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第1話:出会い

雨が降ってる・・・


あの日も雨が降ってた・・・



私があの人と出会ったのは、まだ肌寒い初春のことだった。

当時私は、精神科のクリニックに週に一度通っていた。

朝の満員電車で、過呼吸の発作が突然私を襲った先に用意されていた診断名は「パニック障害」。

その診断名を聞いた時、私は大して何も思わなかった。むしろ少し安堵したような気持ちだった。

その頃の私の世界は真っ暗だった。

ずっとずっと真っ暗で、幼い私にはそのどうしようもない不安や絶望感を伝える術は無くて、長い間誰かに気付いて欲しかった。

それが診断名として露わにされて、内心ホッとしたのだ。


しかし周りの大人は、「それ」を認めなかった。

『どうしてそんな病気になるんだ』

『お前の気が弱いからだ』

『どうしてウチの子が・・・』


分かっていた。分かっていたからこそ、私はあえて言わなかったのだ。

『貴方方の子供は、精神を病んでいますよ』なんて。

こんな風に取り乱して、さらに子供を傷付けていることすら気付かない様な大人達だと知っていたから。

知っていたから、隠した。小さな身体で、必死に隠して我慢し続けた。

だけどそれは、子供心に親を想っていたのかも知れない。

『親をガッカリさせたくない』

『親に嫌われたくない』

そんな思いが強かったのだろう。


しかしそんな思いとは裏腹に、私の心はもう隠し通せない程になり・・・そして公の場で線が切れた。

その結果、私は精神科に通院するという現実を迎えたのだ。



「柳瀬さん、どうぞ」

私の名前が呼ばれ、診察室に通される。

診察室では、ごく普通のやりとりが医者と交される。

最近の出来事、体調の経過、薬が効いてるかどうか・・・

ある程度の診察が終わり、私は礼を言って診察室を出た。


『あ、あの人また来てる・・・』

待合室には一人の青年が座っていた。

20代前半であろうその人は、いつも静かに本を読みながら自分の番を待っている様だった。

少し茶色がかった髪に優しそうな面持ち、清潔そうな服装の普通の青年。

いつも私の前後に診察の予約を入れている様で、よく彼と待ち合いになる。

『あの人も、何かあるんだろうな・・・』

そんなことを考えたけど、どうだっていい。

自分以外の人間のことなど、どうだっていい。笑うことも、泣くことも、考えることすら面倒くさい。そうしたことに意味など見出せない。

どれだけ綺麗事を並べたところで、結局人間は一人だし、自分以外の人間のことを理解しようと努めたところで一体何になる?

他人の心情などいくら模索したって、本人にしか分からないのだ。

特に痛みや苦しみなんて、本人にしか感じれない。

私の家族が良い例だ。

何年も誰も私の辛さに気付かなかった。私が笑うことすら出来なくなっていても、誰一人としてその理由を突き止めなかった。

何年も過ごしていた家族さえ、そうなのだ。赤の他人になど何が分かるのだ。


私は独りだ・・・


真っ暗な世界の原因は、孤独と寂しさだった。

でもその世界を変える術を、私は知らない。

虚しさ、不安、絶望、恐怖・・・そういった感情が、私の世界を支配していた。

もう、どうだっていいと手首を切ったこともある。

死ねなかったが、死ぬつもりもなかった。

ただ世界を変えたくて、胸の苦しさを取り除きたくてやった。

不思議と血を見れば少しだけ、落ち着いた。だけど何も変わらない。

手首の傷が増えていくたびに、虚しさだけが募った。


桜が咲き始めたある日、いつもの様にクリニックの扉を開けた。

『あ、今日はあの人が先か・・・』

待合室にはいつもの青年。

私は、青年が座っているソファに少し距離をおいて座った。

静かな待合室に、木漏れ日と鳥の声が響いた。


何気なく彼を見ると、彼の腕にも傷があった。

『あの人の傷・・・深いな・・・あの人は死ぬつもりだったのかな・・・』

ふと、そんな考えが頭をかすめた。

「君、死にたかったの?」

声に驚いて顔を上げると、彼が私を見ていた。

「え・・・」

突然の質問に、私は何も答えられない。

「手首、切ったんでしょ?」

そんな私の様子には構わず、彼が質問を続ける。

「・・・死にたかった訳じゃない」

彼の視線から隠すように、私は手首を押えながら呟いた。

「・・・そう。どれだけ手首を切って自分を痛めつけても、ただ切るだけじゃ人は死なないからね。まあ、死ぬつもりじゃないのなら好きなだけ自分を痛めつければいいさ。」

そう言って静かに彼は笑ったけれど、私は新鮮な感覚を覚えた。

私の周りには、リストカットを怒る人はいても推奨する人はいない。

私は彼に初めて興味が湧いた。

「あなたは、死にたかったの?」

呟いた私の質問に、彼は笑って答えた。

「死にたかったよ。・・・でも、死に損なちゃった。」

寂しそうに、悲しそうに彼は微笑んだ。

その時、私は初めて対峙したのだ。死に急ぐ人間と。

そして私は不思議な感覚に陥った。

死にたいと願う人間が、こんなにも穏やかに笑うものなのだろうか・・・?


何かが私の中で芽吹いたのを感じたけれど、それは言葉にするにはまだ何かが足りなかった。

小さな小さな、何かの芽。


言葉など必要なかった。理由などいらなかった。

そう言えば聞こえは良いけれど、ただ同じクリニックに、同じ時間居合わせた二人がお互いの手首に傷がある“同類”と感じて親しみが湧くのは、ごく自然なことだと思う。


彼の名前は原田玲一、24歳。

穏やかな空気を身にまとった青年で、19歳の私からすれば、上品な物腰の大人の男性に見えた。

その心の大きな傷など、その頃の私には知る由もなく・・・



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