10話:扉ドン!?
私は水をかぶる覚悟でいた。
でもビシャッという音はしたが、一向に水をかぶった感触はない。
驚いて目を開けると……。
上級生と私の間に割って入るようにし、バケツの水をかぶったのは……アレク!
「! で、殿下!」
上級生Cは衝撃を受け、バケツを落とし、そこへアレクの護衛の騎士が駆け付ける。
アレクは落ち着いた様子で口を開く。
「君たち。レディとしてあるまじき行為だね。どんな理由であれ、今、君たちがしようとしたことは間違っている。それに一人のレディに三人がかりなんて、卑怯だよ」
「「「も、申し訳ありません、殿下!」」」
三人は一斉に頭を下げるが、アレクは護衛の騎士に命じ、校長室へ三人を連れて行くように伝える。三人は護衛の騎士達に連れられ、泣きながらこの場から去って行く。
「アレク王太子殿下、私の代わりに申し訳ありません! すぐに……着替えを!」
「大丈夫だよ。そこまで濡れていない」
そう言ってブレザーを脱ぐが、中のベストもシャツも濡れている。
しかも滴る水で、ズボンも濡れてしまっていた。
「濡れていない……わけではないか。剣術の授業のため、着替えは用意してある。教室で着替えるよ」
つまり体操着が教室にあるのと同じようなことだ。
「分かりました。私、教師に頼み、タオルをもらってきます!」
私が慌てて駆け出すと「クリスティ、そんなに慌てないで。君が転んだら大変だ」と声をかけてくれる。自分がびしょ濡れなのに! 私のことなんて、気遣わなくていいのに!
でも心配させるわけにはいかない。
「分かりました」と応じ、走るのは止め、早歩きで職員室へ向かう。
職員室に着くと、騒然としている。
例の上級生三人のことが、報告されたからだろう。
私は近くにいた教師に、アレクが水に濡れたことを手短に話した。教師は驚き「王太子殿下が……! 大変だ!」と、すぐにタオルを用意してくれる。タオルを受け取り、急いで教室へ向かう。
「アレク王太子殿下、タオル、持ってきました!」
あまりにも急ぎ過ぎて、ノックを忘れ、扉を開けてしまった。
「!」
上半身裸のアレクがいて、固まってしまう。
前世で、上半身裸の男性の姿なんて、動画のCMでさえ、見ることがあった。
それなのに心臓が止まりそうになるなんて……!
きっとアレクの裸の上半身が、大変素晴らしいからだ。
着やせしているだけで、肩にも上腕にも筋肉がしっかりある。胸筋も見て取れるし、腹筋も割れていた。引き締まったアスリートの体つきをしている!
って、思わずガン見してしまった。
でも多分、三秒。三秒しか見ていないっ!
「し、失礼しました。タオル、ここに置いておきます!」
持っていたタオルを近くの机に置き、教室から出て行こうとすると……。
驚いた。
壁ドンならぬ、扉ドンをされていた。
慌てて振り返ると、当然だがそこにアレクがいる。
しかも上半身裸のまま。
「ありがとう、クリスティ。……もしかして、見惚れてくれたのかな?」
きょ、距離が、距離が近い!
しかもなんだかペパーミントのような爽快な香りもする。多分、アレクがつけている香水だ。
心臓が爆発しそうになった。
「クリスティ!」
扉ドンをしていたから、アレクの手で扉は押さえられていたはずなのに。
それをはねのける勢いで扉が開く。
私は弾き飛ばされるようにして、アレクの裸の胸に飛び込んだ。運動神経のいいアレクは、私をちゃんと受け止めてくれたが……。
「クリスティ!? で、殿下! 一体、娘に何を!?」
父親から見た、アレクと私の今の状態。
それは上半身裸のアレクが私を抱き寄せている……ように見えたようだ。
「む、娘はまだ社交界デビューもしていない、こ、子供なんですよ!」
父親の目から炎が噴き出していると感じるぐらい、怒りが伝わって来た。
「お、お父様、誤解です! 落ち着いてください! 彼は王太子ですよ。手を、手をどけてください!」
父親の手は、剣のグリップを今にも掴みそうだった。
掴んだら最後、剣を抜く。
王族の前での許可なき抜刀。
許されるわけがない!
いくら辺境伯であっても、死罪になるぐらい、危険な状況!
「扉が急に開いたので、弾き飛ばされただけです。そしてアレク王太子殿下は、着替えの最中だった。それだけですから!」
そこでアレク自身も、父親の怒りの理由が分かったようで、慌てて両手をあげ、私から離れる。
「師匠、クリスティの言う通りです。これは事故。僕も彼女も不純なことは、していません!」
ようやく父親の目から炎が消えた。
「……クリスティ。殿下が着替えをしているのに、教室に飛び込むなんて。そんなことをしてはダメだよ」
「いや、お父様もノック無しで飛び込んできましたよね」……と言いたいところだが、そこは我慢だ。「申し訳ございませんでした」と、アレクと父親に謝る。
「クリスティはタオルを届けてくれただけです。そのタイミングでシャツを脱いでいた、僕の間が悪かった」
そう言うとアレクは「クリスティ、君があやまる必要はないよ」と朗らかに微笑む。
アレクは……なんてイイ人なのだろう……。
「ともかくお邪魔して、申し訳ありませんでした。クリスティ、行こう」
父親の表情はすっかり緩んでいる。
冷静に考えれば、弟子として剣術を教えているのだ。アレクのことを父親は、よく分かっているはず。女子に手を出すなんてしないことも。
こうして何とかこの場は収まり、そして――。
これを機に学校での剣術練習&朝食は終了となる。
屋敷での剣術練習&朝食&登校に戻った。
しかも「今回のような事件が、また起きるかもしれません。ですがわたしと一緒でしたら、護衛騎士もいますから、安全です」とアレクが言うことで、彼の馬車に同乗しての登校は、決定事項になってしまう。
上級生三人が、髪飾りを奪おうとしたり、バケツの水を私にかけようとしたりしたことは、間違った行為だった。ただ、言わんとすることは「確かに」なのだ。私物化と言われれば、まさにその通り。そしてアレクもその一件には、関わっていたのだ。よって今回の騒動が、大事にされることはなかった。
その一方で上級生三人と、アレクと私も含め、騒動を起こしたことの反省文を書くことになる。父親も別途学校には謝罪していた。加えて上級生三人には、行き過ぎた行為に対する罰として、孤児院での二週間の奉仕活動が命じられている。本来、王族に水をかけるなんて、不敬罪を問われても仕方のないこと。これだけで済んだのは、「優雅な朝食」の当事者にアレクもいたからだ。
「ところでアレク王太子殿下は、どうしてあの場に来ることができたのですか?」
反省文を書くため、放課後居残りとなった。
無事、書き終わり、馬車が待つ正門まで歩きながら、私はアレクに尋ねていた。
「バケツに水を汲んで、忙しそうにしている女生徒を見かけ、何だろうと思って。レディがバケツに水を汲んで走るなんて、普通ではありえないからね。火事でもあったのなら、救助を手伝おうと思った。そこで後を追った結果だよ」
「そうだったのですね……」
「逆に僕からも聞いていい?」
そこで何を聞くのかと思ったら。
水をかぶってまで、なぜその髪飾りを大切にするのか、ということだった。
「これはお母様が、わざわざオーダーメイドで作ってくださった髪飾りなんです。ネックレスやイヤリング、指輪はよくオーダーメイドします。でも髪飾りまでオーダーメイドするのは、王族ぐらいかと。それにこの碧い宝石も人からいただいたもの。よって大切なんです」
するとアレクは拍子抜けした表情で私を見ている。
宝飾品を大切にするのは、女性ならではかしら?
「そうか……。なるほど。ところで師匠の到着、早かったね」
「そう言われると……そうですね。でも学院の近くにいたと聞いています。私がタオルを受け取った教師は、今回の騒動を我が家へ知らせるため、早馬を出したのです。学院から早馬が出るなんて、何か事件があったのかと、お父様は学校側に確認したそうですよ。そこで今回の騒動について知ったと」
いくら父親が私を溺愛していても、学校に潜んでいたわけではないだろう。
……多分。
「何はともあれ、反省文も書いた。これでひと段落だね。明日からはまた、クリスティの屋敷でよろしく」
アレクは白い歯を見せ、爽やかに微笑む。
もうそこはザ・王子様で眩しい!
だが彼は断頭台。
気を許してはならないわ!