暑いので旅に出てみた
日本各地で猛暑が続いている。某県で国内最高気温を更新したというニュースも記憶に新しいが、この記録更新はあまり歓迎されていないようだ。ホームランを何本打っただの、100メートルを何秒で走っただの、誰それの収入が何億円になっただの、自分とは何の関係もない記録の更新には歓喜の声を上げるのに、生活に直結する事柄に対してはずいぶん冷めた態度である。大気にもう少し冷めてほしいという願望の現れだろうか。
如何に紳士を自称する私であっても、最高気温の更新には穏やかな態度を崩さずにはいられない。寒いよりは暖かいのを好むところであるが、限度というものがある。氷河期の恐竜ならこんな気温も歓迎するかも知れないが、生憎と私は2025年を生きるヒトという動物である。
冷房をつけ、家に籠ってこの暑さをやり過ごそうと思ったが、エネルギー高騰が叫ばれる昨今、電気代も馬鹿にならない。
ふと、通勤途中に駅で避暑の旅に出ようというポスターを見かけた。現在の生活圏よりどれくらい気温が下がるか、地域ごとに記載し、避暑の根拠を提示していることに好感を覚える。ついでに、アイドルらしき人の笑顔も魅力的だ。何より、人からの好意は素直に受け取るのが私の信条である。善は急げ。翌週末、新幹線に乗り込み避暑の旅を敢行したが、予想外の出来事が私を待ち受けていた。
新幹線に揺られること3時間近く、目的地が近づいてくる。新幹線は冷房が効いていて恐ろしいほど快適だったので、駅に降りるのが悔やまれるほどだ。このまま新幹線に乗り続けていられたらどれほど涼しい気持ちになることが出来ただろうか。
後ろ髪を引かれる思いで駅に降り立つと、避暑地とは思えない熱風が顔に襲いかかってきた。まさか降りる場所を間違えたのかと不安になる。目的地が正しいことを確認し、ホテルにチェックインするまでの時間、観光することとした。観光スポットはリサーチ済みだ。旅行雑誌を片手に在来線に乗り込む。
しかし、世間は夏休み。有名な観光スポットは人が溢れ、汗っかきの人間の体温がムンムンと迫ってくる。史跡や景色を楽しむ余裕などない。日陰を探そうにもどこも占領されており、やむなくコンビニに駆け込んでも、旅行で浮かれた客(私もその一人だ)の出入りが激しく、冷房の効果が半減である。店に入って何も買わずに出ることが出来ない性分なので、大して欲しくもないお菓子を買うためにレジに並ぶ。
お昼時に飲食店に入ろうにもどこも行列が出来ていて、並んで待っているうちに熱中症になること請け合いだ。結局コンビニに引き返して、見慣れたおにぎりを買う羽目になった。これなら普段の方がよっぽど快適なランチタイムではないか。
その後、有名な温泉に浸かって汗を流したが、温泉のある場所からホテルに移動するまでの間に再び汗をかいてしまった。早くホテルのシャワーで汗を流さなくては。家にいればこんな手間は生じなかっただろうに、と打ちひしがれている私に思わぬ恵みが。ホテルにも大浴場があったのだ。しかも温泉を引いているという。なんという僥倖。部屋に荷物を放り、急いで大浴場に向かう。
夕方の早い時間のためか、大浴場には私しかいない。思えば、先に入った温泉は人口密度が高く、ゆっくりと体を休めることが出来なかったのだ。広々とした浴場で静かに湯船に沈むと、今日の旅の疲れが癒されるようだった。
暑さを逃れ、日々の疲れを癒すのが目的の旅でなぜ疲れてしまうのか、という疑念は一旦頭の隅に追いやる。
風呂から上がりると、冷房の効いた快適なホテルから外に出るのが非常に億劫に感じられる。どうせ夜も店は混雑しているのだ。食欲もあまりない。夕食もコンビニの弁当で済ませて、すぐにベットに潜り込んだ。翌日出歩くための元気を蓄えるためだと自分に言い聞かせて。
すっきりとした朝を迎え、部屋の窓から外を見ると、燦々と太陽が輝く景色が目に飛び込んできた。外出のために溜め込んでいたエネルギーが萎んでいく。ホテルの食堂で朝食を済ませ、外出の準備をしたが、まるで出勤前のような憂鬱な気持ちになった。
そもそも、旅の目的は避暑である。わざわざ暑い場所に出向くのは旅の目的に反すると、合理的に考えた結果、その日は1日ホテルで過ごすことにした。2泊3日で部屋を取っているのだ。幸い、本やゲームなど時間を潰すアイテムには事欠かないし、部屋の大きなスクリーンで映画を見ることも出来る。気分転換をしたければ、大浴場で一風呂浴びれば良いのだ。
1日の過ごし方を決めると、かつてない晴れ晴れとした気持ちになった。観光名所を巡らなければという束縛から解放されたのである。結局、夕方までホテルで過ごし、気温が下がったタイミングで近所の夏祭りに出かけた。体力を十分に温存していたため、祭りの人混みもなんなく通り抜けることができた。祭りで酒を飲み、焼きそばを食べ、ホテルで就寝。実に有意義な1日だった。
翌朝にチェックアウトし、駅で土産を買いながら帰りの新幹線を待つ。そこで気がつく。今回の旅先でしたことは、自宅でも出来たのではないかと。エアコン代を気にしていたが、移動や宿泊に掛かった費用の方が高くついているのは確実である。エネルギー総量的な意味で言えば、自宅でのんびりした方が確実にエコだ。
駅のポスターにまんまと乗せられた自分の軽率さを恥じながら、新幹線の指定席に座る。これからは綺麗な顔の人の言葉には用心しよう。そもそも、誰も旅行に行かず自宅で過ごしていれば、全体的なエネルギーは節約され、より快適に夏が過ごせるのではないか。避暑旅でエネルギーや金銭の消費を促すことで誰が得をしているのか、思いを巡らせる必要がある。
帰宅するとほっと一息ついた。部屋の空気を入れ替え、エアコンをつける。我が家が一番快適であると実感するためなら、また旅に出ても良い気分だ。 終わり