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無事に進級を果たしたターニャは忙しい日々を送っていた。刺繍にしか興味が無いようでいながら、刺繍に関してはターニャは貪欲であった。そのため関連する文献を読むために近隣諸国の言語はほぼ網羅していたし、その文様に関係する文化や宗教に関する知識まで身に着けていた。そのため、週に一度外交部へ行くと、文書の下読み作業などで重宝されていた。もっとも、読み書きについての知識はかなりあったが、聞いたり話したりすることについてはまだまだ不十分であったため、この一年で学ぶことになっていた。学園でも学んでいたが、手の空いた外交部の先輩が相手をしてくれることもあり、ターニャも有意義で、楽しい時間を過ごすことができた。
何よりターニャを喜ばせたのは、外国の来賓を招いて行われる晩餐会の準備に参加させてもらったことだ。ルビシェースカを始めとする近隣諸国の交流を深めるという趣旨のもので、重要性はそれほど高くなかった。だからこそターニャも準備に参加させてもらえたのだが、昨今はエイデンのものが流行りであり、エイデンの文化に詳しいターニャは大活躍だったのだ。
ルビシェースカで晩餐会が開かれるときでもテーマが『エイデン風』というだけで流行の最先端とされるご時世だ。ターニャは更に『友好を意味するエイデンの物』というテーマにし、単なる『エイデン風』から一歩踏み込んだものとした。エイデンの意匠はそれなりに入ってきていたが、その意匠の意味を理解している者はルビシェースカでも多くはない。様々な設えの準備で、ターニャの知識は重用された。
とりわけターニャの知識を必要としたのが、女性陣の衣装だった。外交のトップである王妃や、外交官夫人などの刺繍に関して、文様の格の高さの違いなど、ターニャでなければわからないことが多かった。知る人が少ないのだから細かいことは気にしなくてもいいのかもしれないと思うこともあったが、それに対して、
「一人でも知る人がいる以上、間違えたことをすればいい加減な国だとフェンベルグの評判に関わる。それに対し、知る人が少なくとも細かいところまでこだわれば、いい評価を得られる。今後の外交交渉においていい評判を得ておくに越したことはないからね。どんな些細なことでも手を抜くべきではない」
と先輩から諭されたのだった。
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