不在
だんだんとシリアス展開です。
「ね〜ぇ、もしよかったら1つ聞かせて欲しいのだけど」
昼を少し過ぎた下町の大通り。ローラとアテナが対決した通りを、2人は早足で歩く。
「なによ」
「おばあ様とは血が繋がってない、ってアナタ言ってたけど、一緒に住んでいるのはおばあ様だけ?」
アテナは家族同然のお婆さんと一緒にスラムで暮らしていると言った。この年齢の、しかもこれだけ容姿の良い少女が、スラムでまともに暮らしていくのは極めて難しい。少女を守る強い何かがなければ、既に筆舌し難い苦痛や屈辱を、彼女は味わっていたはずだ。歩くことも難しい老人だけでは、彼女を守りきる事は難しいのではないか、とローラは考えた。
「おばあだけよ。私ね、『アテナ』とだけ書いた紙と一緒にグストンの森に捨てられてんだって。それが10年くらい前の事で、その頃はまだ元気だったおばあが、薬草を探していた時に私を見つけて拾ったの。エンエン泣いてたのに魔物に食べられてなかったから、奇跡の子供だと思った、って言ってた」
この世界には、魔物がいる。塀や堀で囲まれた街には入って来られないが、森まで行くと狼のような魔物が出てくる。確かに、森の中で泣いている赤ん坊を放置すれば、ものの数分で魔物の餌食になるだろう。無傷で人に発見されたのは正に奇跡という他なかった。
アテナは事実を淡々と述べていた。自分は魔物が彷徨く森に捨てられていた、と。アテナの後ろを歩くローラからは、アテナがどんな表情でその事を話しているか分からない。
「そうなのね……。辛い事を思い出させてしまったわ。ごめんなさい」
「フン!いいのよ、血縁なんて!私は私を育てくれたおばあだけが家族なの。魔法だけじゃなくて、いろーんなことを教えてくれたおばあが、私は大好き。おばあは、どこの誰かもわからない私を育ててくれた。だからおばあが動けなくなった今、次は私が恩返しでお世話してあげるの。パンを盗んでね!!ワッハッハー!」
「コラコラぁ」
そう言いながらも、ローラは微笑みを禁じ得なかった。おばあと呼ばれている方は、魔法や言葉だけでなく、もっと大事な、『優しさ』というものをきちんと彼女に与えてあげたようだ。盗む事は決して褒められたものではないが、恩に報いたいというその気持ちだけは、ローラは認めてあげることにした。
「そろそろ着くわ」
大通りから2〜3本脇道へ入ると、雰囲気が変わった。日当たりが悪くなり、ゴミが散乱している。地面に座り込んで遠い目をしている人間も目につくようになってきた。
ローラやアテナに悪意のある視線を投げかける人が多くなり、ローラが警戒レベルを少しだけ上げた頃、ようやくアテナの足が止まった。
掘っ建て小屋というやつだ。地面に直接柱を立て、それを支えとして木材を組み合わせただけの家。職人が建てていない事は明らかで、隙間風や雨漏れなど酷いものだろう。うら若き少女が住むにしては、余りにも粗末であった。このような過酷な環境の中で彼女はまっすぐな性格と、素晴らしい魔法を得たのだ。苦しい思いばかりだったに違いない。まだ小さな彼女がそれらを乗り越えて生きて来たのを、この家は見守って来たはず。
「素敵なおうちねぇ」
「褒め言葉をアリガトウ。次言ったらぶっ飛ばす。 ---おばあ!ただいまー!!」
「皮肉じゃないわよぉ……おじゃましまぁす」
アテナに続いて、ローラは頭がぶつからない様、頭を下げながら入った。
「おばあー!パン持って来たよ!おばあ!……おばあ?」
この家は狭い。声は全ての部屋に届くし、返事がないのも姿が見当たらないのも、考えられない。
「アレ?……おばあがいない……置き手紙はないし……」
「お出かけなさってるのではなくて?」
「ありえないわ。おばあは、歩けはするけど遠くまで行けないし、私が帰る前に出掛けるなら必ず書き置きがあるはずなのに……どうしよう!今までこんな事なかった!」
慌てふためくアテナの様子から、今回の不在は只事ではないようだ。顔を真っ青にしたアテナに、ローラは優しく声を掛ける。
「落ち着いて。何か心当たりはないの?」
「そんなの……」
アテナは茫然自失としている。ローラは部屋を注意深く観察し、あることに気が付いた。
「ねぇ、あそこの棚っていつもあんなに乱雑としているの?整理整頓されている部屋で、あそこだけ違和感があるわ」
「っ!!やばい!!」
立ち尽くしていたアテナは弾かれた様に生活雑貨が置かれていた棚の方へ向かい、そこからガチャガチャと物を落としだした。察するに、棚の奥に隠していた何かを探しているようだ。
「アレがなくなってる……」
「アレってなぁに?」
「おばあはね、凄腕の薬師なの。回復薬とかを作って売ってた。だけど、たまにコレは飲んではいけないし、人に話してもいけないっていう薬も作ってた……そして、あの棚の奥に隠してたの」
「それが何なのかは知らないのね?」
「うん……教えてもらえなかった」
「材料とかも分からないかしら?もしかしたらそこから何を作ってたかが判るかもしれないわぁ」
「材料……ちょっと待ってて!」
そう言うとアテナは台所へ行き、ビンを手にして戻ってきた。蓋を開けると何かの葉が細かく刻まれている。
「コレだと思う!おばあはこの葉だけは何故かお茶にカモフラージュして隠してた!多分、コレがあの薬の材料だと思う!」
ローラはビンを受け取ると開け口に鼻を近づけた。その瞬間、ローラは今までどこか余裕のあった表情を一変させ、大きく目を見開いた。
「コレ……ドブルの葉じゃない。間違いないわ……。アテナちゃん。この件、大事になるわよ。」
「ドブ、ル?どんな薬草なの?」
ローラが雰囲気を鋭くさせた事に気付いたアテナは、恐る恐るローラへ尋ねた。
「薬草……ね。そんな生易しいもんじゃないわよ。コレはね、単体では何の効果もないの。でも抽出してある物と組み合わせると……一種の覚醒剤になるわ。」
「え……?」
「そしてドブルの葉にはそれ以外の使い道が無いの。まず間違いなくおばあ様はドブル覚醒剤を作ってた」
「ウソよ……」
アテナは耳を疑った。
(あの優しいおばあが、覚醒剤?ありえない!だけどあのふざけたローラがコレだけ真剣な表情をしている…………。嘘とは思えない。何か、何か理由が……。)
「いくつか質問させて。アナタのおばあ様の身に危険が迫ってる可能性が高いわ。助けるために、質問に答えて頂戴」
混乱したアテナは、ローラの言葉ではっとした。ローラの視線がアテナを真っ直ぐに射抜く。
「おばあ様が上手に歩けなくなった、というのはいつ頃からかしら」
「多分……半年くらい前から。前々から足腰は弱くなってたけど、一度森で魔物に襲われて足を怪我したの。それから……。あ!! 確かに、おばあはあの事があった後からアレを作り始めた!」
「なるほどね…。次の質問よ。おばあ様は怪我した後もたまにお出かけされてたのよね?」
「うん。でも、買い物に行ったり、友達とお喋りしに行ってるだけだって聞いてた……」
「アナタがパンを盗んでいたのは、おばあ様が薬草を取りにいけなくなって、収入が減ったから?」
「う、うん……でも、本当に、盗んでるのはパンくらいで……」
「おかしいと思わないかしら」
「え?」
ローラは、何かに気が付いたようだ。だが、何がおかしいのか、まだ幼いアテナには分からなかった。
「この家庭の収入源はおばあ様のお薬の売り上げよね?半年もそれが無くなって、アナタ達が生活出来るわけがないわ。例えアナタがいくらパンを盗んだって、それ以外にも生きていくためにはお金が必要だもの。」
「それは……」
「私の推測になるけど、おばあ様は多分、怪我をなされた後も森へ行って、お薬をお作りになってたはずよ」
「それは無理よ!おばあは本当に足腰が弱っているし、その上怪我もしてるもの!そんな状態で魔物のいる森に薬草なんか摘みにいけないわ!」
「そう、だからおばあ様はドブル覚醒剤を作ったの」
「……なんで、それが関係するの?」
アテナは信じられないという顔をして、ローラへ聞き返した。
「ドブル覚醒剤の効果はねぇ、異常なまでの筋肉増強と、少しの間だけ痛みを麻痺させるモノなの。別名、『傭兵の翼』、よ。反面副作用も強烈で、効果が切れた後に全身に耐え難い激痛が走る。大の大人が発狂する程ね。そして、使った者の寿命を容赦無く蝕んでいき……最後には死に至るわ。」
「そんな……!まさか!」
「そう。おばあ様は多分、ドブル覚醒剤を自分で服用していたはずよ。薬草を摘むのを、辞めないためにね………。アナタのため、だと思うわ」
「おばあ………おばあ……!………いやぁあああ!!」
ローラの口から語られた推測に、アテナは絶望した。嗚咽を抑えることが出来ず、その場に膝を落とした。
アテナはこの半年の事を思い返し、ローラに伝えた。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、アテナは語った。
「……ひっぐ。おばあが怪我をしてずぐ、初めでパンを盗んだの。ぞの時、どんな時も優しくしてくれたおばあが、初めて、私を怒鳴った。っぐぅ。ど、ど、どんなに貧乏でもぉ…他人のものは盗んじゃいけないっでぇ……。でも、でも、食べる物が無くて、私は何度も盗みを働いだの。ぞの度に、おばあは『こんな事をさせてごめんねぇ、ごめんねぇ』って謝っでだ……!きっと、私がおばあに決意させぢゃったんだぁ!ドブル覚醒剤を飲んで、自分の体に鞭を打っでまで、私が罪を重ねないように、薬草を摘み続ける事ををぉ…………なんでもない風に笑っでたのに!痛いのを我慢させでだんだねぇ!!おばあ!ごめんねおばあ!どこにいるのぉおお………おばあぁぁぁぁ!!」