少年はご飯を食べた
他に誰も居ない食堂で、ロム達三人は遅い夕食をとっていた。食事が余っていて、もう食べる人も居ないからということで、トールも人の姿で人の食事を食べている。
食べながら、明日からの事を相談していた。そのため、アイラスとトールは手を繋いだ状態で、食事をとっている。アイラスは片手で食べるのが不便そうだが、トールは手掴みなので全然平気そうだ。手も口の周りも汚れているが、本人は気にしていない。なんだか小さな子を見ているようで、微笑ましかった。
「まずアイラスは、言葉を覚える必要があるのう」
「第二言語を覚えるには、それなりに努力が必要だよ。トールは他に話せる言葉、ある?」
「あるが……学んだという記憶はない。赤子が言葉を覚えるように、自然と覚えていただけじゃ」
アイラスは食事の手を止め、不安そうにトールを見上げた。
「アイラスは、なんて?」
「楽に覚える方法はないか、と言っておる」
「楽はないけど……楽しく、ならあるかな。覚えたい言葉の歌を歌うんだ。学校で、音楽の授業だけ受けてみるのもいいかもね」
そう提案したけれど、音楽を教えているのは先程騒ぎを起こしたホークだ。それを伝えると、アイラスは酷く落ち込んだようだった。
「後は、普通に言葉の中で生活すること。トールも通訳ばっかりしない方が良いよ。それに頼っちゃうから。アイラスが聞いてきた単語の意味を教えるくらいはいいけど、丸ごと訳したり、代弁は控えた方が良いね」
それを伝えられたせいか、アイラスはそっとトールの手を離した。
「今はいいよ! 明日から、ね?」
だが、アイラスはそのまま食事に専念し始めた。単に、食べにくいから離しただけなのかもしれない。
「トールはいいの?」
最後のスープを飲みほしたトールに、ロムは聞いてみた。
「何がじゃ?」
「この街へは人捜しに来たんでしょ? アイラスにも手伝ってもらいたいとか言ってたよね?」
「それは急いではいない。もう何百年も捜しておるでな、今更焦ってはおらぬ」
「……何百年も? その人も『神の子』なの? ニーナとは違うよね?」
「『神の子』ではない。ニーナとも違う」
そこで、一旦言葉を切った。何か考えているように見える。聞いてよかったのかと不安になってきたあたりで、トールは再び話し始めた。
「生物が死んだ時、その魂がどうなるか知っておるか」
「……転生?」
「ほう、知っておるか。肉体が死んだ後の魂は、大地に還り、また新たな命に宿って生まれてくる。わしは、ある人物の魂が転生した先を、捜しておる」
「その人って、トールの名付け親?」
トールは返事をしなかったが、表情が肯定していた。
「どうやって見つけるの? 魂って見えないでしょ? 会ったとして、その人の魂だってわかるの?」
「会えば、わかる。魂を判別する魔法がある」
「見つけたらどうするの?」
「どうもせぬ。これは以前にも言ったと思ったのじゃがな? わしはただ、確認したいだけじゃ」
ロムが納得がいかない顔をしていたら、トールは続けて言った。
「どうせ終わりの無い生じゃからの。何か目的があった方が、張り合いもあるというものじゃ」
「アイラスは、何を手伝えるの?」
ロムは食事の終わったアイラスを見て言った。食べ終わっていないのはロムだけになっていた。
「なぜだかわからぬが、こやつにはわし以上の言霊の知識がある。特定の魂を捜す事ができるやもしれぬ。それが可能となる言霊を教えてもらいたい。そのためには一度魔法として施行してもらわねばならぬ。その詠唱を耳で聞かぬ限り、わしの中にその知識が入らぬ。じゃが今のアイラスの魔力では、魔法の施行には耐えられぬ」
そう言って、トールもアイラスを見る。アイラスは不思議そうに、トールに手を伸ばしたが、思い直したように引っ込めた。トールもそれに気づいたが、手は取らなかった。
「その事、アイラスに伝えなくていいの?」
「まだ知らなくてもよい。魔力は心の力じゃ。それを高めるためには、安定した生活が不可欠。まずは、アイラスが安心して生きていける力を手に入れねばならん」
そういうわけで、明日からアイラスがやる事が決まった。学校で音楽の授業を受けること。それ以外はできるだけロムと過ごし、言葉に触れるようにする。
自分でいいのかなと、ロムは心配だった。自分と一緒に居たら、友達ができないのではないかと思う。
ロムには友達がいない。以前起こした騒ぎが原因で、他の子供達から怖がられるようになった。噂が噂を呼び、その状態が定着してしまったので、今更誰かと仲良くなろうとも思わなくなっていた。
「それにしても、よく誤魔化せたね」
「何をじゃ?」
「先生達に言ってた内容だよ。名付け親がどうとか……。あれ、あの時考えた作り話なの?」
「わしが嘘を付けないと言ったのは、お主ではないか」
それ以上話そうとしないので、また不安になった。どうもトールには余計な口を出してしまう。
「言いたくないならいいよ。ちょっと気になっただけだから……」
「大筋は本当じゃ。ニーナが言っておっただろう。嘘を付くには真実を織り交ぜた方が良いと」
「トールの名付け親は、アイラスの事を予知でもしてたの?」
「そうではない。人の子を嫌わないでほしいと頼まれただけじゃ。手の届く範囲でいいから助けてやってほしいと。アイラスもその一人だと考えたら、嘘ではないしの」
ロムの疑問は解けたが、トールに余計な事言わせてしまったかもしれない。
トールは嘘が苦手で、聞かれた事にも正直に答えてしまう。というか、答えなくてもわかってしまう事もある。あまり色々聞いてはいけないかもしれない。
「お主は、標準語を覚えるのにどれくらいかかったのじゃ?」
唐突に聞かれ、ロムは驚いた。
「お主は、シンの国の出身であろう?」
今度は、心臓が止まるかと思った。
「あの国の言葉は独特じゃ。クロンメルにきて標準語を覚えたのか? 二年前だったかの。その割には流暢じゃな」
「……え? なんで、それ……」
心臓が、早鐘のように鳴っていた。
トールはそれには気づかず、得意げに続けた。
「お主の持つ刀、それはシンの国のものであろう? それに、立ち居振る舞いも似ておる。島国で、独特の文化があるからの」
手が、指が、痺れてきた。息が苦しくなり、視界が揺れてきた。吐き気がする。
必死に吐き気をこらえながら目を閉じた。トールがようやく異変に気付いた。
「おい、どうしたのじゃ?」
心配そうなトールの声が、酷く遠くから聞こえた。
アイラスが立ち上がり、急いでロムに駆け寄ってきた。
ロムは、今食べたばかりものを吐いてしまった。目を開けると、アイラスの手があった。その小さな手の中に、吐しゃ物がなみなみと入っている。アイラスはそれをこぼさぬように気を付けながら、空いた皿に移した。
ロムとトールは絶句して動けなかった。アイラスだけがきびきび動き、皿を厨房に持って行った。奥から悲鳴が聞こえた。
アイラスはすぐに、手を拭きながら戻ってきた。ロムの腕を掴み、厨房に引っ張っていく。
「あんたが吐いたのかい?」
炊事のおばさんが、ロムのおでこに手を当てて首を傾げている。顔色も確認された。何か痛んでたのかねぇと呟いている。
「とにかく、口をゆすいでおいで」
木のコップを渡され、厨房の角にある水場に行った。
「ごめん……」
申し訳なくて顔向けできなくて、下を向いたまま謝った。アイラスを汚したみたいで罪悪感が酷い。
謝られたアイラスの方は、ロムの様子に気付いていないのか、自分の手の臭いを嗅いでいた。眉をひそめ、イ~ッとでも言うような顔をした。洗っても臭いが取れなかったようだ。とてつもなく恥ずかしかった。
アイラスはロムと目を合わせ、少し意地悪そうに笑った。そして、手をトールの方に突き出した。
「うわっ、酷い臭いじゃ! 寄るでない!」
逃げ回るトールを、アイラスは笑いながら追いかけている。その姿が滑稽で、ロムは笑い出した。声を出して笑うのはいつ振りだろう。思い出せないくらい、昔の事だった。