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Erster Akt: Hochgebirg von Licht und Finsternis -Finsternis-side-(第一幕:光と闇の高山-闇の章-)

20XX/2/22 White Isle, Kobe City, Hyogo, Japan


キイツが去った後、アクアは、Lコンピューターで日夜シミュレーションを続けていた。

地下のLコンピュータ内部でひたすらキーボードを打ち込む姿をキイツが見たら、ウィリアム・ブレイクの『ニュートン』を連想しただろう。

ブレイクのTigerのマグカップを見ながらそんな事を考えた。それは、コルプスがシンメトリーをあげようと言ってくれたものだ。その話をキイツにしてみたら面白いかもしれない。


しかし、キイツの姿はなかった。あの時に別れたきりだった。元々、キイツとの契約はあの日で終わりだったため、何も言わずに自然消滅した。

少し言いすぎたとも思ったものの、わざわざ会うほどの関係でもなく、研究のために時間も取れなかった。


2/22のその日、私はLコンピューター内にいなかった。

近くの海で、潜水艇に載り、プリニウス艦隊(Plinius Classis)の試験運用を行っていたからだ。


プリニウス艦隊は、頑丈で無人走行可能な潜水艇、”大プリニウス”と”小プリニウス”というドローンから構成されている。

大プリニウスは搭載された様々な観測機器によって、水中のデータを収集する。そして、そのデータを上空で待機している小プリニウスに水面から突き出したアンテナを使って送る事が可能だった。

大プリニウスの推進装置には、一般的なスクリューの他に、電磁推進船ヤマト1をベースに改良した電磁推進装置も取り付けられていた。電磁推進とは、水中に超伝導体による強磁場と電流を流したことによるローレンツ力で、推力を得る方法だが、逆に船体を固定すれば、強力な水流を作り出すことが可能となる。

小プリニウスは、高解像度カメラで、様々な場所を観測できた。更にメーザーが搭載され、高出力のマイクロ波を放射する事が可能だ。メーザーを使えば、電子レンジと同じ原理で、水を蒸発させる事ができた。


その名をつけられた大プリニウスは、ヴェスビオス火山噴火の際に、艦隊を率いてポンペイの救助に向かって死んだのだった。そして、彼が残したポンペイの調査をまとめたのが甥の小プリニウスだ。



私の計画は、こういうものだった。

まず、小プリニウスが津波へと向かい、津波によって盛り上がった水に、マイクロ波を照射する。マイクロ波を吸収した水分子は熱振動が活発になり、一部は蒸発する。本来、隆起した部分は、重力によって元に戻り、周囲に新たな圧力を生じさせる。この繰り返しによって、波が伝播している。隆起部が蒸発して、消滅してしまえば、新たな圧力差が生じず、理論上は、津波の威力を削ぎ落とせる。

うまく行けば、この段階で、津波を消滅させる事ができる。消滅できなかった場合、大プリニウスの行動に移る。

大プリニウスが、水中に高磁場と高電流を流し、ローレンツ力によって、大きな水流を発生させる。そして、その水流を津波にぶつけて、弱めるというものだ。

津波を食い止められなかったとしても、弱められる可能性はある。その実証実験だった。



私が実験の開始に選んだ日付は、2/22だった。

それは、横浜地震が起きた日。

同じ港町として栄えた横浜と神戸に何か共通点を感じたのかもしれない。さらに言えば、横浜地震をきっかけに、日本地震学会が設立されている。

そしてまた、2011年のクライストチャーチ地震が起きた日でもあった。


これを機に、災害への救助と予防・研究を組織する学術団体、National Disaster Elimination Soceity(自然災害除去学会)略称NDE学会の設立を計画していた。

いわゆる”防災”ではなくもっと能動的な”攻災”を目指した組織だ。

NDEの頭文字の真の由来は、私の誓い:Natura Delenda Est(自然滅ぶべし)だが、公にしてはいない。

同じ科学者でも自然に畏敬サブライムを抱く人が多く、多くの者に理解などされないだろうから。




その瞬間、上下に震動が起きた。P波が観測された。揺れは少しして、収まった。資料の山が崩れたが、アクア達の方向に降っては来なかった。


改良版AQUAシステムが、震源地と予想震度、津波の高さの情報を弾き出した。

量子コンピューターが今までのコンピューターと違う点は、圧倒的な計算量だ。ただ同時にファジィでもある。しかし、結局、災害というものは予想を立てる事が重要な為、有効に利用できた。これも、Lコンピューターの成果だった。


P波が到来した後、主要動が起きた。アクアは震源を特定して、ここにも津波が到達する可能性があることを知った。急いで、プリニウス艦隊を率いて、津波を迎え撃つ準備をした。


システムは、まだ実験段階でしかなく、来るべき対決の日には間に合わなかった。

だが、自然よ。私はお前に抗おう。



二人のプリニウスは水と空気の二大流体の中を進んでいく。

ついに、小プリニウスのカメラが今回の津波を捉えた。その振幅は、まだ海岸から遠いにもかかわらず高かった。アクアは、その津波をにらんだ。破壊的な波が、その性質を拡げようと至る所に忍び寄る。そして、ようやく復興し始めたばかりの街に襲いかかる。


「自然を滅ぼす事など、不可能に近い事は理性で分かっている。だが、私はここで戦いたい。アイツを、”自然”法則を征服したい」


アクアは気持ちが高ぶり、波に抗うファウストの言葉をつぶやいていた。


Mein Auge war auf’s hohe Meer gezogen;

己の目は海の沖に捕えられていた。

Es schwoll empor, sich in sich selbst zu thürmen.

水が涌き立って、堆く盛り上がった。

Dann ließ es nach und schüttelte die Wogen,

それが凪いで、平な岸の一帯を襲わせに

Des flachen Ufers Breite zu bestürmen.

波をばら蒔いた。

Und das verdroß mich; wie der Uebermuth

それが癪に障った。あらゆる権利を尊重する

Den freien Geist, der alle Rechte schätzt,

自由の精神を、専横の心が

Durch leidenschaftlich aufgeregtes Blut

喜怒哀楽に鞭うたれた血の勢で

In’s Mißbehagen des Gefühls versetzt.

感情のなやみに陥らせるようなものだ。

Ich hielt’s für Zufall, schärfte meinen Blick,

己は偶然かと思って、また瞳を定めて見た。

Die Woge stand und rollte dann zurück,

波は止まって返して行く。

Entfernte sich vom stolz erreichten Ziel;

息張って為遂しとげた目的から退いて行く。

Die Stunde kommt, sie wiederholt das Spiel.

また時が来ては、同じ戯を繰り返すのだ。




ファウストを引用したアクアの言葉に、客観的理性という名のラプラスの魔がメフィストフェレスの言葉で反論する。


Da ist für mich nichts Neues zu erfahren,

あれではなんの新しい事も聞き取られませんね。

Das kenn’ ich schon seit hunderttausend Jahren.

そんな事は千百年前からわたしも知っている。


それに挫ける事なく、アクアは言葉を続ける。


Sie schleicht heran, an aber tausend Enden

波は自分が不生産的で、その不生産的な力を

Unfruchtbar selbst Unfruchtbarkeit zu spenden;

八方へ逞うしようとして這って来る。

Nun schwillt’s und wächs’t und rollt und überzieht

膨れて、太って、転がって、荒地の

Der wüsten Strecke widerlich Gebiet.

厭な境に溢れる。寄せては返す波が

Da herrschet Well’ auf Welle kraftbegeistet,

力をたのんで専横を窮めていて

Zieht sich zurück und es ist nichts geleistet,

さて引いて行った跡に、何一つ己を恐怖させる程の事を

Was zur Verzweiflung mich beängstigen könnte!

為遂げてはいない。溜まらんじゃないか。

Zwecklose Kraft unbändiger Elemente!

検束のない四大の、目的のない威力だ。

Da wagt mein Geist sich selbst zu überfliegen,

そこで己の精神は自力の限量以上の事を敢てしたい。

Hier möcht’ ich kämpfen, dieß möcht’ ich besiegen.

あれと闘って勝ちたいのだ。

Und es ist möglich! – fluthend wie sie sey,

それは出来る事だ。あの汎濫する性質はあっても、

An jedem Hügel schmiegt sie sich vorbei;

どんな丘陵でもあると、()けて滑って通る。

Sie mag sich noch so übermüthig regen,

いかに傍若無人に振舞っても、

Geringe Höhe ragt ihr stolz entgegen,

瑣細の高まりも中流の砥柱しちゅうになって、

Geringe Tiefe zieht sie mächtig an.

瑣細の窪みも低きに就かせる。

Da faßt’ ich schnell im Geiste Plan auf Plan:

そこで己は心中で急に段々の計画を立てる。

Erlange dir das köstliche Genießen

あの専横な海を岸から遠ざけて、

Das herrische Meer vom Ufer auszuschließen,

干潟の境界を狭めて、

Der feuchten Breite Gränzen zu verengen

海を遥かに沖へ逐い返したら、

Und, weit hinein, sie in sich selbst zu drängen.

さぞ愉快な事だろう。

Von Schritt für Schritt wußt’ ich mir’s zu erörtern.

己はその計画を一歩一歩心にめぐらして見た。

Das ist mein Wunsch, den wage zu befördern!

これが望だ。己はこれをはかどらせるつもりだ。


Faust: Der Tragödie zweiter Teil

ファウスト:悲壮戯曲の第二部

Vierter Act. Hochgebirg

第四幕 高山

Johann Wolfgang von Goethe

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

森鴎外訳




ファウストの言葉をつぶやき終わったアクアに、ラプラスの魔が囁く。

「そんなことは、統計上ありふれた事です。あなたも御存じのはず。完全に情報を得てはいないが、自分自身でその確率を計算したのだから。だというのに、それに抗うなど愚かしい」

アクアは構わず、続ける。

「そして、それは可能な事だ。なぜなら、この水も運動の法則に従い、ポテンシャルを超えてはこないからだ」


Natura non nisi parendovinctur

自然に従い、そして征服せよ


「具体的には、ナビエ・ストークス方程式を解けばよい。経験的に知られていた水を治める方法は、ニュートン力学によって再構成された」

ラプラスの魔が笑いながら語る。

「そのニュートン力学の果てに、私は生まれた。そして、あなたはこれにコルプスを奪われた」

コルプスの最期を思い出し、心が壊れそうになりながらもアクアは続ける。

「けれども、ナビエ・ストークス方程式は、理論的で、応用では扱いづらかった。その理論と応用の狭間を埋めたのが、プラントルの境界層という概念だ。この概念を用いる事で、ナビエ・ストークス方程式は簡略化され扱いやすくなり、流体力学の応用を発達させた」


津波が、小プリニウスのメーザーの射程距離に入った。


「そして、私はこれらの”知識”という槍を持って、津波に戦いを挑む」

アクアはメーザーの照射スイッチを押した。小プリニウスはマイクロ波を照射し始めた。水がいくらか蒸発し、波が若干低くなったものの、まだ高かった。


大プリニウスの出番だった。水中に固定された大プリニウスから、アクアは磁場と電流を流し、フレミング左手の法則の向きに力が発生し、水が流れ始めた。そして、津波の方へ向かい、衝突した。

振幅はかなり小さくなったが、津波は消滅しなかった。


しかし、何台かの船は破損してしまい、燃料ももう残っていなかった。貴重なデータを集める為にも、撤退しかなかった。

悔しいが、今の私に出来る事は、ここまでだ。

後は堤防が耐えられるかだ。もう、皆は避難しているだろう。そう思いながら、私は、小プリニウスのカメラを海岸に向けた。

海岸には誰もいなかった。


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