、師の工房から越してきて間もない上、元々あまり社交的ではないユータスにはそうした事を気軽に頼めるような知人がいない。

 そう、ユータスは先日師の元を独立し、自分の工房を持ったばかりだった。

 とは言っても、ユータス自身の独立への意欲はどちらかと言うと薄く、しばらく前までは持つとしても当分先の事だろうとぼんやり思う程度だった。

 十八という年齢もある。十年の下積み期間は長いと言えるかもしれないが、独立するだけの腕を持つまでに数十年かかる事もざらの世界である。早過ぎると言われても不思議ではない。

 だが身近な人々の後押しととある事情から、気付くといつの間にかそういう話になっており、最終的に条件付きで師が独立を許した結果、先日めでたく独立開業とあいなったのだ。

 ユータスも職人の端くれである。自分の腕を認められたのだと思えば嬉しくないはずもない。ただ──流されるように開業してしまった事は、彼なりに少し納得出来ない部分もあった。

 何しろそれまで師や兄弟子を含めた人々は皆、口を揃えて非常に残念そうに彼をこう評していたのだから。


『お前、腕は完璧なのに』


 そう評されるほどには、ユータスの細工師としての『腕』はいい。

 幼い頃には『天才』と呼ばれた事もあるし、今まで師から出された課題はいずれも評判が良かった。

 今も動植物をモチーフにした場合の繊細にして緻密な曲線の美しさは、他の追従を許さないと言われてもいる。

 また細工師は通常どれか一つの手法を極めるものだが、ユータスの場合、装飾の分野に関してはその制限がない。

 一番下っ端という事でいろいろな分野で兄弟子達を手伝っている間に、いつの間にか自分の物にしてしまったのだ。

 ──だが、しかし。

 彼には非常に残念な事に、ある意味では致命的とも言える問題があった。

 それは芸術家として最も大切であるセンスが、よく言えば『時代の先を行き』、悪く言えば『常人に理解不能』である事だった。

 なのに何故、こんなに早く独立する事が可能になったのか。

 それには例の『とある事情』が絡んで来るのだが、一番大きな理由は彼の問題を補える解決策が現れたからだ。


 共同経営者。


 それがユータスの独立に導いた解決策で、師から示された独立する上での条件だった。

 共同経営とは言っても、普段工房にいるのも実際に作るのもユータスだけだ。

 もう一人の経営者──その名を、イオリ=ミヤモトという──は、普段は医師見習いというまったく畑違いの仕事をしている。

 元々、絵や細かい作業が得意だったという彼女には、基本的に依頼を受けた時にだけ依頼者の要望をデザインするという、ある意味一番重要な部分を担当してもらっている。

 何しろ、ユータスに全て任せると高確率で依頼人もびっくりの品物が出来上がるからだ。

 またイオリは非常にしっかり者で、基本何事にも無頓着なユータスに代わって工房のちょっとした事務的な仕事もやってくれていたりする。

 初対面の時はまさかこういう事になるとは思いもしなかったが、今となっては実にありがたい存在である。

(……、イオリも得意そうだな)

 何かと言えば、薪割りである。

 イオリはユータスと違って腕っ節も強く、その強さは初対面時に裏拳を味わったばかりでなく、事あるごとに拳を味わう身が良く知っている。

 九割九分は自分が悪い(と思われる)ので、あえて甘んじて受けているが痛い物は痛い。きっと薪も見事に叩き割ってくれるに違いない。

 だがしかし、流石にそれを頼むほどユータスも命知らずではなかった。何よりイオリ自身が気にしなくても、『女の子に力仕事をさせるなんて!!』と妹や母に後で小言をもらうのは目に見えている。

 やはりここはウィルドに頼むのが一番確実のようだ。

 そんな事をぼーっと考えている間に外も明るさを増してきた。

 炉の様子を見、炎が安定している事を確かめると、ユータスは無表情のまま火の妖精サマラに感謝を捧げる。

 ユータス自身はどちらかというと信仰心がそこまであるわけではないが、金属を扱う者にとって炉の調子は作品の出来も左右する。これも慣例的なものだった。

 そこまで終える頃、ようやくユータスの目も覚めてくる。

 工房部から店舗部に移動し、今日の予定を確かめる。今日は特に急ぎの仕事はなし、午後から来客ありとイオリの几帳面な文字で書かれてあった。

 そこでユータスはおや、と首を傾げる。

 来客がある日は前日にイオリが顔を出し、放っておくと数日作業着のままのユータスを藤の湯へ放り込むのが恒例行事になって久しいのだが、昨日はやって来なかった。

 別に好きで藤の湯に放り込まれたい訳ではないが、いつもある事がないと何となく落ち着かない。

 珍しい事もあったものだと何気なく来客予定者の名前に目を向けたユータスは、そこで彼女が来なかった理由に合点がいった。


 ──マダム=ステイシス。


 そこに書かれていた名前は今のところただ一人、ユータス個人の作品を愛好する人物のものだった。

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