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10.失われた希望

 


 前世について尋ねたアリスの返事に、思わず「えっ?」と声が出てしまった。まさか、日本人の記憶を持たずに神子になったということなのだろうか?


「そんな話は知らないし、王宮で聞かれたこともないけどなぁ」



 不思議そうな顔をするアリスに、これはまずいと思い適当な言い訳を考える。


「えっと……セダの国では人に不思議な力が宿る時、前世の記憶が蘇るなんていう昔話があったのです。それでそう思ってしまって」


 これは今作ったデタラメ話だけれど、ということは彼女はあちらの世界からの転生者でもなければ、そんな設定も持たない神子ということになる。



「手の甲に現れたという紋様を見せていただくことはできますか?」


 私は最後の確認としてそう尋ねた。神子服という特殊な服を着ている彼女は、サラサラした生地の袖が手の甲まで覆っているため、わざわざ見せてもらわないと目にできない。


「紋様が見たいんですか?」


 アリスはそう言うと、簡単にひらりと甲の部分だけ布をめくって見せた。駄目元で聞いてみたけれど、特に秘密にしているわけではないらしい。

 確かに彼女が言った通り、神子の証である紋様はしっかりとある。



「ねぇ、グレイさんも一緒にお茶しようよ。さあ、座って座って。グレイさんは甘いものは好き?」


 私が考えを巡らせていると、アリスが後方に控えるグレイに声を掛けた。その無邪気な言葉を受けて私がグレイに目を向ければ、彼もこちらに視線をよこしていた。


「神子様がそうおっしゃっていることですから、あなたもここに座って」


 そう言って私は少し座る位置をずらして彼を促した。本当は、王女と同じソファに座ることなど普通はしない。だけど貴族の常識が通用しないアリスの前では、今後の関係のためにも素直に聞いておいた方がいいと思った。



 すぐに動かないグレイを不思議に思って目を向けると、困ったような表情で居心地が悪いような様子を見せている。

 いつも涼しい顔をしている男が、珍しくうろたえる様子に笑いが込み上げそうになった。

 ちょっと面白い。さすがにグレイでも動揺することがあるのだと知って、思わず顔がほころんでしまう。


「神子様がおっしゃっているのだから、気にしないで座って」


「……では、お言葉に甘えまして。同席を失礼いたします」


「もう、ただおしゃべりをするだけなんだから、もっと気楽にしようよ! グレイさんはこのお菓子は好き?」


 そう言って、目の前の皿をグレイの方に移動させて食べるよう促す。


 私がこの日に賭けていた意気込みなど知らないアリスは、上機嫌で会話を弾ませていた。そして神子の祈りの時間が来たことを告げられるまで、彼女の話は尽きることなく続いた。



「また遊びに来てくださいね! 今度はリディア様とグレイさんのお話を聞かせてください!」


 満面の笑みで送り出されてこちらも笑顔でお別れをした。そして、どっと疲れが襲う。



「ね、私の話した通りでしょう?」


 帰り道、グレイにそう話しかけると、少しトーンが落として答えが返ってくる。


「……想像以上に元気で自由な御方でしたね」


 声が疲れて真顔になっている彼を見て、思わず苦笑いをした。

 さすがの彼もあの勢いにのまれてしまったのだろう。普段は見せない素を垣間見たようで、ちょっとだけ面白く思ってしまった。



 だけど。本来の目的であるアリスとの話が空振りで終わったことは、自分の中でとても痛いことだった。


 私が初めに思い描いていたことは、アリスに協力を願うことだった。

 彼女が元日本人で、同じゲームプレイヤーだとしたら、私も転生者なのだと打ち明けて事情を話そうと。そしてリディアの死を回避できるように手伝ってもらいたいと考えていた。


 きっと私に協力してくれるだろうと思った理由には、悪役であるリディアがゲームファンから好かれていたことが頭にあったから。

 この『プロフィティア』の世界において、リディアが倒すべき悪役であることには間違いない。しかし彼女の背負った運命、セダ王国から遣わされた生贄であるという背景は、悲劇の王女としてゲームファンからも同情されていた。


 気高く美しく散った彼女を、裁く側であるラダクールの人たちでさえ死を悼んで、小さな墓を建て弔った。

 そんなストーリーであるが故に、ハッピーエンドにほろ苦い感情が残るゲームとして支持を受けた作品でもある。


 それに加えて元日本人同士であること、日本人の価値観があれば、眼の前で人が死ぬ場面など見たくないのではと期待していた。



 でもそんな甘い考えは通用しなかったらしい。彼女は転生などしておらず、私の事情など何も知らない。


 一番望みをかけていた線があっけなく切れて、今はただ共に途方に暮れている。


 私はこれから、どうしていけばいいのだろう。

 考える力を失って、ぼんやりとそんなことを思っていた。



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