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Sechster Akt: Arkadien von Mythos und Wissenschaft (第六幕:神話と科学のアルカディ(理想郷))

挿絵(By みてみん)


翌日、二人はポートアイランドの京コンピューター前を通り過ぎ、量子コンピューターLへと通じるLK Bridge(左京橋)を渡り始めた。

橋の中央に来た所で、橋の表札を見たキイツが言った。

「そういえば、この橋は、英語だとLK Bridgeの表記になってるけど、皆、左橋さきょうと呼んでいるんや。多分、小松左京とかけてるんやで」

「ここにも小松左京の影響があったなんて。何度も通っていたというのに、日本語が苦手な私には分かりませんでした。詩で韻を踏むようなものですね」

「せやな。ただ日本やと、余り韻を踏む文化がないからダジャレやと思うてる人が多いけど」

アクアは真面目な顔でいきなり

「布団が吹っ飛んだ」

と言いだし、キイツは呆然とした。

「日本独自の布団文化に加え、台風などの自然災害の強風で飛ばされる事を説いた風流な詩ですね」

真面目にそんな論評をしたアクアを見てキイツは笑った。

「いや、それ普通にダジャレやけど…」

「そ、そうなのですか…」

アクアは恥ずかしそうに俯いた。


そんな雑談を交わしながら、左橋を渡った先にあるのが、新設されたメガフロート・ホワイトアイルだった。由来を説明した展示を見ながら

「このメガフロートの名称は、イギリスのワイト島(Isle of Wight)が由来の様ですね」

「…最近神戸市と姉妹都市になったから、それもかけてるんやろな」

「名前だけで、全然似てませんが。一応、ひし形にしたのは似せようとする努力でしょうか」

「あれ、アクアも、ワイト島に行った事あるん?」

「ええ、一時期滞在していた事があります。素晴らしい所でした」

ワイト島は、地震学の父ジョン・ミルンが地震観測所を作った場所だからだ。

「自分も行った事があるよ。」

キイツにとっては、ジョン・キーツが初めて詩を書いた場所だからだろう。

皮肉な事だが、同じ場所にいても見ていたものは全く違った。


その後、施設の係員から詳細な説明を受けた。

メガフロート・ホワイトアイルの地下に、アクアが使用している最新の量子コンピューターLが建造されていた。地上には、余ったスペースを観光拠点にしようと巨大なテーマパーク・アルカディ(Arcady)が立てられた。

アルカディはギリシャの理想郷の名前であり。ジョン・キーツのギリシャ壺のオードの一節にもあるからそこから名付けられたのだろう。 神戸の異人館や各国大使館の援助も受けている為、展示は立派なものだ。


二人はアルカディの入り口で入場証も兼ねたリストバンド型ウェアラブル端末を取り付けた。

西洋の文化を過去から順に辿っていく形式になっていて、最初の展示はギリシャ神話だった。


いくつかの展示を軽く見た後、アクアは、イカロスとプロメテウスの彫像をじっくりと見ていた。

イカロス。蝋の羽根で太陽に向かって飛んだ存在。それは、絶対の”自然”という重力に抗おうとしていた。

プロメテウス。主神ゼウスに抗い、文明の礎となる火を人間に与えた存在。彼は罰として、生きたまま肝臓をタカについばまれる責苦を受けていた。


その先にはパンドラの箱があった。プロメテウスが火を盗んだ事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすその箱を作った。

そして、箱がパンドラによって開けられた時、多くの災いが飛び出した。ただ、最後にエルピス(希望/予兆)だけがその箱に残った。


数多の災いの中にある一欠片の希望を見据えて、巨大な存在に果敢に挑んだ彼らに、私は決意を新たにした。



その頃、キイツは、エンディミオンとアドネイスの彫像の所でじっと展示を見ていた。


月の女神セレネーに愛されたエンディミオンは、不老不死の永遠の眠りについていた。

美の女神アフロディーテに愛されたアドネイスは、狩りの最中に亡くなった。女神は彼を忘れない様に、その血からアネモネの花を生んだ。その為、彼は、死と再生の象徴となっている。


二つの不死の存在を見て、キイツはあの事を思い出さざるを得なかった。自分も不滅の何かを残したいと思った。



別の展示を見ていたキイツとアクアが合流した場所には、永遠に苦しみ続けるシーシュポスがいた。

神々の怒りを買ったシーシュポスは、山頂まで岩を持ち上げる罰を受けた。しかし、岩が山頂につく度に、岩は元の場所まで転がってしまう。彼は、ただその事を未来永劫続けるのだった。

アクアは言った。

「徒労ですよね。岩が山頂につく事がないだけでなく、死ぬ事も休む事も許されないなんて」

アクアの冷淡な意見にキイツは反論した。

「徒労に過ぎないと分かっていても、歩き続ける事が生きる事じゃないのか」

キイツの目は、強靭な意志に満ちていた。


ギリシャ神話の次には、ギリシャ哲学のコーナーがあった。

タレスに、アナクシメネス、アナクサゴラス、ヘラクレイトス、エンペドクレスなどの説が映像と共に説明されているにも関わらず、ユークリッドの『原論』は一文だけしかなかった。

アクアはそれに対して憤っていた。

「なぜ、ユークリッドの『原論』に一文しか触れてないのですか。数学の証明形式の模範となった重要な書物だというのに!」

「ああ。証明問題とかのやつか…。苦手やったからほとんど覚えてないわ…」


プラトンでは、伝説的なティマイオスとアトランティスには触れているが、五つの正多面体には触れてなかった。

キイツはアクアに尋ねた。

「アクアも、アトランティスの伝説に興味あるんか?」

アクアは、にべもなく答えた。

「いえ。そんな架空の大陸の事よりも、五つの正多面体などのプラトンの数学的側面を紹介しない事を残念に思っていただけです」


古代ギリシャの技術にも触れていたが、その中でアルキメデスは最低限しか取り扱っていなかった。

日本では知名度が低いのかと思い、アクアは隣にいるキイツに少し尋ねてみた。

「アルキメデスの原理って知ってますか?」

「ああ、知ってるで。確か、アルキメデスが風呂に入ろうとして...」

アクアは固唾をのんだ。流石に、F=ρVgの式がキイツの口から出るとは思っていなかったが、逸話ぐらいは知っているようで少し嬉しかった。

「…熱すぎて、風呂から飛び上がって裸のまま町を走りまわった。それ以来、風呂に入る前に温度を確かめる様になったって話やろ?」

アクアは呆れた。

「…全然違います! 浮力の原理とは数式的にはF=ρVgと表され…」

アクアはみっちりと説明した。キイツにとっては、熱湯風呂にずっと入ってる様な心地だった。


アルキメデスの隣には、海に二人が投げ出され小さな一つの舟板にしがみついている展示があった。

「有名なカルネアデスの舟板ですね。舟板は一人分の浮力しかないからどちらかが犠牲になるしかないという」

「もし、自分とアクアがこの状況になったらどうするんや?」

珍しく、キイツが陰気な話題を振った。冗談なのに目だけは悲しげだった。

「キイツの空っぽな頭脳よりは、私の脳の方が有効利用できると思いますので、あなたを見捨てますね」

そう。”あなた”の様に、私よりも優れた頭脳を持っていれば、私が海の底に沈みます。

「…けれど、私が四肢がもげていて瀕死だったら、キイツに潔く譲りますよ」

ええ。私がそうして海の底に沈んでいればよかった。

「…アクアらしい答えやな」

「キイツはどうするのですか?」

そう尋ねながら、アクアは思っていた。なぜ、その状況そのものを恨まないのだろう?

キイツは、当たり前の様に答えた。

「たとえ、アクアが四肢をもがれて、自分の方に価値があっても、自分を犠牲にしてアクアを助けるで」

その純粋な言葉にアクアは返答ができなかった。キイツは、更につづけた。

「アクアが、自分の事を覚えていてくれる。本当に大事なのは記憶だから、アクアの心の中に一緒に居られるさ。これが”たったひとつの冴えたやりかた”や」

アクアは、あの時の事を思い出していた。そして小説の作者の名前をふとつぶやいていた。

「…アリス・シェルドンですか…」

聞きなれない言葉にキイツは首を傾げた。

「???…アリス…なんやって? …ああ、アリストテレスの展示は次の次や」

近くにあった展示案内を見て、キイツは答えた。

アクアは思った。

キイツは、『たったひとつの冴えたやりかた』の作者を知らないのだろう。

小松左京の『日本沈没』ですら反応が薄かったのだから、このSFを知らなくても仕方ない。

アクアは少しがっかりして立ち去った。

キイツには、何故アクアがいきなりがっかりしたのか分からなかったまま、そのあとを追った。


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