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8.クレイとリディア

 


 闇夜に浮かぶ多くの人影。

 聖堂と美しい庭を、月が薄白く照らしている。


「私の後ろに隠れていなさい、――あなたを必ず守るから」


 クレイは私を優しく抱きしめ、そのまま後ろに下げられた。好きな人の背中がとても広く頼もしく感じて、切羽詰まった状況にもかかわらずその姿に惚れ直す。




「クレイ!」


 金切り声を上げて、リディアが彼の名を叫んだ。あの美しい王女が、怒りを露わにした形相で私たちを睨む。



「自分が何をしているかわかっているの⁉ 私を裏切れば二度とセダの地を踏めないどころか、お前の家族がどうなることか!」


「リディア様、私はもうセダに帰ることはできない。彼女と、このラダクール王国を護るともう決めたのです。祖国を裏切ることになろうとも私は……」



 クレイの横顔が苦しそう歪み、絞り出すように言葉を吐き出した。周囲にはロドルフ王太子と第二王子ロトス、そしてラダクールの兵がリディアを取り囲んでいる。



「リディア様、どうか降伏してください。セダはもう終わりです。今降伏なされば、もしかしたら貴女にも恩情がかけられるかもしれない。どうか」


「もう、今更遅いのよ! クレイ、あなたが出来ないと言うなら私がやるわ!」



 狂気に走ったリディアが、私に向かって勢いよく短剣を振りかざした。その動きをすぐに察知したクレイが、彼女のか細い腕を強く掴む。彼がその短剣を奪ったものの、それでも私に危害を加えようと反対の手でナイフを取り出した。それに気付いたクレイが慌ててその手を止めた時、リディアが突然動きを止めた。



「……え?」


 腹部に鈍い衝撃を感じて、私は顔を下に向けた。そこにはナイフが突き刺さり、生温かな血がじわりとドレスを濡らしている。

 クレイの顔を見上げた。彼の背中に守られていたはずの私が、なぜか彼と正面から向き合っている。


 そして彼の背後にはアリスの姿があった。背中に守られ、震えるようにこちらを見つめている。



「リディア様……」


 そうつぶやくクレイを見て、途方に暮れた。そうか、私はヒロインじゃなかったんだ。


 今更ながらそのことに気付いて、深い虚無感と絶望が胸に落ちた。腹部に突き刺さったナイフを抜こうと、握る手に力を込めようとした。震える手ではそれもままならず、私は白騎士と呼ばれた彼の顔を見つめた。



「クレイ……」


 とても哀しく、私は最後に彼の名をつぶやいた。




 ◆

 ◆

 ◆




 ……そこで目を覚ました。

 馴染みのない天蓋が目に入り、ここはどこなのかと寝ぼけた頭が混乱する。周囲を見渡して、そういえばラダクールにいるのだと思い出した


 滞在して三日目、カーテンから覗く光が眩しい爽やかな朝だというのに、とんでもなく目覚めの悪い夢を見てしまった。

 朝から嫌な汗をかいてどっと疲れる。


 奥の方ではすでに部屋に訪れていた侍女が、朝の準備のためにテキパキと動いている。


 ふと目尻にひやりとしたものを感じて、指でそっと触れた。濡れた感触が指に伝わり、自分が泣いていたことを自覚する。

 お腹にも触れてみた。夢の中でナイフに貫かれた感覚が、目覚めた今も生々しく残っている。



 あれは夢だ。けれど私はその場面を何度も見て知っている。

 それは何周もした『プロフィティア』のワンシーン。リディアとクレイがはっきりと決別し、物語のクライマックスとなる所だ。


 ラダクールの人々と友情を育み、そしてヒロインを愛したクレイは悩んだ末にリディアを裏切った。彼女はヒロインを殺すためにナイフを持ち、クレイがそれを制しようとしたところでリディアの腹部を貫いてしまう悲劇を招く。


 何で今になってそんな夢を、と思いかけてすぐに昨日の事が頭に浮かんだ。アリスと対面したことで、もしかしたら記憶が刺激されたのかもしれない。



 そんなことをぼんやりと考えていると、私が起きたことに気付いた侍女が、挨拶をしに私のもとまで寄ってきた。

 慌てて手で目をごしごしと擦って涙の跡を拭い取り、すぐに洗面の用意をしてもらって朝の準備にとりかかった。




 ◇




「おはようございます、リディア様」


 身支度を終えて間もなく、部屋にグレイが訪れた。

 彼の姿を見てほっとする。良かった、彼はまだ私の従者であるらしい。

 こうして十分な侍女やメイドを用意され、昨日はグレイの同行を拒否されたことでずっと不安に思っていた。


 彼は侍女と二言三言話をして、先程運ばれてきた給仕台を私の座るテーブル近くまで運んでくる。



「ここでも、私の従者をしてくれるということでいいの……?」


 自分でも驚くほど、弱々しい声が出ていた。たった二日間、グレイが側にいなかっただけなのに自分でも情けなく思う。



「はい。以前からリディア様の従者としてお側に仕えていたことを説明しまして、こちらでも継続することをご理解頂けました」


 薄く笑みを浮かべて、グレイがお茶をいれる準備を始める。

 以前は、この感情の読めない微笑みが苦手だった。でもこうしていつもと変わらず落ち着いた仕草を見ていると、不思議と安心感を抱いている自分がいる。



 待っている間、私はその姿を眺めながら先程の夢を思い返した。

 私の大好きなクレイは、白騎士と呼ばれるに相応しい、潔白で真っ直ぐな人だった。だからこそセダの作戦に苛まれ、ラダクールとセダとの間で揺れていた。


 けれど今目の前にいる、この黒い姿をした騎士はどうだろうか。たしかにクレイと同じ姿形をしているけれど、まるで反転したような彼の姿は同じ人物とは思えない。

 あの真っ直ぐだった澄んだ青い瞳は、今は闇色に染まっている。




 ふと、彼が手にした陶器を見て現実に目が向いた。


「あら? もしかしてそれはセダから持ってきたの?」


 見覚えのあるそれは、セダでも使っていたものだ。


「ええ。こちらで使われるフルーツが同じとは限りませんので」


 そう言ってグレイは陶器のコルクを開け、スプーンでいくつかの干した果物をティーカップの中に入れた。そして上から紅茶を注ぎ入れる。


 目の前にカップを置かれて、思わず「ありがとう」と言ってしまった。普段ならこんなことで礼など言わない。

 けれど彼がわざわざ私の為にセダから持参してくれていたことが、なんだかじんわりと嬉しくなってつい言葉が出てしまった。



 私は昔から朝に弱く、セダにいた頃はいつも朝食を残していた。スープだけでも重たく、かといってお茶だけでは寝起きがスッキリとしない。

 それに気付いたグレイが、紅茶にドライフルーツを入れることを提案してくれたのだ。

 これが私のお腹にはぴったりで、以降朝はそれにしてもらっていた。


 アプリコット、ラズベリー、レーズン。紅茶を一口飲み、ややふやけた果物をスプーンで掬って食べる。

 ここに来て、初めて一息つけたような気がした。



 グレイだったら、もしかしたら私を裏切らないかもしれない。今はそんな予感に包まれていた。



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