黒薔薇姫は、思い悩む
目が覚めて起き上がると、侍女の一人が朝の身支度を手伝ってくれた。
あれ……そう言えばゾフィーは、領都に帰ったのだろうか。
基本的にゾフィーが私の身の回りの世話をしてくれるから、彼女がいないことに違和感を感じる。
勿論彼女も休むことはあるけれども……それなら、事前に説明をしてくれる筈だ。
「……ああ、今日か」
ポツリと呟く。
手伝ってくれている子が首を傾げていたけれども、何でもないと私は首を横に振った。
今日、ガスパールたちが黄昏の森に行く日だった筈。
多分、それでゾフィーも護衛としてついて行ったのだろう。
彼女とラインハルト率いる外隊の皆がいるから、ガスパールたちの安全は心配していないけれども……果たして、彼らの視察は吉と出るか凶と出るか。
とにかくこれから先、私たちの邪魔さえしなければ良いのだけど。
支度を終えると、寝室横の居間に移動する。
「……あら、この花束は……」
ふと、新たに増えた花瓶に私は目を止めた。
白色の可憐な花。
今まで見たことのない品種に、私は顔を綻ばせる。
「……また、カイね?」
後ろに控えた侍女に問い掛ければ、彼女は素直に頷いた。
「全く、あの子は……。部屋が花でいっぱいになってしまうわ」
居間には、彼が持ち込んだ花でいっぱいになっている。
なるべく長持ちして欲しくて、切り花以外は専門家に適切な管理して貰っているけれども……それでも、私専用の居間には花で溢れかえっていた。
そんな部屋の状況に、つい苦笑を浮かべる。
「……押し花を作る準備をして」
私は一房取って、押し花作成の準備を始めた。
彼が持って来た花は、一部を押し花にして保管している。
何年もの間、何度も作ってきたから手慣れたものだ。
作業がひと段落したところで、軽く体を伸ばす。
丁度そのタイミングで、扉がノックされた。
「アマーリエ様、資料をお持ちしました」
入って来たのは、ジークベルトだ。
「ありがとう、ジークベルト。後で見るから、そこに置いておいて」
「畏まりました。……また、カイが花を?」
チラリと机を見て、問いかける。
まだ片付けていないから、作業していたことはバレバレか。
「そうなの。綺麗でしょ、この花。どこのかしら?」
「シャリアンデからブローゼルの街に向かう途中、湖がございますが……恐らくその湖のほとりで咲く花かと」
「知らなかったわ。あの湖に、こんな綺麗な花が咲いているなんて……さぞ、その光景は美しいでしょうね」
「ええ。……アマーリエ様は、やはり花をご覧になられている時が、一番表情が和らいでいますね。昔の私が見たら、驚くでしょう」
「あら……そんなに酷い顔をしていたかしら?」
私の問いかけに、ジークベルトは苦笑していた。
「……いいえ。むしろ、表情がなかったです。たまに微笑まれても、小さく、泣いているようでした。まるで……すぐにでも消えてなくなりそうな……そんな雰囲気に、私は気が気ではありませんでした」
「そう……。……心配をかけたわね」
ここ百年は涙も枯れ果て、静かに過ごしていた。
感情が揺れ動くこともなく、ただひたすらに時が流れるのを待っていたと思う。
「……感謝しているわ。貴方たちにも、カイにも」
カイから花を貰った記憶で一番古いのは、彼が幼い頃。まだ、侍従として働く前のことだった。
視察のために領都からシャリアンデに訪れた時、たまたま街で遭遇した彼がくれたのだ。
出迎えてくれた領民たちが疲れが取れるようにと蜂蜜やら茶葉をくれるのに混じって、幼い彼が花をくれたのはとても印象に残ってる。
シャリアンデで咲くその小さな黄色の花は、とてと可愛らしくて、少しだけ心が和んだ。
何を思ったのかそれからも時折、私がシャリアンデに来る度に彼もまた屋敷に花を届け続けてくれた。
そうして、彼が青年といえるほどに成長した頃。
……彼は、ある花を持って来てくれた。
それは黄昏の森を踏破して、私の故郷に辿りつかなければ、決して手に入ることのない花。
あの頃は、まだ故郷に足を踏み入れられるほど心に余裕はなくて。
久方ぶりに見るその花に、思わず涙を溢した。
……狂おしいほど、懐かしくて愛おしい。
それからひとしきり泣いた後、冷静になって気がついた。
この花、どうやって取って来たのだろう?と。
聞けば、カイ自身が取って来たのだと言う。
その答えに、私は純粋に驚いた。
青年とはいえ、私から見ればまだまだ幼い彼が黄昏の森を踏破したというのだから、驚かない方が無理だ。
『これからも、俺は花を贈ります。アマーリエ様が望むなら、何度だって黄昏の森に行きます。だから、今みたいに笑っていてください』
その言葉に、またもや驚く。
……笑っていた?私が?
そんな感情、遠に忘れたと思っていたのに。
顔をペタペタ触って表情を確認しようとしていた自分がおかしくて、また笑った。
『ありがとう、カイ』
彼がくれた花々は、少しずつ私の心を癒してくれていたのだろう。
いつの間にか、泣いて、笑えるほどに。
それからも、カイは宣言通り花を持ってきてくれた。
この領地の美しさを感じられるように色んなところから花を持って来て欲しいという我儘を、今なお聞いてくれている。
「……滑稽よね」
私の呟きに、ジークベルトは首を傾げた。
「吸血鬼の不老長寿は、呪い。命は、限りがあるからこそ美しく眩しい。本当に、心の底からそう思っているのに……この花を形として残したいと手を加えている。皆との思い出を、少しでも残したいと願ってしまうの」
「……それは、自然なことかと思います」
「……そうかしら?」
「はい。やがて別れがくるからこそ、少しでも形として残したい。そう思うことは、自然なことではないでしょうか。……むしろ、私個人としては嬉しく思いますよ。貴女様が、去りゆく私どもを忘却の彼方へ追いやらず、記憶を抱きしめ、その長い生を共に歩もうとされているのですから」
「……忘れたく、ないもの。貴方たちが、今、ここに確かにいたことを」
「光栄です。……私も、カイに感謝していますよ。貴女様のその笑みを、取り戻して下さったのですから」
「ふふふ……そうね」
ジークベルトの言葉に、私は素直に頷いたのだった。




