騒乱
「こんなことなら、もっと定期的に『魔力刃』を使って確かめていれば良かった」
涼子は俺の着物で涙を拭いてから立ち上がる。
人の着物を懐紙代わりに使うなと叱りたい気持ちもあったが、今だけは我慢しておく。
「原理が分かってなかったんだから仕方ないだろ?」
「それはそうだが、一番分かりやすい条件だけ見落としていたのが悔しいんだ」
涼子は目尻に残っていた涙を指で払いながら、悔しそうに言う。
「でもこれで、誰もが『霞刃』を習得できるんじゃないか?」
「誰もが習得するのは無理」
楓さんがキッパリと言い切ったので、俺は軽く首を傾げた。
才能が無くても努力でカバーできると涼子が証明してくれたばかりなのに、どうして無理だと断言できるのだろう?
「どうしてですか?」
「普通は常時『身体強化』を使うなんて出来ない。体力よりも先に集中力が途切れる。涼子には魔法の才能はないけど、長く集中する才能はあったから出来た事」
「そ、そうなんですか」
初日は楓さんも常時『身体強化』に挑戦していたらしい。ただ、半日で頭がぼうっとしてきて『身体強化』を維持できなくなったという。
涼子の意外な才能だ。
最近は自分の才能の無さに嘆くことばかりだった涼子が、才能があると言われて喜びを噛みしめるように笑う。
「集中する才能か……副産物だが珍しいスキルも習得出来たし、大変だったがやって良かった。ありがとう、健之助」
涼子から俺に対して感謝と笑顔が向けられた。
いつもはトゲトゲしていて偉そうな発言が多い分、素直な言葉と優しい笑顔を向けられると、涼子がとても可愛らしく見えてドキリとした。
いつもこのくらい素直で可愛かったら、もっと仲良くしたいと思えるのに残念過ぎる。
「俺も涼子との稽古でかなり上達出来たと思う。こちらこそ、ありがとな」
「私も。ありがとう、涼子ちゃん」
俺たちがお互いに感謝を伝え合っていると、誰かがこちらへ走ってくる音が聞こえて来た。
楓さんが素早く動いて近付いてくる人物を警戒する。
俺も少し警戒しながら音の方向を見ていたら、夕陽さんがものすごい速度で裏庭へ転がり込んできた。
普段の優雅な立ち居振る舞いからは考えられない慌てぶりだ。
「夕陽?」
「か、楓! 無許可での立ち入りは後で謝罪する!」
「そんなの良い。何かあったの?」
明らかに尋常ではない雰囲気の夕陽さんに楓さんが素早く返答した。
北西の農村に鬼が出たという知らせが来た時よりも遥かに動揺している姿から考えて、それ以上の大事件が起きたに違いない。
俺はゴクリと息を呑んで、夕陽さんの次の言葉に耳を傾けた。
「鬼が出た! 数は把握できていない!」
「場所は?」
「江戸の中だ! そこら中が襲われている!」
夕陽さんの口から衝撃の情報がもたらされ、俺や弥生さん、涼子が呆然とする中で、楓さんが物凄い速度で裏庭から飛び出して行った。
詳細や命令を聴くこともせずに飛び出して行った楓さんを夕陽さんは一切止める様子がない。こうなることを望んでいたようだ。
俺は楓さんの背中を見送った後で、我に返って夕陽さんに質問する。
「ゆ、夕陽さん、俺たちはどうしたら良いですか?」
「お前たちも全員行け! 町の人々を守れ!」
夕陽さんは俺に向かって刀を投げ渡す。俺のために持って来てくれていたようだ。
俺がキャッチした刀を腰に差していると、涼子が口を開く。
「夕陽様、上様を――いえ、それよりも『鬼王の骨』を守らなければならないのでは!?」
「そちらは既に他のサムライたちが向かったし、私も行く。お前たちは気にせずに町へ行け!」
「は、はいっ!」
涼子と弥生さんが駆け出し、俺は遅れないように『身体強化』を使って後を追った。
まずい、俺だけ状況に気持ちが付いていけていない。
江戸に鬼が出たってどういうことだ?
江戸には常時40人のサムライがいるんだぞ?
訓練の休憩時間に奏ちゃんに教わった内容だが、4つある討伐組はそれぞれ東西南北の門を守る任務に就いている。松葉組は西門と有事の際は江戸城の守り担当だ。
江戸の中に鬼が出たという事は、どこかの組が突破されたということであり、鬼の数や強さは相当なもののはず。俺なんかよりよっぽど実戦経験のある優れたサムライたちが鬼の江戸侵入を許したという事態は、俺の心を大きくかき乱した。
辛うじて涼子と弥生さんの後ろに続くようにして動けているが、頭が真っ白でとても鬼と戦えるとは思えない。
七々扇邸の中にはもう俺たち以外にサムライはおらず、見習いも含めて全員が討伐へ出ているようだった。
「奏ちゃんもいないのか……」
「見習いとはいえ最低限の訓練はされているし、何の訓練もしていなかった健之助の初陣よりはマシなはずだ」
「そ、そうだな」
見習いのみんなは『霞刃』は使えないが、素の戦闘力は特訓前の俺より上だった。中級鬼に出くわして無茶をしない限りは大丈夫なはずだ。
俺はみんななら大丈夫だと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けると、二人に続いて七々扇邸の外へ出た。
大通りでは走って逃げていく人や慌てて店じまいをしている人などで大混乱していた。
涼子が近くにいた商人の肩を掴んで状況を確認する。
「おい、鬼はどっちだ!」
「か、川の方から来たみたいですけど、今はもう分かりません!」
商人は怯えながら答えると、店を閉めて中へ閉じ籠っていく。
「川だと?」
「泳いで入って来たってこと?」
俺は鬼の侵入経路について考えながら川へと向かう。
江戸の町は分厚い魔獣除けの塀に囲まれ、その周りには川から水を引いた堀があり、門だけでなく堀の周りもサムライが巡回している。
もちろん江戸の中へ通じている川も監視はされていたのだと思うが、どういうわけか鬼たちは監視を掻い潜って江戸の中へ泳いで侵入したらしい。
俺たちが川へ到着すると、そこは既に戦場と化しており、複数の鬼とサムライたちが戦っていた。見ない顔なので別の組のサムライたちだろう。
既に生きている人たちは逃がし終えたのだと思うが、そこかしこに血塗れで倒れている人が見える。鬼の死体より人間の死体の方多いので、サムライたちが到着する前に随分と暴れられたらしい。
俺は初めて見る人間の死体を前にして、抗いようのない恐怖を感じた。
これまでも鬼と対峙して怖い思いはしてきたが、人が死んだところは見たことがなかった。
地面を染める大量の血液。折れ曲がった手足。突き出した骨。こぼれ出た内臓。
俺は食道をせり上がりかけたものを何とか飲み下すと、遺体から目を背けた。とてもじゃないが直視できる状態ではない。
「酷い……!」
「よ、よくも!」
弥生さんと涼子が抜刀すると、鬼に向かって走り出す。
一匹、二匹と二人が鬼を斬り殺したところで、俺はやっと自分も戦わなければいけない立場だと思い出した。
早く助太刀しなければと刀を抜いた瞬間、戦場に一陣の風が通り抜ける。
「――え?」
次の瞬間、弥生さんと涼子が狙っていた数匹の小鬼がバラバラになって吹き飛んだ。
風が通った先に目を向けると、楓さんが刀を持って立っている。その近くには『霞刃』でサムライたちと激闘を繰り広げている鬼の姿があった。
俺たちが以前倒した中級鬼よりも少々小柄だが動きが早く、『霞刃』を使っているので危険度は同等だろう。しかも同じようなのが3匹いて連携しているように見える。
その中の一匹が楓さんに気付いて『霞刃』を振りかざす。
「『緑閃疾風』」
鬼の『霞刃』が楓さんに届くよりも前に、高速で振るわれた楓さんの刀から黄緑色の『霞刃』が飛び出して鬼を細切れにする。
ほんの瞬きほどの時間で、楓さんは三匹の中級鬼を葬った。
「す、すげぇ」
「……ここは楓様に任せて良いかもね」
「そうですね。何匹か川下へ逃げて行ったのを見ましたから、そちらを追いましょうか?」
涼子の提案に、弥生さんが首を振る。
「そっちは他の組のサムライたちが追いかけていた。それよりも、私はこの鬼の動きは陽動だと思う」
「陽動? それはそうでしょう。鬼の真の狙いは『鬼王の骨』がある江戸城です。そちらは松葉組のみんなや夕陽様が守っているのですから、例え陽動だとしても私たちは町人たちを襲う鬼を倒して周るしかないのでは?」
「最終目的はもちろん『鬼王の骨』だと思うよ? でも、ここまで大規模な鬼の襲撃は初めてだし、もっと何かあると思う。私は思い付かないけど、涼子ちゃんなら鬼の作戦が何か分からないかな?」
弥生さんは、前回の討伐で俺たちの突撃を冷静に諭してくれた涼子の判断を信頼しているのだろう。それが伝わったのか、涼子は周囲を警戒しつつも小さく呟きながら考え始めた。
「……普通に考えれば、ここで手下が騒ぎを起こしてサムライを集め、主力の鬼が江戸城へ奇襲を仕掛けるはず。けど、それにしては鬼たちが逃げる方向が同じなのが気になる……もっと散り散りに逃げて暴れれば、全てを始末するのに時間がかかって大変なのに、それをしない理由?」
涼子の目が、鬼が逃げた川下から川上へと移る。小さく「そうか」と呟くと、俺と弥生さんへ目を向けた。
「川上へ向かいましょう」
名前は同じですが、過去の日本にあった江戸と日ノ本の江戸では魔獣や鬼の関係から町の作りが全く違います。
次回、久しぶりに弥生視点で物語が進みます。




