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前編

前、後編ものです。

よろしくお願いいたします。

好き……大好き。


私は彼の事が好き。


今だけでいい。


彼がこの町にいる間だけは力いっぱい好きでいたい。


この想いを余す事なく伝えたい。


いずれは赦されて王都へ帰る彼と別れるその日がくるまで。


わたしは、彼に想いを伝え続ける。





「メェ、起きろ。おい、ひつじ」


「ん……想いを……」


「寝ぼけてんな?こんなところでうたた寝してると風邪ひくぞ」


「……え……うたた寝……え……?ルークスさん?……えっ?わっ!?」






ここは鄙びた地方都市の一画にある小さな古書店。


わたしの名前は ひつじ・ルロワ。

半分東方人の血が流れる私生児だ。

この古書店で住み込みで働いて三年になる。


今日は朝から雨で、こんな日にわざわざ古書店に足を運ぼうという人間はそうはいない。

従ってとても暇なわけであって、つい店番をしながらカウンターでうたた寝をしてしまったのだ。


そんなわたしを起こしたのはこの古書店の雇われ店長であるルークス・レグトンさん。

なんでもこの店のオーナーの遠縁に当たるとかで、訳あって王都を追われたルークスさんがこの店を任されたらしい。


とか言ってるわたしも訳ありで、吐く息も凍るほど寒い日にルークスさんに拾われた身だ。


わたしのひつじという名を捩って、彼はわたしの事を“メェ”と呼ぶ。

ちなみにわたしは彼のことを“ルーさん”と呼んでいる。



「メェ。今日は生憎こんな天気だ。ただでさえ出不精のこの店の常連客がこんな足元が悪い日に来るわけがない。今日は早めに店じまいにしよう」


「わっ、いいんですか?やったぁ!」


わたしは喜び勇んで閉店の準備を始める。

すると上からルーさんのふ、と笑う声が降りてきた。


わたしが彼を見上げると、


「じゃあ店は頼んだ。俺はひと足先に二階()に上がって夕食の支度をしてくる」


と言って微笑んでいた。


「はーい。あ、ルーさん、今日のお夕食はなんですか?」


「今日はイワシとトマトのオイル煮……というか、なんですか?じゃなくてたまには“わたしが作りましょうか?”にはならんのか?」


「なりませんね。わたしに料理の才能がないのはルーさんもよくわかっているでしょ。食材を無駄にしてもいいなら作ってみてもいいですけど?」


「……やはり結構だ。命を与えてくれたイワシやトマトや根菜たちに申し訳がたたん」


「それなら適材適所。ルーさんはお料理、わたしは掃除に洗濯に繕いもの、それでいいじゃありませんか」


「うん。ごもっとも」


「ふふ。ルーさん、大好きです」


「……メェはいい子だな。俺みたいな男に優しくしてくれて」


「あはは!なに言ってるんですか!」



優しくしてくれるのはルーさんの方なのに。


寒い寒い、吐く吐息さえ凍ってしまうような凍える雪の日に、行き場をなくしたわたしを拾って優しくしてくれたのはルーさんでしょう?


昔、母が留学先の東方の国と呼ばれる東和連邦で出会った父との間に生まれたわたし。


だけどわたしが母のお腹にいる時に父は事故で亡くなり、母は身重のまま帰国した。


相手が不慮の事故で亡くなってしまったとはいえ未婚で出産するという母に、世間の風当たりはキツかったらしい。

親には勘当され、母はわたしを一人で産んだ。


大好きだった父が最期にくれた宝物だと言って、わたしに深い愛情を注いで育ててくれたのだ。


正直、母ひとり子ひとりの暮らしは貧しく苦しいものであったが前向きで明るい性格の母のおかげで、わたしたち親子はいつも笑って暮らしていた。


だけどそんな母も、流行り病であっという間に亡くなってしまった。


なのに我が家には母を弔うお金もない。


衣類、家財道具の全てを売り払ってなんとか母を共同墓地に埋葬し終えると、わたしには本当に我が身一つだけしか残らなかった。


急いで住み込みで働ける所を見つけないと、飢えと寒さで死んでしまう。


当時十五だったわたしは住み込みで働けそうな所を片っ端から当たって回る。

だけどどこも雇ってはくれず、最後に入った食堂でわたしは平身低頭で頼み込んだ。


「お願いします!どうかわたしを雇ってください!帰る場所も、今日のパンを買うお金すらないんです!お願いです!お願いします!」


「生憎だけどね。紹介状もないような者を雇い入れる訳にはいかないんだよ」


「その紹介状とやらはどこに行ったらもらえるんですかっ?」


「そんなの自分で考えな!こちとら忙しいんだ!客じゃないなら早く出て行ってくれ!」


「そこをなんとか!お願いします!」


「うるさい!邪魔だっ!」


食堂の店主はそう言って、わたしを乱暴に店の外に放り出した。


わたしは呆然と立ち尽くす。


どうしよう……どこも雇い入れてはくれない。

もう、最後の手段として、娼館へ行ってこの身を売るしかないのか……。


冷たい雪が俯いたまま立っているわたしに無遠慮に降りかかる。


そんな時、ふいにすぐ近くで声が聞こえた。


「あ~あ。あの食堂、出てくる食事も酷けりゃ作る人間も酷いときた。見るからに困っている娘を虫でも追い払うように放り出して……まぁ弱みに漬け込んで不埒な事を考える輩よりはマシか……?」


ぶつくさとひとり言のように言うその青年は、さっき追い出された食堂に居た客の一人だ。


わたしはぼんやりとした頭でその人を見た。


黒い髪に琥珀色の瞳。

シャツにセーター、スラックスにコートと簡素な服装だがその一つ一つが上質なものだとわかる身形の調った若い男性だった。


その年若い青年がわたしに言う。



「俺の名前はルークス・レグトン。キミの名前は?」


「ひ……ひつじ…」


「ひつじ?もしかして東和の言葉の?」


「あ…はい、亡くなった父が東方人で、名前が羊介(ようすけ)だったそうなので……その一文字を貰ったと、先日亡くなった母がそう言ってました……」


「ふーん、なるほどな。両親ともすでに……ひつじか可愛い名前だな。髪もくるくるでフワフワで本当に羊みたいだ。そうか……ひつじ、メェだな。よし、じゃあ今日からキミの事を“メェ”と呼ぼう」


「……メェ?」


「ひつじといえばメェ、だろう」


「そう、かな?……そうかも」


「メェ、俺と一緒に来るか?俺の遠縁が経営する古書店で住み込みとして働くか?」


「えっ……で、でも……」


「よく知らない食堂にいきなり押しかけて住み込みで働かせてくれ!と言うくらいなら、よく知らない古書店でいきなり住み込みで働くのも一緒だろ?……まぁ俺もそこに間借りしているから共同生活になるが……それさえ構わないのなら。もちろん、決して下心はないと約束しよう」


「……どうして……今会ったばかりわたしに、親切にして下さるんですか……?」


「どうしてだろう……。ただ、キミと自分を重ねただけかもしれない。俺に手を差し伸べてくれた人がいたように、キミにも手を差し伸べる人間が居てもいいと思った。ただ、それだけだ」


「手を差し伸べて……」


力なくつぶやくわたしの視界に、その人の手のひらが映った。

実際にわたしに手を差し伸べてくれているその手が。


「どうする?俺と来るか?」


「……」


「……メェ、おいで」


普通なら有り得ないだろう。

初めて会った、しかも男の人の手を取るなんて。


でもその時のわたしには、その手がまるで道標(みちしるべ)のように見えたのだ。

どこまでも続く道が二つに分かれている分岐点に立つ、道標に。


わたしは差し伸べられた手にそっと自分の手を重ねた。

大きくて温かな、優しい手だった。



その手の持ち主がルーさんなのだ。


あれから三年。


わたしはルーさんとこの古書店で穏やかな共同生活を続けている。



「ルーさん、お店閉めました」


「ご苦労さん。手を洗っておいで」


「はーい」


古書店の二階はわたしとルーさんが住む居住部分になっている。

キッチン、居間、トイレに浴室。そしてそれぞれの個室。

母が生きていたら若い男性との二人暮らしなんてとんでもないと卒倒していただろう。


でも出会った時に下心が無いと言っていたのは本心で、ルーさんにとってわたしは“女性”の分類(カテゴリー)には入らないのだ。


大人な彼にとってわたしは女性ではなく“メェ”。


メェとなくただのひつじ()なのだ。


だから何も問題はない。


わたしはそうではないけれど。


ルーさんに拾われて、一緒に暮らし出して三年。


いつしかわたしは彼に惹かれていた。


わたしよりも六つ年上のルーさん。

優しくて穏やかで料理が上手くて。

でも他の家事は壊滅的にダメダメなルーさん。

頭が良くて物知りで、高い魔力を持つルーさん。

貴族のお坊ちゃまでとても優秀な成績で魔術師資格試験に合格した魔術師らしいルーさん。


これは彼から聞いたのではなくルーさんの“遠縁の小父さん”にあたる古書店のオーナー、ラモンさんがそう言っていたのを偶然聞いてしまったのだ。


その時に、四年前に入ったばかりの魔術師協会で何やら()()を犯して無期限の謹慎処分を受けたのだという事を、魔術師協会のことに詳しい店の常連客さんが話していたのも聞いた。


なんでも資格試験の合否で王族を怒らせたとか何とかで無期限の謹慎処分を受けたのだとか。

その為王都を追われ行き場を失くしたルーさんにこの古書店を任せたのが、遠縁のラモンさんなのだという事がその時わかった。


そしていずれその謹慎処分が解かれ、罪が赦されて王都に帰るという事も……。


出会った時に言っていた、‘’困った時に手を差し伸べてくれた人”というのはラモンさんのことだったのだ。


だけどルーさん自身はその事について何も語らない。

共に暮らした三年間で一度もない。

だからわたしも聞かない。

わたしには今、目の前にいるルーさんがその全てなのだから。


好き。


ルーさんが好き。


何も持たないわたしの唯一の宝ものが、彼への恋心なのだ。


だからわたしはその大切な恋心を隠したりはしない。


彼にとってわたしは雪の日に拾ったただのひつじでも、わたしにとっては大切で大好きな人だから。




「う~ん……美味しい~っ!ルーさん、このイワシとトマトのオイル煮、絶品です!」


「ははは、ありがとう。メェはホントに何でも美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるよ」


「ルーさんが作るものが何でも美味しいからですよ」


「嬉しいことを言ってくれるな。じゃあデザートのガトーショコラを大きめに切り分けてあげよう」


「やった!あ、そうだルーさん、()に置いてある古書をまたお借りして読んでもいいですか?絶対に汚さないようにしますから」


「ああ。どれでも好きに読んでいいよ。元々全部が薄汚れた古い本だ。気にせず何でも読むといい。オーナーにも許可を貰ってるから」


「わーい!ありがとうございます」


わたしはお礼を言ってまたイワシを口に放り込む。

次に煮込まれてソースのようになったトマトをバゲットにのせてかぶりついた。

もう本当に美味しくてお口の中が幸せだ。


そんなわたしを見て笑み浮かべたルーさんが言う。


「メェは本を読むのが好きだな」


「はい。本にはわたしが知らないことがたくさん書いていて、その知らないことを一つ一つ拾っていくような作業がとても好きなんです」


「なるほど。知識欲が満たされるという訳か」


「知識欲?」


「そうだ。自分の知らない事や解らない事を何でも知りたい、答えを得たいという気持ちだ」


「自分の知らないこと、わからないこと……」


なるほど。本を読むことに関してはそうなのかもしれない。

だけど……わたしは何でも知りたいわけじゃない。

むしろ知りたくないことがいっぱいある。

わたしはテーブルを挟んで向かいに座るルーさんを見た。



……王都に帰りたいと思っていますか?


謹慎処分が解かれることになるのはいつ頃ですか?


時々手紙が届く、“マリア・ターナー”という人はどんな女性ですか?


ルーさんとはどのような関係の人なんですか?


……わたしは……いつまであなたの側にいられますか?



それらの答えを知るのが怖い。


ううん、知りたくないなんて本当はうそ。


わたしはそれらの答えを知りたくてたまらない。


でも、知るのが怖い。


現実を知るのが怖くて、何も訊けずにいる。



「ん?どうした?俺の顔になんか付いてるか?」


だからわたしはそれらの言葉をいつもこくんと飲み込む。


「……いいえ。わたし、ホントにルーさんのことが好きだなぁと思って」


飲み込んだ言葉の代わりに伝えられる素直な気持ちを口にする。

この暮らしがいつまで続くか分からないからこそ、わたしは後悔することがないように彼に対する気持ちを伝えているのだ。


そしてわたしが大好きだと告げるとルーさんはいつだって、


「メェは助けられた恩義から俺の事を好いてくれているんだろうけど……それにしても、もの好きだなぁ」


と言うのだ。


わたしのルーさんへのラブはいつだってライクとして受け取られてしまう。

そんな時、ホントはちょっと胸が痛かったりする。


「……そんなことないですよ。もの好きなんかじゃないです。ルーさんは優しくて、ホントに素敵なひとです」


「ありがとう」


欲しい返事はそれじゃない。

それじゃないけれど、そんな大それたことを望んでいるわけじゃないからやっぱりそれでいいのだ。


「どういたしまして。ふふ、ルーさん…大好きです!」


わたしはこうやってルーさんに想いを伝え続ける。



彼が本来の住む世界に戻る、その日がくるまでは。





◇◇◇◇◇




「じゃあ本が入り次第連絡して」


「はい、了解しました」


「よろしく」


「毎度ありがとうございます!」


「ヒツジチャン…アッチノショカニアルホンナンダケド…」


「は~い!というかチャンさん、相変わらずお声が小っさい」


「ゴメンヨ、ヒツジチャン」


「いいえ~!」


古書店の常連客は人種の宝庫だ。


偉い人、普通の人、お金持ちの人、貧しい人、明るい人、暗い人、面白い人、怖い人。


そんな様々な人が、西と東の両大陸から集められた古い文献や御伽草子、歴史書や数々の専門書、昔の人間の随筆(エッセイ)や料理本などを求めてやって来る。


中でもこの古書店で一番多く扱っているのが魔導書だ。

初心者向けから特級魔術師様が読むような難易度の高いものまで数多く並んでいる。


当然、それを買い求める魔術師の客も多い。

そして中にはとっても困ったお客さんもいる訳で……



「メェ、二階()でちょっと書類仕事してくるから店番頼む。重い本や高い場所にある本を扱う時は必ず俺を呼ぶんだぞ?」


ルーさんが念を押すようにわたしにそう言う。


「はい。了解です」


「ホントだぞ?この前みたいに一人でなんとかしようとして本と一緒に落ちかけた…みたいな事にはならないでくれよ?」


「はーい!お任せ下さい」


「……大丈夫かな……」


と、なんだか後ろ髪を引かれまくっている様子でルーさんは二階に上がって行った。


それを見計らって、客として来ていたミヒャエルさんが近付いて来る。

彼も店によくやってくる魔術師の一人で、

困った魔術師のお客さんとはこのミヒャエルさんのことだ。

ここ最近、というかわたしが成人してから急に絡んでくるようになった。


「ひつじチャン、今晩ヒマ?デートしようよ」


「すみません、そんなタイトルの本はあいにく当店には置いてないんです」


「あはは、ジョークが上手いね。ねぇご馳走するからさ、一緒に食事に行こうよ。美味しいものを食べさせてあげる」


「おかげさまで毎晩美味しいごはんを食べているので間に合ってます」


「そんな家庭料理と一緒にしちゃダメだよ。一流レストランのコース料理だよ?」


「わたしはどんな高級なお料理よりも(食べたことないけど)ルークスさんが作るごはんが好きなんです」


「店長だってたまには一人でのんびり食事をしたい時もあるんじゃないかな?だからひつじチャンは僕と一緒にお出かけしようよ」


「……たしかミヒャエルさんには婚約者がいらっしゃると記憶しておりますが?」


「そんなの関係ないよ。ただのデートだよ?」


「婚約者がいるのにただのデートだなんて言っちゃダメでしょう」


「そんな堅いこと言わないでさ。なぁいいだろ?前々からひつじチャンのコト、可愛いなぁって思ってたんだよね」


も~しつこいなぁ。

ベルを鳴らしてルーさんを呼ぶ?

でもわたしも店番を任されるようになって早や三年。

こんな客の一人や二人、自分で対応できるようにならなくてはいけないと考え直した。


「お断りします!本を買いに来たのでないのならお帰…

カランコロンカラン


ミヒャエルさんに帰れと告げようとしたその時、店のドアに取り付けてあるドアベルが鳴った。


「いや~、急に冷え出したね。今年は雪が降るのが早まるかもしれないねぇ」


と言って、この古書店のオーナーであるラモンさんがお店に入って来た。


「お疲れ様ですラモンさん。今日は本当に寒いですね」


わたしはもちろん従業員としてきちんと挨拶をする。

ラモンさんも人柄が滲み出た笑顔で挨拶を返してくれた。


「やぁひつじさん。いつもご苦労さん。一人で店番かい?ルークスは上に居るのかな?」


「はい。二階で事務仕事をされています」


「そうかい。……お客さん、当店の店員が何か?」


ミヒャエルさんが不必要にわたしに近付いている事を不思議に思ったのだろう、ラモンさんが彼を見てそう言った。


「いや?世間話をしていただけだよ。それじゃあひつじチャン、また来るね」


そう言ってミヒャエルさんはお店を出て行った。

わたしはその背中に声掛けをする。


「はい。(何も買ってないけど。ただのナンパだったけど)ありがとうございました~」


でも本を買う目的でないのならもう店には来ないで欲しい。

そんなことを考えるわたしにラモンさんは言う。


「ひつじさんはもう立派なこの店の看板娘だね」


「え?わたしがですかっ?そんなバカな」


「いやいや、古書の取り扱いや客への対応はもう完璧だよ」


「いえホントにまだまだ全然です。いまだにルーさんにサポートしてもらってばかりですから」


わたしが本気で全否定するとラモンさんは悪戯な笑みを浮かべた。


「ルークスにこの店を任せた時の方がよっぽど酷かったよ?まぁ彼は貴族の令息だし、魔術師になる為に勉強ばかりしてきたからね、世間知らずで使い物にならなかったのは仕方ないけど」


「ルーさんが使い物にならなかった……?想像もつきません」


わたしが目を丸くしてそう返すと、ラモンさんは更に面白そうに含み笑いをして言う。


「ひつじさんにも見せてやりたかったよ。彼、初めての接客で……「個人情報漏洩は感心しませんね、小父(おじ)さん」


それ以上は言わせまいとラモンさんの言葉を遮りながら二階からルーさんが降りてきた。

ラモンさんは含み笑いを浮かべたままルーさんを見る。


「個人情報漏洩なんかじゃないさ。懐かしい昔話を聞かせようとしていただけだよ」


「その昔話の内容がいけ好かないんですがね」


「ははは。ひつじさんに新米時代の可愛いルークスの話を聞かせてあげたかったのになぁ。ひつじさん、また今度ね」


ラモンさんはそう言ってルーさんの方へと寄って行った。


残念。新米ルークス青年のお話を聞かせて貰いたかった。

わたしの心の中にある“ルークスメモリーズ”に保存したかったのに。


「ルークス、ちょっと」


ラモンさんはそう言ってルーさんとカウンターの中へと入って行く。

何やらお仕事の大切なお話があるのかもしれない。

なのでわたしはハタキを手にして書架の埃を払いに行くことにした。


大切に並べられた古い書物たちに埃が貯まらないようにマメにハタキをかけてあげるのもわたしの大切な仕事。

無心になってハタキをかけるのがとても好きな作業なのだ。


今日のお夕食はなんだろうなぁ。


……無心じゃない場合も多々あるけど。


よし。ハタキをかけ終わったら乾いた雑巾で棚拭きもしよう。

ピカピカに磨きあげるんだ。


()()()()()の大切な居場所。

いつまでここにいられるかはわからないけど、ここで働けるうちはきちんと仕事をしたい。

この穏やかで優しい時間が少しでも長く続けばいい。

そう願いを込めて、わたしは与えて貰えた日々を大切に生きてゆくのだ。





◇◇◇◇◇




オーナーのラモンさんの定期的なお店の見回り(ご訪問)から一週間後。


またあのしつこいミヒャエルさんが来店した。

最初は真面目に(フリかもしれないけど)本を見て店内を回っていた彼だけど、ルークスさんが店の奥へ行ったのを見計らってわたしに近寄って来た。


多分そうなるだろうと思っていたので、ルーさんが「ちょっと書庫に行ってくる」と言った時はほんの少しだけ助けを求めたくなった。


でも、オーナーのラモンさんにも看板娘だと言って貰えたのだから、そんな情けないことを言っていてはダメなのだ。


わたしももう十八。

成人したからには大人の女性としてバシッと大人の対応をキメなくては。

そう自分を奮い立たせて近寄って来たミヒャエルさんに接する。


「何か(本の)ご用命ですか?」


「ひつじチャンをご用命かな~♪」


うーん……チャラいですね。

思わず舌打ちをしたくなったけど従業員としてそれはダメ。

大人の対応、大人の対応……


「“羊”に関する書籍でしたら奥の生物学の棚か料理本のコーナーにございますよ」


「あはは!ひつじチャンはホント面白いなぁ。ねぇ、今夜こそはデートしてよ」


「……前にお断りしていると思うのですが」


「前はね。でも今日は『うん』って言ってよ!街の一等高いホテルのレストランに連れて行くからさ」


「だからわたしは高級レストランに行きたいわけじゃないんですってば」


「じゃあどこに行きたい?ひつじチャンの行きたい所にどこでも連れて行ってあげるよ♡」


「どこにも行きたくありません。……わたしは古書店(ここ)が好きなんです」


「またまたぁ!若い女の子がこんなジメジメした埃臭い店に閉じこもってちゃダメだよ~。ババ臭くなっちゃうよ」


「は?」


やめた。……大人の対応なんてどうでもいい。


わたしの大好きな、大切な居場所を“こんな”とか“ジメジメした埃臭い”とかバカにされて、黙ってなんかいられない。


わたしは思いつく限りの罵詈雑言をミヒャエルさんにぶつけてやろうと口を開く。

だけどその瞬間、後ろから大きな手に口元を塞がれた。

それが誰の手なのかすぐにわかる。


───ルーさん……


店の奥の書庫に居るものだとばかり思っていたルーさんが突然現れて、わたしもミヒャエルさんも目を見開いて彼を見る。


そしてわたしに何も言わせないまま、ルーさんがミヒャエルさんに言った。


「本を探しに来たのではなく従業員に手を出しに来たのならお引き取り願おうか」


呆気に取られていたミヒャエルさんが焦りを滲ませながらルーさんに言い返す。


「何を偉そうに!僕は客だぞ!」


「古書店で本を見ずに店員の女の子ばかり見て、外で会おうと誘うような輩は客じゃない。オーナーも把握済みだぞ」


なんと。いつの間に。

あ、先週ラモンさんが店に来た時か。

あの時、ミヒャエルさんに迫られていたのを気付かれていたのね。

そしてそれを密かにルーさんに話していたんだろうな、きっと。


「だ、だから何だ、何だと言うんだ!べつに店で平民の娘を誘うくらい良いだろっ!そ、それにいくら店長でも店員のプライベートにまで口出しは出来ないはずだぞ!」


ミヒャエルさんがムキになってそう言う。

対してルーさんは至って冷静に、そして毅然として…というかそこはかとなく重~い圧をかけながら答えた。


「彼女がそれを喜んでいるなら何も文句はない。だが嫌だと断っているのにしつこく迫るのを見て、黙っていられるわけがないだろう。今後一切、彼女に近付くな。この店にも出入り禁止にさせて貰う」


「なっ……!店はともかく!ひつじチャンに関してはあんたにそんな権限はないはずだ!!」


「あるんだよ」


「はぁっ!?」



───え?



「メェは寒い雪の日に俺が拾った。だから俺のものだ。軽い気持ちで近寄るような真似は絶対に許さん」


「っ………ルーさん……」


ルーさんから漏れ出す魔力に恐れ慄いたミヒャエルさんは、

「ヒィィ……ッ、な、なんだよ!こんな店二度と来るかっ!」と負け犬チックな捨て台詞を吐いて、店から逃げ()て行った。


二人だけになった店内に沈黙が訪れる。


ルーさんは今、なんて言った?


誰が、誰のものだって……?


胸がドキドキして、口から心臓が飛び出して来そうだ。


イヤ。大丈夫、わかってる。勘違いはしない。

今のルーさんの発言は、保護したのは自分だからわたしに対して責任があると言いたかったのだ。

そこにアチチな恋情なんて微塵もない。

あるならとうに、わたし達の間では何かが始まっているはずだから。


自惚れてなどいませんよ。という意味を込めてキリっとした表情でルーさんを見ると、いきなりほっぺを抓られた。


「あきゃっ」


「まったく……相手の爵位が下位でも貴族である限り下手は打てん。だから奴を出禁にするために動かぬ証拠を掴むようにスキを作れとオーナーに言われて奥へ引っ込んだけど、心配で気が気じゃなかったぞっ……堪らず様子を盗み見してて、いつ俺を呼ぶか助けを求めてくれるかと待っていたのに……一人でなんとかしようとするんじゃないっ」


「だ、だってぇ……従業員としてお客さんくらい一人で捌けなきゃと思って……」


「メェはあんな輩の相手をする必要はないんだ。良識のある客だけ対応していればいい」


「そんなこと言ってたら生きていけませんよっ……こうやって場数を踏んで経験値を上げて男を手玉に取るんだって八百屋のお姉さんが言ってましたもん……!」


「ったく、あそこの嫁は要らん事ばかりメェに吹き込みやがってっ……とにかく!これから変なのに絡まれたら必ず俺に言うんだっ、その他の事でも困った事を一人でなんとかしようと思うな!なんの為に俺が側にいる?いいか、わかったなっ?」


珍しくルーさんの切羽詰まったような声に気圧されて、わたしは大人しく頷いた。


「は、はい……」


「よし」


わたしの返事を確認したルーさんが肩の力を抜いたように微笑む。

その顔を見たわたしは心の中で小さく息を呑んだ。


そ、その笑顔は反則でしょう……!


途端にその場に蹲るわたしにルークスさんは驚いて声をかける。


「メェっ?ど、どうした急にっ」


「ルーさんは……一体わたしをどうしたいんですか……?」


「ん?何がだ?」


「もうっ!無意識ですか!これ以上わたしを好きにならせてどうするつもりなんですっ?」


「な、なんで好きと言いながら怒るのかが分からんのだが……」


「好き!大好きです!もー!いい加減にしてくださいっ!」


「いやいい加減にも何も……」



たとえそこに恋情はなくても、


彼はわたしをとても大切に思ってくれている。


もう、それだけで充分だ。


他の人から見れば、わたしの人生は不運なのかもしれない。


だけど十八年間生きてきて、わたしは母とルーさんという二人の大好きな人に大切にして貰えた。


わたしは、とても幸せな人間なのだ。


この記憶がある限り、今後何が起きてもわたしは強く生きていける。


そしてそう思ったのはきっと虫の知らせだったのだろう。


この日からしばらくして、


ルーさんの無期限謹慎処分が解かれたことを、わたしは知った。






◇◇◇◇◇




「郵便です」


カランコロンカランとドアベルを鳴らして郵便屋さんが店に入ってくる。

店の入り口に郵便受けを設置してあるのだけど、親切な配達員さんはいつもわたしがいるカウンターまで郵便物を持って来てくれるのだ。


「ありがとうございます。いつも配達ご苦労さまです」


「いえいえ。それでは」


郵便屋さんはとてもいい笑顔でそう言って店を出て行く。

その様子を見てルーさんが眉根を寄せてぽつりとつぶやいた。


「あの配達員……」


「え?」


「いや」


なんと言ったのか聞こえず聞き返すと、ルーさんは答えずに客から買い取った古書の仕分け作業を続けた。


変なルーさん。

わたしは郵便屋さんから渡された手紙に目を落とし、一枚一枚確認する。

その中から一枚、ルーさん宛の私信を取り出して彼に渡す。


「……ルーさん、お手紙が届いてますよ」


「ああ。……ありがとう」


ルーさんは受け取りながら差し出し人の名前を見た。

そしてわたしに礼を言ってから作業中の手を止めてカウンターに入り手紙を読み出す。


ルーさんへ届いた手紙の宛名には“マリア・ターナー”と美しい文字で書かれていた。


いつもルーさん宛に届くマリア・ターナーという女性からの手紙。

王都在住らしいその女性とルーさんは一体どんな関係なんだろう。


わたしはさり気なくちらりとルーさんを覗き見る。

彼は既に手紙を読み終えており、視線は違う方を向いていた。

だけど視線の先にあるものを見ているわけではなさそうだ。

何やら深く考え事をしている様子だった。


あまり良くない知らせだったのかな?


なんだか小さく胸騒ぎがする。


大好きなルーさん。

ずっと、ずっと彼だけを見てきたんだもの。


だからすぐにパッと表情を改めて

「先に二階()で昼食を食べておいで。今日のランチはスモークサーモンとクリームチーズのサンドだよ。メェの好きなディルをチーズにたっぷり練りこんであるから」

と努めて明るく普段通りにしようとしているのがすぐに分かった。


「……わぁい楽しみ。それじゃあお先にいただきます」


なんだか棒読みになってしまったけど、ルーさんは気にしてないだろう。


「うん。今日は暇だしゆっくり食べてきていいから」


と二階に上がるわたしをルーさんの声が追いかけてくる。

まるでしばらく降りて来て欲しくないような。

それがなんだか気になって……スモークサーモンのサンドを食べながらも気になって仕方がなかった。


だからわたしはランチを早々に切り上げてこっそり階下の様子を伺う。

すると一階()でルーさんが誰かと話をしている声が聞こえてきた。

でも何を話しているのか、話の内容が聞き取れない。

もの音をたてないようにバレない位置まで階段を少し降りてみると、途切れ途切れではあるが話していることが聞こえてきた。


ルーさんが話している相手はオーナーのラモンさんだった。

ラモンさんがルーさんに何やら言っている。


「……じゃないか、……で、…うやく……謹慎処分が解かれる事になって……」


………え、


「4年前の……失態……赦すと殿下が……これで王都に……」


ラモンさんの声は途切れ途切れにしか聞こえないけれど、その部分部分だけで充分に話の内容は理解できた。


ルーさんの無期限謹慎処分が解かれる日が来たのだ。

王都に戻って、再び魔術師として返り咲くことが出来るのだ。


「……らの手紙で……ました、……ど……は……」


肝心のルーさんの声がよく聞き取れない。

だけど聞くまでもないと思った。

このことが嬉しくないはずはないだろう。

ようやく、彼の本来の居場所に戻れるのだから。


わたしはゆっくりと二階へ戻る。

盗み聞きなんかしてごめんなさい。

でも、知れて良かった。



良かった。


良かったねルーさん。おめでとう。


本当に良かった。


きっとあのマリア・ターナーという女性からの手紙はこの件に関してのことなんだろう。


「ルーさん、この街をいつ出て行くのかな……」


すぐなのかな?

四年以上も経ってようやく王都へ戻れるんだもの。

すぐにでも家族に会いたいはず。


きっと近々ルーさんからそのことについて話があるんだろうな。

この店を辞めること、この街を出て行くこと、そしてわたしとはお別れだということを。



だけど、その日からしばらく経ってもルーさんから王都へ帰る話は一向にされなかった。


この件については、わたしは知らない事になっているのだからこちらから訊くわけにはいかない。


いつ話してくれる?

まさか何も言わずにいきなりサヨナラなんてことはないよね?

いやルーさんに限ってそれはない。

じゃあいつ話してくれるの?


お願い、早く言って。

早くわたしに思い知らせて。


わたしとの暮らしはここまでだと。


「………そうすれば、わたしは……」



そう一人つぶやいた時、ふいにルーさんが声をかけてきた。


「メェ」


「わっ!?ビックリしたっ!」


「なっ、なんだよっ、そんなに驚かなくてもっ」


「だって急に後ろから話しかけるからっ……そ、それで、何かご用ですか?」


「あぁ、ちょっと必要な手続きのために王都へ行く事になったんだ」


「はい……」


「明日から一週間ほど留守にするからその(かん)店を頼む。オーナーに何度も店を覗いて貰えるように頼んであるから」


「はい……」


「じゃあよろしく。お土産買ってくるからな」


「はい……え、それだけですか?」


「え?土産だけじゃ足りないのか?」


「いえそうじゃなくて……」


「とにかく、留守番頼む」


「あ、はい……」


いよいよ話をされると思っていたのに。

なんだか肩透かしだった。

でもこの期に及んでなぜまだ話してくれないの?


もしかして話し辛い……?


拾ったわたしに責任があると言っていた手前、無責任だと感じて気まずい……?


そんなこと、気にする必要はないのに。


でもわたしがルーさんの足枷になってしまっているのだとしたら……。


もし、そうだとしたのなら……わたしは……。




そうして次の日の朝、ルーさんはトランクを一つ手にして王都へと出立した。










───────────────────────





後半に続く
















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