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Achter Akt:Sturm und Drang(第八幕:疾風と衝動)

テーマパークも終盤に差し掛かり、ロマン主義のフロアに入った。

ウィリアム・ブレイクの展示では、『無垢と経験の歌(Songs of Innocence and of Experience)』の詩と版画の展示が行われていた。その中の、『虎 (The Tyger)』の詩の前で二人は足を止めた。


Tyger! Tyger! burning bright

虎よ! 虎よ! 燦々と輝く

In the forests of the night,

夜の森に

What immortal hand or eye

いかなる不滅の手か眼が

Could frame thy fearful symmetry?

お前の恐ろしい対称性を造ったのか?



最後のFearful Symmetry(恐ろしい対称性)から、アクアは、ワイルの『シンメトリー』に載っていた詩を思い出していた。

この展示では、芸術的なシンメトリーには触れていたが、科学におけるそれには触れていなかった。

私にとっても、対称性は恐ろしいものだ。いや、それよりも、冷たい対称性(Frigidus Symmetria)と言った方が適切だ。


少し行くと、キイツが、ある絵の前で止まっていた。それは、海底で作図を続けているニュートンの絵だった。

キイツは、私に気付くと苦笑いをして去って行った。言葉にはしなかったが、その理由は大体わかった。

この絵は、ロマン主義のブレイクが、海底に沈んでまでも、科学を行う人々の無粋さを揶揄したものだ。

私は、何かが引っ掛かり、不機嫌にならざるをえなかった。



次は、ワーズワースの展示だった。


My heart leaps up when I behold

私の心は高鳴る

A rainbow in the sky.

空にかかった虹を見る時

So was it when my life began;

生まれた時もそうだった

So is it now I am a man;

大人となった今もそうだ

So be it when I grow old,

年老いてもそうありたい

Or let me die!

でなければ死を給え!

The Child is father of the Man;

子供は人間の父

And I could wish my days to be

だから私はその日々を

Bound each to each by natural piety.

互いに自然への敬愛で繋ぎたい


この詩を見たアクアは、あの事を思い出して怒りを覚えていた。特に最後の二行に対して。

虹は、私にとってはもはや忌むべきものでしかなかった。

虹こそ、自然への崇拝ではなく、復讐を誓うもの。

その隣で、キイツはじっと眺めていて、やはり違うのだと改めて気づかされた。

ようやく近づけたと思ったのに、遠ざかった気がした。


その後、コールリッジ、サウジー、バイロン等の展示を抜け、パーシー・シェリーのコーナーに辿り着いた。

『解放されたプロメテウス』、『詩の擁護』などが有名だが、シェリーと言えば、ウェールズでのトレマドック堤防再建の資金調達をアクアは思い出していた。ある意味で、ゲーテのファウストが終盤で堤防を築くのは彼がモチーフかもしれない。

ロマン主義者の中では、ワーズワースやキーツとは違い、詩人でありながら科学を肯定している点は、非常に共感が持てた。



アクアがふと気づくと、キイツはある詩の展示を食い入るように眺めていたので背後から呼びかけた。

「アドネイス。シェリーが詩人キーツの死を嘆いた詩ですね」

アクアは、アドネイスを見てる理由がようやく分かった。

「これは、キイツに相応しいのでは?」

キイツは悲しそうに呟いた。

「…確かに自分の名前はキイツや… でも、もっと…相応しい人がいるねん…」

それ以上深く訪ねる事は出来なかった。

旅の終わりにはキイツは話してくれるのだろうか。

いや私も可換の原理から、秘密を話すべきだろう。



最後を大々的に飾っていたのは、キーツの展示だった。それもそのはず、このホワイト・アイルの由来となったワイト島はキーツが最初に詩を書いた場所なのだから。

アクアは、あまり乗り気では無かったが、キイツは熱心だった。だが同時にキイツはどこか悲しそうにも見えた。


少し行くと、エンディミオンの彫像と共に『エンディミオン(Endymion)』の冒頭の詩が引用されていた。


A thing of beauty is a joy for ever:

美しいものは永遠の喜びだ

Its loveliness increases; it will never

それは日ごとに美しさを増し

Pass into nothingness; but still will keep

決して色あせることがない


英語だけでなく、日本語でもキイツはその詩を呟いていた。

その悲壮な雰囲気にアクアは話しかける事はできなかった。



幾つかの展示の後、キーツの『レイミア』の一節が引用されて飾られていた。


Do not all charms fly

魅力の全てが飛び去らないだろうか

At the mere touch of cold philosophy?

冷たい科学が、ただ触れるだけで

There was an awful rainbow once in heaven:

かつては天空に壮厳な虹があった

We know her woof, her texture; she is given

今や、その横糸と織地は知られ、虹は

In the dull catalogue of common things.

ありふれたさえない目録に加えられた

Philosophy will clip an Angel’s wings,

科学は、神秘という天使の翼をむしり

Conquer all mysteries by rule and line,

あらゆる神秘を、法則と線とで支配し

Empty the haunted air, and gnomed mine—-

霊の漂う空と精霊の住む地を空にし

Unweave a rainbow, as it erewhile made

虹を分解した。かつて

The tender-person’d Lamia melt into a shade.

儚いレイミアを影へと溶かした様に



アクアは思った。科学による虹の破壊への批判を、よりにもよってこの人工島ホワイト・アイルの上でやる事にテーマパークの設計者の浅はかだと。

そもそも、ワイト島は、地震学のジョン・ミルンが全世界的な観測所を作った場所だ。だというのに全くその事に触れていなかった。ご丁寧に、もう一人のジョン(キーツ)とワイト島の関係は説明しているのにも関わらず。

展示も不愉快だったが、私の存在を忘れた様にただ一人悲しげに詩を呟き続けるキイツにも腹が立った。



そして、博物館の展示の最後を飾るのはキーツの墓碑銘だった。


Here lies one whose name was writ in water

その名を水に書かれし者ここに眠る



その墓碑銘を見た瞬間、アクアは、広村堤防に立ったあの日を思い出していた。キイツを堤防から突き落として溺死させようと思った事を。

その衝撃で、アクアは、つい皮肉が口からこぼれていた。

「ジョン・キーツは水に流され溺れれば良かったんですよ。科学の妨げにしかならない詩なんか残さずに」

その瞬間、キイツは身を震わせてアクアを睨みつけた。

「…死すべき定めから逃れられへんなら、せめて、虹を綺麗に思う心位は残してもいいじゃないか! なのに科学は、プリズムで虹を分解して、冷たい数式で詩を塗りつぶす!」

アクアは始めて見るキイツの怒りに驚いたが、それでも謝りもせず睨み返した。

「そうです。科学は冷たい」

「君は、所詮、Unweaver of rainbow(冷たい虹の破壊者)だ」

「愚かな(Fool)…馬鹿だ!」

私は、感情的にいや、それを通り越して冷徹にその愚かさを罵った。

「馬鹿でええ! 心を失った科学者よりはましや!」

「知識を求めることを放棄した愚者が!

科学は今日まで、あらゆる災難(every ill)からあなたを守ってきた!

その結果が水蛇の餌食(water serpent'sprey)になるのを見る事だというのですか!」


その瞬間、キイツの中のレイミアは息を引き取った。

「君も、結局、アイツと同じ冷酷な科学者だったんや」

キイツは、アクアを残して一人で立ち去った。

もう少しで理解できると思った。だが、結局、アクアは、あの時の人々と同じ冷酷な科学者だ。


***


やはり、キイツはカンディードではなく、パングロスに過ぎなかった。アクアは今度こそ失望した。

地面に零れ落ちた水は、虹色に光っていた。

私はそれを踏みつぶし、いつの間にか零れていた涙をぬぐった。

私は、どこかでキイツに期待していた。私とは真逆な存在だが、キイツの災害に対するその熱意と悲しみ故に、私の事を理解してくれるのではないかと。

”あなた”と少しだけ関わりがあったから。最初に会った時に言おうとした言葉は言えなかった。


だが、理解されなかった。可能性なんて0に近かったのに、信じてしまうとはなんて非合理なのだろう。

所詮、私の行く道は誰にも理解されない孤独の道。

”あなた”を救えなかった私に相応しい地獄の道だ。

広村堤防で抱いたあの自然への復讐の炎が再び燃え上がった。

去りゆくキイツの背中に向かってアクアは、初めて詩を呟いていた。

自然を賛美したキーツやワーズワスなどとは異なる、リスボン地震を体験した作家の自然への怒りに満ちた詩を。


O malheureux mortels ! ô terre déplorable !

おお、不幸な人々よ、おお、呪われた地球よ!

O de tous les mortels assemblage effroyable !

おお、死すべき者たちの恐ろしい群れよ!

D’inutiles douleurs, éternel entretien !

永遠に味わわされる無用な苦しみ

Philosophes trompés qui criez : « Tout est bien » ;

「すべては善である」と唱える歪んだ哲学者よ

Accourez, contemplez ces ruines affreuses,

来い。凄まじい破壊の様をとくと見よ。

Ces débris, ces lambeaux, ces cendres malheureuses,

その残骸、その瓦礫、その灰を見よ。

Ces femmes, ces enfants l’un sur l’autre entassés,

地面には、女、子供の死体が重なり

Sous ces marbres rompus ces membres dispersés ;

砕けた大理石の下に人の手足が散らばる

Cent mille infortunés que la terre dévore,

大地の餌食となった十万もの人々が

Qui, sanglants, déchirés, et palpitants encore,

深手を負い、血にまみれ、震えている。

Enterrés sous leurs toits, terminent sans secours

落ちた屋根に埋まり、救いもなく

Dans l’horreur des tourments leurs lamentables jours !

恐怖と苦痛の中で、惨めに一生を終えようとしているのだ!


Poème sur le désastre de Lisbonne

『リスボン大災害への詩』

Voltaire

ヴォルテール




∴ Natura Delenda Est.

故に自然滅ぶべし。


その誓いは、あの日から始まった。

自然に”あなた”(コルプス)を奪われたあの日から。




***


キイツは、アクアの元から逃げ出しながら、外に出た。

寒空の下、涙が零れた。それは日の光を浴びて虹色にきらめいていた。

決して忘れる事の出来ない、いや、忘れてはならない詩が口から零れ落ちた。



冬の虹

The Winter rainbow-

冷えし七色

Into cold seven colors.

分けれない

I cannot unweave-



それは、忘れ去られた詩人が残した俳句。世界でただ一人、自分だけが覚えている”君”(クリス)の詩。

あの時、冷酷なアクアの仲間(科学者)が奪ったもの。

君の詩が灰になったあの日から、ようやく時を刻む事が出来たのだと思っていた。でも結局、自分の時は止まったままだった。




***



So bleibe denn die Sonne mir im Rücken!

いから日は己の背後の方におれ。

Der Wassersturz, das Felsenriff durchbrausend,

己はあの岩の裂目から落ちて来る滝を

Ihn schau’ ich an mit wachsendem Entzücken.

次第に面白がって見ている。

Von Sturz zu Sturzen wälzt er jetzt in tausend

一段また一段と落ちて来て、千の(ながれ)になり

Dann aber tausend Strömen sich ergießend,

万の流れになり、飛沫(とばしり)

Hoch in die Lüfte Schaum an Schäume sausend.

高く空中に上げている。



Allein wie herrlich diesem Sturm ersprießend,

しかしこの荒々しい水のすさびに根ざして、七色の虹の

Wölbt sich des bunten Bogens Wechsel-Dauer,

常なき姿が、まあ、美しく空に横わっていること。

Bald rein gezeichnet, bald in Luft zerfließend,

はっきりとしているかと思えば、すぐまた空に散って

Umher verbreitend duftig kühle Schauer.

(におい)ある涼しい(そよぎ)をあたりにみなぎらせている。



Faust: Der Tragödie zweiter Teil

ファウスト:悲壮戯曲の第二部

Erster Akt: Anmutige Gegend

第一幕 風致ある土地

Johann Wolfgang von Goethe

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

森鴎外訳



波の水しぶきが作った虹の下に置かれた対照的な二冊の書物。

アルカディのレンタルサービスで復刻されたその本は、お互いに歩み寄ろうと借りたものたが、借り手はどちらも現れなかった。


汝が手に取るのは、何れか?

・サー・アイザック・ニュートン 『光学』

・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 『色彩論』



質量・加速度の意味は分かりますか?

・はい

・いいえ


シェークスピアを読んだ事はありますか?

・はい

・いいえ


虹をくぐれますか?

・はい

・いいえ

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