表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

その日がくるまでは



 俺の名前はルークス・レグトン。

 代々魔術師協会の長や幹部を輩出するレグトン伯爵家の嫡男として生まれた。


 当然、生まれた時から将来を約束された恵まれた環境で育ったわけだが同時に親や親族の期待に応えなければならないという重圧の中での暮らしを余儀なくされてきた。


 レグトン家の者であればこれくらい出来て当たり前。

 レグトン家の者ならば基準値以上の魔力があって当たり前。


 レグトン家というブランドのフィルター越しに周囲から向けられる視線に絶えず晒され続ける。


 そのプレッシャーに負けないように自分を鼓舞し、懸命に研鑽しながら期待に応え続けて、さすがはレグトン伯爵家の令息だと将来の幹部候補として鳴り物入りで魔術師協会に入った。

 そこで俺は人生で初めての()()を味わったのだった。


 今思えば自分の優秀さへの傲りもあったのだろう。自分のレベルと同等のものを他者にも求めた結果、王族の権威を貶めるという事態を招いてしまった。


 四年前、その年の三級資格試験の受験者にこの国の第二王子がいた。魔術師協会に入ってすぐに試験官の末席に就いた俺は、王子が三級相当のレベルに非ずと不合格判定を出したのだ。


 資格試験には五人の試験官全員の合格印を必要とする。

 他の試験官は合格点に達していなかったにも関わらず王族だからと忖度したが、俺は王子を合格者として認めなかった。


 そのため当然王子は不合格。

 そしてそれを王子は不服とし、魔術師協会に異議申し立てをした。

 いや、異議申し立てという名の弾圧を掛けてきたのだ。

 敢て言うなら王子がというより第二王子派の派閥からだ。

 第一王子との後継者争いに優位に立つためにも是が非でも魔術師資格を得て王子に箔をつけたかったという目論見が崩れ、箔をつけるどころか落伍者という烙印を押され、後継者争いに影を落とす事になってしまった。


 その責を全て俺に償わせなければ気が済まなかったのだろう、第二王子とその派閥連中は俺の魔術師協会からの追放処置を迫った。


 なんと横暴な。

 王族だからとこんな暴挙が許されるのか。

 俺は正しい事をしたのだ。

 そう、間違った事はしていない。

 魔術を扱う者にはその魔術を正しく用い、制御するという責任が課せられる。

 その責任を果たせる最低レベルの技量というものが必要なのは当然の事なのだ。


 それをきちんと、皆はわかってくれる。

 俺はそう信じていた。


 だけど一番の味方なはずで、理解者であるはずの父からはこう告げられた。


「愚かな事を。青臭い正義を振りかざして英雄にでもなったつもりか。第二王子や門閥貴族に睨まれて、これでお前の将来は潰えたも同じだぞっ」


 その時の俺には父が何を言っているのか訳が分からなかった。


 正しく合否判定をして、なぜ咎められなくてはならないんだ?

 なぜこのくらいの事で幹部候補としての将来が潰れるんだ?

 なぜ、皆が口を揃えて俺が浅慮で愚かであると言うんだ?

 なぜ俺が魔術師協会から解雇処分を受けなくてはいけないんだ……?

 なぜ?なぜみんなが側から離れていく……?


 幸い、この状況を良しとした第一王子派の筆頭公爵の取りなしで追放ではなく無期限の謹慎処分、そしてその間王都からの所払いとなったが、俺にとっては全てが理不尽で受け入れ難い事だった。


 その時俺は、たった一つの失態で今までの努力をなかった事にされる脆く儚い立場であったことを思い知らされたのだ。


 父や祖父や口煩い親族はともかく、母でさえ俺が取った行動を浅はかだと嘆いた。


 恵まれていたと思っていた環境は砂上の楼閣であったのだ。

 さらさらと砂が崩れるように、今まで当たり前だった世界が足元から崩れてゆく。

 この手のひらから大切だとおもっていたものが零れ落ちてゆく。


 俺は孤独で寂しい、何も持たない男になってしまった。


 これからどうすればいい?どこに行けばいい?

 そして、これからどう生きればいい……?


 俺はただ、茫然自失で立ち尽くすしか出来なかったのだ。


 だけどその時、俯いて自分の靴の爪先を見るしか出来ない俺の前に差し伸べられた手があった。

 母方の遠縁で子供の頃から可愛がってくれていた小父だった。

 三男だったために家督は継げず平民となったが、生まれ持った商才を生かし古物商で財を成し成功を収めた人だ。


「ルークス、私のところに来ないか?丁度経営する古書店の一つを任せたい人間を探していたんだ。お前さえよければそこで働いてみるのはどうだろう」


「古書店……?」


「ああ。本好きなお前にはもってこいの仕事だと思うぞ?なにせ古今東西様々な時代の様々な書物が読み放題だからな。それに、客は人種の坩堝だ。様々な書と共に彼らのような多種多様な人間と触れ合う事で自ずと何かが見えてくるはずだ」


「何かが……見える……?」


「新しい価値観が生まれ、新しい自分になれるかもしれない」


 そう言って差し伸べられた手を断るという選択は無かった。

 俺は縋る思いでその手に自分の手を重ねた。


 そうして家族を失望させ、その家族に失望した俺は王都を出て小父の住む地方の街で暮らし始めた。


 平民たちの中で平民たちと何ら変わらぬ暮らしを営むという初めての経験は、これまた失敗の連続だった。


 伯爵家の令息として、将来の高位魔術師として勉強ばかりしてきた俺が如何に世間や物事を知らずに生きて来たのかを突きつけられる毎日だった。


 だが失態続きの俺を、周りの人間は誰も責めず誰も見捨てはしない。

 それどころか大らかに笑い、惜しみなく手を貸してくれ、見返りを求める事なく様々な事を教えてくれた。


 温かかった。

 人との繋がりが、人情というものがこれほど温かく、大切に感じた事など今までになかった。


 今まで如何に狭く、堅く閉ざされた世界て生きていたのかを思い知らされる。

 そして同時に人生において失敗は怖くない、失敗が人間を成長させるのだという事を知った。

 失敗を恐れて縮こまっていで仕方ない、大切なのはその失敗から学び同じ過ちを繰り返さない事なのだと、俺はこの街の暮らしで学んだ。


 そしていつしか俺は肩の力を抜いて、深く大きく呼吸が出来るようになっていた。


 そうやって瞬く間に王都を離れて一年が経ち、


 寒い吐く息さえ凍りそうな雪の日に俺の人生を変えるもう一つの出来事が起きた。


 たまたま入った食堂で、そこで働きたいと飛び込んで来たひつじ、メェとの出会いだ。






 ◇◇◇◇◇





 俺には雪の日に拾った、大切な女の子がいる。


 必死で働かせてくれと頼むも無情に食堂を追い出され、ひとりで途方に暮れて立ち尽くしていた少女。


 昔の俺なら絶対に関わろうとはしなかっただろう。


 だけどその寄る辺ない小さな背中に、居場所を失い今後の生き方も分からなかったかつての自分の姿を重ね、手を差し伸べずにはいられなかった。


 気付けば彼女に手を差し出し、重ねられた手を包み込んでいた。


 その手は小さくて温かな、優しい手だった。


 そうして俺はひつじと名乗った彼女の警戒心を少しでも解きたくて、親しみを込めてメェという愛称をつけた。

 そして店へと連れ帰った。


 メェは俺との新しい暮らしと古書店での仕事に最初は戸惑いを見せながらも早く馴染もうと懸命に努力した。


 元々母ひとり子ひとりで、働く母支えながら暮らしてきた彼女は俺と違って最初からかなり有能な働き手だった。


 料理だけはセンスがないのか壊滅的にダメだったが、逆に俺が料理の才能はあったらしく既に一通りのものを作れるようになっていたから問題はない。


 二人で役割分担をして恙無(つつがな)く共同生活を送る中で、メェはいつしか俺に対し好意を口にするようになっていた。


「ルーさん、いつもありがとうございます。わたし、ルーさんのことが大好きです!」


「ルーさんはわたしにとって特別な人ですよ。ルーさん、大好きです」

「好き!ルーさんが好き!」


 彼女から向けられるその好意は恋情等ではなく親愛の類であることをもちろん理解している。


 最初はそんな彼女の好意をただ心地よく感じていた。

 素直だな、可愛いな、こんな男に救われた恩義を感じていじらしいな、そんな感覚で微笑ましく受け取っていた。


 だがメェが17歳になる直前、成人まであと一年を迎えようとしているそんな時、いつも通りに寄せられる好意にふと熱を感じた気がしたのだ。


 まるで「好き」という言葉に深い意味があるように。

 いつもの様に好意を口にしたメェの瞳に恋情が込められているような気がした。


 その眼差しが俺の心を強く穿ち、彼女から目を逸らす事ができなかった。


 だが心の中の冷静な俺がすぐにそれを否定する。


 若く、美しく成長し続けているメェのような女の子が六つも年上の俺を好きになるわけがない。

 彼女の好意はラブではなくライクだ、勘違いするなと自らに釘を刺す。


 わかってる。

 今のは気の所為だ、勘違いなどしない。


 だがその日を境に、メェという存在が俺の中で大きく変化した。

 だがそれを認める訳にはいかない。

 認めてしまえばきっと歯止めが効かなくなる。

 この感情に決して名を付けてはならないのだ。


 俺の役割はメェを保護した責任者として、いずれ彼女が誰かに嫁ぐまで守り続けるだけだ。


 そう思ったとき、胸の内にどうしようもない喪失感が広がった。


 それは、誰か他の男に渡すという事だ。

 メェを失う……。

 いつも側にいた彼女の隣に俺でない誰かが立つのだ。

 そしてあの小さくて温かな手を俺ではない誰かが握るという事なのだ。


「………そんなこと……」


 そんなことは耐えられないと思った。


 出来ることならば、許されるなら一生彼女に寄り添い、彼女を守る存在は自分でありたいと思った。


 だけどそれは無理だと俺の中の冷静な俺がまた否定する。


 平民といえど見合い結婚が多いこの国で、恋愛感情がないメェを自分の妻にと求めるのは有り得なくはないだろう。


 だが俺が持つ身分が、立場がそれを邪魔する。

 もし魔術師協会からの謹慎処分が解かれなくとも、嫡男としていずれはレグトン伯爵位を継がなくてはならない。


 そしていずれは家格に釣り合ったどこかのご令嬢を妻に娶って後継を育ててゆかねばならない。


 ………だけどそこに、メェの姿は当然ない。


 メェがいない時間が続くだけの人生。


 それでいいのか?

 それで、人生の終焉を迎えた時に後悔の無い人生だったと建前だけを口にするのか?


 そんなのは嫌だと心から思った。


 たとえメェには受け入れて貰えず彼女とは結ばれなくても、愛していない他の誰かと人生を歩むことなど出来ないと思った。


 それならば、取るべき行動は一つである。


 そこで俺は三つ年上の従姉に手紙を書いた。

 従姉のマリア・ターナーは既婚者の女性でありながら貴族院の官吏として勤めている。

 貴族籍の規則や法に精通しており、方法や手続き等の相談するために助力を請うた。


 マリアからはよほどの理由がない限り、貴族の、しかも伯爵位以上の家の嫡男の廃嫡がすぐに認められるのは難しいだろうとの返答があった。


 そこに父親である現当主の承認はもちろんの事、数多くの書類を作成し提出せねばならないらしい。


 まぁそんな簡単に事が進むとは思っていなかったので、俺はマリアとやり取りをしながら少しずつその準備を進めていった。


 そんな時に入った一通の報せ。

 魔術師協会の印章が箔押しされた封筒を受け取り中を確認すると、そこには第二王子との後継者争いを勝ち抜いた第一王子が立太子するに当たり、恩赦として謹慎処分が解かれるという旨が記されていた。


 そしてすぐに父からも祝いの言葉とすぐに王都に戻るようにとの私信が届く。


 父の手紙を見ても、俺はもはや何の感慨も湧かなかった。

 赦されると知った途端にこれか。

 母や弟からは時々頼りが届くものの、謹慎処分中は一度だって俺の様子を気にすることもなかった父親からの手紙を見て、俺の決心はさらに堅くなった。


 廃嫡を願い出て、貴族籍を手放して平民として自由に生きる。


 奇しくもマリアから準備が整ったとの報せも届き、俺はとうとう決行に踏み切った。


 全てを終わらせるためには一度王都に帰らなくてはならない。

 どんなに迅速に手続きを進めても一週間は留守にしなくてはいけないだろう。


 メェにその事を告げると、なんだかいつもと様子が違う気がしたが、こちら側の問題がまだ何も解決していない段階でメェに話せる事は何もなく、俺はただ土産を買って帰るとしか言えなかった。


 俺は俺の過去や事情をメェには話していない。

 何も知らないメェに、敢えて心配を掛けるような事を出発前に話す必要はないだろう。


 待っていてくれ。必ず、何もないただのルークス・レグトンになって戻ってくるから。

 その時、キミに話したい事が沢山あるんだ。


 その思いを胸に、俺は王都へと全ての柵を捨てに向かった。


 家には事前に手紙で、もはや家を継ぐ気はなく、魔術師協会に戻るつもりもない事を知らせてある。


 四年ぶりに屋敷に戻るなり父親に殴られ、母には泣きつかれたが俺の意思は変わらない。


 唯一弟と心配して様子を見に来たマリアが俺の味方をしてくれたが話し合いは難航した。


 それは予想していた事だ。

 覚悟していた事だ。

 だから俺は感情的にならず真摯に言葉を重ね、両親に気持ちを伝えた。


 この四年感で知った事、感じた事、その中で見つけた新しい自分の価値観の事を全て話した。


 そしてこんな気持ちのまま無理やり家督を継いで魔術師協会に戻ったとしても、また同じ事の繰り返しになるだろうということを告げた。


 だって俺は今でもあの時第二王子を不合格とした事に後悔はしていないのだから。

 きっと今後も父や協会の意に沿わぬ言動を繰り返すはずだと、こんこんと説明し理解を求めた。


 そしてもうこれ以上告げる言葉が見つからなと思ったその時、ようやく父が貴族籍を抜ける事を了承してくれた。


 それは父として息子の意思を尊重してくれたものなのか、当主として家門の足を引っ張りそう俺に見切りをつけたのかは分からないが、それはもうどうてもいい事だった。


 俺は廃嫡となり、レグトン伯爵位は弟が継ぐ事を認める書類に署名をする。

 その他様々な手続きを終えた時、俺は両親に謝罪と礼を口にした。


 不出来な息子を、親不孝を赦して欲しいと。

 そして育ててくれた事への感謝の気持ちを述べた。


 それから世話になったマリアに礼を言い、弟に家と両親の事を頼んで、生まれ育った屋敷を出た。



 屋敷の外に出ると雪が降ってきた。


 初雪だ。


 ふとメェと初めて会った日もこんな雪空の日だったと思い出す。


「………メェ…ひつじ……」


 堪らなく彼女に会いたかった。


 会って、いつも好意を示してくれるメェに自分も同じ言葉を返して、彼女を驚かせたかった。


 帰ろう。


 キミが待つ街へ。


 逸る足を一歩ずつ確実に前に出し、俺は王都を後にした。




 そうして古書店に帰った俺の姿を見て、留守を頼んでいた小父が血相を変えて駆け寄ってくる。


 酷く顔色を悪くして、焦燥感を滲ませて。


 その姿を見て俺は、嫌な胸騒ぎを感じた。


 そして小父は一通の手紙を手にして言った。



「大変だっ!ひつじさんがっ……彼女が置き手紙を置いて出て行ったっ……!」


「………え?………」


 こんなにも目の前が真っ暗になるような衝撃は、


 無期限謹慎処分を受けた時でも感じなかった。






 ◇◇◇◇◇




【親愛なるルークス・レグラン様


 以前のわたしなら、こうしてきちんと手紙を書くことすらできなかったでしょう。

 それがルーさんと出会え、沢山の本たちと出会えたおかげで文章というものがわたしにも書けるようになりました。

 ルーさん、あの寒い雪の日に、手を差し伸べてくれて本当にありがとうございました。

 沢山優しくしてくれて、沢山助けてくれて、沢山美味しいものを食べさせてくれてありがとうございました。

 この三年間、ルーさんの側で穏やかにそして幸せに暮らさせてもらえました。

 生きる力を与えてもらえました。

 その事にどれだけわたしが感謝しているのか、この拙い文章から伝わればいいのですが……そこは物語を読むように想像力を働かせてもらえればありがたいです。

 なんの恩返しもできずにお別れをすることがとても心苦しくはありますが、ルーさんのお邪魔にならないように店を出て行くことが恩返しだと思ってくれたらいいなぁなんて都合のいいことを考えています。

 ごめんなさいルーさん、わたし、ラモンさんがお店のお客さんと話していたのが耳に入って知っていたんです。ルーさんが何かしらの罰を与えられてこの街で暮らしていたことを。

 それが期限付きのもので、いつかはルーさんが王都に帰ることも知っていてわざと知らないふりをしていたんです。

 そしてようやくルーさんがゆるされてご家族のもとに帰られることも知っています。これは盗み聞きをしました、本当にごめんなさい。

 でもルーさん、おめでとうございます!よかったですね!本来の生きるべき場所に戻れるんですもん、こんなにおめでたいことはないです。

 もー、いつ話してくれるのか今か今かと待ってたんですよ?それなのにルーさんてばちっとも話してくれない。それどころか何も言わないままで王都に行ちゃうんですから。少し腹がたちました。でも同時に気づいたんです。ルーさんはきっと保護したわたしに対する責任を重く感じて言い出せないんじゃないかって。

 そんなものを感じる必要はないんですよルーさん。ルーさんはわたしのことなんか気にせず本来のルーさんに戻っていいんです!

 でも真面目なルーさんのことだから、いくらわたしがそう言っても聞かないでしょう?

 だからわたしは、あなたが戻ってくる前にここを出て行くことに決めました。ルーさんの顔を見たら、決心が揺らぐかもしれないから、手紙だけを残してここを去ります。

 ルーさん、大好きです。わたしは、本当にルーさんのことが大好きです。ルーさんはライクとして受け取っていたようだけどちがいますよ?八百屋のお姉さんの言葉を借りて言うと“(メス)としてラブしてる”というやつです。ふふふ。びっくりしました?わたしの初恋はルーさん、あなたなんです。もうお別れなのにこんなことを書いてどうするんだと思うけど、もうお別れだから最後にちゃんと伝えたかったんです。わたしは、ひつじ・ルロワはルークス・レグトンさんを心から愛しています。

 それだけは、これからも続いていくルーさんの人生の片隅にでも置いといてもらえたらそれだけで充分です。

 ルーさん、幸せな人生を送ってください。辛さも悲しみも優しさも強さも知っているルーさんなら、きっと立派な魔術師になれることでしょう。

 って、なんか偉そうなことを書いてすみません。なんにも知らないくせにね。

 でもルーさんの幸せを願う気持ちだけは誰にも負けませんよ。

 わたしは一生、ルーさんへの感謝と淡い初恋と(きゃっ)幸せを願う気持ちを持ち続けて生きてゆきます。

 それだけはゆるしてくださいね。

 ルーさん、ルーさん本当にありがとう。あの寒い寒い雪の日に、わたしに温かい手を差し伸べてくれて本当にありがとう。

 うれしかった。そしてルーさんとの暮らしはとても幸せでした。

 だからもうわたしは大丈夫です。これからは一人で強く生きていけます!

 もうわたしのことは心配しないでください。

 ああ……なんか上手くまとめられない。やっぱり手紙を書くのは下手ですね。

 最後にもう一度、深い感謝と共に大切な想いを込めて。

 ルーさん、大好きです。

 そして、さようなら。 メェことひつじ・ルロワ】



 メェからの手紙の上に、ひとつふたつと雫が零れ落ちる。

 メェらしい元気で素直な文字がその雫に濡れて滲んだ。

 俺は手紙を見つめたままいつの間にか涙を流していた。


 こんなにも、こんなにも深い愛情をメェは俺に向けてくれていた。

 彼女の心の大きさと温かさに胸がいっばいになる。


「っ……メェっ……」


 一体どこに行くというんだ。

 どこにも行くあてなんて無いはずなのに……。



「ルークス……」


 小父の気遣う声が側で聞こえる。



「私宛ての手紙や常連客たちへの感謝の言葉を記したメッセージカードを残して……綺麗に部屋も片付けて出て行ったようだ……」


 その言葉を聞き、俺は顔を上げて小父に詰め寄る。


「いつですかっ?メェの姿はいつから見ませんでしたかっ?」


「昨日、店を閉めて二階に上がる姿はちゃんと見届けたんだ。そして今朝、開店前に店を訪れた時にはもう……さすがに夜は危険だから、きっと早朝に出て行ったんだと思う」


「メェっ……」


「ひつじさんは凡その事は知っていたんだな。だからお前の足枷になりたくなくて自ら出て行った……」


「そうだと知っていればっ、こんな事になるなら、最初から全て話していればよかった……!打ち明けていれば良かった……!」


「ルークス……それで、どうするつもりだ?」


「もちろん、連れ戻します。彼女のいない人生なんて、考えられない」


「しかしどうやって探すんだ」


「小父さん、忘れたんですか?俺は一級資格保持者ですよ」


「……そうだったな」


「探索魔法を掛けます。この街全土に、そして周辺の街にも」


「そ、それはあまりにも豪気っ……魔力切れを起こすかもしれんぞっ」


「それでも、暗くなる前にメェを見つけ出さねば」


 俺はそう言って店のカウンター奥の引き出しから回復ポーションの入った小瓶を取り出した。


 そして店の比較的空いているスペースに立ち、ほとんどの魔力を注いで探索魔法を展開した。


 網目のような魔法陣が足元から広がる。

 それは次第に透明になり見えなくなったが店を中心に力の及ぶ範囲いっぱいいっぱいまで張り巡らしていく。


 高い魔力を持つ者なら探索魔法の魔力を感知するだろう。

 だが低魔力保持者や魔力のない人間には何も感じないだろう。


 どれくらいの範囲で探索の魔法陣が広がったのか。

 その時ふとよく知る、知りすぎている気配を探知した。


「……見つけた……メェの気配だっ……」


「え?」


 小父が聞き返したが、俺は即座にポーションの小瓶を開封してそれを飲み干した。


「ルークス?見つけたのか?」


 小瓶を小父に渡しながら答える。


「はい。彼女を、メェを迎えに行ってきます」


「必ず、ひつじさんを連れて戻って来なさい」


「はい」


 俺はそう返事をして、全部ではないにしても少し回復した魔力を用いて転移魔法でその場所へと向かった。




 ◇◇◇◇◇




「ふぅ……ルーさんのためをと思って勢いで出て来たのはいいものの……これからどうしよう……」



 わたしはとりあえず隣街の役場の休憩所に身を寄せていた。

 ここには役場を訪れた人のために椅子が置かれ、ストーブが焚かれている。


 役場の求人コーナーを覗いてわたしにもできそうな仕事を見つけてみよう。できれば住み込みで働けるところが見つかればいいんだけど。


 この三年間、古書店で働いて稼いだお給料もちゃんと貯金してある。

 どこか安いアパートを見つけるくらいは出来るだろうけど、今後のことを考えるとなるべくその貯金に手をつけたくはない。


 だからやはり住み込みで働ける職場がいいのだけれど……。

 とりあえず今夜の宿も探さなくては。


 そこまで考えてふと、わたしは昔のことを思い出した。


 あの時も、今晩の寝場所と住み込みで働ける場所を探してたんだっけ。


「でも大丈夫。あの時のわたしとはちがう。だから……大丈夫」


 自分に言い聞かせるように、わたしはそうつぶやいた。


 ルーさんにはルーさんの人生がある。

 その邪魔だけはしたくない。

 これからは一人でたくましく生きていかねば。

 そうして頑張って生きて、わたしもいつか困っている人に手を差し伸べられる人間になるんだ。


 そう思い、思わず不安で押しつぶされそうになった自分を奮い立たせた。

 そして俯きかけた顔を勢いよく上げた。


 だけど目に飛び込んできた人物に思わず固まってしまう。


「………………え?」



 ん?幻かしら?

 ルーさんによく似た人が目の前に立っているんだけど……。

 さっきまでこの休憩所にはわたし一人しか居なかったはず。

 この人、いつの間に室内に入って来たんだろう。


 ………それにしても、本当にルーさんによく似てる。


「メェ」


 なんと、声までそっくり。

 それとも何かしら?ルーさんのことばかり考えていたから本当にルーさんの幻を見ているのかしら?

 わたしはゆっくりとおそるおそるルーさんの幻に手を伸ばす。


 するとその幻に伸ばした手を掴まれた。

 わぁこの幻は感触までルーさんによく似てるんだ。

 肉感が本物みたい……って、これは、この手は……。


 わたしがこの手を見誤るはずはない。

 この手は、


「……ルーさん……?」


「メェ……」


「えっ、本当にルーさんなんですか?ど、どうしてここにっ?」


「魔法で探して飛んできた」


「ど、どうして……?何か忘れ物を届けにわざわざ?」


「忘れもの……そうだな、忘れものといえば忘れものだ」


「な、何を……?」


「キミに大切な言葉を伝え忘れていた。それを伝えに追ってきた。そして迎えに」


「え……?言葉?え?迎え……?」


 わたしが呆然としてそうつぶやくと、ルーさんに掴まれていた手が引かれ、側に引き寄せられた。

 ルーさんの琥珀色の瞳がすぐ近くに迫る。


「ルーさん……?」


「メェ。俺も、キミの事が好きだ。八百屋の嫁の言葉を借りると“(オス)としてラブしてる”んだ。下心はないと約束したのにすまない。じつはずっと前からメェの事を愛してる。ライクじゃないぞ?ラブの方だぞ?」


「う、うそ……」


「嘘じゃない。六つも年上だから、諦めようと思った時期もあったけどやっぱり諦められない。これからもずっと、一生メェと一緒に生きていきたいんだ。俺の伴侶となってほしい」


「だ、だって……無理ですよっ、わたしは平民で私生児でただのひつじで、ルーさんは伯爵家のご長男で、一緒になるなんて絶対に無理です」


「その問題はすでに解決済みだ。そのために王都に行ったんだ」


「すでに解決……?あ、も、もしかしてわたしをお妾さんにするんですかっ?本妻さんの住む家の側に部屋を借りて、わたしをそこに住まわせるんですかっ?」


「そんな事をするわけがないだろう。というかそんな具体的な事、どこで知ったんだっ?」


「八百屋のお姉さんが大きな商会の会長がそうやってお妾さんを囲ってるって……」


「またあの嫁かっ。……いいかメェ、俺はキミを妾にするつもりは毛頭ない。俺が貴族籍を抜けて平民になったんだ」


「えっ……そ、そんな事ができるんですかっ?」


「出来るんだ。現にもう手続きを全て終えてきた。今頃従姉のマリアが貴族院に書類を提出してくれているはずだ」


「従姉のマリアって……マリア・ターナーさんっ?時々手紙が届いていたっ?」


「ああ。貴族籍を抜けるために色々と手紙でやり取りしていたからな」


「マ、マリアさんは従姉で、手紙のやり取りは手続きのため……」


「そうだ」


 わたしはなんだか急に力が抜けてヘナヘナと休憩所の椅子に座り込んだ。

 ルーさんはそんなわたしの目の前に跪いて顔を覗き込んでくる。


「メェ、大丈夫か?」


 わたしは心配そうな表情を浮かべるルーさんの顔をじっと見つめた。


「それじゃあ、お妾さんじゃないなら、まさかわたしはルーさんのお嫁さんになるということですか……?」


「そうだよ。メェが嫌じゃなかったらだけど……もっとも嫌だと言ってももう離してやる事など出来ないが。でも、あの手紙を読む限りは俺と結婚するのは嫌ではないよな?」


「っ………」


「そうだろ?」


「~~~……」


「メェ」


「…………はい」


 わたしはそう小さく返事をしてこくんと頷いた。


「良かった……ありがとう、ありがとうメェ……!」


「ルーさん……」


 これは……夢でも幻でもないのよね?


 今、目の前にいるのはルーさんで、彼もわたしのことを好きだと言ってくれて、

 そしてお嫁さんになってほしいと言われたのよね?


「そうだよメェ。俺はキミと結婚したいと心から望んでいる」


「やだ。声に出ていましたか?」


「いいや?でもわかるんだ。ずっと、ずっとキミだけを見てきたから」


「わたしと一緒だ……」


 わたしもずっとルーさんのことだけを見てきた。

わたしたちは、同じ屋根の下でずっと互いの事だけを見てきたのだ。


 わたしの瞳からぽつりと涙が零れる。


 ルーさんはそれを見て立ち上がり、わたしに手を差し伸べた。


「帰ろう。……メェ、おいで」


 あの時と同じ。

 だけどあの時とはちがう気持ちで彼はわたしに手を差し伸べた。


 あぁ……やっぱりこの手は道標だ。

 長く続く人生の岐路に立つ、わたしの道標。


 わたしはルーさんの大きくて温かくて、そして優しい手に自分の手を重ねた。


「……帰りも転移魔法でパパッと帰りたいところだがな、すまんが帰りは馬車だ。もう今日は魔力がすっからかんだよ」


「馬車でゆっくり帰るのもいいものです」


「そうだな。帰ろう、俺たちの家に」


「はい!」



 こうしてわたしたちはわたしたちの大切な居場所である古書店()へと帰った。


 心配して待っていてくれたラモンさんにお詫びとお礼を何度も告げると、

 ラモンさんはこれからは親戚になるんだから気にしないでと言ってくれた。


 なんだか照れくさかったけど、とても嬉しかった。



 それからすぐにわたしとルーさんは入籍をして夫婦となった。

 ささやかな結婚式をラモンさんの好意で古書店で執り行った。

 たとえ息子とはいえど平民となった者の式に参列するわけにはいかないからと、ルーさんのご家族は式には来なかったけど、代わりに沢山のお花と祝いの品物を贈って下さった。

 そしてルーさんの従姉であるマリア・ターナーさんはご主人と共に式に参列してくれたので、お会いすることができた。


 マリアさんはどことなくルーさんに似た、とても綺麗な女性だ。


 以降、マリアさんはわたしの良き相談相手となってくれている。

 初めての夫婦喧嘩の時も、初めての妊娠の時もマリアさんが親身になって、そして力になってくれたのだった。

 彼女はわたしにとって、親戚であり母であり姉であり、友人のような存在となった。


 それはもう夫であるルーさんがヤキモチを焼くほどに。


 そんなルーさんはラモンさんから古書店を譲渡され、正式な経営者となった。


 わたしは今や一級魔術師資格を持つ古書店のオーナー夫人だ。


 母が生きてきたら驚き過ぎて卒倒するだろうな。


 本当に人生はどうなるかわからない。


 一寸先は闇かもしれないし変わらない日々が永久(とこしえ)に続くのかもしれない。


 だけどどんな時にも必ず人生には分岐点というものが存在するはずだ。


 そしてそこにはどんな形にせよ道標があるはず。


 わたしは二度の分岐点で道標となってくれたルーさんの手をずっと離さずに生きていく。


 早くに亡くなった両親の分まで。


 ルーさんが言うように、いつか人生の終焉を迎えた時に後悔のない人生だったと胸を張って言えるように。



 そしてわたしはいずれ訪れる、死が二人を分かつその日がくるまで、

 彼に想いを伝え続ける。



「メェ。愛してるよ」


「あ、今わたしの方から言おうと思っていたのに」


「たまには俺から言ってもいいだろ?はい、どうぞ」


 ルーさんはそう言って両手を広げた。


「ふふ。ルーさん、好き。大好きです!」



 わたしはそう言って、大好きなルーさんの胸に飛び込んだ。







 おしまい










 ───────────────────────






 お読みいただきありがとうございました!



メリークリスマス!(∩´∀`∩)メリクリ♪


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ