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Book 3: I cannot unweave / 分けれない

自分は、炎の中に飛び込む事が出来なかった。

立ち尽くしたまま、家は燃え尽きた。

家の中にいた老夫婦は亡くなった。自分を攻める者は誰もいなかった。


けれどきっと、その時から、自分は憂愁に取りつかれたのだろう。

老夫婦フィレモンとバウキスを殺してしまったファウストが灰色の魔女”憂愁”に盲目にされた様に。



No, no, go not to Lethe, neither twist

否、否、忘却のレーテへ行くな。 絞った

Wolf's-bane, tight-rooted, for its poisonous wine;

トリカブトの堅い根から生じた毒ワインも飲むな。

Nor suffer thy pale forehead to be kiss'd

お前の青ざめた額にキスをさせるな。

By nightshade, ruby grape of Proserpine;

夜の影、あるいは冥府の女王プロセルピナの赤い実によって。

Make not your rosary of yew-berries,

イチイの実でロザリオを作ったり、

Nor let the beetle, nor the death-moth be

死を刻む死番虫や死神の顔を持つ蛾を、

Your mournful Psyche, nor the downy owl

お前の陰鬱なプシュケーとするな。抜け目ないフクロウを

A partner in your sorrow's mysteries;

お前の秘密の悲しみを打ち明ける友とするな。

For shade to shade will come too drowsily,

なぜなら、影から影が眠たげに現れ、

And drown the wakeful anguish of the soul.

魂を苛む苦悩に溺れさせるから。




震災の混乱が一段落すると、ボランティアが盛んになったが、自分は参加しなかった。

どうせ自分一人の行動で何も変わらないから。


そのまま予定通り、自分は教師になった。

生徒達に、キーツの詩の魅力を教えると意気込んで職に就いたものの、日々の雑務に追われて、どうでも良くなっていた。

そんなこんなで数年が経つ。

もう10年以上経つ復興住宅に自分は暮らしていた。

ただ、いつまでも変わらない毎日があって。

不幸な訳では無くて、むしろ避難所生活の時よりも物質的に恵まれていた。

でも、心はどこか空虚で、全てに靄がかかったようで…



いつの頃からか、愛読していた虹の詩は読まなくなった。

ワーズワースの虹の喜びを忘れたつまらない大人になって、それでもlet me die!する事もなく、それが息苦しかった。

キーツの愛しいレイミアは虹と共に消えてしまった…。


代わりに気に入っていたのは、キーツの憂愁のオードだった。

冬のある日も、その詩を読んでいた。



But when the melancholy fit shall fall

だが、憂愁が空から降りる時、

Sudden from heaven like a weeping cloud,

それは、突然雲から涙の様に流れる雨の様に

That fosters the droop-headed flowers all,

うなだれた花々全てに、潤いをもたらし、

And hides the green hill in an April shroud;

緑の丘を春の帳で覆う。

Then glut thy sorrow on a morning rose,

その時、お前の悲しみを朝に咲く薔薇にむさぼらせよ

Or on the rainbow of the salt sand-wave,

潮香る砂浪にかかりし虹に

Or on the wealth of globed peonies;

宝の様な丸いシャクヤクにも。

Or if thy mistress some rich anger shows,

また、お前の恋人(憂愁)が、豊かな怒りを示したなら

Emprison her soft hand, and let her rave,

彼女の柔らかな手を包み、喚かせよう

And feed deep, deep upon her peerless eyes.

そして、深い深い比類なき彼女の瞳を味わおう




…赤い水が垂れていく。手首から流れた血だ。

恩師からキーツの詩を知って以来辞めていた、リストカットをまた繰り返す様になっていた。

詩を読みながら、手首に血が流れてく。


手から赤い血が流れ、自分の後に真紅の薔薇の道を作った。


the rainbow of the salt sand-wave,

潮香る砂浪にかかりし虹


その言葉を繰り返した。それは、あの日見た光景。二人で、詩と絵を描こうと約束した日の。


ふと、ベランダに目をやると、クリスと老夫婦が見えた。

屋上で、彼らに向かって赤色のミサンガをした手を伸ばした。

それでも届かなくて、クリスの瞳に引き寄せられて、ベランダのふちに足をかけた。



She dwells with Beauty—Beauty that must die;

憂愁は美と共にある、死せる美と共に

And Joy, whose hand is ever at his lips

喜びも共にある、いつも手を唇にあて

Bidding adieu; and aching Pleasure nigh,

さよならというそれと。そして、痛みを伴う歓喜もそばにいる

Turning to poison while the bee-mouth sips:

蜂が蜜を吸う内に毒に変わるこれとも。

Ay, in the very temple of Delight

然り、歓喜の神殿の中に

Veil'd Melancholy has her sovran shrine,

ヴェールに包まれた憂愁は、至高の玉座を持つ。

Though seen of none save him whose strenuous tongue

しかし、それを見れるのは強靭な舌で、

Can burst Joy's grape against his palate fine;

繊細な口の中で、喜びのブドウを弾けさせられる者だけ。

His soul shalt taste the sadness of her might,

その魂は、憂愁の強く大きな悲しみを味わい

And be among her cloudy trophies hung.

彼女の山の様なトロフィーの中に吊るされる。




時の輪から抜け出す事が出来た自分の傍では、クリスがいつまでも笑いかけていた。

あの冬の虹の下で見た笑顔で。

どんなに冷酷な自然も科学も、二人を分けれない。

あの時に、こうすれば良かった。もう悲しも苦しみもない。

だから、虹の美しさを忘れた自分を


Let me die!

死へ誘え!


その喜びが、口の中から弾けた。

その魂は憂愁を味わい、松に吊るされていた。



***


翌朝の新聞の小見出しに、若い教師の飛び降り自殺の記事が載った。

第一発見者は、教師が教えていた小学生のユキだった。


周りの人々は、キイツの突然の死に驚いていたが、誰もその闇に気付かず、震災関連死として認められる事はなかった。



She dwells with Beauty - Beauty that must die

憂愁は美とともにある。死せる美と共に。


Ode on Melancholy

憂愁のオード




…これは夢。

あの時、炎の中に飛び込んでいなかった夢。

けれど、それはもっとひどい悪夢でしかなくて…

自分は、夢から目覚めなくてはならない。

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