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勉強を始めたターニャは忙しい生活を送っていた。
朝は日の出とともに起きて身支度をし水汲みに行く。一日に使う分だけなので、兄と一緒に川まで一回行って来るだけでよい。家に帰ると母が朝食の支度をしてくれてある。と言っても前夜のスープを温め直したものと、固いパンだけだ。食事の前には必ず唱える言葉がある。
「精霊の加護に感謝を」
この土地に住む者には精霊の加護がある。加護と言っても大したものではない。病気になりにくい、火をつけやすい、作物がよく実る、水にあたりにくい、などと言われている。まあ、普段暮らしていて加護を実感できることなどほとんどない。だがたまに加護の強い者が生まれることがあり、そういった者は精霊を見ることができるうえ、精霊の力で竈に火をつけたり、水を少し生み出したりすることができるらしい。残念ながら、今のターニャの知っている人の中にはそうした者はいない。だが、この村でも過去にターニャの祖父母の世代では一人おり、精霊の加護の存在を疑う者はいない。
朝食の後、ターニャは村長の家に行き、自分のできる仕事を手伝わせてもらう。とは言っても5歳の女子にできることはそう多くはない。食事の準備か掃除の手伝いをさせてもらうこともあるが、大抵は村の近くの森へ行き、薪にする枝を拾ったり、食べられる野草を摘んでくる。多く取れた時はターニャの家に持ち帰ることもできた。
午前の手伝いが終わると昼休憩である。水をもらって家から持ってきた固いパンをゆっくりと食べる。休憩が終わるとマルクの勉強が始まるので、その前に今日学習する予定のものを石板に写させてもらう。ターニャに許されているのは、ただ同席だけである。マルクが教わるのを横から見ているだけだ。高価な本が余計に用意されるはずもないし、マルクが覗かせてくれる訳でもない。
マルクが教わっているのは、国から村ごとに与えられている教本である。フェンベルグ王国は教育に熱心と言われている。税を納めている村全てにフェンベルグ王立学園に入るための教養を備えるための本が与えられている。村長になるためにはその中の法学や算術の基本くらいは修めておく必要がある。マルクは村長の補佐役の者にそのあたりを教わっている。そうした教育は希望する者全てが教わることができることとなっている。だが、そうした規則はこのような農村では形骸化してしまっているのだ。
ターニャは両親から基本となる文字は教わったものの、教科書の文を読めるほどではない。意味も分からぬまま石板に写しておいた文章を見ながら、補佐役の講義を聞き、必死で意味を推測するだけだ。帰宅して、夕食後に両親にもう一度見てもらい、両親のわかる範囲でまた教えてもらう、ということを繰り返していた。