1話:物語が始まります!
「目覚めたかい、クリスティ・リリー・アイゼン」
深みがあり、落ち着いた優しい声に、私は目を開ける。
その目に飛び込んできたのは、シルバーブロンドに濃紺の瞳。
目鼻立ちの整った異国の顔の男性が私を見下ろしていた。
驚いた。
バスの乗り換えに間に合わないと、スマホを握り締め、駅の階段を走り降りていたはずなのに……。
もしかすると足を滑らせ、気絶でもしたのかしら?
それを助けたのがこの外国人の素敵な男性ということ?
それにしても。
この部屋、すごいわ。
救護室のような場所よね、きっと。
それなのにシャンデリアが見える。
というか……。
うん?
木の柱にずらりと取り囲まれているような?
うん?
うううううん?
これ、ベビーベッド!?
え、私、大学三年生だよ。
ベビーベッドに収まるサイズではないはず……って、えーっ!
手が、指が、小さっ!
何、これ!?
めっちゃくちゃ可愛い……って、え、これ、私の手?
足を持ち上げると、これまた小さい!
そこでじわじわと悟る。
もしかして私、駅の階段から落ちて、転生、しました……?
◇
まさか、まさかですよ。
もう驚くしかなかった。
サブカル好きでマンガ、アニメ、ゲームをやり込んでいた私としては、異世界転生には詳しいわけで。でも自分が本当に転生するとは思わないわけです。
何より前世記憶があるまま、赤ん坊って。
この激しい若返りには、驚愕するしかない。
パターンとして、二桁の年齢での覚醒もあるわけでしょう。
赤ん坊から覚醒しても、ほぼ何もできない。
せめて六歳くらいにして欲しかったな。
でも理解できました。
私の名前はクリスティ・リリー・アイゼン。ホワイトブロンドにアメシスト色の瞳をしている。アイゼン辺境伯の一人娘で、乙女ゲームに登場するキャラクター。モブなんかではない。フルネームがある。ときたら……はい、ヒロインではございません。異世界転生あるあるの、悪役令嬢に転生していましたよー。しかも現在、赤ん坊です!
そう、ここは乙女ゲーム『恋の都で花咲く物語』、通称“花恋”の世界でした。前世で私が握りしめていたスマホでは、まさにこのゲームが起動していたのだから、つながりとしても間違いない。
しかし。悪役令嬢か。
断罪回避、やんなきゃダメかなぁ……。
やらないと死しかない?
そうでもないわ。
花恋は、悪役令嬢の末路をわりと優しくしてくれていたと思うの。わりと、ね。わりと。
攻略対象が公爵家の嫡男の時は娼館送り。騎士団長の息子の時は幽閉(命はある)。隣国の第二王子の時は、奴隷として彼の国に連れて行かれる。
死につながる断罪は王太子だけ。
ということは、とにかく王太子を避ける。他の攻略対象とは、いざとなれば回避不可でもよしなのでは? 全員回避は難しいでしょう。ゲームの神様の見えざる力が働くから。いわゆるシナリオの強制力。でもたった一人だけ関わりを持たないようにするのなら、できそうな気がします!
思わずほくそ笑むと、赤ん坊らしく「キャッ、キャッ」と可愛らしい声がでる。
その瞬間。
脳裏によみがえるのは、前世日本人の記憶だけではない!
な、これは……。
断頭台の露となって消えるクリスティの姿が見えた。
しかもその記憶、二回。
どうも前世記憶を覚醒しないまま、二度の悪役令嬢としての人生を終えている!
つまり、今回で私、ループ三回目ということ……?
心臓がバクバクしている。
まだ赤ん坊なのに、こんなに心臓が鼓動して大丈夫なの、私!?
そう思うも今、見てしまった光景を思い出すと、とても落ち着くことなんてできない。
どうやら私、ヒロインが攻略対象で王太子を選び、悪役令嬢が断頭台送りされるルートに転生したようだ。
悪役令嬢であるクリスティは、王太子の婚約者だから、彼に横恋慕するヒロインに嫌がらせを行う。その嫌がらせが高じて、それこそヒロインを階段から突き落とそうとするのだ。そこに駆け付けたのが王太子で、ヒロインは彼に抱きとめられ、怪我をすることもなかった。ただ、クリスティの悪事だけがバレる。そして断頭台……。
「ふぇーん」
思わず泣いてしまうと……。
「どうした、クリスティ!」
こちらを覗き込むのは、覚醒した私が初めて目にしたこの世界の人間。クリスティの父親であるレオン・ロクサンティン・アイゼン辺境伯だ。そばにいた乳母が「アイゼン辺境伯様!」と呼んでいたので、父親だと理解した。
ゲーム内では文字情報のみだったのに、アイゼン辺境伯……クリスティの父親は、大変ハンサム。
シルバーブロンドの前髪は真ん中分けされ、キリッとした眉毛に長い睫毛、そして濃紺の瞳。騎士としての訓練を経て、全身に最適な筋肉がついている。マッチョというより頼もしい体躯。
こんな素敵なお父様だったとは!
今は柔和な笑みで私を見つめているが、ゲーム通りの展開なら、この笑顔は失われる。なぜならクリスティは、生まれながらの悪役令嬢。我が儘で生意気で、乳母と母親を困らせる。特にひどかったのが、乳母を断固拒否し、母親の母乳を執拗に求めたこと。しかもそれは度を超えるもので、母親は次第に衰弱していく。そして最終的に母親は、命を落とす。
その結果、クリスティの父親は……母親の死につながる娘を嫌うようになってしまう。
そう、そうよ。
私の断罪を回避するためには、この父親が鍵になるはず。
王太子回避を考える前に。
まずは母親の死を回避。
そして父親から嫌われる事態を回避だ!
三度目の正直、今度こそは生き延びて見せます!