断罪イベントの最中ですが、推し声の王子に叱られて興奮が止まりません!〜神ボイスに悶絶していたら、なぜか専属側近になりました〜
「——オリヴィア・バークレイ! 貴様との婚約を破棄し、我が国から追放とする!」
絢爛豪華な王城の大広間。
建国の宴の最中、BGMのように流れていた管弦楽の音がピタリと止まり、水打ったような静寂が場を支配した。
数百人の貴族たちが見守る中央で響き渡ったのは、第一王子アルディス殿下の声だった。
深く、重厚で、それでいて澄んだ湖底のように芯の通った通る声。
(……は、はぁぁぁぁぁぁぁぁん……っっっ!!??)
私——オリヴィア・バークレイは、両手を胸の前で固く握りしめあまりの衝撃に膝が崩れそうになるのを必死で耐えていた。
なにこの神ボイス。
低音域の深み、喉の奥から響く独特の倍音、そして語尾に向けた微かな息の抜き方……!
完全一致。間違いない。
前世で私が過労死する間際まで追いかけ続け、ファンクラブ会員番号007番を誇り、全通イベントのために給料の半分を捧げた伝説の超絶イケボ声優、神城アオイ様のお声そのもの……!
前世の私は、殺伐としたIT企業で連日深夜残業に追われ精神をすり減らしていた。
そんな暗闇のような日々で、唯一の救いだったのが彼が演じる「冷徹だが内に情熱を秘めたヒーロー」のボイスドラマだった。
あの声にどれだけ救われどれだけ涙を流したことか。
トラックに跳ねられ、乙女ゲームの悪役令嬢『オリヴィア』に転生して十六年。
まさか生きて「神城ボイス」のリアルタイム叱責をこの至近距離で聴ける日が来ようとは。
「おい、オリヴィア! 聴いているのか! 己の犯した罪を認め謝罪せよ!」
アルディス王子が、美しい眉をひそめて私を睨みつける。
眩しい金髪に、サファイアのような青い瞳。
まさしく王子様そのものの容姿から放たれるのは前世の私の耳と魂を幾度となく救ってくれた至高の音響兵器である。
(ヤバい。ゾクゾクする。耳が幸福すぎて細胞が歓喜の悲鳴を上げている。もっと……もっと低い声で私を詰ってほしい……!)
「オリヴィア?」
沈黙を守り、ただただ目を潤ませて自分を見つめてくる私に対しアルディス王子が不審そうに首をかしげた。
その隣では、いわゆる「ヒロイン」ポジションである男爵令嬢のフィオナが可憐さをアピールするように王子の袖をギュッと掴んでいる。
「殿下ぁ……オリヴィア様は反省なさっていないみたいですわ。あんなに私をいじめておいて……うっ、思い出すだけで恐ろしい……」
「大丈夫だ、フィオナ。私が守る」
王子はフィオナの頭にそっと手を置き優しい声で語りかける。
(待って!!! その低音甘々囁きボイスは反則!!! ていうかフィオナさん代わって!? いや代わらなくていいからもっとその距離で囁いて!! )
私の目がカッと見開かれたのを王子は「怒り」と誤解したらしい。
彼はフィオナをかばうように一歩前に出るとより一層強い調子で私に言い放った。
「見苦しいぞオリヴィア! フィオナの教科書を破り捨て、大切なドレスにワインをかけ、あまつさえ階段から突き落とそうとした過ち……すべて証拠は上がっているのだ!」
(うわあああ! 詰問ボイス! 怒声なのに腹に響くようなこの重低音!! 『すべて証拠は上がっているのだ』の『だ』の音圧が素晴らしすぎる!! 腹式呼吸が完璧すぎるでしょ!!)
あまりの癒しに、私の体はプルプルと震え始めた。
目には自然と涙が浮かんでくる。恐怖でも絶望でもない。
純粋な感動と興奮のあまり涙腺が決壊しかけているのだ。
しかし、周りの貴族たちの受け取り方は違っていた。
「見ろ、バークレイ公爵令嬢が怯えているぞ……」
「自業自得だ。あんなに可憐なフィオナ様を苛めていたのだから」
「殿下のあまりの威厳に圧されて泣き出したのだろう。情けない」
クスクスと囁き合う蔑みの声。
だが、そんなものは今の私にとってただの雑音に過ぎない。
私の全神経は、アルディス王子の喉元——声帯の微振動に全集中していた。
「……ふっ、泣いて許しを請おうとしても無駄だ。追放の決定は覆らん」
私の涙を見た王子は勝ち誇ったように薄い唇を歪めた。
口元に浮かぶサディスティックな笑み。
前世のドラマCDで幾度となく脳内再生した『冷徹ドS上司』のシチュエーションそのままではないか。
ダメだ。我慢の限界だ。
これ以上この至高の音声をただ黙って聴いているなんて、オタクとしてのプライドが許さない!
「……殿下」
「なんだ? 命乞いなら聞かんぞ」
私はドレスの裾をふわりと持ち上げ、ゆっくりと一歩前へ踏み出した。
探していた宝物を前にしたような熱情を込め瞳をキラキラと輝かせながら叫んだ。
「もう一度……もう一度だけ、その低いお声で『愚か者め』と言っていただけませんでしょうか!!!」
「…………は?」
会場全体が凍りついた。
王子も、隣のフィオナも、周囲の貴族たちも、衛兵すらも全員が石のように固まった。
「何を……言っているのだ、貴様は?」
「ああっ! その呆れと不快感が絶妙に混ざり合った『何を言っているのだ』も最高です! 喉の開き方が素晴らしすぎます! 殿下、もしや幼少期から特別に声楽や発声の訓練を積まれていらっしゃいますか!? その中低音の豊かな鳴りと腹圧の安定感、並の訓練では絶対に辿り着けませんわ!」
「なっ、何の話をしている!?」
「特に! 先ほどの『見苦しいぞ』の『ぞ』の吐息の混ざり具合! 息成分4に対して声帯の振動が6! 絶妙なウィスパー成分が混ざることで、聴き手の脳幹を直接揺さぶる黄金比となっております! 素晴らしいです殿下! ぜひそのお声で、私を……私を骨の髄まで罵ってくださいませ!!」
私はズイと王子に歩み寄った。
逃げるな、私の至高の音源。
「ひっ……!? な、何なんだ急に! 寄るな、オリヴィア!」
「もっとです! その焦りを含んだ『寄るな』もまた味わい深い……! 普段の冷静な殿下が崩れるそのギャップ、声のトーンが半音上がることによって生まれる感情のリアルな揺らぎ……たまらん!!」
「気味が悪いぞ貴様!! 衛兵! 衛兵は何をしている、この女を拘束しろ!」
衛兵たちが慌てて駆け寄ってこようとするが、私はそれを圧倒的な覇気で一瞥した。
「邪魔をしないで!! 今、私は人生で最も尊い音声を傾聴しているのよ!!」
「ヒィッ!?」
あまりの気迫に衛兵たちが「すみません!」と一歩引き下がる。
王子は完全に引きつった顔で、じりじりと後ずさりしていた。
先ほどまでの「冷徹な断罪者」の威厳はどこにもない。
「ふ、フィオナ! こいつはどういうことだ!? お前に嫌がらせをしていた恐しい悪逆非道な令嬢というのは……こんな、頭のおかしい変態だったのか!?」
「え、ええと……私も、こんなオリヴィア様は見たことがなくて……」
フィオナもドン引きして引きつった笑みを浮かべている。
しかし、ここで引き下がる私ではない。私は仕組まれた「冤罪」の違和感に、ずっと気づいていたのだから。
「殿下、少し冷静になってお聴きください」
私はふっと真顔になり、通る声で宣言した。
「私がフィオナ様の教科書を破り、ドレスにワインをかけ、階段から突き落とした……とおっしゃいましたね? ですが、それらはすべて不可能ですわ」
「な……何だと? 証拠も証言もあるのだぞ!」
「ええ。ですが、教科書が破られたとされる先月十四日、私は王立図書館の特別閲覧室で終日、司書長立会いのもと古文書の解読をしておりました。記帳も残っております。
さらにワインがかかったとされる先週の茶会ですが、私は極度の葡萄アレルギーです。私がワインのグラスに近づくことすら、我が家の侍女たちが許すはずがありません」
「なっ……!?」
王子が目を見開く。周りの貴族たちからも「確かに、バークレイ令嬢の葡萄アレルギーは有名だぞ……」「図書館の件も司書長が証言できるのでは?」とざわめきが起こり始めた。
「そして極めつけは階段の件です。フィオナ様が突き落とされそうになったと主張する旧校舎の階段……あそこは先月から改修工事中で立ち入り禁止になっておりますわ。工事記録をご確認になれば一目瞭然です。……ねえ、フィオナ様?」
「あ……う、うそ……私、私はただ……!」
フィオナの顔からスーッと血の気が引いていく。
異変に気づいたアルディス王子は、厳しい表情でフィオナに向き直った。
「フィオナ。……今、オリヴィアが言ったことは本当か?」
「で、殿下……! ち、違います! オリヴィア様が口から出まかせを……!」
「出まかせではない。特別閲覧室の利用記録も、旧校舎の改修工事も、私が調べれば数分で事実確認ができることだ。……答えろ、フィオナ。お前が私に見せたあの破られた教科書と汚れたドレスは一体誰がやったのだ?」
王子の鋭い追及にフィオナの体が震え出す。
「それは……その……」
「お前は『目の前でオリヴィアにやられた』と私に訴えたな? だがオリヴィアには完璧なアリバイがある。私に嘘をついていたのか!?」
殿下の怒りの重低音が大広間に轟く。
その威圧感に耐えきれなくなったフィオナはついに膝をついて泣き叫んだ。
「ひ、ひぃぃっ! ごめんなさい! ごめんなさい殿下! 私……ただ、オリヴィア様が羨ましくて、殿下の気を引きたくて……自分で教科書を破いてドレスにワインをかけました……! 旧校舎の階段も、誰も見ていないところで大げさに転んで見せただけです……!」
真実が露呈した瞬間、会場の貴族たちから一斉に「なんて恐ろしい女だ……」「自分で自作自演していたのか」「殿下を騙すとは……」と非難の嵐が巻き起こった。
「お前という奴は……私を担ぎ出し、無実の令嬢を追放させようとしたのか……!」
王子の声に、裏切られたショックと怒りが混ざり合う。
(うわあぁぁぁん!! 怒りと悲哀が混ざった哀愁重低音ボイス!! 演技指導なしでこの表現力、天才すぎる……!!)
「殿下! フィオナ様の不敬罪および狂言の罪は追って取り調べるとして、まずは……まずは私に毎朝のモーニングボイスを吹き込んでいただけないでしょうか! 『起きろ、豚』の一言でいいのです! それさえあれば私はどんな処罰でも受け入れます!!」
「だ、誰がそんなことを言うか!! 豚とか言ったことないわ!!」
「言っていなくても言ってほしいのです! その顔立ちと、その神から与えられし声帯があれば、世界中の女性が膝を屈します! 自分の声の価値を理解していらっしゃらないのですか殿下は!? 宝の持ち腐れですわ!」
「なっ…………」
私の熱狂的な声の絶賛に、王子の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
怒りではなく——圧倒的な困惑と、純粋な照れによって。
実のところ、アルディス王子には重大な秘密があった。
彼は生まれつき自分の「声が低すぎて怖がられる」ことに強いコンプレックスを抱いていたのだ。
幼少期、良かれと思ってかけた言葉で幼馴染を泣かせてしまって以来「自分の声は人を威圧し、不快にさせる嫌な声だ」と思い込み、威厳ある王子を演じることで誤魔化してきた。
それを、まさかこんな……自分を陥れようとした罪を着せられかけた相手から、狂気的なまでの熱量で「唯一無二の宝」「世界で一番素晴らしい」と絶賛されるとは夢にも思っていなかった。
「お、お前……本当に、私の声が……そんなに良いと思うのか……? 怖く……ないのか……?」
少し声のトーンが落ち、素の弱音と困惑が混ざった王子のお声。
(ギャァァァァァ!!! ギャップ萌え素の弱音ボイス入りましたぁぁぁぁ!!! 破壊力万倍!!!)
「当たり前です!! 怖がるなんてとんでもない! 世界で一番美しく、尊いお声です! 殿下のお声なら、傷ついた人々の心を救うことだってできます! 現に私は、いま猛烈に生きていてよかったと救われています!!」
「生きていて……よかった……?」
王子は赤くなった顔を片手で覆い、ガバッと頭を抱えた。
「〜〜〜〜っ! 狂っている……! 狂っているが……そこまで純粋な目で言われて、突っぱねられるわけがないだろうが……!」
完全に落ちた。
周囲の貴族たちは、自作自演の暴露と王子の劇的な態度変化に開いた口が塞がらない様子だった。
王子は深く溜め息をつくと、冷ややかな視線をフィオナに向けた。
「衛兵。フィオナ・ライルを連れて行け。私を騙し、公爵令嬢に冤罪を擦り付けようとした罪、追って厳しく処罰する」
「殿下ぁぁ……っ! お許しください殿下ぁぁぁ!」
泣き叫ぶフィオナが衛兵に連行されていくのを見届けたあと、王子は私に向き直った。
「……オリヴィア。お前に対する疑いは完全に晴れた。……そしてお前には、新たな命令を与える」
王子は顔を真っ赤にしたまま、ツンと横を向いて命じた。
「明日から毎日……私の側近として傍に控えろ。そして……私の声の、どこがどう良いのかを……私だけに詳しく報告しろ。いいな!」
「喜んでぇぇぇぇ!!! 永久就職させていただきます殿下ぁぁぁ!!!」
こうして、私に対する断罪イベントは「冤罪の完全証明」と「怒涛の褒め殺し」によって無効化され、私は王子の専属ボイスソムリエとしての人生を歩むことになったのだった。
(おしまい)




