少年は本当の事を聞く(絵有)
用が済んで書斎を出た。
文書は明朝、皇帝に奏上してくれるらしい。早ければ、その日のうちに謁見が許されるかもしれないとの事だった。
早ければ早いほど助かる。皇帝の許可なしでは何もできないのだから。
案内された寝室に入ると、中は真っ暗だった。先に寝たのかと思ったけれど、闇の中で二つの影が身体を起こした。
「び、びっくりしたぁ。灯りくらい付けようよ」
「わしらには必要ないしの。ロムが欲しいのなら、灯しても構わんぞ」
「い、いいよ。俺も見えないわけじゃないし、どうせすぐ寝るんだから」
強がったけれど、目が慣れるまで少し時間がかかる。二人の気配の位置から予測して、手探りで自分用の寝台を探し当てた。
寝台の上に用意された寝間着を手に取る頃には、少し周りが見えるようになっていた。
「しかし遅かったのう。大丈夫じゃったか?」
「手紙、読めた?」
「うん。最初から読ませるために俺を呼んだみたい」
「……何、書いてた?」
「俺に関しては、ほとんど全部……」
寝間着に着替えながら、書斎での出来事と手紙の内容を話した。自分が泣いてしまった事は言わなかった。
「手紙は処分してくれたし、誰にも言わないって約束してくれたから」
「信用、できる……?」
疑うようなザラムの言い方が少しおかしかった。その気持ちはわかる。
「確かにホンジョウは、不真面目で、ふざけてて、意地悪な人だけど……」
いちいち頷く二人に思わず吹き出した。
「笑い事ではなかろう!」
「ごめんごめん。……でも、誰かが本気で嫌がる事はしないと思うよ」
ザラムは納得のいかない顔だった。中々信じてもらえないホンジョウに同情したけれど、あの態度じゃ仕方ないかもと思った。
「一つ聞いても良いかの?」
「何?」
「ロムはシンで、何と呼ばれて……いや、どんな名であったのじゃ?」
「俺……俺の名は……」
トールの顔が真剣になっているのがわかった。そんな深刻な話じゃないのに。
「……言いたくないのなら言わずともよいぞ」
「違うよ。昔の名前なんて、どうでもいいと思ってるだけ」
今度は困った顔をされた。困らせたいわけじゃない。どうも意図が通じない。なんて言えばいいんだろう。
「……大切なのは、名前が何なのかということじゃない……と思う」
考え考え、呟くように言葉を続けた。
「その名前によって、誰と、どんな風に繋がっているか……だと、俺は思う……」
トールの目が見開かれた。暗闇の中でも深い悲しみが見て取れた。今言った言葉の、どれが彼を傷つけたんだろう。
目が合うと顔を背けられた。気付いた事に気付かれた。
沈黙が気まずかった。すがるようにザラムを見たけれど、彼こそ何も言うわけがなかった。何か言わなきゃと思って話題を探した。
「……ロムって言葉の意味はね、思い出とか、記憶とかなんだって」
トールが顔を向けてきて、再び目が合った。興味を持ってもらえたと思って、話を続けた。
「俺の意識がなかった時に、ニーナが付けてくれたんだって。それを、取り戻せるようにって」
「……皮肉じゃの」
「え?」
「いや……おぬし、その名が好きか?」
思ってもみなかった事を問われて、少し考えた。でも、考えるまでもなかった。
「うん、好き。この名前だから俺は、あの街に居ていいって思えるんだ」
「その話、戻ったらニーナにしてやってくれんかの。喜ぶであろう」
そう言って、彼は目を閉じた。寝台に横になって背中を向けられた。もう話すことはないと言われたようだった。
意味がわからなくて、今度はこっちが困ってしまった。
「……あの、トール? どうかした? 俺、何か変な事、言った?」
おずおずと声をかけた。でも背中を向けたまま、そっけない返事だった。
「何でもない……気にせんでくれ……」
何でもなくない声だった。嘘だとわかっても、追及していいものかと躊躇した。
「トール、限界」
ずっと黙っていたザラムが、ため息交じりに呟いた。トールは慌てたように飛び起きた。
「な、何を言うておる」
「話す。本当の事」
本当の事。
その言葉が尖ったナイフのように、深く胸に突き刺さった。
トールはやっぱり隠し事をしている。それはわかっていた。わかっていても、話してくれるまで聞かないと決めていた。
なのにザラムは知っていた。
――俺の方が、付き合いが長いのに。
思わず湧いた黒い気持ちが、一瞬で心の中を埋め尽くした。
いけないと思って首を横に振った。
ザラムが言葉を続けた。聞きたくない気持ちを意識の底に押し込めた。
「方法、見つける。記憶、戻してもらう。問題ない」
「それは……そうじゃが……」
「記憶? 誰の?」
「……おぬしの、いや、皆の記憶じゃ」
急に冷静になった。
思い当たるフシがある。トールに記憶を探るような問いかけをされた事があった。
何か忘れている事実がある。記憶力には自信があったから、そんな可能性は考えなかった。
でもそれが、自分だけじゃないというなら。
―― ただの物忘れじゃない。魔法?
かつてトールの白い髪を見た人に、ニーナがかけた魔法があった。
「忘却の魔法……?」
「そうじゃ……!」
「俺は……いや俺達は、何を忘れさせられたの?」
「……アイラスの事じゃ」
「アイラス? 忘れてないよ?」
「そうではない。……わしと初めて会った時の事を覚えておるか?」
心のざわつきを感じながら、ゆっくり頷いた。
あの時の記憶には違和感があった。トールが一人で虎にまたがって現れた。その理由は記憶の中に無い。実際は、そうではなかった?
トールが深呼吸をした。ため息にも聞こえた。
「アイラスも、その時に共におったのじゃ」
挿絵はホンジョウの設定画っぽいもの。そろそろロム君を描きたい。




