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第2話 日常

いつもの様にクリニックのドアを開く。受付で診察券を渡して、真っ白な空間の中の彼を探した。日差しが零れる窓際に、静かに彼は座っていた。

「こんにちは」

先に声をかけたのは、やはり彼からで彼はいつものように微笑んだ。

「・・・こんにちは」

少し間を空けて私は挨拶をし、彼の近くに腰をおとした。

柔らかな春の日差し・・・きっと人々はこんな空気を喜び、と捉えるのだろう。

「良い天気だ・・・ピクニックでも行きたいな。そう思わない?」

ふいに彼が私に話かけた。

「あ、ピクニックは好き?」

「さぁ・・・どちらでもいいです」

私が普通に答えたことは、多分彼にはそっけなく感じたのかもしれない。

「じゃぁ、こんな日は君は何をしたい?」

穏やかに笑いながら、彼は質問してきた。

「私・・・?私は・・・何でもいいです」

私の答えに彼は首を傾げた。


「君は・・・もしかしてすごく面倒くさがり?それとも、僕と話するのが嫌なだけ?」

「どちらでもないと思いますが・・・?」

私は彼を見ながら話していたし、彼を嫌だと思う感情を持っていないことは伝わっていないのだろうか?

この頃の私は、まだ人との接し方が苦手だった。自分の話し方や、態度によって人が何を思うのかを考えれなかった。言葉が何の為に存在し、言葉によってコミュニケーションをとる仕方を知らなかった。そのせいですれ違ってきた人は、一体何人いるのだろう。


困惑している私の様を見て、彼は小さく笑った。

「そうか、君はまだ赤ちゃんなんだな」

「は?」

彼の発言は、私をとても驚かせた。自分はもう大人だと勘違いしていた私に、いきなり彼は『赤ちゃん』扱いしたのだ。私にとって晴天の霹靂の何物でもなかった。

「っ・・・あの・・・!!」

ふわりと、私の頭に彼の手が乗った。

「僕は君と仲良くなりたいと思っているんだ。だから君の好きなもの、嫌いなもの、興味あるものを知りたいから、教えてくれないかな?」

にっこりと彼が微笑んだ。

有無を言わせないその笑顔に、私はただ黙るしかなかった。

それに、私には彼が望んでいる答えを持っていなかったのだ。


私・・・私の好きなもの、嫌いなもの、興味あるもの・・・。分からなかった。

昔から自分の意見は必要のないものだったし、誰も私の嗜好など聞いてこなかった。求められることもなかったし、少し言葉を発するものなら「うるさい」と怒られた。

言っても言わなくても変わることがないのなら、口を噤んでおく方が怒られないだけまだ良かった。だから自分の気持ちに蓋をした。

要らないものなら、消してしまえばいい。無かったものにすればいい。

それは幼い私にとっての、人間社会で生きる唯一の術だった。


だから、こんな風に聞かれたら困る。一度消してしまったものを、再構築するなど・・・私にとっては難しいことこの上なかった。

「・・・ごめんなさい、分からない。」

閉じていた唇を、薄く開いて言葉を溢した。

もう彼の顔は見ていられなかった。自分の中が空っぽであることが、ひどく恥ずかしくて情けなくて、私は俯いてしまっていた。

そんな私に、彼は優しく微笑んで言った。

「謝る必要はないんだよ。少しずつでいい、僕に君の『言葉』を聞かせて欲しいんだ。それはきっと、これからの君の力になる。」


多分、それはきっと、ごく当たり前の台詞だと思う。本当に些細でシンプルな台詞。

でもその台詞には、私が長年張り巡らせていた緊張を、少しだけ緩める力があった。私が初めて、『言葉の魔法』に出会った瞬間だった。

この人は私を、物や道具や人形扱いしない。私の『声』を、『言葉』を聞こうとしてくれる・・・。私は初めて、自分が人間として認められたような気がした。




今にして思えば、きっと彼もそういう言葉を望んでいたのかもしれない。自分を認めてくれるような言葉を。人は自分のして欲しいことを、時に誰かにしてしまう習性があるから・・・。

ねぇ、今ならいくらでも言えるよ?貴方を守ることだって、きっと今の私なら出来るはずなのに・・・

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