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第七章

第七章



 学校では今、米信者の生徒たちが過激なデモ活動をしているらしい。そして、ついに刈米さんが目をつけられてしまった。全校生徒のほとんどが刈米さんの敵になってしまったのだ。

 間仁田の電話を切り、僕たちは学校に急いだ。


「ここですべての勝負を決める。間仁田と行方の問題を一気に解決するのだ」

「それはわかってるが、行方の問題が僕にはさっぱりわからない」

「鈍いな文士。拙僧には見当がついている」

「本当か!?」

「行方の問題、それは、血脇涼子だ」


 血脇涼子。行方の幼なじみにして間仁田をボッコボコにしたシリアルキラー予備軍。

「行方は確実に血脇に思いを寄せている。これには確固とした論理的帰結があるのだ。さあ、血脇を呼び出すのだ。拙僧が、血脇をたきつける」

 正直、血脇にはあまり会いたくないが、ここは仰翠の言うことに従っておこう。

 僕はかつて長老の勧めで交換した連絡先に電話をかけた。




 電車に乗り、学校の最寄り駅に到着した。もちろん仰翠も電車に乗った。

 血脇には駅前の木を取り囲んだベンチで待っててもらうことにした。今更だが、血脇が米信者なくて本当によかった。こいつが米信者だったらどんな残酷なデモ活動を行うかわかったもんじゃない。


 血脇は僕たちの姿を認めると微笑んで手を振った。怖い。

「桂木君、先日は本当にご迷惑をおかけしました」

「それはそうだけど、今はそれどころじゃない」


 血脇は通信先がわからない伝書鳩のように小首をかしげて僕を見た。怖い。

 僕はそんな血脇にランドルト環で世界の真実を伝えた。そして、僕たちがしようとしていることも伝えた。


「そ……そんな…………」

 さすがの血脇も動揺しているようだ。無理もない。

「康太君が……三十億人も女性を生み出してしまうなんて…………。つまり、私は、三十億人よりも下? べ、別に以下略なんですけど、そんな…………」


「そんなことはない」

 と、すかさずフォローを入れる仰翠。

「文士、男乕と音海との特徴を端的に言ってみろ」

「ええと、男乕は、テンプレートなツンデレキャラ。ツインテールで暴力系ヒロインでもあるな。それで、音海は、テンプレートな清楚キャラ。見た目清楚系で、なんとなくだが、ああいうタイプは嫉妬深そうだ」

「そうだ。そして、奴らはは行方の側近。行方の趣味嗜好を一番反映していると言えるだろう。ならば!」

 仰翠は声を張り上げ、血脇を指さした。やめとけ、あとで刺されるかもだぞ。

「さあ、想像してみろ。男乕と音海。この二人の性格を掛け合わせてアニメ的脚色を差し引いてみろ!」


「つまり私ですか!?」


「そうだ!」

「ん?」

 ついて行けてないのは僕だけか?

 確かに、血脇は暴力的なところもあり、清楚系でもあるが、後付けのツンデレ部分を略すような女だぞ。

 …………でも、よく見たら顔とか二人の合の子のような気がしないでもない。


「私って、決意に燃えるタイプじゃないですか?」

「知らない」

「私って、聡すぎる子じゃないですか?」

「それも知らない」

「私のすべきことはわかりました。私が、康太君をなんとかします」

「そう言ってくれるとありがたい」

「では、先に学校に行っていますね。桂木君も、時實君も頑張ってください」


 血脇はブラックバードの最高速度のような速さで学校へ走って行った。

「拙僧たちも行くぞ」

 僕たちも走り出したが、到底血脇には追いつけそうにない。




 学校は昔のヤンキー漫画がバリバリの進学校に見えるくらいの荒れっぷりだった。

 当然のように割られている窓。当たり前のように武器を所持しながら徘徊している生徒たち。その武器の種類でどの部活に所属しているかわかるのがちょっと面白い。

 デモをしている生徒たちの中には行方ガールズも含まれていた。うわ、よく見たら分派の連中もいる。白い被り物がよく目立つな。


 僕と仰翠は校舎に突入した。

「間仁田、どこにいる?」

『三階だ! 助けてくれ!』

 三階に上がって、渡り廊下を走って向こう側の校舎に行き着いた。すると、


「『桂木ぃぃぃ! 時實ぇぇぇ!』」


 真正面と耳元から聞こえてくる間仁田のアホボイス。僕はやかましい電話を切り、間仁田の方に目を向けると、刈米さんの手を引きながら走る間仁田が大量の米信者を引き連れながら僕たちの方に向かっていた。


「最初からクライマックスじゃないかあああああ――――!」

 回れ右して来た道を戻る僕と仰翠。足がムダに速い間仁田はすぐに僕たちの横に並んだ。

「は、離してください。走りずらいです!」

 抗議する刈米さんを無視して走る間仁田。まあ、実際手を離したら追いつかれてしまいそうだしな。いや、間仁田の走りについてこれてる時点で相当運動神経がいいのか?


 渡り廊下のその際にある階段を僕たちは降りていく。二階に到達し、前方を見ると米信者たちも僕を見ていた。

「いたぞ、刈米だ!」

 リーダー格っぽい奴がそう言うと、一斉に走り出した。

 一階に降りようと下を見る。そこにも米信者がいたぞちくしょうめ。

「いたぞ、刈米だ!」

 これまたリーダー格っぽい奴がそう言うと、一斉に走り出した。

 階段の上からも声がした。

「いたぞ、刈米だ!」

 米信者はボットの集まりなのか?


 少し進んで左に折れる。右は突き当たりの教室があって行き止まりだ。逃げるのなら廊下の続いている左しかない。

 左に進んだ瞬間、徐々に僕たちのスピードが落ちていった。

 曇天の空がさらに深まったような気がした。どういうわけか、廊下の蛍光灯も点滅を繰り返して死にかけている。


 廊下の先に、一人の女子生徒。

 その女子生徒の容貌は僕がついさっき見たものとほぼ同じだ。

 違うのは、その全身と、金属バットが、返り血のような赤い液体にまみれているという点だ。

「あら、桂木君」

 かつての惨劇が蘇る。

「あの子たち、叩くと本当に消えるんですね」

 間仁田の顎関節がピストンし始めた。

「私って、お片付け大好きじゃないですか?」

 血脇はにぃっこり笑って、

「お掃除しなきゃ」

 徐々に勢いをつけながら走り出した。


「うわあああああ――――――――!」

 間仁田の悲鳴と共に僕たちは団子になって逃げ出した。よく見たら米信者たちも逃げている。血脇の猟奇的な容貌に僕たち同様恐れおののいたのだろう。


 一階、二階、渡り廊下、突き当たりの教室。この四択をそれぞれがそれぞれ選び、まさに蜘蛛の子を散らすようだった。

 僕たちは一階に降りて、また左に折れて廊下を走った。

「いたぞ、刈米だ!」

 進行方向からまたもやボットの声…………いや、この声って。

 全速力で向かってくる三人組に目を凝らす。

 バカやろうだった。


「何してんだ行方あああああ――――!」


 行方、男乕、音海の三人が倍速のリビングデッドのように走ってくる。

 行方の突進を僕は体で受け止めた。残る他二人は仰翠が一人で引っ捕らえていた。すごいね。


「お前、なんで米信者になっているんだ!」

「ふっふ、米、米、米米米米米米米米米米、ふっ、米ッ、米ェッ!」

「いや、ラリってんじゃねーよ!」

 だいぶ米に脳をやられてしまっている。こんなのもはや社会復帰できないだろ。

「文士、ランドルト環だ! 行方の目を覚ましてやるのだ!」

「そうか!」

 僕は慣れた手つきでランドルト環を作り、行方の脳に真実を流し込んだ。

「米米米米米米米、米米米、米米、米、こ…………め………………?」

 大丈夫だ。社会復帰できそうな感じに戻ってきた。そもそもこいつのキャラクターが社会になじめるかは知らないが。

「あれ? 何してんだろ」

「私も、何をしていたのでしょう」

 行方と連動して男乕と音海を正気を取り戻した。行方の米に対する認識を改めてやったからだろか。だとしたら、他の米信者と化した行方ガールズも棄教しているかもしれない。


「男乕さん、音海さん、見ぃつけた」


 夏の怪談よりも恐怖心を煽る声が背中に刺さった。

 血脇が、来ていた。

「あ、康太君」

 行方を視認した血脇が急にモジモジし始めた。怖い。

「涼子…………」

 行方は赤い液体にまみれた血脇を見て、貝殻のように固まった。

「ま、待っててね。今すぐ、そこの二人の頭をぶっ飛ばして、他の女の頭もかっ飛ばして、康太君に会いに行くからね」

 頭付近に『っ』が三つくらい出てくる漫画的表現が似合いそうな素振りで血脇は言った。そして、男乕と音海を交互に見て、

「死ねばいいのよ」

 と、平然とした声で言った。


「全員、走れ!」

 仰翠の呼びかけで固まった時間が動き出す。僕たちは廊下を全力で走り出した。

「戻れ行方!」

 と、仰翠。

「戻って告白してこい行方! そしたらお前の悩みにもキリがつくだろ!」

 と、僕。

「ふっ! いやいやおっかないおっかない! ふっふっふ! 殺生殺生いやいやよくないよくないっ!」

 呂律が回りまくっている行方。

「うわあ、あいつ速い! あいつ速い!」

 と、ビビり散らかす間仁田。


「ふぎゃっ!」

 どんくさい声と痛そうな音が響いた。刈米さんがドジっ娘メイドのようにこけていた。間仁田の引っ張る手についていけず、足をもつれさせてこけたのだろう。

 全員が助けたくても戻れないもどかしさを感じながら走っているようだった。すると、血脇が刈米さんを抱き起こし、首筋に金属バットを当てた。


「返してほしければ、その二人を差し出してください」

「涼子………………」

「ひっ、い、いや……」

「刈米さぁん!」

 間仁田の大声を最後に、廊下は静まりかえった。どうすればいい。いや、このまま全員に思いを伝えさせればいいんじゃないか?


 僕は行方の背を押した。

「行け! 行け! 行方、ゴー!」

 仰翠も加担した。

「何も怖くなどないぞ。さあ、行くのだ」

 じりじりと押されて前進していく行方。意外にも、抵抗が少ない。

「お、おk……」

「おお、行方。僕は信じていたぞ。お前ならわかってくれるって!」


 行方は自分の足で血脇の前まで行き、爆速で振り返り、残像を作りながら僕らの間を駆け抜けた。

「バカ野郎!」

 対血脇が逃げたら、僕たちはもう何もできないじゃないか!


「か、刈米さん!」

 また叫ぶ間仁田。体はすでに逃げていた。

「絶対に助け出すからああぁ――――!」

「は、薄情者…………!」

 青ざめる刈米さん。


「いたぞ、刈米だ!」

 廊下の先から米信者ボットたち。

「あ! 血脇涼子もいるぞ!」

 怯える米信者のうちの一人。

「構うな、マンパワーだ!」

「数で押せ、数で押せ!」

「大義のために命を捨てるんだ!」

「チェストおおおおおおおお!」

 覚悟ガンギマリの米信者たちが走り出すと、つられて他の米信者たちも走り出した。

 米信者たちは僕と仰翠には目もくれずに特攻していく。米信者たちの中にエロゲ制服はいなかった。戦力は減らせたようだな。今の状況的にそれがよかったのかどうかはわからないが。


「拙僧たちも引くぞ」

 仰翠の言葉に従うことにして、僕たちはその場から去った。




 僕たちが行き着く場所と言えば文芸部室だ。間仁田と行方もそうだったようで、二人ともすでに部室でゼーゼー言っていた。僕も同じようにゼーゼー言いながらパイプ椅子に座った。この場でゼーゼー言っていないのは、行方の横に控える男乕と音海だけだ。だが、二人は充電が切れたかのように黙ってうつむいている。


 息が整い始めた頃、仰翠が部室に戻ってきた。

 仰翠は部室に戻る途中に、学校中を念のため見ておくと言って僕と別れたのだ。


「これを見ろ」

 仰翠が長テーブルに置いたスマホの画面を全員で覗き込む。そこには一枚の写真が写っていた。

 体育館のアーチ型の屋根の上に、無理矢理と言っていいほど雑な感じに、十字架が突き刺さっていた。そして、その十字架に磔にされていたのが、

「刈米さん!」

 僕より先に間仁田が答えを言った。

「刈米さんをどうするつもりなんだこいつら……」

 僕の言葉を聞いた仰翠が画面をスワイプし、別の写真を表示した。

「米信者たちは体育館に各所から工面した大量の米俵を運んでいた」

「なんでだよ」

 楽しそうな米信者たちに囲まれているのは、見上げるほど山積みにされた米俵だった。また仰翠は新しい写真を見せた。

「刈米の前でこれ見よがしに食すそうだ。見せしめ、もとい、祝宴といったところだろう」

 またスワイプ。

「大量の木材も持ち込んでいたから、体育館で火をおこすつもりだそうだ。おそらくその火力を使ってふっくら炊きたてご飯をいただくつもりなのだろうな」

 みんなでえっさほいさと巨木を運んでいる。

「……めっちゃ楽しそう」

「ふん、狂信するあまり著しく知能が下がっているのだろう。哀れなことだ」

 嘆く仰翠。間仁田は頭を抱えたまま動かない。行方は複雑な面持ちで写真を見ている。

 ……仕方がない。部長として仕事をするか。

「席に着け。文芸部緊急ミーティングだ」




「間仁田、行方。自分たちがどれだけ大変なことをしでかしたかわかっているよな。どうしてこうもまあ、上手くかみ合ってしまうんだ。米の需要が高まった世界で、人口爆発による米不足。デモが起こり、食糧不足が起こり、第三次世界大戦勃発寸前。こんなマヌケなことあるか。お前らは世界を滅亡させる気か?」

「そんなつもりは」

「ふっふっ、なかったんだ」

 息ぴったりな二人。


「間仁田の悩み事はもうわかっている。行方、お前の悩み事は血脇に対する恋心で間違ってないな?」

 行方は発言をためらうかのように口を動かし、やがて諦めたように、

「巫女たん、奏たん、目と耳を塞いでくれ」

 無言で従う男乕と音海。


「ふっふ、ご名答だよ桂木。そう俺は、涼子が好きなんだ。ふっ、だが、ヘタレが出てしまったんですな。涼子から逃げていたんだ。ふっ、まっすぐ思いを受け止めるのが怖かった。ふっふっ、いやいや、ただ、全くそれだけのこと。あとの理由は、まあ、ふっふ、涼子おっかなさすぎワロタ。本当に好きになっちゃダメな希ガス。と、思ってしまったんだお」

 いつものように早口だが、口調はどことなく落ち込んでいる。

「ふっ、でも、最近思うんだよ。俺、やっぱりアイツのことが好きなんだなって。いやいや恥ずい恥ずい!」

 手のひらをうちわにして仰ぐ動作をながら、

「巫女たんと奏たんは唯一、俺が拘って生み出したんだ。ふっふ、他は、まあ、俺の力が大きくなるにつれて、ポコポコ生まれてっただけなんだけど! ふっふっ、あれ? 俺何かしちゃいましたか? いやいや、ふっふ、笑えない笑えない!」


「真面目に話せ」

 仰翠のしびれる一喝。

「でも、ふっ、この二人と過ごしてても、味気ないというか、物足りないというか、求めているもんはこれじゃないというか、欲張りすぎは死すべきってか!?」

「逝ってよし」

「ふん、貴様のやっていることは所詮人形遊びだ。飽きて当然だろう」

 僕よりも辛辣なことを言ってのける仰翠。


「俺はアイツと向き合うのが怖かったのかもしれないぞい。ふっふ、けどけど、さっきもあんな形で逃げちゃったけど、俺、あいつの思い、これでもかってくらい受け取ったんだよなあ。ふっ」

 気持ちの悪い粘ついた笑みを見せる行方。いったいどんな思いをあのサイコパスから受け取ったと言うんだ。


「ふっふ、涼子は俺を救うために、ふっふっふ、俺の生み出したエロゲ制服たちを倒して回ってんだ。ふっふ、あいつ頭弱いから、たぶん、ふっ、全員消せば俺の能力が消えると思ってんだろうなあ。だから、ふっふっ、ああやって一人ずつ一人ずつ倒して回って。ふっ、胸熱。ほんと、健気でかんわいいよなあ」


「ん?」

 聞き間違いかな?


「俺、三次元女があんなにかんわいく見えたの初めてだよ。ふっふ、ほんと、バカだなあ。俺のためにあんなに頑張っちゃって」

 聞き間違いじゃなかった。


 どんな論理的飛躍をすればそんな解答に行きつくのか、是非是非教えてもらいたくない。

「イディオットにはついていけないよ」

 やれやれと肩をすくめてアメリカンな身振りをする間仁田。


 仰翠はそんな間仁田の右頬をビンタして黙らせ、

「ああ。最高に貴様思いの幼なじみだな。羨ましい限りだ」

 適当にフォローして、こちらの都合通りに行方を動かそうとする算段だな。

 ここは乗っかっとこう。

「あんなに献身的な幼なじみをほっとけないよな。行方」

「何を言ってるんだい? 君たちは」


 仰翠が間仁田の左頬をビンタした。

「うん、なんだか素晴らしい気がするよ行方」

 こちらの意図を理解していないだろうが、間仁田が僕らに合せだした。

「貴様の能力は、貴様の抱える問題を取り除けば消える。存分に血脇に告白して来るがいい。もしかしなくとも両思いだ」

「ふっふ、頑張るお!」


 よし、これで行方は大丈夫だろう。たぶん。

「あとは貴様だ間仁田。告白しろ」

 間仁田も大丈夫だ。ついさっき僕は間仁田の宣言を聞いた。玉砕覚悟で告白してくれるはずだ。

「い、いやあ、難易度が高いんじゃないかな。僕のレベルに合ってないかも」

「はあ?」


 おいおい、お前言ってることが違うじゃないか!

「貴様、あのときの勢いはどこに行ったのだ。告白しろ」

「あのときはさ、ほら、うん、パニックだったから」

「ふっふ、俺も告白するんだから、ふっ、間仁田も告白しろい!」

「嫌だ! やっぱり嫌だ!」

「ハッキリ嫌って言いやがったなお前!」


 僕の怒りに対して間仁田は、

「どうしてフラれるとわかっててプロポーズしなければいけないんだ!」

 もっともらしいことを言いやがった。


「今、好感度上げに努めている途中なのに、急いては事を仕損ずる。うん、そうだよ、まだ、時機じゃないんだよ!」

「上がらん!」

 恫喝する仰翠。

「好感度パラメーターなど、上がるものか!」

「ふっふっふっふう! あれで好感度上げのつもりだったのか! 草! この不肖行方! いやいや、てっきり間仁田は好きな子いじめるタイプなんだと思ってたニキでござるうっ! ふっふ、大草原不可避っ!」

「効果的に好感度を上げるための一時的な下げを僕はしてきたんだよ! ラブコメとかでよくあるじゃないか!」

「違う違うゾちっがうゾ! ふっふ、ああいう下げは意図してやるもんじゃなく、偶然が重なって下がってしまうものなんだよなあ。それで後に誤解が解けて認識が変わってちょっとずつ上がっていて、はい勝手に乳繰り合っておくんなましまし! これが様式美だと思うんだが? あーはん?」

 ノリにノリ始めた行方。

「僕はそれを意図的にやるんだよ! 策士だから! まさに、恋愛頭脳戦! ラブ・ラブ・ウォー!」

「ふぃーっふっふっ! 恋愛頭脳戦は好き同士じゃないとできないんだぜえいっ!」

「君は何もわかっていないよ! もう一度ラブコメを読み直してきたらどうだい」

「テラワロス! 草生えるゾオッ!」

「いいかい行方。恋愛はギャンブルと一緒なんだ、うん、そうだよ、株価の変動と一緒って言ってもいい。大事なのは『見』だ。見極めが大事なんだ。僕はそれをずっとやっている。ずっとやっているんだ。考えなしの恋愛脳たちとは違う。言ってみれば、データラブコメだ。僕はデータを収集して刈米さんという女性を攻略しようとしているんだよ!」

「ふっ、でも、そのデータを活かすためのフィジカルがなきゃ意味なんていだろがあいっ! データキャラがいまいちパッとしないのってそういうとこなんだよなあ。ふっふ、データ集めるだけで満足しちゃってるんだよなあ。そんで、お前はデータすら集められてない。ふっ、刈米は米好きとかいうエラーデータしか収集できてない」

「じゃあ、データを捨てる!」

「捨てていいデータしかないんだってのおいっ!」

「うるさい!」

「ファッ!? うるさい!? ふっふっ、うるさいっつった!? ふぁっふぅっふぅっふぅっ! お前のために忠告してやってんのに? ふぅーっ、ふぅーっ、最高だぜ兄弟」

 行方は今日、全エネルギーを使い果たして死ぬかもしれないな。

「僕は今、レベル上げに忙しいんだ! ボス戦がヌルゲーになるまで僕はレベルを上げ続けるんだ!」

「めんどくせえことネット民が如し! ふっふっふっ!」

「僕は僕の信念を貫いているだけだよ! まあ、ブレない生き様というのはいつの時代もめんどくさがられるものだから致し方ないよね!」

「ふっふ、ブレブレだっつの! 人としての軸がよおっ!」


「間仁田、貴様には彼女ができない!」

 堂々巡りになりそうな禅問答にしびれを切らしたのか、仰翠が割って入った。

「ほ、本当に君たちは話が通じないな!」

 間仁田が逃げだそうと入り口に向かって走り出した。だが、

「逃げると思ったよ、間仁田」

「桂木……!」

 僕が入り口を塞いでいる限り、お前はここからは出られない。

「間仁田、僕には好きな人がいるんだ」

「そ、そうなんだ」


 唐突すぎるカミングアウトに間仁田は困惑した目を僕に向ける。当然間仁田は家子彩琶のことを忘れているから仰翠から聞かない限り、僕の恋愛史についての知識はない。そして、僕がランドルト環を作ったところで、僕自身仰翠から伝聞しただけであるから、間仁田に伝えることもできない。


「どこにいるかもわからなければ、どんな顔をしているかも忘れてしまった。だが、僕はその人に告白する。死んでも告白する」

「ら、らしくないじゃないか桂木。君は知的民族だろ? もっと精神的なコネクトを大事にしないと…………」

「知的民族とか肉体民族とか、もうそんなこと関係ない。どうでもいい。そんな曖昧模糊で子どもっぽいカテゴリーに拘るのはもうやめにする」

 そして僕は間仁田に伝えてやることにした。

「本能が唸っているんだ。好きだ好きだとうるさいんだ。だから僕は告白する。どこかに消えてしまった彼女を死んでも見つけ出して、思いの丈をぶちまけてやる」


 僕視点でも間仁田が圧倒されていることがわかる。手前味噌だが、それくらい僕の発言は衝撃だったのだろう。

「僕は変わるぞ。行方も変わる。仰翠はすでに僕たちよりもはるか先を進んでいる。あとは、お前だけだ。僕たちは、容赦なくお前を置いていくぞ」


 間仁田は固く目をつぶり、黙考するかのように押し黙った。

 しばらくして、

「……わかったよ」


 喉の奥から絞り出すような声が聞こえた。間仁田はキッと顔を上げ、

「君たちが本気なら、僕も本気出して、そして、フラれてやる!」

 ずっと聞きたかった玉砕覚悟の宣言だった。

「僕も、僕も変わってやる! 変わるんだ! そして、フラれてやる!」

「そうだ! 間仁田!」

 と、仰翠。

「青春は居直ってから始まるのだ!」

「ふっふ、今のお前、最高にイカしてるよおっ! ふっふっふ!」

「ありがとう! みんな! よし、じゃあ円陣を組もう!」

「おお、ううんん…………」

 賛同しかける僕。


「何を恥ずかしがってるんだい? 文化系の部活だからかい? たまにはこういうことをやろうじゃないか! うん、それがいいと思うよ。だって、これからファイナル・バトルなんだから!」

「……ふっふ、おいおいテンション上がりすぎい。ふっふっふ、変なスイッチ入っちゃったかあ? ふっ、まったく香ばしい」

 お前はお前でさっき死ぬほどテンション高かったけどな。


「やるぞ」

 意外なところから賛同の声が上がった。仰翠だ。

「ここで円陣を組まなければ、今まで拙僧たちが積み上げてきた努力がすべて水泡に帰してしまう」

「ふっふ、主語がデカいぜ」

 仰翠は勝ち鬨をあげる比叡山の僧侶のような声の大きさで、

「これは分岐点だ! 気合いは、勝敗を左右する!」


 僕と行方は顔を見合わせた。無言のアイコンタクトを数回行なったが、行方が何を伝えたいのかわからなかったし、行方も僕が何を伝えようとしているのかわからなさそうな顔をしていた。


 行方は大きく溜息をつき、

「ふっふ、ああ? しゃあねえなあ。少年漫画みたいで赤面しちまうぜい」

 あいつは案外こういうのが嫌いじゃないのかもしれない。まあ、かく言う僕も嫌いではないけど。

「わかったよ」

 僕が賛同すると、輪が形成されていった。


「文士、部長としてかけ声を頼む」

「ふっふ、そういやさあ、ふっふ、お前らいつの間に下の名前で呼び合う仲になったん? ふっふ」

「まあ、いろいろあったんだ」

「ふん、この際だから貴様のことを康太と呼んでやろうか」

「ふっふ、それもまた一興……。だが断る。ふっふっふ、俺はこの名字を気に入ってからよお」

「僕のことも間仁田ではなく、下の名前で呼んでくれて構わないよ」

「お前の下の名前なんだっけ。仰翠、わかるか?」

「記憶にないな。行方はどうだ?」

「ふっふっふ、知らん!」

「…………輪から抜けようかな」

 誰から吹き出したのかはわからないが、自然と笑いがこぼれだした。今が過去一雰囲気がいいかもしれない。


「よし、お前ら、準備はいいな?」

 全員が顔を見合って首肯した。僕は息を大きく吸い込み、

「文芸部、ファイトオオオオオ――――」

 運動部の見よう見まねでやってみる。


「オウ!」「っしゃあ!」「よおし!」「頑張るぞい!」


 この結束力のなさよ。




 作戦会議。


 円陣を終えた僕たちは、どのようにして刈米さんを救出し、血脇の暴走を止め、この異常な世界に終止符を打つのか考えることにした。


「お前らって能力は止められないけど、使うことはできるのか?」

 僕の質問に最初に答えたのは間仁田だった。

「うん。僕は意図的にパンに米を入れなかったからね。ストップはできないけど、オペレーションはできるんだよ。うん、もしかしたら、僕が生み出した米からも米を生み出せるかもしれないね」

 米が米を生むのか。この先どれだけクローン技術が進歩しようとも、真っ先に米を増やそうと思う研究者はいないだろうな。


「ふっふ、俺は自分の命令で動く傀儡をたくさん作れるぞい」

 言い方がキショいな。


「お前らの能力を上手く活用できれば強いんだが…………」

 僕は頭を巡らせた。多少強引でもいいから何かいい案はないだろうか。間仁田、行方の能力、僕と仰翠にできること、学校の備品とかを使って何かできないか、あんな高所に磔にされている刈米をどうやって助けるか、近づいたら、米信者にマンパワーで押されてしまう。暴れ回っている血脇。あいつは今どこにいるんだ? 逃げ惑うエロゲ制服たちをこの校舎のどこかで狩っているのだろうか。

 考えろ、考えろ。


 ……………………。


 パッと思い浮かんだ案が一つある。成功率が高いかどうかはわからない。だが、誰かに導線づけられていたように、僕の頭に突然浮かび上がったのだ。

 あとどれくらいの時間があるかわからない。次にいい案が浮かぶまでどれくらいの時間がかかるかもわからない。

 周りを見ても、間仁田も行方も何も思いついてなさそうだった。仰翠は、思いついているのかいないのかわからない微妙な顔をしている。

 よし、もう勢いで押してしまおう。

 困ったらパワープレーだ。




「こちら桂木、無事血脇を呼び出せた。もうすぐ来るだろう。どうぞ」

『こちら間仁田、体育館前にスタンバイ、どうぞ』

「こちら行方、桂木の横でスタンバイ、ふっ、どうぞ」

「こちら時實、桂木と行方に見守られながらスタンバイ、どうぞ」


 僕と行方と仰翠は今、本校舎二階にて、血脇を待っている。間仁田は体育館前に隠れさせて、通話で逐一報告を取り合っている。僕と行方と男乕と音海は教室の中に潜み、仰翠は僕たちのいる教室の前の廊下にて仁王立ちだ。


 いわゆる、囮作戦だ。


 僕たちは先に間仁田の方を解決することに決めた。理由は簡単だ。刈米さんを救出するのに行方の能力を使うためだ。先に行方の問題を解決してしまっては、能力が使えなくなってしまうからである。

 そして、囮というのは仰翠のことであり、仰翠には血脇を体育館からなるべく遠ざけてもらう。行方の能力を使うということは、エロゲ制服が出現するということ。その現場を血脇にひっちゃかめっちゃかにしてもらいたくない。だから、対刈米さん用の間仁田を除く中で、一番足の速さに定評がある仰翠に囮になってもらったのだ。


「こちら葛飾区――――」

「黙れ」

 仰翠は行方の小ボケを完封した。

 今の仰翠は腹を空かせた猛禽類よりも機嫌が悪い。囮にされたから怒っているのではなく、理由はもっと別にある。

 血脇が来るまでの間、僕はついさっき行なわれた会議の風景を思い出していた。




「拙僧が囮になるのは構わんが、エロゲ制服を着ていない拙僧がはたして囮として機能するかは…………そうか、貴様が言いたいことはわかった」

 察しのいい仰翠は僕が今から言おうとしていることを先読みしたらしい。


「エロゲ制服に着替えてくれ」

「断る」


 僕は部屋の隅に置かれた段ボールに目をやった。

「ちょうどそこに行方の私物のエロゲ制服っぽいコスプレ衣装があっただろ」

「ふっふ、正確には、『魔法少女BASARA(ばさら)』の限界突破ギリギリ全開第四形態殺戮型プリティーモードな。布面積の少なさが売りですっ!」

「見方によっちゃエロゲ制服に見えないこともない。あれを着て血脇をどこかへ引きつけてほしい」

「断る。……文士、貴様はどうしてそこまでして拙僧をメスにしたがるのか」

「……そういうわけじゃ、……ない」

「な、なんだい桂木と時實の間に流れるこの耽美なムードは?」


 僕は気を取り直し、

「サイズは多分、大丈夫だ。間仁田が去年学園祭で着れていたし」

 去年の学校祭で、文芸部はオリジナルの機関誌を売ることになった。それだけでは華がないという理由で、誰かを女装させようという悪ノリが生まれ、抜擢されたのが間仁田というわけだ。

「ふっふ、実に懐かしい。間仁田が売り子になった途端に、客層が変わったのは今でもこの目ん玉に焼き付いちまってんだよなあ。正直、ゾッとしたゾ」

 どんなお客様が鼻息荒く押しかけてきたかは思い出したくないな。

「ふっふ、似合ってたなあ」

「ああ、よく見たら美形レベルの顔だったのが痛手だったな」


 間仁田は怖気を振るいながら、

「うん……。おかげで、フレンドが増えたよ。僕は今でも姫なんだ……。あ、刈米さんじゃないよ。僕自身の話さ。………………実入りが、良いんだよ……」

 間仁田の名誉のために言っておくが、彼は違法なことは何もしていない。ただ、女性と接点のないアニメ文化に精通している男の人たちから深い愛情を向けられているだけなのだ。彼の操は今も守られている。

 普段、この話題を出すと間仁田は怒るが、たまに悔恨するかのように現状を語ることがある。自分が中心にいてチヤホヤされているという快感から抜け出せないらしい。ズルズルと新たな趣味にはまっていく友人の背中を僕はいつでも押してやるつもりだ。


「ふん、オタサーの姫だな」

 仰翠め。その単語をあえて誰も言わなかったのに。

「可哀想だろ」

「ふっふ、そうだそうだ。カワイソス」

「自分のことを棚に上げるのは良くないぞ貴様ら。いつもそのことで散々間仁田をイジっているだろう」

「ふっふ、あれはカウンセリングなんだなあ」


 部室内に奇妙な停滞した空気が生まれた。このままじゃ埒があかない。

「頼む! 引き受けてくれ。毎日何駅ぶんも歩いているだろ? その脚力を活かすならここしかない!」

 こうなったらもう拝み倒すしかない。

 どれくらい時間がかかるだろうかと考えていると、

「……ふん、やればいいのだろう。どうせこうなる運命なのだ。覚悟はしていたさ」

 不承不承ながら仰翠は引き受けてくれた。




「こちら魔法少女BASARA、血脇はまだか」

 肩と腹と太ももを大胆に露出させた仰翠が遺恨のこもった声で言った。

 僕は仰翠のフリッフリな衣装を盗み見しながら、

「もうすぐだ。もうすぐ来る」

 仰翠が持つ魔法ステッキを眺めること数秒、廊下の先から清流のような声が聞こえた。僕たちは咄嗟に身を隠す。


「どうしてそんな格好しているんですか? 時實君」

 クスクスとした笑い声の主は血脇涼子だ。頑張れ仰翠。腕の見せ所だぞ。

「貴様には、拙僧が普通の時實仰翠に見えているようだな」

「見えてませんけど」

「無理もない。本物そっくりだからな」

「本物でしょう?」

「ふん、節穴め。拙僧は、行方康太によって作られた虚像だ」


 楽しそうに笑っていた血脇の動きが止まった。だが、ホラー作家が描きそうな微笑は崩さず、

「それはどういうことですか?」

「言うまでもないだろう。行方は拙僧を作りだしてしまうほど、拙僧に恋い焦がれているということだ。昨夜はとおっても楽しかったぞ」

「そうですかそうですか。私は以下略ですけど」

「やはり貴様は負けヒロインのようだな。行方、いいや、あえて二人のときにしか呼ばない名で呼ばせてもらおうか。康太きゅんの正妻としてふさわしくないと言うことだ。ちなみに康太きゅんからは仰翠ちゅわんと呼ばれている。ふん、負けヒロインはさっさと失せろ」

 恐怖とは別で体が震えそうになる会話だった。


「…………ふっふ」

 隣の行方は笑いを噛み殺すのに必死なようだった。お願いだから耐えてくれよ。

 おつむが足りない血脇なら、挑発にすぐに乗ってくるだろうと言ったのは行方だ。さて、効果のほどは…………。


「私って、危険を予測するタイプじゃないですか?」

 知らん。

「私、初めて見たときから時實君のことは危険だなって思ってたんです。女の勘というか、野生の勘というか、とにかく貴方は危険だと、私の本能が告げていました」

「拙僧は貴様のような負けヒロイン、危険だとも思わないがな」


「ふっ…………、オイオイオイ。死ぬわアイツ」

 黙ってろ行方。

「やはり貴方は味方ではなく、獅子身中の虫だったわけですね。なら、私がすべきことは一つだけ」

「来るなら来い」

「もう言葉は不要ですね。ええ、そうです。以下略です」


 駆ける足音。周囲が揺れる速度で二人が動く。

 顔を上げたときにはもう廊下はがらんどうになっていた。


「ふっ!? いたぞ!」

 廊下と反対側の、割れた窓の外を見ながら行方が言った。駆けよると、すでに仰翠と血脇は運動場で追いかけっこをしていた。いや、速すぎんだろ。


「よし! 行方、やれ!」

「ふっふ、おかのした!」


 作戦は次の段階に移る。行方は電源がオフになっているテレビのように押し黙っていた男乕と音海を起動させ、

「フュー…………ジ○ン」

 と、二人にシンメトリーで面白い動きをさせながらそう言わせ、

「はっ!」

 二人が両方の手の人差し指と人差し指を英語の『C』を上半身と両腕で描くようにしてくっつけた途端、目映い光が発せられた。


 目を開けると、そこには…………、

「血脇…………」


 二人が合体して、血脇が錬成されていた。


「ふっふ、できた……できたぞおおおお――――――!」


 行方と渾身のハグをキメる僕。男乕と音海は元々ベースになった血脇が二分割にされたキャラだ。行方の想像力、もとい、創造力が遺憾なく発揮されればもしかしたらと思った作戦が、ハマったようだ。

「この調子で頼む!」

「任された! はああああああ――――――――――」


 行方は気を溜めるようにして、集中した。

 すると、無数の男乕と音海が、兵馬俑のように出現した。振り返っても、どこをみても、男乕と音海ばかりだ。今、この校舎はこの二人で溢れかえっている。


「ふっふ! おめえたち! フュ○ジョンだあああ!」

 行方が叫ぶと、

 

「「「「「「「「「「フ○ージョン」」」」」」」」」」

 

 と、一斉に男乕たち、音海たちが動き出し、

 

「「「「「「「「「「はっ!」」」」」」」」」」

 

 全校生徒が全力でパンクロックを歌っても届かない声量と、太陽六つ分の光量に耳と目がやられた。


「ふっふ、目がぁぁぁぁぁぁあっ! 目がぁぁぁぁぁぁあっ!」


 お前やりたい放題だな。怒られても知らないからな。

 視力が回復し、目を開ける。

 無数の血脇涼子。成功だ!


「いよっしゃあああああ!」


 僕は行方と熱いハグをキメた。

 血脇は怖い。それは敵だったらの話だ。行方によって意のままに操れるとしたら、血脇という人間ほど心強い仲間はいないだろう。


「聞け、涼子たち! この行方康太によって命ずる! これから君たちには、ふっふ、二班に別れてもらう! ふっ、僕たちについて体育館に行ってもらうチームと、運動場で時實と共に本物の涼子を足止めしてもらうチームだ! ふっふ!」


「嫌です」


 行方の命令に即答で拒否した血脇がいた。……なぜだ?


「ごめんね、康太君。私も嫌かな」

「私も、ちょっと嫌かな」

「私も」

「奇遇ですね。私もです」

「あら、私も嫌なんです」

「こんなことってあるんですね。私も嫌です」

 おいおい、なんだこれは。血脇同士が盛り上がり始めたぞ。


「うぇ? うぇ? バ、バグった?」

 行方としても予想外の出来事だったらしい。

「どうして、嫌なんだ?」


 たまらず僕は質問した。血脇のうちの一人が、

「どうしても何も、この世に私は一人でいいじゃないですか?」

「そうですね。私もそう思います」

「気が合いますね。私もです」

「私もそう思ってたんです。お友達になれそうですね」

「もはや親友と呼べるかもしれませんよ?」

「ま、待て、一斉に歓談を始めるな!」

 僕がそう言うと、血脇たちは黙った。怖い。

 そして、

「だって、一人じゃないと、康太君の愛が分散しちゃうじゃないですか」


 そう言った血脇が、横の血脇を金属バットでぶん殴った。殴られて血脇は赤い液体となって飛び散る。


 マジで、マジで、マジでやばいんじゃ?

「お、い、行方、なんで金属バット持ってるんだあいつ」

「ふっへへ」

 気持ち悪い笑いのあと、

「だ、抱き合わせで想像しちゃったかもシレンヌ。許してクレメンス」

「速く消せよ!」

「ふっ、消し方、わっかんね」

「おい――――ぷわっ!」

 顔に液体がかかった。ばっちい。

「うわあ」

 血脇たちが当たり前のように殺し合っていた。教室は一気にデスゲームの本戦会場のような殺伐とした雰囲気に包まれてしまった。


「死になさい」

「貴方が死ぬのよ」

「いいえ、死ぬのは貴方です」

「あら、死ぬのは私でしたか」


 僕たちは教室から抜け出した。だが、廊下でも惨劇が行なわれていた。

 いったい誰だ。数は多けりゃ多いほどいいとか言って、校舎全部を使って血脇を生成しようとか言い出したおバカさんは…………、僕だぁっ!


「本物は運動場らしいですよ」

「本当ですか?」

「情報提供感謝致します」

「では、運動場に行ってきますね」

「待ってください。その前に貴方を殺します」

「いいえ、私が殺します」


 血脇たちの動きに流れができた。運動場に向かう者が増えたのだ。

 ありがとう、仰翠! 囮作戦は成功だ! 


「ぬをおおおおおお――――――――!」


 運動場の方から魂を揺さぶる雄叫びが聞こえた。仰翠だな。

 …………あいつ、エロゲ制服っぽいコスプレ衣装着てたよな……。

 考えないようにして、体育館に走った。




「時實のライフは祈るしかないようだね」

 間仁田と合流した僕たちは一度体育館から遠ざかり、中庭の茂みに潜伏していた。

「ふっふ、どうする桂木」

 どうにかして体育館の中にいる米信者たちを攪乱させないといけない。最高戦力と目されていた血脇のデッドコピーたちはもう頼りにできない。なら、

「数で押すしかない。血脇じゃなくてもいい。一番従順な男乕と音海を大量に生み出すんだ。それでみんなで体育館に押し入る。間違ってもフュー○ョンするなよ」

「イエス、マイロード」


 中庭いっぱいに増殖されていく男乕と音海。

「間仁田、わかってるよな? 体育館が混乱に陥っている隙に、お前は持ち前の身体能力を使って屋根の上まで何とかよじ登るんだ」

「うん、キャットウォークに上がったら、窓を開けて、上手い具合に屋上まで行くんだったよね。……うん、僕だけ指示が雑じゃないかい? 気のせいかな?」

「気のせいだ。それに、お前足速いんだからパルクールみたいなこともできるだろ」

「決してイージーじゃないと思うな」

「ゴネるな。安心しろ。落ちても大丈夫なように秘策も考えただろ」

「うん、そうだね。生きるも死ぬも全部僕次第ってことだね。オーケーだ。腹はもうとっくにくくってある」


「じゃあ、総員、突撃ぃ!」


 福男選びよりも激しいスタートダッシュ。中庭を突っ切り、体育館をこじ開け、中に侵入。

 侵入者の数の多さと同じ人間の多さに思わず目をひんむく米信者たち。僕と行方は間仁田と共にキャットウォークめがけて走った。


「全員同じ顔をしているぞ! きっと魔女の仕業に違いない! クソッ、パン屋め。刈米の仲間だ! 好きにさせるな! 弾圧しろ!」


 山積みにされた米俵の前にいた米信者がそう言うと、戦いの火蓋が切って落とされた。

 未だかつてここまでの闘争を見たことがない。ここには、世界中の全エネルギーが集まっている。若者の力恐るべし。

 キャットウォークへ上るためのはしごへは、混乱のおかげですんなりとつくことができた。


「気をつけて行けよ!」

「桂木と行方も死ぬなよ!」

「ふっふ、俺、故郷に帰ったら結婚すんだあ」

 死亡フラグを立てるな。

「おい! なんだあいつ! まさか刈米を助ける気か!? させねえ! 弾圧しろ!」

 速攻でバレた。米信者たちが僕らの方へ向かってくる。


「か、桂木、行方…………!」

「いいからさっさと行け!」

 僕は間仁田を急かし、ファイティングポーズを取った。横を見ると、行方も同じポーズを取っている。なんかこんな二人組、芸人にいたよな。嬉しいときとか悲しいときとか教えてくれる人たちだっけ? いや、こんなこと考えてる場合じゃない!


 袋叩きを覚悟したそのとき、

「させぬえええ!」

 モテなさそうな野太い声のぽっちゃりとした男が僕たちの前に躍り出た。

「きょ、きょきょらしゃきはいきゃしぇにゃい……!」

「ここを通りたければ我が輩たちを倒してからにしな!」

 セリフ噛みまくりのヒョロガリ男と、やたらとヒロイックな小柄バンダナ男がそれに続いた。

「み、みんな…………!」

 間仁田が彼らのことをみんなと呼んだ。…………まさか。

「姫、理由はわからないけど助太刀するゆおおおお」

「おおおれ、っひめ、ちゃしゅける!」

「米よりも姫だこんちくしょう!」

 ここで言う姫は決して刈米姫さんのことではないだろう。この姫は……、

「姫って呼ばないでっ」

 間仁田だ。間仁田のお友達が駆けつけてくれたんだ。発言からしておそらく米信者としてこの場にいたのだろう。

 間仁田、いいお友達を持ったな。

 なんちゃってオタク戦隊は米信者たちに飛びかかっていった。

「ふっふ、シンパシーを感じるぜえい!」

 彼らとほぼ同系統の行方もそれに続いた。

「桂木!」

 間仁田は窓を開けながら、

「外から見ていてくれ!」

「わかった!」


 僕はオタク四人衆と米信者、男乕たち、音海たちの間を強引に縫って前へ前へと進んでいった。ていうか、行方お前、間仁田のお友達との親和性高いな。


 命からがら体育館から脱出。間仁田が見える位置まで移動する。僕がその地点に着いたとき、すでに間仁田は刈米さんの拘束を解いていた。間仁田の横にはちゃんと刈米さんがいる。


「桂木! 刈米さんのコンディションからして僕が来た道を戻るのはムリそうだ!」

 だろうな。それくらいは想像していた。刈米さんは、家から野生に放逐されて一日目の夜を過ごすシマエナガのように震えている。


「あれをやるしかないぞ間仁田!」

「ほ、ほんとにやるのかい!」

「やるしかないんだ!」

「リアリー? マジー?」

「マジだ! 覚悟を決めてくれ! どっちみちそうする手筈だっただろ。じゃなきゃお前と刈米さんはそっから降りられない!」

「く、やるしかないか……」

「え、え、何をするんですか? ま、まさか、と、飛び降りるとか? い、いやです。勘弁してください」

 すまない刈米さん。君のお察しの通りだ。だが、絶対に怪我はさせない。


「間仁田! お前の能力なら大丈夫だ! 無限増殖バグを引き起こせ!」

「くそ、やってやる……! や、やってやるぞ………………!」

 間仁田は刈米さんの体を強く抱いた。守りたいという理由の他に、自分を落ち着けたいという理由もあるだろう。

「え……、あ、い、いやっ、は、離れてくださいっ…………!」

 全力でいやがる刈米さん。ごめんなさい。耐えてください。


「間仁田あああ! 行けえええ! フライアウェェェイ!」


 間仁田が一歩踏み出した。そして、

「刈米さん、大好きでえええっす!」


 情けないながらも覚悟の滲む大声を発し、刈米さんを抱いたまま飛んだ。

 それに呼応するように、体育館の窓という窓を割って、滝のように白い粒々が飛び出した。


 米。大量の米だ。


「うわあああっ――――!」

 僕の体は大量の米に埋め尽くされた。上も下も右も左も前も後ろもわからない。僕はたぶん世界で初めておにぎりの具材の気持ちを理解したんじゃないかな。

 体育館に置かれていた米俵の米を、飲食物と捉え、米から米を生み出し、その米から米を作る。さらにどんどん増し増しにしていく。


 まさに、無限増殖米バグ!


 ちなみに、増やした米は乾燥している。じゃなきゃベタつくし、包み込まれたら熱で死ぬだろう。

 僕は今、身動きが取れない。米の増殖が終わったのだろう。米の動きがなくなると、こちらも動けなくなる。ただただ重いだけだ。


 そう、これをクッションにすればダイブしても問題ないだろうという算段だ。


 どこからか微かに『好き』という単語が聞こえた気がした。

 耳を澄ましていると、だんだん体が軽くなっていっていることに気づいた。やがて、曇り空が見えて、体が下へ降りていく。

 米がなくなっていってるのだ。

 しばらくしないうちに、辺りは米の一粒すら落ちていないいつもの学校に戻った。まあ、そこかしこ世紀末風に壊されているが。


「フィニッシュだよ」

 間仁田がどこかスッキリした顔で近づいてきた。

「どうだった?」

 聞く前から、僕には結果がわかっていた。

「フラれたよ。あっさりね」

「……そうか」

「うん、わかっていたことさ。うん。僕は、刈米さんに迷惑しかかけてないからね。うん、これが僕の順当なトゥルーエンドだと思うよ。うん、うん……」

 かける言葉が見つからない。なんて声をかければいいのだろう。

「桂木、君も頑張ってくれ。うん、もし、ダメだったとしても僕がいるからね。安心してプロポーズしてくるんだよ。うん。行方にもそう、伝えといて」


 間仁田はそう言うと頭を振った。そして、

「いや、僕はこうじゃない。こんなの。僕らしくないよね」

 顔を上げ、不敵な笑みを作る間仁田。濡れた目には悲しみは映っていなかった。


「邪推はしないでほしい! うん、僕はね、恋をしている間、とってもエキサイトで毎日がホリデーだったんだ! 後悔はないよ。うん!」

 いつもの大仰な身振り手振りで、

「この間仁田雄作(ゆうさく)、次の恋を始めたいと思いますっ!」

 思わず呆気にとられてしまった。間仁田なら、もっといじけると思っていたのに。


「人生って、こんな感じでいいんじゃないかな?」

 間仁田はキメ顔でそう言うと、決めポーズを作った。

「フラれたときは、アホになろう」

 お前はいつもアホだ。

 だけど、賢いアホだよ。




 米信者たちは憑き物が落ちたかのようだった。みな、自分たちがした行動の動機を考えているようだった。どうやら米にまつわるあれこれは忘れてしまったが、自分たちが何をしていたかだけは覚えているらしい。実にアンバランス。


 僕と間仁田と行方は、仰翠と血脇たちがいる運動場へ走った。運動場に降りる階段から見下ろすと、

「やっば……」


 運動場はまさにコロシアムだった。血脇たちがお互いを殺しまくっている。さながら蠱毒のようだ。

 どれが本物の血脇かわかりっこない。わかるのは仰翠の居場所だけだ。

 仰翠はたくさんの血脇に囲まれながら、迫ってくる血脇の息の根を確実に止めていた。武器は魔法のステッキから金属バット二刀流に変わっていて、返り血すらも避けるという高等テクニックで、ファンシーでキャピキャピした衣装をキレイな状態のまま維持していた。


「どれが本物……?」

 間仁田の疑問に激しく同意していると、

「ふっふ、わかる。俺には、わかるぞおいっ!」

「本当か!?」

 さすが幼なじみなだけはあるな。

「ふっふっふ、一番殺していて、一番返り血を浴びていて、一番動きがいいのが涼子だ。ふっふっふっふ、常考!」

「…………納得のいく説明なのが怖いな」

「ふっふっふ、そんじゃあ、行方、いっきまあすっ!」

 間仁田のようにごねずにスタスタと降りていく行方。勝ちを確信しているからだろうか。その余裕はいったいどこから来るんだろう。


「桂木、僕たちも行こう!」

「お、おう」

 行方の五歩くらい後ろを僕と間仁田は歩いて行った。目的地はどの血脇涼子なのかはわからないが、行方ナビゲーションに身を委ねていれば大丈夫だろう。


 運動場のこの臨場感は、たとえ僕が群雄割拠の戦国時代にタイムスリップしたとしても味わうことはできないだろう。

 さすがに怖くて間仁田と手をつなぎながら歩いていると、先行していた行方が止まった。目の前にいる血脇が本物らしい。


「涼子」

 行方が真っ赤に染まった血脇に呼びかける。残虐性を増した血脇は、何事もなかったかのように、

「どうしたの? 康太君」

「ふっふ、レスバしようぜえ」

 行方は一歩前へ出た。そして、

「ふっふ、涼子の気持ちは全部全てまるっとどこまでもお見通しだあいっ!」

 声量バグってんのかお前。

「ふっふっふ、いやいや、俺がわざわざ涼子の心にジャックインしなくてもわかってるンゴ! ふっふっふ、すまないすまないいきなりすぎてお肉焼けそう。ふっふっふっふっふ、いやいや冗談冗談。軽いジョークを混ぜていくうっ!」

 ト、トばすなあ。大丈夫か?

「最近俺のことどう思ってますかっ。ふっふっふ、聞くまでもないってか? んなこと聞くまでもないってか? それはさあ、俺も同じなんだよなあ。ふっふっふ、そんで俺も涼子の気持ち、ふっふっふ、言うまでもないけど言っとくかあ? ふっふっふっふ、んん? ええ? ああ、言っとくかあ?」

「こ、康太君?」

「俺、お前のこと好きだわあ。ふっふっふ、二次元女よりも好きかも。いやいや言い過ぎか? んなことねえか? ふっふっふっふ、届け! この思い! ってかあ?」

「こ、康太君…………」

 血脇はどうしてこんな告白で嬉しそうにモジモジできるのだろう。

 間仁田は見てられなくなったのだろう。すでに目を伏せていた。

「でも、二人の愛のために私お掃除してるの。だから、全部終わるまで待っててね」

「待ったなし! いや、ふっふ、待てねえい!」

 行方は僕たちの身をブルブルッと震わせて、

「涼子、○ュージョンだ!」

 と言って、血脇に突撃し、抱きしめた。

「え、康太君、こんな人前で……!」

 ほぼお前しかいないけどな。

「ふっふ、俺じゃダメか? ふっふっふ、俺って一途なんだよなあ。ふっふ」

 ビデオカメラで撮っときゃよかったな。この二人の結婚式で流してご両親や親戚の反応を見てみたい。きっと、僕たちと同じ気持ちになるはずだ。

「ふっふ、俺のために暴れてくれてありがとう」

「ただ康太君を独占したかっただけ」

「ふっ」

 満足そうな声を出す行方。


 周りから聞こえていた喧騒は手を叩く音に変わっていた。

 拍手だ。血脇たちがそろいもそろってスタンディングオベーションをしている。そろいもそろって泣いてやがる。

 僕と間仁田は薄ら寒くなって身を寄せ合う。


「桂木、なんだい? これ」

「一種のホラーだ。世にも奇妙な何とやらだ」

 マジでナニコレ。

「ありがとうございます!」

「ふっふ、サンガツ!」

 フラワーシャワーを浴びながら歩く結婚式場の新婚夫婦のような受け答えをする行方、血脇カップル。


 血脇と共に手を振る行方を見ていると、行方への仲間意識がなぜだか薄れていく。いかんな。あいつもちょっと怖いな。


 場面はどんどん展開していく。

「おお、ファンタスティック……!」

 間仁田がこういうのもわかる。


 拍手をしていた血脇たちの体が、朝焼けに舞う粉雪のような輝きを放つ数多もの粒になって空中に霧散されていったからである。


 二つ目の異常も、どうやらこれで解決らしい。キレイな情景だが、間仁田のときより後味が悪いのはなんでだろうか。

「まるで地獄絵図だな」

 魔法少女仰翠がこちらに歩いてきながら言った。

「ひどいなお前」

「ふん、まあ本人たちが幸せそうなら何よりだ。愛の形は一つじゃない。重くもあり、軽くもある。拙僧たちは行方の未来を考えたら気持ちが沈んだ。ただそれだけのことだ」


 どんよりとしていた曇天が形を崩し始め、雲の切れ間から青空が顔を出した。まあ、何はともあれ、以上は全部片付いたということだろう。どこかの名前も顔も知らない神様が祝福してくれていると考えとけば、万事はオールオッケーだ。


「文士、あとは貴様だけだ。思う存分告白してこい」

「行ってきなよ、桂木。サクセスを祈ってるよ」

「ふっふ、勢いだ桂木。ふっ、勢いこそすべて! これ俺の経験則な。ふっふ」

 そう、あとは僕の問題を残すのみだ。

「必ず二人で帰ってくるがいい。拙僧だけでなく、ここにいる全員に自慢できる形でな」

「ああ、必ず。じゃあ、行ってくる」

 三人のエールを胸に、僕は走り出した。


「「「いってらっしゃい」」」


 僕は必ず見つけ出す。

 家子彩琶を。




 僕は走った。あてどなく走った。


 仰翠の話を聞いて思った。僕は今まで見ないふりをしてきた。家子彩琶が僕に出してきたSOS。気づいていた。気づいていながら僕はこれまで何をしてきた? 家子彩琶に何をしてやれたというんだ。気休めすらしてやれなかったんじゃないか? 自分が情けない。


 家子彩琶に限った話じゃない。仰翠にも言えることだ。仰翠にも家子彩琶が見えていると知ったとき、僕はおそらく嫉妬に近いものを感じたのだろう。覚えていなくてもわかる。なぜなら、これは僕自身のことだからだ。


 嫉妬。これは僕が独占欲を発揮したからという理由だけではないだろう。きっと、僕は気づいていたのだ。仰翠の気持ちに。仰翠が抱いていた家子彩琶に対する恋心に。確証を持ってそう言える訳じゃないが、本能的なところで気づいていたんだろう。でないと、僕はあそこまで嫉妬しない。気づいていたからこそ、僕はあそこまで仰翠を妬んだんだ。


 僕は本当に情けない奴だ。僕は都合の悪いものを見ないようにしているうちに、それがスタンダードになって、見ないふりをしていることにも気づけなくなってしまっていたんじゃないか? 周りには僕のことをしっかり見てくれている人がたくさんいたというのに。


 だから、僕はもう何一つ目をそらさない。見ないふりをしない。見逃さない。


 今、僕の周りにはたくさんのフィルターがある。それを外せば、僕はいろんなことを知れるだろう。

 僕以外にだってフィルターを外すことはできるだろう。何十、何百と時間をかけて、ゆっくりと人物を知っていくのだ。そうすれば、いつしか自分とそれを隔てていたフィルターは消えてなくなるだろう。

 僕はそれを一瞬で外せるにも関わらず、能力を知ってから人に対して積極的に使ってこなかった。今回の異常騒動だって、間仁田、行方、血脇、刈米さんにこの能力を使って心のフィルターを外さなかった。使っていれば、疲れるがそれほどの苦労もなく終えることができただろう。だが僕はしなかった。


 なぜ? インチキだから? 良心の呵責?


 全部だ。後ろ向きな理由は全部当てはまる。要するにヘタレだったのだ。能力を使わずとも相手のフィルターをこじ開けたいと心のどこかで思っていたにも関わらず、実際にそれをするのは怖い。だから、使わない。ヘタレだ。どうしようもないヘタレだ。


 だけど、その一言で自分を言い表すことに少なからず抵抗を感じる。

 今までの僕は、言い訳と自己弁護ばかりしてきたけどそれなりに意志を持って過ごしてきたはずだ。そんな自分を全否定してまで、前に進みたくはない。


 前に進むのなら、一緒がいい。


 これまでの自分を背負ってこその成長だ。

 今までの自分を切り捨てて次のステップへ行くなんて、人非人もいいとこだ。人生に捨てるところなんてない。全部が有効活用できる。墓場まで持っていきたくなるような打ち明けられないことも、忘れたくて仕方がない黒歴史も、捨てちゃダメなんだ。全部全部ステップアップに使ってやるんだ。


 認めてやれ。愛してやれ。


 過去の自分が羨ましがる未来に、今の自分が連れてってやればいいんだ。

 たとえ失敗したとしても、ほんのちょっとの勇気があればそれすら力に変えて未来に進んでいける。

 だから、やれることは全部やってやる。


 家子彩琶を見つけ出す。

 出し惜しみはしない。彼女がこの世にいるのなら、見つけ出せるはずだ。

 この世界を、深く知ったときに。

 無謀だと、笑うなら笑ってろ。僕には不思議と、できそうな気がするんだ。


「全フィルター、解放!」


 僕は立ち止まって張り裂けんばかりの声を上げた。

 世界を取り巻くフィルターを全て外した。情報が流れ込んでくる。

 痛烈な痛みが走った。脳みそが破裂したような。

 痛みの中に、家子がいた。

 家子だ。家子を、思い出した。

 あつい。あつい。あつい。

 世界が真っ赤に燃える。どうしようもなく体が重い。

 止まら――情報。血が目――――て口に入る。

 まずい。ま――。

 世界がぐ――と回る。壁。分厚い壁が――前に。

 ――潰れ――――覚。脳がぐちゃ――ゃに――。

 心――――が――まる。破裂――――――――――る――――――。

 ま――。い――。

 家k――――――――――――――――――――――――――――――


































 真っ白な空間。

 黒いカラスが飛んでいる。

 僕はそいつについて行く。


 カラスが言った。

「バッドエンドは大の好みなんだけどねぇ」


 カラスが言った。

「デッドエンドは求めてないんだぁ」


 カラスが言った。

「もう確定されちゃったルートをいじっても」


 カラスが言った。

「しょうもないからねぇ」


 カラスが言った。

「どうあがいても同じエンドに収束しちゃう」


 カラスが言った。

「じゃあ、文士くん」


 カラスが言った。

「もっかい、いってらっしゃい」


 カラスが――た。















 眩しい。目を細める。

 雲のない青空。へえ、晴れたんだ。ん?

「僕は…………」

 頭が回り出した。

「あ…………」

 わかる。感じる。覚えている。


 家子彩琶。


 思い出が蘇ってくる。

 再び走り出す。

 僕は一旦死んだのだろう。そして、死ぬ前に知ったことはキレイさっぱり失われていた。

 家子彩琶を除いて。

 彼女との思い出、そして、居場所。すべてが鮮明に僕の頭にすり込まれている。

 いったい、このアンバランスな残り香は誰の手心なんだろうな。あとで礼を言わないとな。


 そして、待っていろ、家子。

 君のその心のフィルターを僕が外すから。




 たどり着いた場所は、あの夜、僕が家子と初めて言葉を交わした公園の立ち入り禁止区域だった。


 木漏れ日に揺れる小さな広場を見下ろす。

 感じる。ここに確実に家子がいる。

 見えない。だけど、そこにいるのがわかる。

 たぶん、あの小川の前に。


「家子彩琶、君に会いに来た」


 僕の呼びかけに返事はなかった。まあ、当たり前だ。

 僕は深く息を吸い込み、再び覚悟を決めた。

「あの日、君にラブレターを出した日からずいぶんと時間が経ってしまった。まあ、実際には僕が書いて出したわけじゃないが、あれは僕のラブレターだ」

 今となっては、あいつらの愚行に感謝している。でないと、ここでこうして僕が家子と話すことなんてなかっただろう。

「君の注文通り、ラブレターを書き直してきた。その文書は形にしていない。それは、僕の頭の中にある」

 僕は家子への思いを言葉に替える。今までできなかったことだ。あんなにも、声が届く距離にいたにもかかわらず。


「聞いてくれ! 僕の口頭ラブレター!」


 青臭くても、泥臭くてもいい。

 これが、僕の青春だ。



「拝啓

 家子彩琶!

 僕、桂木文士は、入学式で君を一目見た瞬間に恋に落ちた。

 いわゆる一目惚れだ!

 最初は素直に認めることができなかったけど、気がつくと君のことを目で追っている毎日の中で、単なる一目惚れから、もっと深い愛情を君に抱いたんだ。

 君が困っているように見えた。何かを抱えていて、何かに苦しんでいて、誰にも明かさないで、一人で背負ってるように見えたんだ。

 勝手なことだが、僕は君のことを助けたいと強く思った。君の心を苛む諸問題を、僕が力になって解消させてあげたい。そう思ったんだ。

 もちろん、下心もあった。けど、この気持ちは本物だ!

 君に会いたい。君と話したい。

 これは僕の嘘偽りない気持ちだ。

 君とここで話したあの日、僕はショックを受けた。それは、僕の妄想の中の君と、君がとてもかけ離れていたから。

 でも、君と多くの時間を共に過ごして気づいた。

 僕は君が好きだ! 大好きだ!

 僕の妄想の中の君よりも、君は自由で、めんどくさくて、わがままで、イタズラ好きで、ベタベタひっついてくるけど、人間らしくて、魅力的で、僕の世界を彩った素敵な罪深い女性だった!

 君を好きになってよかった。

 もう一度言わせてほしい。

 好きです。

 この気持ちをあなたに。

                        敬具

                       桂木文士!」



 僕は一気呵成にラブレターを朗読した。

 僕が読み上げれば読み上げるほど、家子の姿がぼんやりと浮かび上がっていった。

 家子は小川の前にしゃがんで、涙を拭いながら僕のことを見ていた。

 僕は家子の方へ歩いた。家子は立ち上がって僕を待った。

 家子の前で立ち止まって、家子を抱きしめた。家子も、僕を抱きしめる。

 もうこれ以上の言葉を重ねるなんて野暮だ。

 返事がなければ会話は完結しないとか言い出す輩には真実を伝えてやる必要がありそうだな。

 まあ、僕も気づいたばかりだが、会話というのは言葉だけでするものではない。

 特に、今の僕たちには必要ない。

 僕と家子はお互いを見つめ合った。

 言葉にしなくても、伝わってくる。


 潤んだ瞳に見つめられながら、その柔らかい唇にキスをした。


 これだけで、僕たちの会話は成立する。

 触れあいが、こんなにもいいものだったなんて知らなかった。

 透明だった家子の体が段々と濃くなっていった。

 目を閉じてもハッキリと見える。

 ついさっき僕は、もう目をそらさないと言ったが、それはムリな話だ。


 僕はもう家子彩琶から目をそらせない。


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