3.事件
また翌日の日曜日。
僕はできるだけ早起きをして、朝ごはんもきちんと食べ、玄関の前で夏美を待っていた。
ところが、今日に限って夏美は現れなかった。
昨日は約束もしていないのに家まで押しかけてきたのだから、今日も当然同じだと思っていたのだが違ったのだろうか。もしかして今日はお休み?
いや、そんなはずはない。
ひょっとすると向こうから呼びに来るのではなく、こちらから彼女のところに行かなければならないのだろうか。
「しょうがない・・・探しに行くか」
僕は門から出ると、さっそく途方に暮れてしまった。
いったいどこに行けばいいのか分からない。
しかし、突っ立っていても始まらない。少し考えてみたがなんの手がかりもないので、昨日解散したあたりに行ってみようと歩き出した。
果たしてこれで合ってるんだろうかと迷いながら歩いていたが、ふと、近所のおばさんたちの井戸端会議が聞こえてきた。
「聞いた? 大崎さんち、昨日空き巣に入られたんですって」
「またなの? 最近多いわねえ」
「そうなのよ。もう3軒目じゃない? 近所だから怖くって。うちもね、出かけるときとか寝る前の戸締りはきちんと確認するようにしているの」
「ほんとねえ。あたしも気をつけなきゃ」
大崎……? どこかで聞いた名前だな。
――そうだ、何年か前に同じクラスに大崎ってやつがいたな。2、3回遊びに行ったことがあったっけ。
ええと、たしかあいつの家はこの角を曲がったところだったような。
と、曲がり角から大崎の家のほうを見ると、そこに夏美の姿があった。
「夏美ちゃ……先輩」
近づいて声を掛けてみる。そうすると夏美は不機嫌そうな顔をこちらに向けた。
「遅い! いったい何時間待たせるつもり? 助手の癖に」
「待ち合わせなんかしてなかったじゃん」
僕が抗議すると、一瞬考えるそぶりをした。どうやら昨日ちゃんと待ち合わせしたと思い込んでいるんじゃないだろうか。
「……ほんと生意気ね。そんなの、待ち合わせなんかしてなくても、アンテナはってたらどこに行くべきか分かるはずよ。ちゃんと15分前行動できるようになりなさい」
そんな無茶な! 僕はエスパーかよ。もうちょっとで口に出すところだったけど、言葉は飲み込んだ。どうせ聞いてくれないんだから。
「まあいいわ、付いてきて」
そう言うと彼女は昨日と同じように大崎の家に勝手に入っていく。
「なるほど、やっぱりそうか」
「なに、どうしたの?」
「まったくもう、一体何を見てるのよ。あのねえ、そこに窓があるでしょ? 犯人はそこから入ったのよ」
「犯人って、空き巣の?」
「この家はブロック塀で囲まれてて、大人でもしゃがんでいれば外からは見えないでしょ。それで、この窓を開けて入ったのよ」
ただの探偵ごっこに飽きたのか、夏美は実際の事件にまで首を突っ込み始めたようだ。まあ、そのほうがリアリティがあって面白いけど。
「はあ、なるほど」
我ながらひどい返事だとは思うけど、残念ながら何も思いつかなかった。こういうとき、探偵の助手っていったいどんな事を言うんだろう。探偵ものの小説でも読んでみないと。
「だいたい分かったわ。出ましょ」
大崎の家から出ると、彼女はそのまま歩きだした。
「どこに行くの?」
「次に狙われる家」
「ええー! そんなの分かるの?」
「当たり前じゃない」
「すごいね。なんでわかるの?」
僕の素直な疑問だったのだけど、夏美には最上級の愚問だったらしい。これまで見た中で一番馬鹿にした顔になった。僕はこの顔を一生忘れないだろう。それくらい強烈なインパクトがあった。
「はぁ、ほんとに使えない助手ね。まあいいわ。あたしも考えを整理したいから話してあげる。今まで空き巣に入られた家は、
1.窓が道路から死角になっている
2.昼間に留守が多い
3.家の入口を見張るのにちょうどいい物陰がある
っていう共通点があるのよ」
そういえば、昨日もそんな話をしていたような。
「ああ、家の前の車とか?」
「そうよ」
そう言いながら、夏美は一軒の家の前に立った。
「そして、それらを総合的に判断すれば、次に狙われる可能性が一番高いのはここ」
指さす先を見てみる。確かにこの家もブロック塀に囲まれている。中に入ってみると、道路から見えないところに窓があった。
「ほんとだね」と言おうと夏美を振り返ると、彼女はじっと足元を見つめている。
その視線を追うと、その先にはピンク色のコスモスの花が風に揺れていた。
「きれいだね」
「うん。昔ね――お母さんが好きだったの、コスモス」
「え、それって……」
夏美は少し悲しそうな顔でコスモスを見つめている。
昔好きだったってことは、お母さんはもういないって事か――。いつも威張ってばかりだけど、こういう女の子らしいところもあるんだな。
ややあって、僕の視線に気づいた彼女はそれから逃れるように窓の方を向き直り、ちょっと考えてから玄関に歩いていく。
そして、インターホンの前に立つと、
「ちょっとなにする――」
僕が止める間もなくボタンを押していた。
これで家の人が出てきたらまた僕が悪者にされてしまう。思わず息を止め、じっと家の様子をうかがうと、妙に静かなことに気づいた。
「留守ね」
「ほっ、良かった」
「なにが良かったのよ」
「だって、家の人が出てきたらまた僕が勝手に入ったとか言うんでしょ」
「くだらない事言ってないで、さっさと出るわよ」
まったく、自分勝手すぎる先輩だ。いや、正直先輩っていう設定もすっかり忘れていた。
仕方なく僕も外に出たが、肝心の夏美の姿が見えない。どこに行ったのかと周りを見回すと、少し先の自動販売機の横から顔を出して手招きしていた。
「早く来なさいよ」
僕も夏美にならって自動販売機の陰に身を潜めた。
「こんなところに隠れてどうするの?」
「は? 何言ってんのよ。犯人を見張るんじゃない」
「ええっ、本気で?」
まったく、そんな当てずっぽうで犯人が見つかるわけないじゃないか。
「当たり前でしょ。……でもまあ確かにあたしたちだけじゃ心もとないわね」
夏美は僕の言葉を違う方向に勘違いしたようだ。
そして、周りを見回すと急に立ち上がり、タバコ屋に走っていった。少し背伸びしながら公衆電話の受話器を取り、どこかに電話をかけた。
どうやら誰か大人に来てもらうようだ。
その後、しばらく二人で見張りを続けていると、息をきらせた婦警が走ってくるのが見えた。近くまで来ると困ったような顔できょろきょろしている。
ちょうど良かった、警察の人がいるなら任せてしまった方が――
と、そこで夏美が自動販売機の陰から出て、
「思ったより早かったわね」
と言った。
「はぁ、はぁ、ちょっと、夏美ちゃん、どうした、のよ、こんなところに呼び出して」
どういう事だろう。この二人は知り合い? という事はさっき電話で話していたのはひょっとしてこの人だろうか。
「先輩、警察の人と知り合いなの?」
そう言うと、夏美はにやりと笑った。
「ふん、こんな事もあろうかと、何度かわざと補導されて顔見知りになっておいたのよ」
え、何言ってんのこの人。もっと他の方法あるだろ。
「狙われてるのはあの家よ」
「まったく、あなたはそんな事言って。確かにこのあたりで空き巣被害が多いのは確かだけど、だからってこんな遊びに付き合ってるほど警察は暇じゃないのよ」
「せっかく犯人逮捕に協力してやろうっていうのに。たかが空き巣でも犯人を逮捕したらけっこうな点数稼ぎにはなるでしょ」
「何よ――」
まだ何か言いかけた婦警の口を強引に手で押さえた。
「しっ!」
夏美は婦警を自動販売機の陰に引っ張り込むと、家の方を指さした。
そこには、作業服を着た男の人がインターホンを押している姿があった。男は、わざとらしいほど大きな声で、『はい、わかりました。では外で作業してますんで、終わったらまた声かけます』と言って、敷地の中に入っていく。
「あれ? あの家って留守だったよね?」
「えっ、本当に?」
「ほんとよ。ずっとここから見張ってるけど、誰も家に入ってないわ。今こそ国家権力を行使するときよ。さあ、行って」
「そ、そんな! 私は少年課よ? これって刑事部の仕事なんだけど……」
「そんな警察の縄張り争いなんて知らない。目の前で空き巣に入ろうとしてる奴がいるのよ。ほら、さっさと行く!」
この人、誰に対してもこんな態度なんだ。だいたい、相手は警察で大人なのに。
僕が呆れていると、婦警はおっかなびっくり家に向かって歩いていく。あんなに腰が引けていて大丈夫だろうか。いや、警察官は武道なんかもやってるはずだ。ここはあの人に任せて僕たちは隠れていよう。僕が自動販売機の横に隠れようとすると、夏美に腕を掴まれ、そのまま家のほうに引っ張っていかれた。
文句を言おうと思ったが、夏美にぎろりと睨まれた。ため息をつきつつ、ここは素直に従うことにする。
3人が門のところからそっと中を覗くと、犯人が今まさに窓を開けようとしているところだった。
僕みたいな子どもにはどうしようもない。ふと婦警を見るとさすがに覚悟を決めたのか、きゅっと表情を引き締める。ふう、とひとつ深呼吸すると、犯人に向かって飛び出していった。
犯人は突然現れた婦警にパニックになり、『ち、違うんです、違うんです、電気工事なんです』などと訳の分からない事を口走りながら、奥へ逃げていった。
ところが、奥は行き止まりで逃げ場がなく、くるりと反転するとこちらに突進してきた。
「わあああああ!」
犯人は必死の形相で婦警を突き飛ばした。思わぬカウンターを食らう格好になって、あえなくひっくり返る。僕と夏美は左右に避け、その間を走って逃げてしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
婦警に近づくと、「あいたたた」と言いながら立ち上がるところだった。
「ええ、ありがとう。ちょっと尻餅ついただけよ」
立ち上がってお尻についた泥をはたいている。
そこへ夏美がどすどすと乱暴な足音を響かせながらやってきた。
「もう、何やってんのよ! ちゃんと捕まえなさいよ!」
自分だってささっと横へ避けたくせに、よくそんな偉そうに言えるもんだ。まあ、僕も避けたんだけど。でも僕は偉そうには言ってない。
「そんな事言ったって、急に突き飛ばすんだもん」
「顔はちゃんと覚えたんでしょうね」
最初、きょとんとした婦警だったが、しばらくして言葉の意味を理解したのか、急に眼が泳ぎ始めた。
「あの、そのー、一瞬だったから、ね……」
夏美は大げさにため息をついた。
「まったく、ほんと使えないわね。じゃあ、これでどう?」
そう言いながら手をピッ!と差し出す。人差し指と中指の間にはポラロイドの写真が挟まっていた。最初はほとんど真っ白だった写真がじわじわと浮き上がってくる。
婦警を突き飛ばした瞬間らしく、きれいに万歳しながら後ろに倒れこむ彼女の横に犯人の顔がしっかりと写っていた。多少ブレてはいるものの、顔は充分に判別できる。
「すごい! 顔がバッチリ写ってるね!」
「夏美ちゃん、ありがとう! これなら大丈夫よ」
「ふん、当然じゃない」
あ、またちょっと得意げな顔になった。
この先輩、やっぱり単純な性格なのかも。
今回は犯人が逃げて行ったから良かったもけど、もし刃物でも出してきたらいったいどうなっていたのか。
これはちょっと夏美の監視役が必要だな、と意思を固めた瞬間だった。