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ターニャはヴァルド砦で見習いをすることになった。そうなると、移動は次に砦からの見回り兼徴税が来た時になる。前回話を聞いた時に、特に条件に変更がなければ次回に来た時にそのまま預かってもいいと言われているのだ。
この世界において生まれ育った村を出るというのはかなり大事である。村から村へとまわる行商人や役人はともかく、大抵の者は村から出ることはない。村から出なければならない用事というものがそもそも無い。用もないのに出かける物見遊山は、金と暇のある人間のすることである。村で慎ましやかに生活する者にとって村から出るということは、村という集団社会から抜け出ることと同義であった。
ターニャがヴァルド砦に行けば、次にいつ会えるかは全くわからない。いや、年単位で会えないだろうことはわかっている。砦に住み込みで働く場合、休みはもらえるだろうが、わざわざ実家に帰省するために送り迎えしてくれることは無い。村に砦の人間が来る際、ついでに連れて来てもらうなどということもないだろう。兵士として働いているならともかく、下働きの女の子を連れ歩くことはしないはずだ。
だから、次に砦の人間が来た時がターニャと家族の別れの時である。もっともターニャがどこまでそれを理解しているかは疑問である。ターニャは夢をかなえる一歩だと浮かれている。家族の方が心配しているのだが、ターニャが本当にやりたいことをやるには、こうするのが一番現実的だと考え、己を納得させているのである。
ターニャが砦に行くことが決まった日の夜、ターニャの母はターニャに話しかけた。
「ねえ、ターニャ。あなたが砦に行ったら次に父さんや母さんに会えるのは、おそらくあなたが大人になってからだと思うの」
「え?そんなに会えないの?」
「ええ。いえ、本当に会いたければ会えるかもしれないわ。でも、それはあなたが逃げ帰ってくる、ということよ。あなたが夢をあきらめて帰ってくることなんて無いって、母さんは信じてる。ターニャに会えないのは寂しいけれど、あなたが頑張っているからこそ、会えないんですもの。夢をあきらめて帰ってくるあなたに会うのは残念だわ。だから、頑張りなさい」
「うん。私、頑張るよ。絶対すごい針子になって、母さんに褒めてもらえるようになってから、帰ってくる」
「そうね。それに厳しいことも一つ言っておくわ。あなたならわかるだろうから」
「なあに?」
「今回、あなたの夢をかなえようと、たくさんの人が協力してくれたわ。あなたの勉強に協力してくれた村長さんの家の人たちに、今回砦から来る方々にも手間をかけさせている。あなたの見習い先を探してくれた父さんも、砦の方に話しかけるなんてすごく大変だったと思うのよ」
「そうだね…」
「だから、絶対にあきらめちゃだめよ。もうターニャの夢はターニャだけのものではないのよ。あなたの夢をこれだけ多くの人が応援しているのだから、最後まで頑張りなさい」
「…うん。私、最後まで頑張るよ」
母は本当はつらかったら帰ってきてもいい、と言いたかった。だが、そう話すことで仕事に対する心構えが甘くなってはいけないと、あえてきつい言葉をかけるのだった。