3.二人旅
王都の街並みを抜ければ、小さな民家が立ち並ぶ町へと移っていった。
大通りの整備された道から外れ、道幅が狭くなって路面の揺れもやや多くなる。
この道を通るのは、二年前にラダクールの王太子と婚約した時以来になる。十六歳でラダクールの地へ向かい、当時十九歳だった王太子と婚約の儀を交わした。
これはセダ側の提案で和平を結び実現したものだったけれど、長年の敵国であったセダを、あちらは手放しで信用したわけではなかったのだろう。
ラダクールの文化を学ぶための今回の婚前留学は、王女の他に一人しか入国を許可しないという、牽制を隠そうともしない厳しい条件をあちら側が付けてきた。
国賓となる他国の王女に対して、例えて言うなら丸腰の証拠に下着姿で来いというようなものだ。その様子でも分かる通り、ラダクールは今もセダへの警戒を解いていないことが窺える。
そういった経緯で、唯一の護衛騎士として選ばれたグレイ・ノアールは、向かいの席で静かに姿勢正しく座っている。
「あなたは、ラダクール王国に行くのは初めて?」
これからしばらくは旅の期間となる。景色を眺めるのもいいけれど、ずっと無口でいるのも退屈すぎる。
一緒に旅をする相手がセシルだったらきっと楽しかっただろうな、と思いを馳せつつそう質問した。
「いえ、二年前にリディア様がご婚約された時に一度だけございます。当時は近衛隊として参加していました」
どうやらグレイは私の婚約式の場にいたらしい。たしかにあの時は父である国王も参加していたことから、かなり大変な旅だったことは憶えている。あの中の一人だったということか。
そんな他愛のない会話をいくつか交わしている間に、外は小さな町から農村地帯へと変わっていった。しばらくするとぽつぽつと建っていた家々も見えなくなり、周辺は丘や草原が広がる風景へと移っていく。
そんな景色を眺めていると、これから迎える未来のことが頭に浮かんで、徐々に焦りや不安が膨らんでいった。
私はこの奇襲作戦が失敗することを知っている。ラダクールにいる転生の予言者によって、私達の真の目的を予知され、あの地で殺されるのだ。
この一ヶ月間そのことをずっと考えていて、今も答えが見つからない。
計画が破綻することを父に訴えた方がいいだろうか? いや、あの苛烈な父が私の言葉など受け入れるわけがない。
ではラダクールに事情を話して亡命する? 一つの案としては悪くはないけれど、その後のことを考えると腰が引ける。
そんな、ぐちゃぐちゃした考えが浮かんでは霧散することを繰り返していた。
「リディア様。少し余興を致しましょうか」
私がそう一人思い悩んでいると、それまで黙っていたグレイが口を開いた。
一体何? と思って目を向けると、彼はポケットからハンカチを取り出し、それを私の前にひらりと広げて見せる。
「よくご覧になってください。これは何の変哲もない白いハンカチです、裏も表も変わりません」
ひらひらと両面を見せると、今度は左手でつまんで右手でサッと撫でるように手をかざした。するとハンカチは瞬時に黒色に変わった。
「えっ? すごい!」
突然の事に驚いて、思わず声を上げた。
「あなた手品が出来るの?」
「ええ、この程度なら難なく。今夜の宿泊先までしばらくかかりますから、もう少しお見せしましょうか」
グレイはそう言っていくつかの手品を披露してくれた。あまりに器用な手つきで、じっくり見てもまったくタネも仕掛けもわからない。
騎士である彼の手はもっと武骨なものかと思ったけれど、その滑らかで繊細な動きは、とても剣を握るようには見えなかった。
「あなたにこんな特技があったなんて驚いたわ。とても器用なのね」
思い詰めていた気持ちが少し緩んで、小さく拍手を送る。
この世界にも手品は存在するけれど、こういうものは貴族に雇われる芸人の仕事でもある。侯爵の子息である彼は、一体その技術をどこで身に付けたのだろう。
「見よう見まねで披露してみました。お楽しみ頂けたようで幸いです」
そう言ってニコリと笑ってハンカチをポケットにしまい、窓の外に目を移した。
「遠くに町が見えてきましたね。そろそろ宿泊先のお屋敷に着きそうです」
グレイにつられて私も外に目を向けた。彼の言う通り、道の先に小さな町が見える。さらにその先の小高い丘の上にはお屋敷らしき建物が構えていた。そこが今夜お世話になる伯爵の邸宅らしい。
グレイのおかげで退屈しなかった馬車の旅は、夕日が沈むまでに宿泊地に着くことができた。