21.最後の日の再会
当日の朝は穏やかだった。変わらぬ景色と、侍女とのやり取り。
いつものようにドレスを着付けられ、髪を美しく整えられる。そして薄く化粧を施されたら、あとはグレイを待つだけ。
アリスは天眼を視ただろうか。
あれは、夢と現実の狭間で現れる。目が覚める直前に見る予知夢のようなもので、もし今朝それを視たとしたら、今頃は驚いて言葉を失っているかもしれない。
私だけでなく、グレイもそこに映っているのだから。
支度が終わると、グレイが私の部屋を訪れる。いつもと同じような言葉を交わし、毎日のルーティンをこなす。いつもと変わらないこの風景も、私の思惑が外れたらこれで最後になるだろう。
私は気持ちを落ち着かせるように、グレイが用意してくれた紅茶に口を付けた。そして今日のこれからを考える。
もしアリスがゲームと同じ行動を取るとしたら、宮殿が静まった夜にグレイを聖堂に呼び出す。ただしこの世界にバグがあることを踏まえると、違う流れ、違う展開があってもおかしくはないと思っている。
だからアリスがどう動くのか、常に気構えながら今日一日を過ごすことになりそうだった。
◇
午前は何も変わることなく平穏が続いている。日課のラダクール文化の勉強や来週のパーティに向けての打ち合わせ、それから儀礼様式の習得と、昨日までの日々と変わらぬ平凡な時間が過ぎてゆく。
そして午後には王妃様との久しぶりの茶会があり、たくさんお話をさせてもらった。
皆がいつものように優しくて、穏やかで。
このまま何も起きず、時が過ぎ去ったらどれだけ幸せだろうか。
今も王宮内は落ち着き、いつもの様子を見せている。アリスはゲーム通りに動いているのか、それとも天眼そのものを視ていないのか。この段階ではどちらであるかわからない。
徐々に日が暮れていく外の景色が、私を次第に焦らせる。じわじわと迫る時の流れに溺れそうな気分だ。
◇
周囲が暗くなり、窓から星が見え始めた頃。この日は久しぶりに王妃がいる食卓となった。
「今日は久しぶりにリディアさんとお話しできて楽しかったわ。色々な事を知っていて、おしゃべりしていて飽きないの。読書がお好きと聞いて納得したわ」
いつものようにロドルフとロトスも交えた夕食の席で、王妃が私を褒めてくださった。
「私も同じように思っていました。何の話題でも話が通じるので楽しいのですよ」
和やかに始まった夕食の時間はそんな話から始まった。この数時間後にはあの場面がやってくるとことを考えると、褒められても全く喜べる状況ではない。それでも私は平常心を装い、努めて優雅な笑顔を作って謙遜の姿勢を見せた。
会話は来週に控えたパーティの話へと移り、今ある問題点や気にかかることを雑談の中であげていく。特に来賓者には神経を使うようで、食事をしながらそれぞれ意見を交わしていた。
刻々と過ぎてゆく緩やかな時間。
それも、そろそろ終わろうとしている。
食事を終えた王妃がダイニングから退室するのを見送り、それから続くように私達も席を離れる。二人の王子と私がそれぞれ部屋を後にしようとすると、そこでロドルフに声を掛けられた。
「リディア王女」
振り返って、私の目をじっと見つめる。
その眼差しがあまりに真剣だったので、思わず動揺してたじろいでしまいそうになった。
まさか、アリスはグレイじゃなくロドルフに予知の内容を打ち明けてしまったとか? 急に焦る気持ちが湧きあがったけれど、どうやら違ったらしい。
「……近頃は寒暖差が激しく、身体を壊しやすい。リディア王女も来週のパーティに備えて、ゆっくりと休んでください」
それだけを言って去っていった。思わず身構えてしまったけれど、本当にそれを伝えたかったのだろうか。あの真剣な眼差しが、何かを言いたげに思えて気にかかった。
ゲーム通りにいけば“あの場”にはロドルフも現れる。何か嫌なことが起きなければいいけれど、と不安がよぎった。
自室に戻る途中、いつも通っている廊下がやけに短く感じる。
部屋に戻りたくない。私と別れてしまったらグレイは聖堂に呼び出されてしまう。
ここにきて私は怖気付いてしまいそうだった。次第に足取りが重くなり、帰りたくなくなる。
私の重い空気を感じたのか、グレイも黙ったまま私の歩調にゆっくりと合わせた。
その隣を歩きながら、心のなかで彼に祈る。どうかお願いだから私を裏切らないで。もし今日を乗り越えることが出来たら、その後のことを一緒に考えてほしいから。
私のささやかな抵抗は終わりを告げ、グレイは私を部屋まで送り届けた。
「それではリディア様、お休みなさいませ」
いつもの挨拶を口にしてから静かに扉が閉められ、私の前からグレイが消えた。
私はそれを確認してから迎えた侍女に伝える。
「もう少しこのままでいるわ。着替えは後にして、お茶の準備だけしてちょうだい」
おそらく、これからグレイは神官に呼び出され、聖堂に向かうことになる。それからどれくらい経って私が呼ばれるのかまではわからない。
本を読んでいるふりをしながら時間を潰す。そして入れてもらった紅茶が冷めた頃、扉をノックする音が聞こえた。
侍女が応対した後に、私を呼びに来た。
「ロドルフ様の使いがきております。これから聖堂へ向かわれるようにと」
やや困惑したような表情をしてそう私に告げる。
とうとうこの時が来た。これから私はしらを切る芝居をしなければならない。
私は何事?という表情を作り、言われるがまま彼女と一緒に部屋を出る。
見れば、ラダクールの近衛兵二人が私の元を訪れていた。
「なぜあなたたちが私を迎えに?」
「夜分のことですので私共がお迎えに上がりました。申し訳ございませんが、聖堂までご一緒に願います」
「……わかりました」
二人の兵に連れられ宮殿を出ると、秋が深まっているというのに季節外れの生暖かな風が肌に纏った。
おかげで寒さは感じないものの、不穏の前触れのようで何か嫌な感じがする。
覚悟はしていたとはいえ、やはり兵に呼び出されるとなるとさすがに怖い。それでも虚勢を張って後ろめたさなど無いふりをして、移動の馬車に揺られていた。
聖堂の庭園広場前に停まると、周囲には多くの兵が配置されていた。私は促されるまま広場の中央まで出ると、ロトスがゆっくりと歩み寄ってきた。
「リディア王女にはこれからお尋ねしなければならないことがあります。今朝、我が国の神子が天眼を授かりました。それについて兄上からお話がございます。ただいまこちらに向かわれておりますので、それまでこのままお待ちください」
前置きも何もなく、ロトスは厳しい表情をしたまま私にそう告げた。
聖堂の玄関前は厳重に兵で固められ、アリスとグレイの姿は表に見えない。ということは、二人は今も中にいるということだろうか。
ロトスの態度に緊張が高まる。グレイは今何をしていて、彼らに何を話したのだろうか?
彼の言動次第で、こちらも対応を変えていかなくてはならない。
そんなことを考えているうちに、後ろから馬が闊歩する音が聞こえた。私は怯える自分を見せないように、優雅に振り向いてみせる。
白馬に乗ったロドルフが私の前に現れ、その場に降り立つ。私はドレスの裾を摘まみ上げて、丁寧な挨拶をした。
「リディア王女……」
ロドルフは眉間に皺を寄せ苦い表情を浮かべている。私はグレイの行動に賭けて、知らぬ存ぜぬを通すつもりだ。
「神子様が天眼を授かったとお聞きしました。なにやら物々しいご様子ですが、それはまた私に関係があることでしょうか?」
前回の懐中時計の予知が外れたことを暗に出してみる。
それと同時に、聖堂の方から大きな声が聞こえた。
「ロドルフ様がご到着されました。神子様、クレイ様、どうぞこちらへ」
クレイ?
私は振り返って玄関から現れた二人を見た。アリスと、その隣には白銀の髪を持つ騎士の姿があった。
息を呑むしかなかった。なぜ、あなたが。
澄んだ青い瞳が、私をまっすぐに捉えていた。




