4.月見
──目を開けると、行灯の明かりにぼんやりと照らされた天井が見えた。
見慣れた天井……十年間暮らした御殿の天井だった。
「──目が覚めたか。坊」
不意に聞こえた声に、俺は飛び起きた。
「目覚めるなり落ち着きがないのう……酒がこぼれたらどうするんじゃ」
「……お前、なにしてるんだ」
「見ての通り、朧の月を見ながら酒を呑んでおるのよ。十五夜に月見をせんなど勿体なかろう」
縁側で月明かりを浴びる女が、俺の方に向き直ってそう言った。
カラスの濡れ羽色、降り積った雪のような純白。頭の真ん中から左右に別れた二色の髪が、薄ぼんやりと輝いている。
丁寧に結わえられた髪も、それを纏める簪も、身に纏う衣も、血のような赤い瞳も……全てが八熊に教えられた『天女』の容貌と同じだった。
だが、実際目の当たりにしたこの『天女』は、想像を遥かに超える美しさだった。
「……俺の刀はどこだ」
いつも肌身離さず持ち歩いている刀が見当たらない。アレがなくては、この女を殺せないというのに。
「坊よ。まずはそなたを助け、ここまで運んでやった此方に礼を言うのが先ではないか?」
「そういうお前は、月見の前にどうして俺がお前を殺そうとしたか問いただすのが先じゃないのか」
俺がそう言うと、女はクスクス笑った。
「なんじゃ坊、さっきのアレは此方を殺そうとしておったのか?……くくく、あはははは!」
「……何が、おかしい」
「ああ、すまんすまん。よもやあれしきで此方を殺そうとしておったのかと思うと……くく、愉快でならんわ」
「俺は心の臓を穿た。なぜ死なない……」
「決まっておろう。それは此方が不死身じゃからじゃ」
目の前の女のセリフに、俺は心が凍りつきそうになった。
「不死身なんてあるものか……妖術の類いでも使ったんだろう。この化け物め」
「……ならば、好きなだけ試せばよい」
女はそう言うと、いつの間にか手に持っていた俺の刀を投げ寄こした。俺はそれを拾い上げて、刀身を抜き放つ。
「俺は、お前に滅ぼされた八衢の最後の生き残り……その名代だ。お前を殺すことが、俺の……八熊の役目──」
俺は女に向かって刀を振り抜く。心の臓が駄目ならばと、首を横一文字にした。
編み込んだ二色の髪と、か細く嫋やかな首が胴体から離れ、頭が枯椿のようにボトリと、正座していた膝の上に落ちた。
首からは血飛沫が舞い、部屋のあちこちが鮮血に染まったが、俺の身体には一滴の返り血もかからなかった。
俺は刀を振り抜いた姿勢のまま、いつの間にか止まっていた息を吐き出した。
それと入れ替わるように生臭い血の匂いが鼻の中に滑り込んできて、吐き気が込み上げてくる。
「……殺した」
ぽつりと呟いて、刀を手から落とした。膝の力が抜けて、その場にへたりこむ──
たった今自分は他人の命を奪った筈なのに、まるで自分まで命を失ってしまったような……そんな、言いようのない喪失感に身体が脱力した。
だが──
「──だから、これしきでは殺せんと言うとるじゃろうが」
顔を上げると、正座していた首のない女の身体が、膝に乗った頭を持ち上げていた。
持ち上げられた生首を見ると、目が合ってニヤリと微笑んだ。
「……っ」
あまりの出来事に絶句している間に、女は頭を首に戻した。
土粘土じゃあるまいし、そんな事をして切断された身体が元に戻る道理は無いはずだが、女は首をボキボキ鳴らして立ち上がった。
呆気に取られてぼうっと見上げていると、周囲に飛び散った血痕までもが霧のようになって女の体に吸い込まれていった。
「……何なんだ、お前……」
「はて、今しがた坊が言っておった通りじゃが?……まあよい。此方が、この島を滅ぼしたヴィヴィアン・ハーツである」