There was an awful rainbow once in heaven: (かつては天空に壮厳な虹があった)
自分はクリスについていくことにした。
「せやな。公園に出たら、何か良い題材があるかもしれへん」
自分はクリスと共に、少し歩いた所にある海浜公園で、いつもの様に遊んだ。
いつもと変わらない日々。でも、その日は違った。
珍しく虹がかかったのだった。
その光景に二人でしばらく見とれていた。
虹が薄くなりかけた頃、自分はふと思い立って、松と海の上に虹がかかっている光景を、赤い神戸ノート(自由帳)に模写し始めた。
クリスの方は何かを口走ると、緑の神戸ノートに、何かを書き込み始めた。
「いい句ができそうや」
そういえば、俳句の宿題もあった。クリスに言われるまで完全に忘れていた。
「そういや、国語の宿題もあったなあ。理科の宿題もまだやったし…」
ふと、面白い実験をする事で人気者の理科の先生が、生活の授業で特別に教えてくれた時、虹は七色と言っていた事を思い出した。
けれど、実際に虹を見てみると、七色には見えなかった。
自分は、思ったままの俳句を口にしていた。
冬の虹
冷えし七色
分からない
「それやと俳句やなくて、ただの感想やん」
クリスは笑ったが、自分は真面目に反論した。
「せやけど、七色に見えへん。赤、黄、緑、青、紫位は分かるけど、残りはなんかぼやーっとして、分けられない感じや…」
自分の言葉にクリスは、目を光らせた後、呟いた。
冬の虹
冷えし七色
分けれない
たった二文字の違いが、とても綺麗に響いていた。
クリスは満足げにうなづくと、緑色の神戸ノートに俳句を書き込んだ。
「イタリアやイギリスも虹は七色だけど、アメリカとかは六色や。七色とか六色に分けてるのは、人間の勝手や。虹が何色かなんて人それぞれやから。分けたらもう虹じゃなくなるんや。七色に見えなくて分けれないから虹なんや」
「たしかに何色でもええな。自分も虹をかく時は、色えんぴつの色じゃ表せきれへんから混ぜてたんや。クリスが考えたんか?」
「いや、考えたのはキーツや」
その忘れられない名を聞いたのは、この時が初めてだった。
「自分がか…。おぼえてないけど、そんなこといったかもしれへん。…自分、良い事いうな。やっぱ、自分、天才やな!」
初めてその名を聞いた時、自分の事だと誤解した。
「あんたは詩人じゃなくてただの自信家や。国語も苦手やん。詩人ジョン・キーツが言ったんや」
「ジョンってだれや? 自分のニセモノがいたんか?」
「あんたの方がニセモノや! キーツはキイツでも、ジョン・キーツが雪の結晶が溶けた様なきれいな水なら、あんたは汚いどろ水や」
「ど、どろ水は、言いすぎやない…」
ジョンのやつに嫉妬した。流石にクリスも言いすぎたと思ったらしい。
「い、いや、どろっていっても、アンタは、すばらしい甲子園の土なんや。高校球児達の夢と涙に、それから、汗とか…鼻水とかつばがつまった…」
「…やっぱ、汚いやんか!」
自分のツッコミにクリスは話をかえた。
「まあ、その辺りは水に流すとして…」
「水に流せるほどまだ心のきずが回復してないんやけど…」
「「水に流れし者ここに眠る」って墓に書いてるんだから、流すんや」
「自分まだ死んでへんし…」
「と、とにかくジョン・キーツは、イギリスのロマン主義の詩人だってお父さんが言ってたんや」
「マロンしゅぎってなんや?」
「何かよくわかんないけど、自然が好きみたい。あとじょうねつ的だって」
「自分達の名前につけるほど、マロンが好きやったんやな」
「…なんや違う気がするけど…まあええわ。お父さんが言ってたジョン・キーツの詩がよかったからメモを取ったで」
クリスは、緑色の神戸ノートを開いて読み上げた。
A thing of beauty is a joy for ever:
美しいものは永遠の喜びだ
Its loveliness increases; it will never
それは日ごとに美しさを増し
Pass into nothingness; but still will keep
決して色あせることがない
それは、エンディミオン(Endymion)の冒頭だった。
「美しいものは色あせることはない。か。せやけど、美しい虹も、もう色あせて消えたで」
二人で詩を読んでる内に、いつの間にか虹は消えていて、少し寂しさを覚えた。
「しんきくさいこというな。虹が消えたなら、また作ればいいんや!」
クリスは近くにあったホースの蛇口を捻った。水は太陽の光を受けて、虹がかかった。
「せやな」
ふと、自分は生活科の授業で聞いた、虹の下はくぐれないという話が本当かどうかを試してみた。
虹を見ながら、その下をくぐろうとした。
何度も、早くしたりゆっくりしたり、けれど虹はくぐれなかった。くぐろうとすると消えてしまった。
「さっきから何してるん?」
「虹をくぐろうとしてたんや。やっぱり、虹の下では虹は本当に見えないんやな…」
自分が少しへこんでいると、クリスは不思議な様子で言った。
「いや、さっきからキイツ、何度も虹をくぐってるけど」
「はあ、からかってるんか? 虹は一度もくぐれてないんや。くぐろうとしたしゅんかん、虹は見えなくなるんやで」
「あほちゃうか? からかってるのはそっちの方や。何度もくぐってるやん」
「くぐってない!」
「くぐってる!」
互いに言い合いになって、自分はクリスを睨みつけた。
その瞬間、クリスの青い虹彩に覆われた瞳の中に、虹をくぐっている自分がみえた。
「…ほ、ほんまや!」
声を出すと同時に、クリスの虹彩から、一粒の涙が零れ落ちた。
「…やから、言ったやろ」
「…す、すまん。でも、本当に自分自身はくぐれないんや。やってみ」
「キイツの目がおかしいんちゃうか」
今度は、自分がホースを持ち、クリスが虹をくぐった。
自分からは、クリスが虹をくぐる様子がはっきりと見えた。
でも、クリスはいぶかしそうに何度も、虹の間を行ったり来たりしていた。
「ほんまや。くぐれへん。」
「自分は、クリスが虹をくぐってるのが見えるで」
そういわれて、クリスは、自分の瞳を見つめた。
「でも、キイツの瞳のなかでは、虹をくぐっている」
「つまり、一人では虹をくぐれなくても、二人ならくぐれるんやな!」
「あ、また良い句が思いついた!」
そう言って、クリスはまた、ノートに書き留めた。
「何を書いたんや? 他のも見せて?」
しかし、クリスは首を振った。
「今はダメや。もっと書きためてから見せる。春になったらできるんや」
当時の自分は、そんなことも思わず、来るべき春を待ち望んでいた。
家に帰ってから自分は、虹の絵を描き直した。
松の生い茂る浜辺を背景に、瞳の中に映る虹をくぐるクリスの後ろ姿を描いた。
その美は永遠で決して色あせる事は無いように思えた。




